2010年7月25日日曜日

イエスが殺された本当の理由 中川隆


1. ローマ人の目に映ったイエスの虚像 _ 革命家イエス


イエスは山を下って平地に立たれたが、大ぜいの弟子たちや、ユダの全土、エルサレム、ツロとシドンの海岸地方などから大群衆が、教えを聞こうとし、また病気をなおしてもらおうとして、そこにきていた。

そして汚れた霊に悩まされている者たちも、いやされた。

また群衆はイエスにさわろうと努めた。

それは力がイエスの内から出て、みんなの者を次々にいやしたからである。


そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた


貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである

今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる

今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる

しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている

今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる

今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる
http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/042.htm


____________________


歴史はイエスを抹殺した。


しかし、そのあとを完全に消し去ることはできなかった。
それで、今度はかかえ込んで骨抜きにしようとした。

そしてそれは、一応見事に成功してしまった。

大勢への反逆児が、暗殺されたり、抑圧による貧困の中で死んでいったりしたあと、体制は、その人物を偉人として誉めあげることによって、自分の秩序の中に組み込んでしまう。

マルクスが社会科の教科書にのった時、もはやマルクスでなくなる、ということだ。


こうしてイエスも、死んだあとで教組になった。

抹殺と抱え込みは、だから、本来同じ趣旨のものである。

キリスト教は、イエスの抹殺を継続するかかえ込みであって、決して、先駆者イエスの先駆性を成就した、というものではない。

イエスは相変わらず成就されずに、先駆者として残り続けている。
http://fanto.org/diary-new/archives/669.html


● イエスはなぜ殺されたのか

イエスは、侵略者であるローマの官憲により、ローマ皇帝に対する反逆者として、ローマ法に則り十字架刑に処せられた。これはキリスト教にとって最大の謎である。

なぜイエスはローマ帝国に対する政治犯として処刑されたのか。

独特な話術と奇跡的な治療行為により、民衆の間に絶大な人気があったイエスは、当時のユダヤ教支配層の腐敗堕落を厳しく批判した。

一方、そんなイエスを救世主と担ぐ民衆の動きは次第に高まり、これを危険視するローマ当局の介入がユダヤの自治権剥奪を招きかねない情勢であった。

そこでユダヤの宗教指導層は、姦計を弄してイエスを逮捕し、涜神罪による死刑を宣告したのだが、かれらは死刑執行権を持たなかったのでイエスをローマ当局に引き渡し、総督ピラトは不本意ながらも、イエスを十字架刑にせよとのかれらの執拗な要求に屈した。

これが古くからある学界の通説である。


イエス処刑の責任は全面的にユダヤの宗教的支配層にあるというわけだが、この見解はローマ帝国統治下において反ユダヤ・親ローマ的立場を装った、初期キリスト教徒たちの護教的意図を斟酌していない。


これに対し、イエスは初めからローマ帝国に対する政治犯とみなされていたと主張し、先の通説を批判する学者も多い。

イエスはユダヤ民族独立運動の指導者だった。いや、虐げられた貧しい人々との連帯を志向した革命家だった、云々。

いずれにしても、通説とその批判がともに全面的に依拠する福音書の受難物語は、文献学的研究により細部の記述の歴史的信憑性がほとんどすべて否定されている。
そこで進歩的な学者たちは、イエスの死の理由を「イエスの思想」に求めなければならない。

しかしかれらといえども、イエスの死をその思想の必然的結果とするのはどうしても無理なので(悔い改めの決断を呼び掛けるとなぜ殺されるのか?)、結局、それはイエスの思想に対する周囲の無理解と誤解の結果だったと説明する。誤解されたのは必然だった!

しかし、イエスは決して誤解されたのではない。少なくともユダヤとローマの支配権力には、きわめて正確に理解されていた。だから殺されたのだ。

そうして権力がイエスの肉体を抹殺したあとに、「弟子」たちはイエスを「救い主」とすることによりイエスの精神を抹殺し、現代の神学者たちはイエスを「先駆者」とすることによって、その精神的抹殺を継承しているのだ。

さて、「食い意地のはった大酒飲み」といわれたイエスとは、いったい何者だったのか。
http://www.ne.jp/asahi/wtnb/2000/opinion/tagawa_jesus.htm


ローマ史家の土井正興氏が『イエス・キリスト』(三一新書)で熱心党とイエスとの関係を詳しく論じ、またローマの重罪犯に対する正規の死刑法である十字架刑に絡めて、

イエスが「ユダヤ人の王」を僭称して、ローマの植民地支配への反逆者、「神の国」の到来を告げる黙示録的な政治的メシアとして処刑された

と主張しているのは、明らかに正しい。


土井正興氏は『イエス・キリスト』(三一書房)の149ページで、

「それ(イエスの歴史的性格)は、・・・・

彼が、ローマ支配をくつがえして『神の国』=『ユダヤ人の王国』を建設しようとしたメシアとして、この運動を鎮圧したローマの代官によって、ローマの刑罰たる十字架刑によって刑死した

ということである」と述べている。


また八木誠一氏は『イエス』(清水書院)の188ページで、

「十字架刑はユダヤ式の死刑ではなく、ローマのものであり、ローマに対して反乱を起こした者がこの刑に処せられた。

これは重要な事実である。

イエスはローマに対する政治犯として処刑されたのである」

と記している。
http://www.geocities.jp/toryon33/iesuotoko.html

パウロ書簡から史実のイエスを傍証する


ちなみに、パウロ書簡は現存する最古のキリスト教文書ですが、新約聖書の約3分の1を占める膨大な量であるにもかかわらず、そこには史的イエスの描写が「一切」といっていいほど存在しません。唯一つの例外は『コリント人への第一の手紙』(11:23〜26)で、そこに、

「主イエスは、渡される夜、パンをとり、感謝してこれをさき、そして言われた、『これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行ないなさい』。食事ののち、杯をも同じようにして言われた、『この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい』」

という記述があります。たったこれだけです。

これでさえ、死の影にほとんど包み込まれたイエス、生身のイエスの消滅を前提とした最後の晩餐でのイエス、それもその教義的解釈の枠内でしか史実のイエスを記述していません。これを史実のイエスへの言及と言っていいかどうか?

