2010年1月30日土曜日

olive!news

【週刊朝日が売れている。】

27日の毎日は、「小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る事件で逮捕した同党衆院議員の石川知裕容疑者(36)に対し、東京地検特捜部が、石川議員の資金管理団体「勝山会」(北海道帯広市)の会計処理問題についても事情聴取していることが分かった。石川議員の弁護士が27日明らかにした。逮捕容疑以外の取り調べが明らかになるのは初めて。」と報じた。
これをどのように論評するか。

週刊朝日が売れている。
先週まで週刊朝日だけが検察に批判的な記事を載せていたが、他の週刊誌は検察側に立ち小沢氏批判記事を載せていた。だが今週になり週刊朝日の売れ行きに触発されたのか、売上欲しさかは分からないが今週の週刊ポストやサンデー毎日も中立的な立ち位置に移り始めた。

小沢氏が対決姿勢から、捜査に協力する姿勢に転じる発言をしたことも背後にあると思われるが、実際は小沢氏会見前後で本件事件の空気が変わったこともある。
そうこうする中で、週刊朝日は以下の記事を載せていた。

-----
1月13日午後4時45分、突如、議員会館の石川事務所に見知らぬ人物が押しかけた。衆議院事務局議員会館課の女性職員に案内されてきたのは東京地検特捜部の事務官ら7人である。
石川の部屋の前の廊下には記者たちが取材機会を求めて待機していた。その目の前での出来事だった。

捜査は極めて強引であったようだ。まずドアをノックすることもせず、会館の職員が東京地検の事務官を部屋に引き入れると、捜索令状も見せずに、内側から勝手に鍵を閉めたのだ。
その間、捜査事務官たちは、部屋のモノには手を触れないように秘書たちの行動を制限している。約30分後、石川本人が検事と共に部屋に戻ってくるまで無断で占拠し続けたのだ。

つまり、少なくとも30分近くの間、令状もなく国会議員の部屋が無断で東京地検に“差し押さえ”られたのだ。これは違法行為ではないのか。
-----

上杉氏が特捜部関係者のひとりに確かめると「令状なしの家宅捜査は聞いたことがない」との答えが返ってきたそうだ。また土本武志元最高検検事は明確に「それは脱法行為である」と断定した。つまり石川議員逮捕は手続きに不備がある違法逮捕だった可能性が高い。

-----
(公務員職権濫用)
刑法第193条 公務員がその職権を濫用して、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害したときは、2年以下の懲役又は禁錮を処する。
(特別公務員職権濫用)
刑法第194条 裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者がその職権を濫用して、人を逮捕し、又は監禁したときは、6月以上10年以下の懲役又は禁錮に処する。
-----

無論のこと明々白々な憲法違反でもある。
また鳩山首相は、「検察にリークは無い」との答弁書と閣議決定を行ったが、大変に国民の心証を害する。
NHKの担当者の話然り、最近取り沙汰される多数の関係者情報につき、誰も報道機関の記者が自分で情報を取っているなどと思っていない。

あることをないこととすることを隠蔽という。それともけん制か。
自民党政権では日常茶飯事であったが、民主党政権は情報公開を言って先の選挙に勝利しているわけだから、選挙で勝つと話が異なれば信を失う。
最近では、平野官房長官の言にも同様の政府のごり押し発言が目立つ。勘違いしてもらっては困る。

なぜ週刊朝日が売れているのか。
それは、多くの国民がへんだな、と思っているからである。
ここの1万人世論調査でも、実に60%が何らか偏向なり、不信感と回答している。
こういうタイミングで「検察にリークは無い」と閣議決定すれば、それを使い尽された言葉でKYという。
一方、小沢氏は早速沖縄に飛び、新市長になった稲嶺氏と会い、党としてフォローしつつケアしている。

小紙も「きれいな海を埋めるのは駄目だ」という言葉に同意している。
乱暴に行ったことは多くの抵抗に遭い、失敗するが、よく双方が耐えて話し合ったことは、上手く進む。
ウォールストリート・ジャーナルも逆の立場だが、キャンプシュワブ沖の海上基地に拘泥し、日米同盟のあり方を弱めるのは本末転倒と述べている。

結局、立場は同じなのだ。こういう国際政治環境の情勢変化をよく読み、外交に活かす術を民主党政権が取り入れるべきだろう。米国の本音は、台湾への武器売却にも見られるようにジワジワと大国化する中国に不安を感じているのである。

さて、週刊朝日の記事とは別に小紙は、大マスコミのリーク報道とは一線を画し、そもそも「水谷建設の5000万円裏献金疑惑」は極めて信憑性に欠くと見ている。その理由は、東京地検は巨大組織であり、特捜部もあれば金融経済事案を扱う部署もある。

そこには沢山のその道のプロがいるはずで、ある時には話が紙袋になったり、パックになったりするが、
もし5000万円の裏献金話が本当なら今頃、石川議員の容疑は完全に終わっているはずと見ているのだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
しかし未だに疑惑に留まっていることから、それは疑惑に過ぎないものと昨日の論評で述べたのである。
プロにはプロの目がある。別に、無定見に述べているわけではない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

むしろ率直に言って真面目に捜査をしているのかという疑いすらある。
四億円不記載も、振替なら何処の企業でも日常の事務処理だし、勘定収支は合うから特段の問題もない。
(借入金も小澤一郎名義になる。)

カネは不記載になると勘定が過不足になるし、虚偽記載だと辻褄が合わなくなるが、今般は勘定が合っている。
あるなら唯一、記載が所有権移転日(登記起算)になったことである。
これも、不動産登記法からすれば処理は正しい。

即ち、話が言いがかりに近いものになっている。
この話の発端は、読売新聞の取材に、四億円は定期を担保に小澤氏から借り入れたものだ、と言ったからだとここでは見ている。もしそこで、全容を話しておけば事は大きくならなかったと見ているのだ。
「A君が会社の接待費を立て替えました。」「なんでそんなカネ持っているんだ」「彼の実家は金持ちなんです。」「あっ、そう」で終わった話。
だから特捜部は、なぜか今頃、石川議員側の政治資金収支報告書に虚偽記載がないかとか探し回ることになる。

ネットでの論調も収まって来た。
大新聞、大マスコミも誤報ばかりだと商売に差し支えるから、慎重姿勢に転じたようだ。
一方、隘路に入った特捜部は困った。
まさか戦中のようにありもしない戦果を大本営発表し、このまま突っ込んで行くのだろうか。
さて、別の郵便不正事件の公判も始まり、そこで村木被告は「検察のストーリーは理解不能」と主張している。

