mitsuきょうは多くの職場で為替が話題になったようです。信州にとって、円高は厳しい。製造業の輸出はもちろん、農産物も輸入モノが安くなるので競争力が落ちます。林業でも外国の木材が割安となり、観光に訪れる外国人の財布も軽くなります。

JALの経営悪化で、信州まつもと空港が無くなる可能性が強くなりました。ここまで来ると、あとは政治の判断ですが、村井知事は「驚いている」と言うばかり。金融危機で多くの雇用が失われたことについても、地元のテレビで「びっくりした」と語り、自分の秘書が首を吊っても驚くだけ。では、地元から出ている民主党の代議士は頼りになるか?といえば、読売新聞の全国版に、こんな記事が出てしまう状態ですから、政治には期待ができそうもありません。

1985年のプラザ合意は、たった5つの国が極秘に集まって決めることができた強烈な調整でした。しかし、行き過ぎたドル安を止めるために7ヶ国が集まった87年のルーブル合意は、効果をあげることができませんでした。以来、日本による介入などがあったものの、基本的には政府が為替を調整することは困難であり、また、そうすべきでもないという意見が先進国では主流となってゆきました。

その後、サミットにはロシアが加わり、Gの数は8に増えました。それが今では20になり、再びドル安が強い流れになっています。つまり、ドルという通貨は「安い、高い」という波を経ながらも、基本的には、より多くの国々を巻き込みつつ、調整されて安くなってきた通貨だと言える。リーマン・ショックから1年が過ぎ、「元に戻ったか?どうか?」というテーマで多くが語られていますが、おそらく風景は元には戻らないでしょう。起きているのは、プラザ合意やルーブル合意の続編のようにも思えます。ドルは下がるが、通貨の体制は大丈夫だと強調される。いつものように。

Gの数が5の前は、いくつだったのでしょう?私は、1971年のニクソン・ショックが、"G1"だったのではないか?と考えています。ある日、アメリカの大統領がひとりでテレビに出てきて、いきなり「ドルとゴールドとの交換を停止する」と発表した出来事は、世界にショックを与え、その瞬間から円とドルは変動の歴史へと踏み出してゆきました。70年代には、たった1ヶ国で決めることができたドル安も、だんだん調整に多くの国を巻き込むことが必要となり、ゆえにGの数も5、7、8、そして20と増えてきた。つまり、アメリカの政治力が相対的に低下するとともに、ドルもまた価値を下げてきたわけで、もしも今回のドル安&円高、そして、仮に藤井財務相の発言が多くの国々との調整を経て出てきたものだとすれば、円高の長期化という事態も考えられると思います。

世界銀行の総裁が、「米ドルが支配的な準備通貨として地位が保証されていると当然視するのは間違いだ」と語り、「ドルに代わる複数の選択肢が増えてくる」と言っています。これは、中国の温家宝や人民銀行が表明してきた見通しと同じ。いちど中国が批判を受けながらも発表した内容を、アメリカ政府にいたことがある世銀の総裁が繰り返したのですから、これは中国が文句を言われながら造った砂利道に、世銀が改めて舗装を施したような趣があります。

ドル安の道は、誰かが拓かなければならないが、それは誰かが独りで造れるような時代ではないし、また8つの国だけでも難しい。20ヶ国に加えて、もうひとつの主体が通貨の在り方をめぐって存在感を示したのですから、いま起きている現象は"G21"、あるいは"G20プラス1"と呼ぶべきなのかもしれません。