パウロがイエスに触れるのはキリストとしてだけ、つまりその十字架の死と復活と栄光の来臨についてだけであり、それもそれぞれについての神学的意味づけに関してだけです。

パウロは「意図的に」史実のイエスには触れません。
イエスがどのような家庭に生まれ育ち、いかに成長し、いかなる目的で伝道を始め、どのような集団を構成し、どのようにして死に至ったかについては何も語りません。
つまりそこには肉のイエス論(生前のキリスト論)はなく、霊のキリスト論(死後のイエス論)しかありません。『コリント人への第二の手紙』第5章16節には、

  「かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方はすまい」

と記しています。手紙としてこれを記しているというのは、読む人々にも「そのようにしなさい」と薦めてもいるわけです。

肉のイエスに関わる「作り話やはてしない系図などに気をとられることのないように、命じなさい」とも記しています。

「もうそのような知り方はすまい」というパウロの態度は、史実のイエスへの単なる無視ではなく、むしろ拒否を意味しています。


しかし、もしマタイ、マルコ、ルカなどの共観福音書で描かれたように、十字架贖罪死へ意図的に歩むイエス像が史実として正しいならば、最強最大の十字架贖罪論者であるパウロがイエスの言行についてほとんど一言も触れないのは言語に絶する不可解なこととなります。

そこには当然十字架贖罪死へ向かう感動的なイエスの言行が数限りなく存在した筈だからです。


なぜパウロはイエスの言行について一切触れなかったのでしょうか? 

この重大な問題については、ふつう、「史実のイエスと直接接触のあったペテロ・ヤコブ・ヨハネなど直弟子たちに対する劣等感からくる反撥や開き直りかもしれない」と解釈されて、納得が求められています。

しかしパウロ自身のそのような個人的な境遇が救い主の生涯そのものへの無視へと続くことは決してありえません。これはさも解答があるかのようにみせる一種の誤魔化しや誤導です。

とにもかくにもイエスは彼と全人類にとって「神の子」で「救い主」だから、そのイエスの生涯について一言も語らないというのは、本当は信じられないほど奇妙なことなのです。

その奇妙さを実感していただくために、ここでひとつ質問してみたいと思います。もしあなたの命の恩人がいて、その人がまた家族一人ひとりの命の恩人でもあり、さらに存亡の危機にあった国家をも救った恩人だったとしましょう。

これでもパウロが信じた「全人類を救ったイエス」という大恩人よりはまだもう一つスケールの小さい恩人ですが、それでも、もしこういう人物がいたとするなら、あなたはその人の生まれや成長や活動内容に全く無関心でいられるでしょうか? 

そのようなことは人間として100%ありえません。

ところがパウロはそういうこと一切に対して拒否の態度を示し、事実上、積極的に「無視せよ」と薦めているのです。

これは非常に不自然です。言葉に尽くせないほど不可解です。


もしイエスが十字架死へ向けて意図的に生きたのが史実として正しければ、熱烈な十字架贖罪論者のパウロは彼一流のあの素晴らしい筆法で、十字架への道を歩むイエスの感動的な生き様を数多く紹介してくれたことでしょう。

むろんイエスの生き様に対するパウロのこのような度外れた無視と拒否は、事実上、史実のイエス・本当のイエスへの甚だしい侮辱に他なりません。


________________________________________

パウロが、イエスの言行・史実のイエス・肉のイエス・生前のイエスに一切触れようとしなかったのは、「史実のイエス」と「彼の信じたもの」とがその質において正反対と言っていいほど全く違っていたからなのです。 

それはイエスが自覚的に十字架贖罪死へ向けて生きたのでなかったこと、言いかえれば、イエスはこうした彼岸的・肉否定的な「宗教的メシア」でなく、本当はダビデ王の子としての、此岸的・肉肯定的な、栄光の「政治的メシア」を目指した者であったことを意味しています。


当時の主なメシア像には、


 (1)ローマの植民地からユダヤを独立させる軍事闘争をやっていれば、必ず神からの助けがあるとする戦闘的で自力本願的なもの

 (2)神の定めた時が来れば宇宙的な変動が起きて一切が転覆され神の国が到来するという待望的で他力本願的なもの


とがありましたが、積極的か非積極的かの違いはあるものの、ともかくどちらも直接的にはローマ支配の終焉によるユダヤの解放を意味していたわけですから、ともに政治的でした。


事実、ヨハネとヤコブなどイエスの直弟子たちは生前のイエスに、近く地上に建設される神の国でイエスの左と右の座を占めさせてほしいと頼み(マルコ10:35〜40)、あるいは、神の国では自分たちのうちで誰が一番偉いかと論議もしています(マルコ9:33〜37)。『マタイによる福音書』(21:20〜21)では彼らの母も同伴して頼み込んでいます。