小紙は、本件陸山会土地購入事件についても依然としてその「罪」が見えない。
また、現実にリークがそこに存在しているわけで、それはそれとして法務大臣がきちんと検事総長を呼んで注意しないとならない。やはりそこにあるものをないというのは間違いだと思うし、国家社会のあり方に大きな影響を与えてしまうと思う。そうは思わないか。

『降るとみば つもらぬうちに 払えかし 柳の枝に 雪折れのなし』
(新陰流極意 雪柳の太刀)

皆さんの御意見もお待ちする。

犯罪者として何としてでも立件ありきが前提となった捜査にしか思えない。

Posted via web from realtime24's posterous

2010年1月29日金曜日

方角と風水

京都が風水に則って「作られた」都市であることは周知の史実。もちろん飛鳥浄御原宮、藤原京、平城京、長岡京、平安京と続く遷都はすべて風水に基づいて行われた。南から北に、ほぼ同経度を北上して行った。

次に「都」となるのは江戸=東京なのだが、この江戸も風水によって作られた。いわゆる「気」のたまる場所「穴(けつ)」に居城し、追って鬼門の方角に日光東照宮を置き、守り神として家康を安置した。
しかし、もともと江戸周辺は、利根川(当時は東京湾に河口があった)などが氾濫しまくる「水浸し」の土地であったらしいのだが、なぜそんな場所をわざわざ首都に選んだのか。
八岐大蛇伝説が治水を記したものであるとすれば、日本人は古代からわざわざ川=水を克服することによって都市を築いてきたということになる。考えると大阪、名古屋もそうだ。大阪はほぼ全域がかつては海だったらしい。わずかに大阪城のあたりがポコッと小さな島になっていたほどという。名古屋はいくつもの河川に挟まれた場所。今でも台風が来たら何カ所も堤防の決壊の怖れがある。
どうして水浸しの土地に都市を築こうとしたのか。最初に浮かんでくる考えは「雇用対策」だったのだろうか、ということだ。
ピラミッド、ニューディール、田中角栄の列島改造がそうであったように、大規模土木事業を国策とする目論みだったのだろうか。
京都などはもともとそこにあった天然の地形を利用しているのに対し、江戸は無理矢理に風水的に良い場所にするべく、河川の流れを変えたり、広大な埋め立てを行っている。そうして東の京とするべく様々な改造が行われていった。
しかし京都と江戸が、表面的に見てもっとも異なる点は、道路=街区ではないかと思う。東京は「碁盤の目」ではないのだ。(僕が東京に出て来てとても困ったのがこれ)
では東京を地図的な見地で見てまったく規則性がないかというとそんなことはない。東京は「円(螺旋)」と「放射」からできている。円は、そう皇居(堀)、「山手線」そして山手線の内外にいくつも存在する環状線、そして南武線+武蔵野線という大きな円。まだまだある。そしてそのいくつもの円を貫く放射状の道路と鉄道。(ちなみに山手線は「陰陽図」に酷似する)
まあ世界中のいくつもの都市がそうやって発展していくことは当然なのだが、東京の場合、どうもそこに風水が関わっているような気がしてならない。ハマコーがアクアラインを作ったのも、円環を閉じたかったのかな、という気さえしてくる。
なんにせよ、江戸は風水的にとても成功した都市となった。あんなに長く政権を維持していた権力など、世界史を見ても珍しい。それは風水によるのだろうか。その江戸幕府に亀裂を生じさせたのは他ならぬガラ空きの南側の土地、三浦半島だった。
さて時代を降りて来て、敗戦を乗り越えた日本は瞬く間に復興した。その景気が傾いたのはもちろん「ブルーマンデー」に事を発するのだけれど、都庁移転がそれに拍車をかけた、というまことしやかな意見もある。
皇居つまり元の江戸城は富士山からの大きな気を受け止めて安定・繁栄してきた。その気の流れを断ち切ったものがある。
そう、現在の都庁だ。
香港は風水都市といわれるように、ほとんどのビルが風水師の助言を盛り込んで建てられる。東京では一部を除いて風水に則って建てられた建造物はないように思われる。
けれど東京という大きな観点から見ると、どうも風水によってかたちを変えられてきているように思えてしょうがない。今でも何かの力が働いているように思う。
ちなみに、風水にはなんらかの科学的根拠があるのでは、という意見も少しずつ叫ばれるようになった。経絡、ツボが西洋医学では説明できないが事実効果はあるし、針麻酔は実際に効いている。近いうちになんらかの説明がつくのではないかと思う。まあ、説明できなくても効能があればいいんだし。「よくわからないけれど効果がある」ということで使用されている西洋薬や治療法もある。(リウマチの金製剤なんかがそうなのかな?)
それと同様に風水にもなんらかの説明があるのではないだろうか、ということだ。
たとえば最近の地震マップなどで、「危険」とされるのは、昔川だった土地であるとか、水浸しだった土地と堅固な土地の境目を横切る高架は切断されるとか(神戸がそうだった)、地震対策には古地図が必要になっている。

ああ、書きたかったことからどんどん離れていく。どうしよう??
東京は碁盤の目ではない、と書いた。新興都市だと整然と区画されることが多いがそれでも、碁盤の目になる都市はそれほど多くないと思う。札幌は、市街地こそ違うけれど、中心部はほぼ碁盤の目になっている。とはいえ、札幌が風水に基づいて作られた都市であるかというと、どうもそうではない気配が濃厚だ。北と東になにもないし。さらに道路も正確な南北の線から微妙にずれている。
僕は札幌で生まれ、育った。二十歳までは北区、東区という碁盤のまっただ中に住んでいた。札幌に住んでいる方には分かると思うが、僕はほぼ常に「東西南北を意識して」生活している。無意識であっても、と言うべきかな。どこにいても頭の何処かで、「こっちが南、こっちが東」と自分の向きを感じているのだ。ただしある種の動物のように脳内に磁石があるわけではないので、正確ではない。「勘」だ。
だから地下鉄に乗って、初めての土地にポッと出たりするととても戸惑う。東西南北が分からなくて失見当識を起こすのだと思う。とても不安になる。なんとかして把握しようと努めるところから始まる。
これは僕のような者だけなのだろうか、それとも札幌、京都、旭川の出身者の多くが持つ性質なのだろうか。確かめたことはない。
ただ、東京人(といってもほとんどが地方出身者だけど)はどうやら東西南北をほとんど意識しない。これに気づいたのは東京に来てまもなくのことだ。たとえば待ち合わせをしようと思って「新宿駅の南」「あの店の西側」と言っても通じないのだ。東京では、「○○の××寄り」という言い方が一般的だ。相対的なのだ。
僕自身ももちろんそういう相対的な位置把握はしている。しかし大本ではやはりいつも東西南北を頭において、そして考えている。これは僕の生き方とか仕事の仕方にも表れているような気がしてならない。常に全体像を認識していないと動けないのだ。何も説明されずに「あれやれ、これやれ」と言われると何もしたくなくなる。

