2010年7月24日土曜日

42.「幸い、貧しい者」とは・・・イエスの根本的発想(1)

イエスの考えの最も基本であっただろうと思える言葉が、「幸い、貧しい者」ではないでしょうか。非常にシンプルで誰でも分かる言葉ですが、では実際の意味となると、そう簡単には理解出来ない言葉でもあります(一般に逆説的言葉と言われますが、その逆説的という意味がまたなかなか理解しがたい)。この言葉は、マタイとルカにしか書かれていませんが、根底にある考えとしてはマルコにもあります。

ルカ(6章17−26) マタイ(5章1−12)

山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆・・・イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。

  1. 貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである
  2. 今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる
  3. 今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる
  4. 人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
  1. しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている
  2. 今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる
  3. 今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる
  4. すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。

  1. 心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである
  2. 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる
  3. 柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ
  4. 義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる
  5. 憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける
  6. 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る
  7. 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる
  8. 義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである

(結)わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである

(赤文字:Q資料、青文字:ルカオリジナル、緑文字:マタイオリジナル)

ルカ福音書では、山から下りてきて平地で、多くの弟子達とおびただしい民衆の前で弟子を見上げながら(ルカの編集句と言われる創作部分)、4つの幸いとそれに対極する4つの不幸を列挙しておりますが、Q資料(仮説Q語録−イエスの言葉集)からそのまま採用したと推定されています。Q語録の最も古い段階での言葉とされるものは、「群集を見ると、彼は弟子たちに言った・・・何と幸運な者だ、貧しい者は。彼らには神の王国がある。何と幸運な者だ、飢えている者は。彼らは腹いっぱいに満たされるだろう。何と幸運な者だ、泣いている者は。彼らは笑うだろう」にあるように3つと考えられています。この3つに共通する群集とは、虐げられ飢えている被差別者・貧しい者を指しているのは明らかですが、イエスはこの貧しい者を幸いな者(幸運な者)と弟子達に語っています。一方マタイは、Q資料を採用しながら言葉を巧みに改編し、更に5つの幸いをオリジナルとして付加して意味さえも変更します。ルカと異なり、マタイは山の上で弟子達への教えとして語った様に編集してます(いわゆる山上の垂訓、8福の教え、マタイ教会の教義)。Q資料からの変更点は

(1)貧しい者→心の貧しい人々、(2)飢えている者→義に飢え乾いている人々、(3)泣いている者→悲しむ人々

です。(1)と(2)の改編で、対象が曖昧になりもはや極貧者対象とは言えなくなります。(3)の場合も、泣くほどの悲惨な境遇である者を単に悲しむ者として少し焦点をぼかしてますが、最も問題になるのは(1)でしょう。しかし、教会でのメッセージではマタイの福音書を引用して話をされている場合が非常に多いと思います。

日本語では「心の貧しい」となっていますが、原典の本来の意味は「霊において貧しい」と思われます。新約聖書で多用されている「貧しさ」を表す最も頻度の高いギリシャ語形容詞は「プトーコス」です。他にも貧しさを表すギリシャ語の言葉として「ペネース」があります。「プト−コス」は極貧者、何一つ所持しない乞食同然の人々を意味し、「ペネーテス」は小なりと言えども何かを所持して慎ましく生活している人々(小農や手工業者)を意味しているようです。 マタイもルカも貧しいは同じ「プトーコス」が使われていますので、この場合の貧しいは極端な貧しさを表している事になります。

マタイがオリジナルと思われる「貧しい者」を「心の貧しい人々」とあえて心を付加した場合、構造的欠陥を孕んでいるのではないでしょうか?右の図のように、経済的格差を縮小した形(単なるミニチュア型)にしかなりません。マタイ教会では、極貧者が居なかったと言う理由も要因の一つなのでしょう。ルカ福音書の場合(Q語録をほぼそのまま採用)、対比文章で書かれているので、明確に貧しい意味が分かります。「貧」対「富」、「飢え」対「満腹」、「泣く」対「笑う」・・・「貧しい」はその日の食事さえ事欠く極貧者を指しています。ヘブライ語の「貧しい(アナウィム)」は広い意味に使われる単語らしいのですが、旧約聖書の詩篇で使われているアナウィムは・・・虐げられ、苦しむ、柔和でへりくだる者、弱い立場の本当に何も持たない貧し人々として使われていると考えられていますので(詩篇14章6、22章25、35章10等)、単なる生活が貧しいとか、心に余裕がないとかと言う貧しさだけではなく、何にもない(この世で人間が得られる権力、財力、名声、家や土地、恵まれた健康など全くない)事を意味しているようです。

「プト−コス」の言葉が福音書で頻繁に使われている事は、「イエス時代のローマと属州の税制、小作農の発生」ページにも書きましたが、1世紀当時のパレスチナにおいて、「極端な貧しさ」を背負って生きるプトーコイ(極貧者)が、各地に溢れていたという現実の社会状況を表していると考えられます。福音書の中でイエスと出会った人々は、身体障害者、盲人、足のなえた人(ルカに書かれた大宴会の話では彼らは招かれる対象となった)、長血を患う女、重い皮膚病を患っている人、物乞いのラザロ(ルカのみ、イエスのたとえ話の中に登場)、多数の病人、やもめの息子など多数に上りますが、病気に陥った者も、病人ではない極貧者と同等の存在として語られているように思われます。