福音書にあるような自己犠牲的な贖罪死を目指す「宗教的メシア」のもとでは、弟子たちのこういう世俗的野望は辻褄が合いません。
だから十字架の贖罪死を目指す「福音書のイエス」は彼らを強くたしなめます。しかしこれは史実のイエスがもともと「政治的メシア」だったことの痕跡なのです。

また四つの福音書全てに、処刑時、十字架の上に「ユダヤ人の王」という罪状の札があったことが記されていますが、「ユダヤ人の王」を決めるのはローマ皇帝の専権事項であったため、これはイエスが「政治的メシア」として「ユダヤ人の王」を僭称して活動したことで処刑されたことを示すもう一つの痕跡です。

また、イエスは自分を「人の子」と呼んでいますが、これは旧約聖書の中の「ダニエル書」7章13〜14節にある次のような預言を根拠にして使っている自称です。

  みよ、人の子のような者が、
  天の雲に乗ってきて、
  日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。
  彼に主権と光栄と国とを賜い、
  諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって、
  なくなることがなく、その国は滅びることがない。

その他にもイエスが「政治的メシア」だった証拠としては、


 ・ガリラヤの海の漁夫ペテロとアンデレ兄弟に「人間をとる漁師にしてあげよう」(マルコ1:17)と述べている

 ・幹部弟子のなかに軍事戦闘派の熱心党員がいる(マルコ3:18 マタイ10:4 ルカ6:15 行伝1:13)


などもあります。 したがって、


 神の力によって神の国を打ち立てローマの植民地支配からユダヤを独立させようとしていた「政治的メシア」としてのイエス


これが史実 (中川隆 注:実際は史実ではなくて、ローマ人にはイエスはこういう姿で捉えられていたというだけでしょうね) のイエスであり、そのためにローマ兵に捕らえられて、ローマ総督ピラトから「ユダヤ人の王」という罪名の死刑宣告を受け、ローマの処刑法である十字架に掛けられ、ローマ兵によって刑殺されたのです。


イエスが十字架贖罪死を目指して生きたのでないことが、すでに上記の五つの理由や史的イエスに対するパウロの徹底的な無視から明らかになっていて、しかもローマの官憲によって刑死した以上、彼は「政治的メシア」だったということです。
むろんこの「政治的メシア」はその独自の律法解釈やそれによる破戒行動を行なうため、必然的に既存のユダヤ教権力層とも宗教的対立関係に入ります。

イエスが軍事戦闘型の「政治的メシア」だったのか、それとも待望型のそれだったのか、福音書の捏造があまりにも甚だしいためどちらであるか決定するのは難しいですが、

弟子たちの中に軍事戦闘型の熱心党員のシモンがいることもあり、またイエスが逮捕される際に弟子たちのうちのある者(ルカ22:50では弟子たちのうちの誰か、ヨハネ18:10ではペテロ)が剣を抜き、イエスを捕らえに来た祭司長あるいは大祭司の僕(しもべ)の右耳を切り落としたとあるように、

私は闘争型の要素を持つ待望型だったのではないかと想像しています。
つまり戦闘性も多少持つが主に納税拒否などさまざまな反ローマのサボタージュを行なう非軍事的な性格のものです。熱心党員の弟子はシモンの他にも幾人かいたかもしれません。

「政治的メシア」としてのイエスは十字架死によって敗北しました。
これを弟子たちは「宗教的メシア」に仕立て直してイエスを勝利者とし、みずからも勝利者としたわけです。
そのとき史実のイエスは直弟子たちからも見捨てられ放棄されたわけです。

イエスが逮捕された後、直弟子筆頭とされているペテロが官憲などに三度尋ねられて、そのたび「自分とは関係ない」と告げ、雄鶏が鳴くまでに三度イエスを裏切ったという福音書の話も、ひとつはそういう事情を反映したものでしょう。
キリスト教は史実のイエスとは何の関係もありません。それは直弟子たちの創作物です。

________________________________________


パウロはイエスを直接知っていた直弟子たちから、先ほど述べた「最後の晩餐」の様子(これについては、パウロは、十字架贖罪死信仰を前提とした「これは私のからだ、これは私の血」などのイエスの架空の言葉によって、すでにペテロなどに欺かれているか、あるいは、たぶん、自分自身を欺いている)だけでなく、イエスの言行について無数の事実を知らされていましたが、ほとんど全て「政治的メシア」に関する史実であったため、あえて「肉のイエス」には一切触れませんでした。


彼は過去の「肉のイエス」に触れないことを、

「古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」

(『コリント人への第二の手紙』第5章17節)と神学的に正当化さえしています。


パウロが史実のイエス・肉のイエスに一切触れずに済ませることが「できた」ということは、すなわちイエスの直弟子たちも、「政治的メシア」と直結する部分は全て排除するという仕方で、イエスの生涯や生き様を無視したということを示しています。


現代聖書学ではルドルフ・ブルトマンの福音書に対する詳細な様式史研究などによって、

「史的イエス研究のための唯一の資料である福音書からは史実のイエスを再構築できない」

という結論が出されています。つまり福音書に書かれているイエスの記事はほとんど信用できないということで、これは福音書が非事実の塊だということに他なりません。


さて、「政治的メシア」から「宗教的メシア」へ転換することで、キリスト教はイエスの政治性から脱してローマ帝国と妥協可能になり、その成功とともに際限なく非政治化してゆき、帝国内部に広く浸透できることになりました。