札幌ではどうやって東西南北を把握していたかというと、「山のある方が西」という単純なものだった。これは京都の人もそうらしい(京都の人でやはりいつも方角を意識している人の書き込みを見かけた)。しかし京都人が札幌に来ると方角を取り違えることがあるそうだ。
山のある方角が違うからだという。
僕が今住む場所の西側には、丹沢山塊がある。それだけでも僕は少し落ち着く。マンションの8階なので空気のきれいな祝日、特に雨の降った翌日などは、富士山が見える。
ゴミが多すぎるせいで汚くて、世界遺産に登録してもらえない富士山ではあるけれど、ここからはそんなことは分からない。いっぱい「気」をもらって感謝していることにしよう。


       2005.12.30

久しくこんな文章は読んだ事は無い。実に素晴らしい。

Posted via web from realtime24's posterous

KIRIN_お酒を楽しく_知る・楽しむお酒と健康_お酒と健康ABC辞典_W

素晴らしい日本の飲酒文化

日本人とお酒の付き合い

日本人とお酒の付き合いは古く、すでに縄文時代にお酒が造られていた、との説もあります。そして、昔からお酒が神棚への供え物として、また「清め」の儀式に用いられてきたことは広く知られているところです。

日本の飲酒文化は、こうした背景を軸に、さまざまな生活場面や儀式によって、豊かに育まれてきました。

お酒の文化を追求してきた日本人

とっくり 日本酒
日本人は、古くから「お酒との良き付き合い方」を考えてきた国民でもあります。室町時代の狂言「餅酒(もちさけ)」、貝原益軒の「養生訓(ようじょうくん)」、江戸時代の随筆などを集めた「百家説林(ひゃっかせつりん)」などに日本人の飲酒観を見ることができます。

また、足利時代に起こったといわれる「酒道(しゅどう)」の基本精神は「酔っ払うのを目的とするな、酒をもっと優雅で素晴らしいものにしよう」というものでした。

お酒を良き友とし、生活を潤いのあるものにしていこうとした先人たちの目には、過剰飲酒やイッキ飲みの問題は嘆かわしく映るに違いありません。

飲酒の十徳

「百家説林」より
一、礼を正し
二、労をいとい
三、憂(うれい)を忘れ
四、鬱(うつ)をひらき
五、気をめぐらし
六、病を避け
七、毒を消し
八、人と親しみ
九、縁を結び
十、人寿(じんじゅ)を延ぶ
狂言「餅酒」より
一、独居の友
二、万人(ばんにん)和合す
三、位なくして貴人と交わる
四、推参に便(びん)あり
五、旅行に慈悲あり
六、延命の効あり
七、百薬の長
八、愁(うれ)いを払う
九、労を助く
十、寒気に衣となる
小泉武夫「酒の功罪」、(社)アルコール健康医学協会「お酒と健康vol.15」より
(注)
「労をいとい」「労を助く」……疲労回復の効。
「鬱をひらき」「愁いを払う」……精神安定、ストレス解消の効。
酒席
お酒と健康ABC辞典 INDEX
A B C D E F G H I J K L M N O P Q R S T U V W X Y Z

酒好きの私ととしては一考以上のものが有ります。

Posted via web from realtime24's posterous

2010年1月28日木曜日

20年にわたってソニーを苦しめる「ソニータイマー」説 | WIRED VISION


Photo: Jon Snyder/Wired.com

ソニー製品の中では、爆発するのを待つだけの「故障」爆弾のタイマーが時を刻んでいるのだろうか? 製品の保証期間が過ぎるとすぐに壊れるように同社が意図的に設計しているとの説を、多くの日本の消費者が今でも信じているらしいことが報道されている。

英国『Telegraph』の記事によると、この「ソニー・タイマー」説は、同社を20年間にわたって悩ませ続けているという。

当初は、技術に対して強いこだわりを持つ日本人たちによる都市伝説の1つとして始まり、漫画の中で冗談のネタにされたり、オンライン掲示板に書かれたりしていた。ところが2006年に、欠陥のあるソニーのバッテリーを搭載した、410万台を超える米Dell社のノートパソコンがリコールとなったことから、この噂が真面目な話として社会的に意識されるようになった。(Dell社に加えて、ソニー、東芝、中国のLenovo社、富士通、米Apple社が製造したノートパソコンを含めると、リコール対象になったバッテリーの総数は実に世界で960万個に上った(日本語版記事)。)

爆発の危険があるバッテリーによって、ソニーの評判は大きなダメージを受けた。ソニーでは長年にわたってタイマー説を払拭しようと取り組んできたが、保証期間後に製品が故障するたびに、伝説は揺るぎないものとなっていったらしい。

『Telegraph』の記事によると、ソニーの『PlayStation 3』の人気が今でも非常に高いのは、タイマーの呪いがかかっていないと言われているからだという。(念のために付け加えると、筆者のPS3のハードディスクは保証期間が切れて3ヵ月で壊れたが、これはおそらく私が2ヵ月にわたって『Borderlands』[日本版はXbox360版が2月に発売予定]をひたすらやり続けたからだ。)

「技術革新を誇りとする国において、燃え上がるノートパソコンと史上最大の製品リコールはそう簡単に片付けられるものではない」と『Telegraph』の記事は指摘している。

[業界2位のソニーエナジー・デバイス(Sony Energy Devices=SED)製電池が2006年に行なった回収については、回収対象が約960万台という規模の大きさが話題となったが、2007年には松下電池工業(現 パナソニック・エナジー社)製の携帯電話向けリチウムイオン二次電池について、累計4600万個という大規模な回収が発生している]

今後の品質で勝負するしかない。

Posted via web from realtime24's posterous

2010年1月27日水曜日

知っていることを書くのではない。知りたいと思ったことを書いているんだ | Lifehacking.jp

writing.jpg

新しい文章を書くとき、新しい何かを作ろうとしているとき、私たちは大いなる未知を眼前にしています。なにを武器にこの未知の航海にのりだせばいいのでしょうか? 「何も持たなくていい」Boston Globe のコラムニストでピューリッツアー(報道)受賞者の Donald Murray は教えてくれます。

Merlin Mann さんの日常ブログである Kung Fu Grippe で彼の引用が載っていたので調べてみたところ、彼がコラムを書く際の方法について書いた記事が、実に魅力的な言葉にあふれていましたので、ぜひ紹介してみたくなりました(分室でも紹介しましたが!)。

何かを書く人、クリエイトする人にとって示唆になる言葉ばかりです。

My ignorance is essential. I do not write what I know but what I need to know. It is not something I know but need to know.