「イエス・ルネサンス」の著者のM.J.ボーグ(北米の史的イエス研究者)は、紀元1世紀のパレスティナ社会が「農民社会」、「清浄社会」であったと以下の様に述べています。当時の社会体系には基本的に2つの社会階層・都市エリートと農民があり、この階層間には深い溝と富の不平等がありました。都市エリートは農民への土地の賃貸と課税により自分の富を得ており、自分の手を汚すことなく農民から多大な富を吸い上げ、彼らを搾取する構図です。都市エリートは上部5階級に含まれ、第1・2階層は支配階級で人口の1.2%に過ぎない少数ながら、農業生産の富の1/2を得ていました。第3階層は家臣階級で、兵士、官僚、徴税人等が含まれます。第4・5階層は商人および、祭司階級です。第3・4・5階層集団は人口の8%であり、社会収入の1/6を手にしてました。下部4階級は専業農民、職人、不浄・没落階級(賤業者)、捨て人(法律上の権利を奪われた者たち)で構成され、人口の90%も占めております。つまり1割の少数富裕層が、9割の多数民の収入の2/3(平均で下部階層の18倍、第1階層に限れば下層階層の110倍)を手にする典型的な搾取社会でした。

清浄社会とは、「清浄と不浄」・「清潔と不潔」という相対する構造がある社会を指し、これは個人・行動・場所・物事・時間・社会集団に適用されました。最も清浄とされるものが中心となり、不浄とされる段階を経る毎に、中心から離れて同心円的位置に置かれます。紀元1世紀のユダヤ社会の清浄性の核は、神殿とトーラー解釈の2つでしたので、神殿はイスラエルの中心であると共に清浄の最頂点であり、そこから外部へむけて同心円状に清浄度が減少し、ガリラヤの辺境などでは穢れた「地の民」の住む所と言われました。もうひとつのトーラー解釈では、レビ記の解釈が重要視され、聖性は「清浄」と理解され、あらゆる不浄からの隔離を意味します。この清浄社会で最も重要なのは、人間に対する清浄と不浄の適用方法で、これが義人と罪人の区別に結びつき、清浄な者は義人、不浄な者は罪人とされ、清浄社会において罪は穢れであると考えられました。この清浄体系は農民社会の階層と比例します。支配階層は清浄のエリートであると同時に政治的かつ経済的エリートであり、最下層の民は穢れている・・・社会経済階層がそのまま清浄・穢れと比例する構図で、これは清浄体系が社会階層の上部にいる者の支配者論理の正当化の役目を果たしたとも言えます。

では何故イエスは、「貧しい人々は幸いである」と言ったのでしょうか?普通に考えれば、貧しい事は不幸です。誰も極貧の暮らしを希望する訳がありません。この世の慰めの受けていない極貧者に対して幸せだねと言ったら、侮辱していると激怒されるでしょうし、石をぶつけられても仕方ない事です。では、何故幸いと言ったのでしょう。解釈としておおまかに2種類あります。

1.世俗的な繁栄でなく神にのみ心を置く人は幸いである(マタイを引用する場合が多い)。
2.この言葉は逆説的言葉で、実際世俗社会では幸いではないが、神の国に最も近いと言う意味で幸いである。

神にのみ心を置くから幸いと言われても当時のガリラヤ民衆には絶対に受入れられない話であり、また逆説的だと言われても何ともピンと来ません。現実のこの世の結果を伴いませんから、絵に描いた餅・イメージに過ぎません。当時の極貧者にこうした説明が通じるのかどうか・・・まず不可能でしょうし、誰も近寄っても来ないでしょう。言葉の意味を解く鍵は、「どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない(ルカ16章13、類似内容マタイ6章24)」、「イエスは弟子たちを見回して言われた。財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか(マルコ10章23)」等にあると思われます。当時の社会構造は、上記のように富に執着した拝金主義者が富の大部分を所有する経済構造になってました(現代も多少は当てはまるかもしれません)。富に仕える少数の人間が、貧富の差を助長し、罪穢れを勝手に決めていたとも言えますが、上記の言葉からすれば、神の国に最も近い者(つまり神と言う存在があるとするならば、本来平等である人間が貧しい者に落とされているのならば、最も祝福されるべき者は貧しい者である筈です。もしそうでないとするならば、神も仏のあるものかとなります)は、抑圧され搾取された貧者となります。

しかし、この場合でも未だ絵に描いた餅のままです。搾取構造社会の中で、イエスは社会構造の下層民に対して構造の矛盾点を挙げながら、本来人間は平等であるべきで、その実践として「神の国」という理念を説いたと考えます。イエスは現実の世で「神の国」が達成できる事(神の国の到来)を伝え、しかもそれを実現しようと考え、価値観の変革と実践行動を訴えて活動を起こし、実現可能とも考えていた・・・「イエスは言われた。はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる(マルコ9章1)」・・・と私は想像します。少なくともイエスは現実を直視し、それに向かって行動した人であり、単なる概念を述べただけの宗教家だけではなかったと考えます。文章だけではなかなか伝わりにくいと思いますので、極めて簡単な説明図を載せておきます(実際はこれほど簡単には語れないのですが)。

イエスの教え自体、素朴なガリラヤの民衆に語ったものであった筈ですから、難しい神学理論などでは全くなかったでしょう。イエスが神の国の到来を告げる語り(福音)は、洗礼者ヨハネが逮捕された後の事でもあり、ガリラヤでは熱狂的に受入れられます・・・これがガリラヤの春と言われるものです。時期はまさに春、歴史家ヨセフスは、ガリラヤには荒地がなく肥沃な農地が山の山麓まで広がり、イエスが住んだカファルナウムからマグダラに至るゲネラレト平原の美しさを讃え、カファルナウム近くの泉のある地帯を楽園とまで称しています。この美しさと対極するように住んでいた貧しい者、彼等は何を待ち望んでいたのでしょう。

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