しかしそのかわりローマ帝国との妥協の産物として、

「ローマ人でなくユダヤ人たちがイエスを刑死させた」

というありもしない罪が捏造され、それが史実とは異なる十字架贖罪論の福音書に描かれて、その後の二千年に及ぶユダヤ人迫害の土台を形作ることになりました。


キリスト教がイエス殺害の主犯としての罪をローマ人からユダヤ人に転嫁したのは、ローマ総督がイエスを殺害したという姿のままではローマ帝国内部での成功がとうてい不可能だったからです。

その姿はイエスがローマ支配に反抗する「政治的メシア」として処刑されたことを示すもので、ローマ人は帝国内にこういう敵性宗教が蔓延するのを絶対に許さなかったことでしょう。

また、「宗教的メシア」を強調するために治癒奇跡や自然奇跡(風を叱って止めさせる・水上を歩く・パンと魚を数千倍にする)など様々な奇跡を次々と行うイエス像が捏造されるに至りました。

http://www.geocities.jp/toryon33/syuukyoukaitou.html#hitonoko


______________
______________


2. 奇跡の丘


1964年 製作:アルコ・フィルム リュックス・フランス映画会社
原案・脚本・監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ(「マタイの福音書」に基づく)














http://www.amazon.co.jp/gp/product/B001SSXXWA/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_1?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=B00005FX1A&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=119821XWDXY28ESY9S8Y

Q資料...これがイエスの本当の辻説法


群集を見ると、彼は弟子たちに言った

何と幸運な者だ、貧しい者は。 彼らには神の王国がある。

何と幸運な者だ、飢えている者は。 彼らは腹いっぱいに満たされるだろう。

何と幸運な者だ、泣いている者は。 彼らは笑うだろう。


おまえたちに言っておこう。敵を愛し、呪う者を祝福し、侮辱する者のために祈ってやれ。

おまえの頬をピシャリと打つ者には、反対の頬も向けてやれ。

上着を奪い取ろうとする者には、シャツもくれてやれ。

求める者には与えてやれ、おまえの持ち物を奪うものがいても、返してくれなどと言うな。

人さまにしてもらいたいと思うことを、彼らにもしてやれ。

おまえたちを愛してくれる者たちを愛したところで、それが何だというのだ。

徴税人たちでさえ、彼らを愛する者たちを愛しているじゃないか。

兄弟たちだけに挨拶したところで、ほかの者より何か善行でもしているというのか?

誰でもそうするじゃないか。

返してもらうことをあてにして貸すなら、それが何だというのだ。

悪人どもでさえ、返してもらうことをあてにして、身内の者に貸している。

しかし、おまえたちは、敵を愛し、よいことを行い、何も期待しないで貸してやれ、そうすれば、おまえたちの受ける報酬は大きく、おまえたちは神の子らとなる。


なぜならその方(神)は、邪しまな人間の上にも善良な人間の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨をお降らせになるからだ。


おまえたちの父が憐れみ深いように、憐れみ深い者になれ。
裁くな、そうすれば、裁かれないですむ

おまえたちが「裁きに」使う物差しが、逆におまえたちを裁く物差しになるからだ。

盲人は盲人の手を引けるか? 二人とも穴に落ちはしないか?

弟子は師にまさらない。師に似ていればそれで十分だ。


おまえは兄弟の目の中にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の中にある丸太に気づかないのだ?

自分の目の中にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、

「あなたの目にあるおが屑を取らせてください」

と、どうして言うことができるのだ?

偽善者よ、まずおまえの目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきりと見えるようになって、兄弟の目の中にあるおが屑を取り除くことができる。


よい木は腐った実を結ばず、朽ちた木はよい実を結ばない。

茨からイチジクが採れるか?

アザミから葡萄が採れるか?

どの木もその結ぶ実によってしられる。

善良な人間は倉から良い物をを取り出し、邪しまな人間はいかがわしい物を取り出す。
なぜなら口は、心から溢れ出るものを語るからだ。


わたしを「先生、先生」と呼びながら、なぜわたしの言うことを実践しないのだ?

わたしの言葉を聞き、それを実践する者はみな、岩の上に家を建てた者に似ている。

雨が降り、激流が襲っても倒れなかった、岩が土台だったからだ。

しかし、わたしの言葉を聞いても実践しない者は、砂の上に家を建てた者に似ている。

雨が降り、激流が襲うと、倒れてしまった。ぺしゃんこだった。


ある人が彼に向かって言った。

「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります。」

するとイエスは答えた。

「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」

別の者が

「まず、わたしの父を葬りに行かせてください」

と言うと、イエスは彼に言った。

「死んでいる者たちに自分たちの死者を葬らせるがよい。」

また、別の者も言った。

「先生、わたしはあなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいをさせてください。」

イエスは彼に言った。

「鍬に手をかけてから振り返る者は、神の王国にふさわしくない。」


彼は言った。

「収穫は多いが、人手が足りない。だから収穫の主に、刈入れのために働き手を送ってくれるよう願うのだ。

さあ、行け。わたしはおまえたちを遣わす。

それは、小羊を狼の群れの中に送り出すようなものだ。

金も、バッグも、サンダルも、杖も携えてはならない。

道中では誰にも挨拶をするな。

どこかの家に入ったら、開口一番、(この家に平安があるように!)と言ってやるのだ。

もし平安の子がそこにいるのならば、おまえたちの挨拶は受け入れられる。

もしいなければ、その平安はおまえたちに戻ってくる。

同じ家にとどまり、そこで出される物を食べ飲むがよい。

働く者が報酬を受けるのは当然だ。

家から家へと渡り歩くな。

町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べるのだ。

病人の世話をし、そして彼らに、(神の王国はあなたがたに近づいた)と言ってやるのだ。

しかし町に入っても、迎え入れられなければ、出ていくときには、足についた埃を払い落として、

「だが、これだけは確実だ。神の王国は近づいた」

と言ってやれ。

祈るときは、こう言うのだ。


「父よ、あなたの名が崇められますように。

あなたの支配がありますように。

わたしたちに毎日、日々のパンを与えてください。

わたしたちの負債を赦してください。

わたしたちもわたしたちに負債のある者をみな赦しますから。

わたしたちを誘惑(試される状況)に遭わせないでください。」


求めよ、そうすれば、与えられる。

探せ、そうすれば見つかる。

叩け、そうすれば、開かれる。

求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者はには開かれるのだ。

おまえたちの中に、パンを欲しがるわが子に石を与え、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか?