私自身の無知はとても重要だ。私は知っていることについて書いているのではなく、知りたいと思っていることについて書くのだから」

Sandra Cisneros tells us, “Write about what makes you different.” Your readers want to see the world through your eyes.

「自分が他の人とは違うところを書きなさい」とサンドラ・シスネロスは言っている。あなたの読者は、あなた自身の目を通して世界を見たいんだ。

I imagine my reader standing beside me as we have a conversation. The reader leads me, asking the questions I must answer. If I say nothing that surprises us by the end of the first third of the draft, I start a new column on a new topic.

書き終わると、私は自分の読者がとなりにたっていて会話をしているところを想像する。読者は私に語ることを促して、私が答えなくてはいけない質問を投げかけてくる。草稿の最初の三分の一で、私が何も驚くべきことを言えていないのなら、その送稿は捨てて別の新しいコラムを書き始めるんだ。

After I write a draft, I read it, hearing what I have said so I can dance to the music of the draft.

草稿が書き終わると、私はそれを音読する。自分の口から出てくる言葉に耳を傾け、草稿が奏でる音楽にあわせてダンスを踊るために。

特に心を動かすのが最初の言葉「私は知っていることについて書いているのではなく、知りたいと思っていることについて書くのだ」というものです。

えてして、私たちは勉強し、物事に詳しくなってからブログを書いたり、本を書いたりするのだと考えがちですが、むしろそんな準備はやめていきなり未知の領域に飛び込む方がよいと彼は忠告しているのです。

「書いているから、書けるようになる」「実践するから可能になる」それが世間に受け入れられるか、何かの成果になるかは先に決めることはできないのですから、まずはペンを手にしろ、ということでもあるでしょう。

この1点だけでも信じて行動に移す人がいれば、きっととんでもない場所にまで引き上げられて、この言葉が真理だったと納得するはず。それほどまでに真実がこもった言葉だと私は思っています。

というのは、どんなに経験をつんでも、新しいものを作り出すときの未知を前にすれば、また同じ一人の挑戦者だからです。

Donald Murray は死の5日前までコラムを書き続けて、2006 年に 82 歳でこの世を去りました。その最後のコラムにはこう書いてあります。

Each time I sit down to write I don’t know if I can do it. The flow of writing is always a surprise and a challenge. Click the computer on and I am 17 again, wanting to write and not knowing if I can.

執筆をするために座るたび、自分にそれが書けるのかどうか、確信をもつことはできない。執筆の流れをつかむまでにはいつも驚きと挑戦が待っている。コンピュータを立ち上げた瞬間、私は17歳に戻っている。書きたいという熱意が満ちあふれ、それでも自信がなかったあの頃に。

恐るべき82歳。

Posted via web from realtime24's posterous

2010年1月19日火曜日

坂の上の雲_「明治時代」は存在したか? - ガメ・オベールの日本語練習帳iii-大庭亀夫の生活と意見

前にも記事に書いたが司馬遼太郎というひとは外国人から見ると不思議な小説家で、不思議、というか「存在しない」小説家です。

だって、売ってないからな。

英語版は、ということだが。

マンハッタンのロックフェラーセンターにある紀伊國屋書店とかに行くともしかして「空海の風景」くらいが見つかるかも知れないが、他にはないであろう、と思う。

ともかくどこにも売っていない小説家である。

理由はわかりません。

わっしは日本語を身に付けるにあたって「大量に日本語の本を読む」ことを方針にした。

ま、他のこともいろいろやったけどね。

わっしの外国語に対する考えはいつでも同じで「読めれば書けるさ」です。

同様に話せるし聴けるはずである。

「えっ、おれは読めるけど話せねーぞ」ときみは言うであろう。

日本のひとはみな、「わたしは英語は読むのはだいじょうぶなんですが、話すほうはちょっと....」と言うからな。

でも、ウソですよ、そんなの。

読めれば話せるに決まっているではないか。

読めるのに話せない、というのは、ほんとうは「読めていない」のね。

英語をずらずらずらずらと読んで、頭の中で慌てて、片端から和訳しているだけです。

それは「読んだ」とはゆわん。

翻訳代をけちっただけです。

第一、きみの机の上にある辞書、英和辞典なんじゃない?

わっしはある日、ソニーの社長夫人になった娘が至るところでウエイターは怒鳴りつけるわ、いったいあなたはわたしを誰だと思っているの店長に来させない、と叫びたてるわ、

お伴を連れて欧州に出かけて剣突をくらわせて欧州人をボーゼンとさせるわ、という偉業を成し遂げた三省堂本店で、「坂の上の雲」というカッチョイイ題名の本を見つけた。

すげえーむかし、4年か5年前のことです。

一日、という当時の自己新記録というべきスピードで読みました。

読んだあとでひどい頭痛がしたがな。

この本が母国語なみのスピードで読んだ記念すべき第1号の本になった。

いろいろ理由があるであろう。

わっしはその頃正岡子規の本を立て続けに読んでおった。

芬蘭の歴史を調べたついでに興味をもって日本海海戦について調べていました。

幕末の歴史が面白かったので薩摩人の故郷に行ってみんべ、と思ってヘコーキで鹿児島にも行った。

そーゆー当時のうらわかき、独身で、いまよりも2キロ痩せていて(最近ステーキのくいすぎだべ)、ありとあらゆる種類のねーちゃんにモテモテであった頃のわっしにアピールしたのだな。

次の日いちにちお休みしてから、わっしはまたまた三省堂に出張って、今度は司馬遼太郎の本で棚にあるのを全部買った。

送ってもらいました。

わっしは吉田戦車先生のたいへんためになる本を読みながら待っていたが、着いた瞬間から、ずううううっと、ずううううううううううっと司馬遼太郎を読んでおった。

しまいには義理叔父に「ぼくは、やね」とゆって笑われました。

面白かった順に並べて

坂の上の雲」「尻喰啖え孫市」「竜馬がゆく」「関ヶ原」「峠」っちゅうような感じでしょうか。

このひとは公団アパートのてっぺんのようなところから地上を見てはんねんな、とわっしは考えた。高みだが、(嫌な言葉だが)「庶民的」な高みなのね。

ものすごく非人間的な感じがする「観念のひと」であるのに、そういう自分が嫌いだったようだ。肉体、とかがあんまりないひとです。

友達になると嬉しいが家族、とか、ましてこんなんが父親だったらたまらんな、と思った。

兄貴、でも嫌だのい。

おじさん、なら大歓迎であると思います。


そーゆー感じの元産経新聞記者が書いた「坂の上の雲」は、もう、むやみやたらとオモシロイ小説でした。

いま考えてみると、しかし、出版社が翻訳しなかったのはわからんでもないな。

日本の歴史に興味がなかったら、こんなもん読んでもちょっともおもろないやん。

そこへもってきて「日本の歴史」に興味がある英語国民など、「イタリアの歴史」に興味がある英語人の数の5万分の1とかいう数で、エジプトの歴史の3万分の1、イランの歴史の5000分の1、ベトナムの歴史に興味があるひとのの3分の1くらいだろーからな。売れねーよな、やっぱり。

坂の上の雲」に鳥山明とか大友克洋とか出てくるなら別だが。


坂の上の雲」のショーセツ世界では、因習と固陋の世界から脱したばかりの闊達な若者たちが全身全霊で生きて、その結果として国家を発展させ、やがて西からやってくることになった巨大な「暴力」に打ち勝って自分たちのまだ、か弱い世界を防衛することに成功する。

そこで躍動しているのは手に入れたばかりの合理主義であり、国の守り神としての薩摩人たちの神秘的な戦士ぶりであり、友情と労り、民族の誇りと高い倫理です。

まるで中世の騎士物語のようだ。

わっしはこの司馬遼太郎というひとの壮麗な夢はどこから来たのだろうか、と読後に考えました。

というのは、明治時代というのは彼が描いたような時代ではなかった。

彼自身も知っていたし、担当編集者であった半藤一利も気が付いていた。

まったくの絵空事だ、とゆっているのではない。

ここに書かれてあることは薩摩人の文化に対する異様なほどの美化のほかはほんとうに起こったことです。

でも明治という時代がもっていた暗さ苛酷さ容赦のなさ、というようなものはいっさい省かれている。幕末における勝者であった薩摩士族の眼にうつった明治、という趣があるかも知れません。


実際、わっしの義理叔父(日本人)は家系的に「薩摩の人」ですが、このひとの家のひとびとに伝わる話はほとんど「坂の上の雲」と同じような明治観をもっているよーだ。

その「御一新」のときの笑い話のおかしさ、へなちょこだと侮っていた幕軍に逆に切り込まれて「でっっかい屁をぶっこきながら」フンドシひとつで必死で逃げたK町の某や

弾丸というものは入射したほうの痕跡が小さく抜けたほうが大きいという単純な事実を知らない母親に尻のでっっかい弾痕を見られて、「わたしはこんな卑怯な子供をうんだおぼえはない。おまえは敵に尻を向けて逃げた上にウソまでついておったのか」とゆわれて、悔し泣きしたやはりK町の甘木さんとか、御一新をはたしてからの成り上がりぶりの笑い話、そーゆーたくさんの「家に伝わる話」を聞いていると「坂の上の雲」にみなぎるのと同じ空気があります。


しかし一方では明治は弱い者を徹底的にいたぶり嗤いものにすることによって倫理が成り立っていた時代で、薩摩人の士族にとってはダイナミズムに溢れた時代であっても、権力コンビの片割れの長州人にとっては出世主義の緊張が支配した時代であり、幕軍方であったたとえば会津人にとっては地獄そのものでもあった。

勝者以外は人間としてあつかわれなかった時代です。

ゲージツ、というようなことでいうと、たとえば

「文学」などというものは気が狂ったか人生を投げた人間がやるものであって、日本のひとはよく漱石や鴎外が文学者として高い地位にあったことをいうが、それは間違っておる。

仔細に見ると、普通人にとっては実は漱石は「帝国大学学士」なのに小説を書いたひとであり鴎外は最終的には軍医総監に至る選良高級軍人なのにブンガクというものを好きなそーだと面白がられた、というだけのことです。

「文学」は付けたり、というかヘンな趣味のようなものだったようです。

明治、という時代は北村透谷のようなひとですら「出世する」ということが人生における第一の価値であった。

そーゆーことから自由でありえたのは若い女の生活人であった樋口一葉くらいのものだったでしょう。


その勝利者以外には誇りをもつことを許さぬ時代のせいで

透谷は「女学雑誌」のたださえ惨めな原稿料をさらに下げることを仄めかされて縊死しなければならなかった。

藤村の三人の娘は餓死し、幸徳秋水日本国家にあっては「思想」を認めないというはっきりした国家の意思によって完全なでっちあげの事件の主犯として処刑されます。

いっぽうで、明治時代に日本を訪れた外国人たちが本国で活字にしたものを読むと、東京や横浜の路地裏には昼間から酒瓶を傍らに並べて博打に耽溺する「庶民」の姿が頻繁に登場し、ちょっとでも油断すると荷物は盗まれ、口を開いて言うことはほとんどはウソである、という日本の当時の世相が活写されておる。

いまの日本人がもっている「明治人」とは相容れないひとびとがそこには描かれている。


司馬遼太郎は自分が生きた時代の日本が大嫌いでした。

それは司馬遼太郎自身の手で何度も書かれ「ときには灰皿を投げつけたいほどの気持ちで」というような激しい言葉遣いで当時の(というのは80年代の)日本人の卑しさ、虚言癖、恥知らずぶりを忌んでいる。

どこからどう考えても世界最低の国民だ、とつぶやいたりしていたそーです。

わずかに彼が息をつけたのは、日本がすべてを失って、彼自身は「お寺の縁側で不貞寝」をしていたりしていた40年代から50年代であった。

60年、忍者小説で作家として自立した(いまの「忍者」というものは司馬遼太郎山田風太郎というふたりの作家の発明品であることはよく知られていると思います)司馬遼太郎は、そのおもいもかけず手にはいった足場を利用して、「こうであってほしかった日本」「自分が、かくあれかしと願っていた日本」を、現実にはそういう道を歩かなかった日本の現実に対するくやしさを原稿用紙に思い切りたたきつけるようにして「坂の上の雲」や「翔ぶが如く」のような小説を書いてゆきます。