おまえたちは、よい者でなくても、わが子にはよい物を与えることも知っている。

もしそうなら天にいる父は、どんなに多くのよき物を、求める者に与えてくださることか!

隠されているもので知られずに済むものはなく、明るみに出ない秘密はない。

わたしが暗闇で言うことを、光の中で言うのだ。

耳にささやかれたことは、屋根の上で言い広めるのだ。

体を殺すことができても、魂を殺すことができない者たちを恐れるな。

五羽の雀は二セントで買えないか?

だがその一羽でさえ、おまえたちの父が知ることなしに、地に落ちたりはしない。

おまえたちの頭髪までも、一本残らず数えられている。

だから、恐れるな。おまえたちはたくさんの雀よりもまさっている。


群集の一人が言った。

「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟にいってやってください。」

イエスは彼に言った。

「なあ、誰がわたしを、おまえさんたちの裁判官や調停人に立てたのだ?」

彼はたとえで彼らに語った。

「ある金持ちの土地が豊作だった。金持ちは、

(どうしよう、作物を蓄えておく場所がない)

と思いをめぐらし、やがてこう言った。

(よし、こうしよう。倉を壊してもっと大きなやつをつくり、そこに穀物や財産をみなしまい、わが命の君にこういってやる。

(命の君よ、おまえさんには何年分もの蓄えが十分にできたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして陽気にやれ。))

しかし、神は彼に言った。

(大ばか者!今夜おまえの命の君は取り上げられる。おまえが生産したものは、いったい誰のものになるのか?)

自分のために富を積んでも、神の目に豊かでない者は、これこのとおりだ。」


おまえたちに言っておく

何を食べようかと、命のことで心配などするな。

何を着ようかと、体のことで思い悩んだりするな。

命は食べ物よりも大切じゃないか。体は衣服よりも大切じゃないか。

烏のことを考えてみるのだ。

種蒔きもせず、刈入れもせず、納屋に穀物をためもしない。

それなのに、神は烏を養っておいでだ。

おまえたちは烏よりも価値がないのか?

おまえたちのうちの誰が、思い悩んだからといって、寿命を一日ひき伸ばすことができようか。

なぜ、服のことで思い悩んだりするのだ?

百合がどのようにして育つのか考えてみるがよい。

働きもせず、紡ぎもしない。

だが、栄華をきわめたソロモンでさえ、これほどには着飾っていなかった。

もし神が、今日は野にあっても、明日は炉に投げ込まれる草でさえこのように美しく装われるなら、信仰心の薄いおまえたちにはなおさらのことじゃないか。

だから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかなどと考えて、思い悩んだりするな。

それは世の誰もが切に求めているものだ。

おまえたちの父は、おまえたちがこれらの物を必要としていることを知っている。

ただ、おまえたちへの神の支配を確信するのだ。

そうすれば、これらの物はすべておまえたちのものになる。

自分の持ち物を売り払って、施しをしてやれ。

自分自身のために、富を天の口座に積み立てるのだ。

そこでは虫が食うことも、錆つくこともなく、盗人が忍び込んで盗むこともない。

おまえたちの富のある所に、おまえたちの心もある。


彼は言った。

「神の王国は何に似ているか。それを何にたとえよう。

それは一粒のからし種に似ている。

これを取って庭に蒔くと、成長して木になり、空の烏がその枝に巣をつくる。」


彼はこうも言った。

「神の王国は、パン種に似ている。
女がこれを取って三升の粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」


偉そうにふんぞり返っている者は赤恥をかくが、へりくだる者は褒められる。

ある人が盛大な宴会を催そうとして、大ぜいの人を招いた。

宴会の時刻になったので、彼は僕を客人のもとに遣わして言わせた。

「さあ、もう用意が整いましたので、お越しください。」

するとみな、言い訳を口にしはじめた。

最初の者は彼に言った。

「畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください。」

別の者はいった。

「牛を二頭ずつ五組買ったので、しらべねばなりません。どうか、失礼させてください。」

また別の者は言った。

「新婚ホヤホヤなので、行けません。」

僕は帰ると、このことを主人に報告した。

すると、家の主人は怒りを爆発させて僕に言いつけた。

「さあ、すぐに町の通りに出て行き、見かけた者は手当たり次第連れて来るのだ。」

そこで、僕は通りに出て行き、見かけた者を集めて連れてきた。

こうして、その家は客人でいっぱいになった。


父や母を憎まない者は、わたしから学ぶことは出来ない。

娘や息子を憎まない者は、わたしの弟子になれない。

十字架を受け入れて(非難に耐えて)わたしに従わなければ、わたしの弟子の一人になれない。

自分の命を守ろうとする者は、それを失う。

しかし、わたしのために命を失う者はそれを保つ。

塩はよいものだ。

だが、塩味を失えば、どのようにしてもとの味にもどるのだ?