そこに描かれたのは歴史上の人物の名前と人格の輪郭を受け継いだ、「こうであれたかもしれない日本人」たちでした。

現実とはほど遠いことは、たとえば明石元次郎の描写を見ると本人も十分すぎるほどよく知っていたのがわかります。

彼は、自分が書いている「明治人」など存在しないことを知っていた。

司馬遼太郎が「坂の上の雲」を書いたのは、1968年から1972年という丁度いまの民主党内閣の閣僚たちの世代が無責任と人生に対する好い加減で不正直な態度を絵に描いたような「学生運動」を行っていた全盛の頃であって、新聞の縮刷や雑誌を動員して当時の世相と照らし合わせると、この小説の発表自体がいかに勇気のいる試みであったかがわかります。実際、司馬遼太郎はこの小説を発表したことによって、小説家としては葬られかけている。

反動紙芝居作者、のように言われたりしています。


坂の上の雲」を書いた頃の司馬遼太郎が夢にも考えなかったことには、いまでは司馬遼太郎の書いた小説は「歴史の記録」になってしまった。

小説を現実と取り違える、などということは驚くべきことですが、日本ではそれが堂々と既成事実化されてしまった。

へんなことをいうと、わっしには「血液型性格判断」を受け入れるのと同じ知性的欠陥がおおきな役割をはたしたように思えます。

幕末の物語や「坂の上の雲」に描かれた司馬遼太郎の願望のなかだけで造形された若い英雄たちはテレビの「ドキュメンタリー」や「歴史番組」を通じて、すっかり「現実の歴史人物」になってしまった。

司馬遼太郎は、きっと天国で苦笑いしているでしょう。

ひょっとすると温厚な風貌に似ず、激怒しているかもしれません。

しかも、司馬遼太郎が創作した人物を歴史的な事実であって、だから日本人は優秀なのさ、と話たがる日本人は、みな司馬遼太郎が吐き気がするほど嫌いだ、と述べたまさにその傲慢な「ムラ社会人間」たちそのものであるという皮肉な副産物まで生じた。

司馬遼太郎がつくりあげた壮麗な「こうでありえたかもしれない日本」は、彼の小説家としてのすぐれた才能ゆえにかえって現実の歴史に対する巨大な消しゴムとなって、実際の「明治時代」を痕跡ないまでに消してしまった感があります。

日本が立ち直るきっかけがおおきくうしなわれる要因になりつつあるよーだ。


中村草田男は1936年に「降る雪や  明治は遠く  なりにけり 」という有名な俳句をつくりましたが、中村草田男ならばまだおぼえていた「明治時代」は、明治というものを「希望の原型」であったと信じていたひとりの作家によってかき消されてしまったのだ、と言えるのかもしれません。

実に簡潔、面白いブログだ。痛快である。

Posted via web from realtime24's posterous

谷川俊太郎さんの「鳥」とう詩の意味をどなたか解説してくださいませんか?

Untitled

2010年1月16日土曜日

Hidden Japan

Check out this SlideShare Presentation:

Japan

Check out this SlideShare Presentation:

Market Hack(外国株ひろば Version 2.0) 海外投資情報を幅広く発信するブログ。皆さんも参加しませんか?

2010年の投資戦略 ③

それでは具体的にPIIGSのどこがいけないのかを実際に経済指標で見てみましょう。まず比較のために先進国のGDP予想を掲げておきます。これはIMFの数字で08年以降は予想値です。ここで皆さんに注目して頂きたいのは米国は2011年にかけて欧州各国を頭ひとつ引き離して成長すると予想されている点です。

 

 先進国のGDP成長率

 

さて、PIIGSですが全般に2009年のGDPの落ち込みが大きいし、なによりも2011年にかけての景気回復の度合いがとても鈍い点が目を引きます。

 PIIGSのGDP成長率

 

そしてPIIGSの経常収支ですがギリシャとポルトガルが極めて悪く、しかも悪い水準でとどまる予想になっている点が注目されます。

PIIGSの経常収支
 

 

PIIGSの財政収支を見ると2010年にかけて軒並みGDPの5%以上の赤字となっています。

 

またPIIGSの失業率を見るとスペインは2010年には20%に限りなく近づくと予想されています。

 

PIIGSの失業率
 

欧州には中欧・東欧のようにPIIGSと同じくらいか、それ以上、中身の悪い国がゴロゴロあります。ラトビアなどの危機にひんしている国はそもそも経済規模が小さいのでその国単独では余りインパクトは無いと思いす。

 

でも投資家の不安は往々にして伝染します。

だからラトビアがこけたらそれがより大きな国へ飛び火しないともかぎらないのです。

そこでスペインに目を転ずるとこの国はかなり規模も大きいし、高失業率だし、極端に不動産に傾斜した産業構造になっています。だから飛び火する可能性が無いとは言えないのです。

 

下は最近、世界の投資家の欧州に対する不安が高まっていることを示すグラフです。


上乗せ金利

 

 

欧州で最も強い国はドイツですが、そのドイツの10年債、つまりブンズの金利に対してその他の欧州各国の10年債の利回りがどのくらいプレミアム、つまり「金利の上乗せ」を支払っているかを示しています。

 

或る国がハイリスクだと投資家から敬遠されはじめると高い金利を提示しないと買い手が現れなくなります。

 

このグラフが上に上がれば上がるほど投資家のリスク回避の気持ちが強くなっているという風に読みます。

 

ギリシャの利回りプレミアムが最近急騰していることが見て取れます。また赤のスペインも昔はフランスとおなじくらい信用度が高かったのですが、最近、投資家の不安が高まりつつあることがわかります。

 

アイルランドは実はかなり中身が悪い国なのですが、痛みを伴う財政改革を断行し、投資家の信頼感は増しています。だから今回、ギリシャに不安が走っている局面でもアイルランドの金利の上昇幅は小さいのです。

 

全体としてフランスのように投資家の信頼が崩れていない国と、ギリシャやスペインのように内容が悪い国という2つのグループに分けられ、しかもグループ間の格差が拡大していることがわかります。

 

これは一体、どの国の経済の事情に合わせて欧州連合全体の経済政策をきめてゆけばよいのかという問題を提起します。ドイツやフランスのような優等生を基準にするのか、それもとギリシャやスペインのような落後しかけている国を助けるべきなのか?それが問題になるのです。

 

言葉を変えて言えば、誰が運転席に座るのか?という問題です。

 

ドイツのような強い国は当然、インフレ抑制を最優先項目と考えます。でもEU内の不景気な国にしてみれば金利が高いのも困るし、通貨が強すぎるのも困るのです。ギリシャ、スペインをはじめとしたEU内のおちこぼれ各国の問題はだからEUの結束を弱くしています。若しギリシャの国債がジャンク・ボンドへと格下げされたら、その面倒は誰が見るという問題が生じるのです。