土地のためにも肥料のためにもならず、外に投げ捨てられるだけだ。
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_qtxt.html


________________

ヨーロッパ諸国の中でも特にカトリックの勢力が強いイタリアでは、パゾリーニがキリストを冒涜する映画を撮るに違いないと早合点し、激しい反対の声をあげ、撮影中から早くも妨害される。映画が完成してヴェネチア映画祭に出品されたときも、右翼の学生がパゾリーニに怒号を浴びせ、腐った生卵を投げたりした。

ところが映写が始まってみると、何と忠実なキリストの映像化…

満場はシーンと静まりかえった。 というエピソードがあります。

何故こんなに信用されなかったのか?

それはウルトラ左翼のパゾリーニだからです。http://blogs.yahoo.co.jp/legendofbenji/12024963.html

無神論者・パゾリーニが、キリストの生涯を新約聖書の「マタイの福音書」を元に映像化した作品。

マリアの懐妊に始まり、東方三博士の礼、ヘロデ王の嬰児大虐殺、パンと魚の奇跡の話、サロメが洗礼者ヨハネの首を所望した話、最後の晩餐、釈放されたバラバ、磔刑、そして復活と、絵画等の主題になるような内容はほとんど描写されているし、 「汝の隣人を愛せよ」というような、よく知られたキリストのことばも、作中に多数含まれている。

他のパゾリーニ作品に見られるような”毒気”はなく、敬虔なキリスト教信者の視点で描かれているといえるだろう。 飾り気のない映像も、キリストを語るにふさわしい。パゾリーニが無神論者であることを知らなければ、キリスト教信者によるキリスト教布教の為の作品にも思えるほどである。いったい、パゾリーニの意図はなんだったのか。

パゾリーニがアッシジ滞在中に時の法王、ヨハネ23世のアッシジ訪問に遭遇し、ホテルで街の喧騒を聞きつつ手にした聖書が、この映画製作のきっかけとなったらしい。しかし、「奇跡の丘」撮影前に発表したオムニバス映画「ロゴパグ」の第3話「リコッタ」で、キリストの磔刑映画のパロディーを描き、「宗教を侮辱した」かどで告訴された(判決は無罪であった)という経緯があったので、パゾリーニによるキリストの映画製作には反対も多かったという。

ところが、「奇跡の丘」が発表されると、国際カトリック映画事務局賞を受賞。ローマ法王庁がキリスト教徒に適した映画を選出する「ローマ法王のオスカー」と呼ばれるリストでも、「奇跡の丘」は上位に入っている。ヴァチカンのお墨付きになったわけである。
http://www.cinemaitalia.jp/primipiatti/primo-ka.htm

ヨハネパウロ二世の推薦する映画第二位の映画。

カトリック信者ならこれ以上の信頼できる評価は無いでしょう。

1位「シンドラーのリスト」(93)
2位「奇跡の丘」(64)
3位「ライフ・イズ・ビューティフル」(97)
4位「モダン・タイムス」(36)
5位「ナザレのイエス」(77)
6位「ベン・ハー」(59)
7位「わが命つきるとも」(66)
8位「2001年宇宙の旅」(68)
9位「8 1/2」(63)
10位「山猫」(63)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/B001SSXXWA


パゾリーニはコミュニストであったにもかかわらずなぜにこの映画を作ったのか。
彼はこう語っている。

[パゾリーニの言葉]

 私はアッシジのプロ・チヴィターテ・クリスティアーナに泊めてもらっていた。その後も何度か訪ねているが、そこは私のような人間にもいつも扉を開いている。1962年10月2日だった。アッシジはロレート・ジョヴァンニ(ヨハネ)23世の来訪を待っていた。

ヨハネ23世はヴァティカンを出て、宗教会議のさだめによって“貧しくつつましき者”と名付けられた聖フランチェスコの墓に祈るためにやってきた初めての法王だった。

私はベッドに横になり、町の音に耳を澄ました。町は人々の声や足音で沸き立っており、好奇心と幸福感で熱くなっていた。大聖堂に向かう道にはたくさんの足音が聞こえた。ありとあらゆる鐘が鳴り始めていた。

私は優しい農民法王のことを思っていた。彼は難しいと当時は思われた希望へと人々の心を開き、またレジーナ・コエリの扉も彼に開かせたのだ。そこで法王は《自分の目で》泥棒や殺人者たちを見たのである。厚い慈悲の心以外は何もまとわずに。

 私も一瞬起き上がってそば近くで彼にまみえたいと思った。しかし、鐘が私の頭の上でも鳴り響いているあいだ、彼に会いたいという望みは突然鎮まった。自分がたくさんの人にとって苛立たしいはみ出し者になるのではないか、安易な宣伝をしようとしていると非難されるのではないかと思ったからだ。

私は自分のことを“放蕩息子”とは思わなかったが、多くの人にとってはそうした振る舞いは趣味の悪いシナリオのように映るだろう。

 本能的に手をナイトテーブルの上にのばして私は福音書の本を手にした。それはすべての部屋に置いてあるものだった。私は最初のところから読み始めた。

つまり4つの福音書の最初、マタイ伝から。最初のページから最後まで、今でもよく覚えているのだが、祝典で沸き立つ町の喧噪から喜んで身を守るように私は読み耽った。ついに本を置くと、私は最初のざわめきから、鐘が巡礼法王の出発を告げるまで、自分がこの厳しいと同時に優しい、かくもヘブライ的で激しやすいテキスト、それこそがマタイ伝だーーを全て読んでしまったことに気づいた。