 

ヨーロッパの国がユーロ圏に入ると欧州中央銀行が金利を決めます。だから各国は独自に金利水準を決める自由を奪われます。またユーロを通貨として採用した場合、為替レートは当然ユーロになるので、これも自分で決めることは出来なくなります。

 

すると国内の財政政策だけが或る程度各国が自分のカイショで決めることが出来る項目となるのです。その財政に関してもEUメンバーは余り赤字を垂れ流してはいけないので財政赤字はGDPの3%程度が好ましいという所謂、スタビリティー・アグリーメントというガイドラインがあります。すると経済運営に欠かすことのできない3つの道具をメンバー国は自由に使えなくなるのです。


3要素
 

 

このような不都合に直面して、一部の国ではユーロなんか脱退しようという議論も出ています。それでは現在ユーロを使用している国が脱退できるか?についてはかなり難しいと思います。例えばイタリアがユーロをやめて、リラに戻ったら、リラは間違いなく暴落するでしょう。労働者は突然、リラの購買力が激減するので、賃上げを要求すると思います。またリラ建てイタリア国債はリスクが高いと思われ、高い金利を設定しないと国債は売れないと思います。これは市中金利が上昇することを意味します。このように脱退はいろいろな困難を引き起こすのです。

 

ユーロを律してきた財政規律は一旦、棚上げにしてまでもこれらのおちこぼれ各国を救うべきなのか?この不透明感がユーロという通貨の存在をフニャフニャしたものにしているのです。

 

いまドルが強くなるのであれば、去年成功した投資のストラテジーは全部根本から見直ししないといけなくなります。

 

去年はドルが弱かったからこそ投資家のお金はゴールドや原油や新興国に流れたのです。これらの投資対象はリスクトレードという風に呼ばれることもあります。

 

つまり今年の投資戦略で最も気をつけないといけないことは、去年成功したからという理由だけで今年もリスクトレードが成功するとあたまからきめてかかることです。

 

タグ :
-->

2010年の投資戦略 ②

ユーロという通貨は喩えて言えばキャデラックみたいな乗り心地です。つまりフニャフニャして加速も遅ければブレーキが効くのも遅いのです。

 

なぜユーロはそうなってしまうのでしょうか?これは欧州連合という政治システムの構造上の問題が関係しています。つまりEUは寄せ集め軍団なので、いちばんモタモタしている国に調子を合せなければいけないということです。妥協につぐ妥協で金融政策のかじ取りが切れ味にかけるものになってしまうのです。

 

ユーロ圏は全部で27カ国から成っています。その中には利害の異なる国々が共通の経済的便宜を享受するために一緒になったという事情があります。景気が良いときはそういう便宜優先の共同生活はOKですけど、お金のトラブルが起きると愛の無い同居生活はトラブルつづきになります。今のユーロはまさしくそういう状態であり、だからこのところユーロが売られているのです。

 

ヨーロッパの低成長国の問題は昔からありました。でもなぜそれが最近になって急に注目されるようになったのでしょうか?

 

ある事件がきっかけになって経済同盟の見直しが促されることになったのです。

 

その事件とは中東のドバイの政府系企業、ドバイ・ワールドが債務履行猶予の要請を債権者に申し入れたことです。

 

ドバイ・ワールドは不動産開発などを進めている企業でパームツリーのかたちをした人工島、ザ・パームなどを開発している企業です。ドバイ・ワールドは私企業ですが、ドバイ政府がその株主であることから若し何かあればドバイ政府が尻拭いするだろうという思い込みが投資家の側でありました。

 

でもドバイ政府はドバイ・ワールド社の救済をしないと発表しました。

 

またドバイ政府にお金が無い場合でもその上部組織であるアラブ首長国連合、つまりUAEが尻拭いするというのが投資家の思い込みでした。

 

そのUAEも当初関知しないと発表し、投資家をおどろかせたわけです。

 

因みにドバイは観光、商業、交通、金融、港湾サービスなどでもっている町で、石油は出ません。莫大な石油収入があるのは隣町のアブダビです。

 

アブダビとドバイはともにアメリカで言えば州のような存在で、言うならばカリフォルニア州とテキサス州のような関係です。今回は世界の投資家が慌てたので、最後の最後になってアブダビ政府が当座の資金を用立てするということを発表し、事なきをえました。

 

翻ってEU、つまり欧州連合を見た場合、UAEの構造と似ていて個々の国の寄せ集めになっているのです。ギリシャに若しものことがあったら、EUが救うだろうと投資家は考えていたのですが、ドバイ事件が起こった直後にドイツのメルケル首相はEUはギリシャの尻拭いはしないと明言しました。これが不安が走る原因になったのです。

 

EUはもともと石炭と鉄鋼の生産調整をする機関として発足しました。当初メンバーはベルギー、西ドイツ、フランス、イタリア、ルクセンブルク、オランダです。その後、5回の拡大を経て現在の27ヶ国に拡大します。

 

第一回目の拡大は1973年でした。このときはデンマーク、アイルランド、英国が加わりました。

 

そして81年にギリシャが86年にポルトガル、スペインが95年にオーストリア、フィンランド、スウェーデンが加わります。そして最近の拡大では12カ国が加わり、全部で27ヶ国となったのです。そのうちユーロを使っているのは16ヶ国です。英国やデンマークはユーロを使っていません。

タグ :
-->

2010年の投資戦略 ①

最初に結論を述べます。

 結論


ユーロは今年1年を通じて軟調な展開を予想しています。それは裏返せばドルが強いことを意味するので、ドルと逆相関にあるゴールドや石油は冴えないと考えています。

 

コモディティーがダメなときはBRICsなどの新興国株式も冴えないと思います。

だから米国株や欧州株や日本株の方が面白いと感じます。とりわけユーロ安は欧州の輸出企業を大いに助けると思います。ですからニュースとしてはヨーロッパから聞こえてくるニュースは悪くなるけど、株式市場のパフォーマンスはこれと裏腹に欧州株式市場はOK、そういう展開を想定しています。

 

なぜ私がそう考えるか説明します。

 

負債


2003年から始まった景気拡大局面では世界の企業や個人が沢山の負債を抱え込みました。この傾向は2008年まで続きました。

 

しかし、サブプライム問題に端を発した金融恐慌で政府が銀行を支援したり公共部門の支出をドカンを増やすなど、景気下支えの役目を果たさざるを得なくなりました。

 

各国政府の積極的な関与で1930年型の大恐慌は防ぐことが出来ました。

 