 福音書を映画化しようという考えは何度も浮かんだが、この映画はまさにそこで、その日の、その時間に生まれたのである。

パゾリーニは「信者の中に入り込まずには神の子イエスを描くことが出来ず、無神論者である自分自身と信者との、2つの物語の間をきわめて難しい均衡をこの作品で実現せねばならなかった」と書いている。

これでなるほどと思い当たるのが、この映画の極めて客観的なイエスの描き方だ。俳優は素人であり、現代的な感情を込めた演技をしていない。

本作のすばらしさはその音楽によるところが大きい。聖書に書かれている事実は、淡々と語られていく。

ゴルゴタの丘にのぼる場面。このシーンを「パッション」と比べるといかに違うかわかります。

熱心なクリスチャンのメル・ギブソンが作った「パッション」と比較するとあらゆる面で対照的だ。パゾリーニ版のこの淡々とした進行が、彼の客観的な視点、信者でないという事実を如実に物語っているように思える。

信仰というのは理屈でないので、「パッション」ではメル・ギブソンの思い入れの深さが、時に執拗なまでに残酷な描写に行き着いたり、観ている私からするとうんざりしてしまったりするのだが、「奇跡の丘」には見事にそれがない。やはりパゾリーニは信仰心からイエスを語っているとは思えない。非常に冷めているなあと感じる。

ではこの淡々とした語り口が、なぜ数あるキリスト教映画の中でももっとも感動的であるといわれる作品といわれるようになったのか。

まず聖書を読んでみるとわかることだが、聖書が淡々としているのだ。現代的なストーリー展開に慣れている私たちにとっては、入りにくい文章である。

なにより、いつどこでだれとだれがどうした、という現代なら当たり前の歴史記述が聖書にはない。唐突に物語りははじまり、ある記述はとても長かったり、ある記述はあっさりしていたり、時系列であったりなかったり、そのときにその場に誰がいたりというのが定かでない。

そしてそのとき「と思った」という登場人物たちの思いは見事に省かれている。だからそれは文脈から汲み取るしかないので、そこにイエスを物語にするときの醍醐味があるといえるし、難しいところであるのだ。そしてこれが様々な聖書解釈、異端信仰を生む。

だいたい、どうしてユダがイエスを裏切ったのか、その理由は一切書いていないのが、私からすると本当にミステリアスだ。

では、キリスト教に興味がない私が、もし聖書のイエスの生涯を映画にするとしたら、どうするだろう?

そう考えると、この映画も非常にすっきり理解できる。

おそらく、パゾリーニが聖書を読んで最も共感できた箇所が、この映画でもっとも感動的な場面になっているのだと思う。だから「イエスの奇跡」といわれる処女受胎や湖の上を歩いたことや、病の治療、復活は淡々と描かれる。削ってはいないという点もミソだと思う。あくまでそれは事実として描いている。

この、ことさら奇跡を大げさに映像にしていないことが、信者でない多くの人がこの映画に対して拒否反応を示さなかった理由だと思う。

そして、コミュニストらしい解釈というか、お金持ちや権威ある階層に対しては戦いを挑むイエスが描かれる。

過ぎ越しの祭りのときに、イエルサレムに入城し、両替人の台や、鳩を売る者の腰かけをくつがえし、天使のような子どもたちが宮に入り、イエスを祝福する。その子どもたちが、ロケ地周辺から集められて演技させられてますっていう感じが非常にほほえましく、子どものたちの純粋さに溢れている感動的な、私の一番好きな場面。

「神の国はこのようなものたちである」と、そのかわいい子たちをいとおしく、優しい表情で見つめる人間としてのイエス。

こういったキリスト教の教えの根幹にあたる小さきものたちへの「愛」のシーンの普遍性こそが、この映画の素晴らしいところだと思う。

これこそキリスト教の教えがどうこうよりも、信者でないパゾリーニの心をも揺さぶった聖書の一場面であったろうし、同じく信者でない私が見ても感動する場面なのだ。
聖書に懐疑的な人間が、どうしても信じられない奇蹟は淡々と(鞭打ちもなければ、磔で苦しむさまも出てこない)、現代人でも共感できるエピソードはしっかり描く、このバランスが優れているのが、本作の素晴らしいところだ。

また、キリスト教の信仰では、「自らの罪を認める」というのが重要だが、この映画からはガチガチの罪悪感が感じられない。象徴的な場面としては、イエスがムチ打ちと磔で苦しむ場面で最もそれが強く表される。が、映画にこのシーンはない。人類の罪を背負ってイエスは磔刑にされた、というイエスの受難は、ぽっかり抜けているのが興味深い。
http://myvoyagetoitaly.seesaa.net/article/11038795.html


黒と白の対照を最大限に生かした美しい画面。黒の美しさ、白の美しさが心を動かす。

 画面は動でなく、静を目指して構成されている。その静は石で作られ直線で象られた建物によってしっかりと支えられている。

 そのような静かな美しさに充ち満ちた映像でイエス・キリストの生涯が語られる。

 『奇跡の丘』でイエスの起す奇蹟は、ほとんど大道芸のように表現される。パゾリーニは奇蹟の中に聖なるものを示さない。パゾリーニの視線を追うとき、パゾリーニの視線が熱を帯び、炎をあげるのは、イエスが怒りを言葉に表す時だということに気付く。

 パゾリーニは言葉の中にイエスを見ているのだ。

 イエスの言葉は激しい。イエスの言葉はこう叫んでいる。全てを破壊せよ。私だけを見ろ。私だけを愛せ。

 イエスの言葉は静かな美しさに充ち満ちた映像によって支えられている。映像の静かさの背後には激しさがある。その激しさが抑制されているところに生まれているのが『奇跡の丘』の映像の静かさなのだ。だからイエスの激しい言葉を支えることができる。

 イエスは手に太い釘を打ち付けられるとき、苦痛の叫び声を上げる。それはキリストに対するパゾリーニの冒涜ではない。そうではなく超人でないイエスに対するパゾリーニの愛なのだ。

パゾリーニはイエスの中に一人の反逆者を見ていると言ったら、たぶん間違っているだろうが、パゾリーニのイエスに対する共感は怒れる反逆者という点にあるのだと僕は感じたことも確かなのだ。

 『奇跡の丘』では常に鳥たちの鳴声が聞える。鳥たちの鳴声は、イエスという一人の人間の物語を、人間社会という閉ざされた所ではなく、世界という開かれたところに投げ入れる。イエスは世界と繋がり、人間を超える。いや人間たち全てが世界に投げ入れられているのだ。そこにおいてこそ神がその顔を見せる。

 パゾリーニは神を信じていないとしても、絶対的なものを求めている。だからイエスに共感しこのように力の籠った映画を作るのだ

 これは本当に僕の勝手な感想なのだが、パゾリーニは絶対的なものを求めているが、最後の最後のところで絶対的なものを信じていない。パゾリーニは信じていないものに必死に手を伸ばしている。そう僕は映画が終わったとき感じたのだった。
http://www.ne.jp/asahi/akira/flick/flick/movie/1999/9905.html

管理人
『奇跡の丘』は、『マタイによる福音書』を元に〈無神論者〉のパゾリーニが撮ったキリストの生涯です。日本で最初に公開された記念すべき作品でもあります。キリストはカッコ良かったですね。おいしんさんはよくわかんなかったみたいですけど。


BABA
いや、おいしんもああ見えてなかなか鋭いんだよ。

「にしてもこの役者さんはこんなテンションの高い役を演じてしまって、通常の生活に戻れたんかなあ?」

と書いてたけど、

この役者さん、撮影が終わった後に「自分はキリストだ!」とか言い出して精神病院に入っちゃったらしい。


管理人
……。それは凄いですね。


ヤマネ
この映画、カソリック教会とかは大嫌いだけど、キリストその人は愛しているパゾリーニの気持ちがよく出てますね。


オガケン
革命家としてのイエスだな。


BABA
説教がほとんどアジテーションだもんね。なんか教会から賞をもらった作品らしいけど、細かい事は抜きにしてそれくらいイエスがカッコ良かったってことかな。中盤のマシンガン・トークとかスゴかった。取りあえず眉毛がつながってるし。


管理人
……。それはどうでもいいでしょう。


オガケン
とにかくザックリ感がスゴイ。細かいところはどうでもいいっていうか。終わり方も全部スゴいし。『デカメロン』とか、パゾリーニ扮するジオットが、「夢の方が素晴らしいのに、なぜ絵を描き続けるのだろうか?」でバスっと終わる。


BABA
ホント。もう話終わってるんやから、とっとと終われや! っちゅう映画が多すぎるからね。


オガケン
アントニオーニの『太陽はひとりぼっち』ってのを見たんだけど、パゾリーニの後に見るとやっぱり終わり方がダラダラしてて参った。


BABA
パゾリーニはとにかくスパッというか、バスッというか、ゴリゴリッとしたところがいい。
http://www.cafeopal.com/reviews/99/dec/reviews991214.html


パゾリーニが何故マタイ伝を基にしたキリストの映画を撮ったのであろうか。


 彼が描きたかったのは素朴な民衆を導く者の姿ではないのだろうか。

それは田舎に生きる人々の生活習慣に関心を寄せ、またプロレタリアートの解放を訴え、左翼運動を続けていたパゾリーニ自身の反映——。

であれば『奇跡の丘』は、十二使徒や説教を受ける人々は、田舎の人々やプロレタリアートと見なし、その説教を説いているキリストはパゾリーニ自身として捉えられるのであろうか。

 この映画のキリストはまるでアジテーションのように教えを民衆に訴えかける。
特に「山上の垂訓」といわれるシーンでの、たたみかけるような説教は他の介入を許さない。

カメラが捉えるのはアップで映し出されるキリストの険しい表情のみで、それが幾カットも力強く切り返し挿入される。パゾリーニの内面に秘められた熱き魂の叫びのようでもあり、また彼の生き方の姿勢とも見れる。 
http://www5b.biglobe.ne.jp/~satonaka/kiseki.htm

個人的なことになりますが、私がローマの・・・正確にはバチカンのサン・ピエトロ寺院に行ったときに一番驚いたのは、その壮麗さでもなく・・・周囲にお店がいっぱいあったことでした。

ご存知のように、新約聖書にはこんなエピソードが出てきます。

神殿の前で商売をやっていた屋台をキリストが打ち壊し
「ここは聖なる場所だ!金儲けをするところではない!」

有名なシーンですよね?

「よりにもよって、カトリックの総本山の寺院の前で商売かよぉ・・・何故にそんなことを許すの?」

私も絶句してしまったわけです。まさかバチカンの人が聖書を読んだことがないはずもないでしょうし・・・

まさに聖書の言葉ですと、「言葉は聞いたが、内容は理解しなかった。」ということなんでしょうか?バチカンも、なんと罪深い・・・

勿論、宗教だって現実と折り合いを付けないといけない。何といだ

Posted via email from realtime24's posterous

0 件のコメント:

銀行株

Only Wire

    フォロー