しかし去年の12月くらいから新しい問題が生じ始めました。それはそろそろ政府が借金を背負い込むことも限界に近付きつつあるという認識が投資家に芽生えたということです。

 

政府の負債をどう圧縮してゆくのか?これが2010年の各国の直面する課題です。

 

とりわけ政府の中で、強い国と弱い国との格差が顕著になっています。ここで興味深い点は、昔は政府の信用が問題になるときは新興国から綻びが生ずることが常でした。

 

ところが今回は先進国のなかで、とりわけ慢性的に経済が停滞している国がだいぶ危ない状態になっているということです。つまりこれまでの先入観とはかなり違う、立場の逆転がおこっているのです。

 

いま経済成長と財政の健全さという尺度できわめて大雑把な分類をしてやると新興国の方が先進国より高い経済成長を遂げています。経常収支もプラスになっている新興国が多いです。また財政的にも新興国の方が先進国より保守的な財政政策をとっています。だからここは2010年のトラブルの震源地にはならないのです。

 

成長と財政のマトリクス


一方、アメリカは物凄い勢いで財政出動した関係で財政赤字はGDPの13%程度まで膨らみました。きわめて醜悪な内容です。しかし危機が襲ってきたとき、まっしぐらに金融を緩和し、ドカンと政府部門の支出を増やしたので、メリハリの利いた経済の誘導が出来ました。その関係で2011年には先進国の中では最も高いGDP成長率に躍り出る可能性が強いです。

 

この反面、去年の不況の際も欧州中央銀行は量的緩和政策などの思い切った処方はなるべく控え、節度のある政策に終始しました。その結果、2011年にかけてのリカバリーという点では米国には劣ると思います。

 

また十分に緩和策をとってギリシャやスペインを救わなかったことで、今になってこれらの落ちこぼれの国とドイツやフランスなどのEU内での優等生の国との格差が物凄く広がりつつあります。

 

具体的には欧州の中でもポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペインといった国々の財政事情が世界の投資家から心配されています。これらの国に共通するのはいずれも成熟国であり、経済成長のシナリオが描きにくいという点です。

 

見事な分析です。

Posted via web from realtime24's posterous

2010年1月5日火曜日

I know what works for me. BTAICBW (ジャネーの法則 ...)

"

ジャネーの法則

著者はここ数年、「1年の経つのが本当に早い」というセリフを耳にすることが多いのですが、事実、歳を重ねるにつれ、時が経つのが早く感じられるようになります。
実はこれ、心理学的に裏付けされた現象だということなのです。
今回のレポートは、その現象「ジャネーの法則」についてまとめてみました。

「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する」
これは19世紀のフランスの心理学者、ポール・ジャネーにより提唱された心理学者の考え方で、「人が感じる月日の流れ」や「過去を振り返った際の時の流れの早さ」に対する感覚は若い頃は遅く、歳をとるにつれて短く早く感じるようになるというものです。

例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどですが、5歳の人間にとっては5分の1に相当します。よって、50歳の人間にとっての10年間は、5歳の人間にとっての1年間で、1歳の子供の1日は50歳の人の50日にあたることになります。
つまり、1歳の子供は1日にして50日分を生きていることになります。

「ジャネーの法則」は時間心理学上、月日の流れが早く感じる要因として感受性豊かな子供の頃の経験は新鮮な驚きに満ちているため、経験の内容が豊富で長く感じられ、大人になるにつれ新しい感動が少なく単調になり、時が早く過ぎるように感じるからだということです。

最近、1週間、1ヶ月が過ぎるのがものすごく早いとお感じの方もいらっしゃるでしょう。
これをジャネーの法則から見ると、年齢分の1(1/年齢)の長さで時の流れを感じ取り、「時の経つのは早い」と感じているのでしょう。
30歳の方なら30分の1、50歳の方なら50分の1の速度で時は過ぎていくことになります。
そして年々歳を重ねる度に、その速度は加速していきます。

ジャネーは私たちに、こう投げかけているような気がします。
歳を重ねるごとに時間は加速していくのだから、時を無駄にしてはいけない。
充実した1日1日を生きなければ後悔すると。

著者も改めて、1日1日を大切に過ごさねばと自覚したのでありました。

"

納得!

Posted via web from realtime24's posterous

2010年1月1日金曜日

GSMの暗号が解かれた模様 - masayangの日記(クロスバイク通勤他

PCWeek: Hackers Show It's Easy to Snoop on a GSM Call

PCWorld: GSM Encryption Cracked, Showing Its Age

BBC: Secret mobile phone codes cracked

  • 日本では使われていない(が、世界では主流に近い)携帯電話通話方式のGSMに使われている暗号が解かれた模様。
  • この手の研究は多くの国で違法らしい。米国では電話盗聴技術の議論すらご法度なんだとさ。
  • が、弁護士の指導の元、違法とならないように研究したKarsten Nohl氏は、GSM通話に使われている暗号の解読に成功。既に2TBに及ぶ逆引きデータベースを用意したらしい。
  • 現時点ではリアルタイム盗聴に必要なハードは3万ドル。
  • ムーア法則によれば、再来年には半額になる(笑

さてさて...GSM網に依存している国々はどうするのか?

  1. この手の研究は違法であると主張し、暗号が破られたという事実はなかったことにする。
  2. 盗聴されるリスクを覚悟してそのまま使う。
  3. 3Gとかに置き換える。

暗号化技術ってのは自分にとって苦手分野の一つだけど、プロプラ技術で隠し通すとろくなことはない、というのは理解できたような気がする。

日本と大韓民国を除く全世界で使用されている。2008年現在、全ての携帯電話方式の中で世界で最も使われている。世界の携帯電話端末市場の82%はGSM方式であり、世界の212ヵ国で約20億人が利用している。

基本的には第二世代携帯電話(2G)に属するが、GPRSの拡張データ通信を含むことで第2.5世代と呼ばれ、更に上位のEDGEを含むことで第2.75世代と呼ばれる。また、その上のEDGE Evolutionでは第3世代に近いデータ転送速度が出せる(後述)。現在ではGSMネットワークにおいてGPRSは一般的であり、EDGEも多くの地域で利用できる。

GSM方式のSIMロックされていない端末を一台持っておくと、世界のほとんどの国で、現地の事業者の発行するSIMカードを格安の料金で買い求めて、現地の携帯電話として現地の電話料金で携帯電話を使用できる。多くの国では空港に携帯電話会社のサービス窓口があり、プリペイドSIMカードを入手しすぐに使用を開始できる。wikiより   3Gに置き換えるしか無いかな。

Posted via web from realtime24's posterous

銀行株

Only Wire

    フォロー