学校教育で受ける士農工商ってウソです。江戸時代にそのような制度はございません。
江戸時代に存在したのは
武家…お城勤めをするもの
上士(家老その他で一般的には100石以上)
中士(100未満30石以上)
下士(30石未満)
郷士(帰農した侍で、有事に兵隊として従軍する)*
浪人(仕事のない元武家)**
僧家…神社・仏閣で働く人***
農家…名主(村の代表みたいなものでたいがい地主で巨大商社)****
本百姓(独自の土地を持つ百姓で郷士もここ)*
水呑百姓(地主から土地を借りて農業している)*****
町家…職人(物作り専門)
商人(物販や物流を行う)****
町人(いまで言うサラリーマン又はフリーター)******
以外…えた(人や動物の死体処理や土木事業などに携わる人)
非人(犯罪者) *は相互に関係がある
*****と******は武家や名主の下で下働きしてる者もおり、有事の際徴兵される 幕末には農家で軍事組織を編成した農兵が作られた。春日隊、彰義隊、新選組など
幕府陸軍は主に町人から集められた(傭兵)
台場事業その他大型公共事業は主にえたが請け負った このように江戸時代は相互関与しあっているため、士農工商という身分分けはできません。有名人には農家出身の武家も多いです。
2009年9月13日日曜日
江戸時代、えた・ひにんの人ははどうやって選ばれたのか? - BIGLOBEなんでも相談室
2009年9月12日土曜日
Same time, same place — ある作家は、次のような体験を語っています。 ...
ある作家は、次のような体験を語っています。
子供の頃、私はひどく短気で、そのためにしばしば怒りが昂じて、残酷なことを言ったり、良くないとわかっている事をしたりしました。ある日、私が遊ぴ友達に対して怒りを爆発させてしまい、泣いているその友達を家に送って帰ってくると、父は言いました。
「おまえが怒って、思いやりのないことを言うたびに、門の柱に釘を打ち込むことにしよう。だが、おまえが、忍耐強くいて、親切で優しい言葉を言う度に、一本釘を抜いてやろう」と。
数カ月がたちました。その入り口を通るたびに、釘の数がどんどん増えているのが見え、どうしてもその理由を思い出さずにはいられません! そこで私はついに、その釘が抜かれるようにするのはチャレンジになるから、最善を尽くしてやってみようと決めたのでした。
とうとう、待ちに持った日がやってきました。
最後の一本の釘を父が抜いてくれた時、私はそこらへんを飛び回りながら、誇らしげに言いました。
「お父さん、やった、釘が全部なくなった!」父が穴だらけになった柱をじっと見つめている様子が今も目に浮かびます。父は、思慮深くこう言ったのです。
「ああ、確かに釘は全部なくなった。だが、痕は残っている」
日本人がいくら技を決めても一向に審判はポイントを取らない。 - カナ速mini
91 2008/02/24(日) 01:08:22.48 ID:KrCrsjCx0
今までで強烈に感動したCMドラマ。
アメリカで見たし、何のCMかも忘れたし、一度きりだし、台詞もうろ覚え。でも覚えてる。舞台はアメリカの老人ホーム。寂しい老人達が、届いた花束を持った看護婦さんに、
期待して集まってくる。カードが読まれて、花束が誰宛か判明して、その人だけが喜ぶ。
後はがっかりして部屋に戻る。ある時、大きな花束が届いて、また老人達が集まってくる。今度は誰宛だろう? と
看護婦さんが、早くカードを読むようにせかされる。彼女がそれを読む。カードには、
「大切なあなたにこの花束を贈ります」とか書いてある。期待する老人達の輝く顔。
そして最後の宛名を見て……、看護婦さんは涙目に。
それは、ここの老人達全員からの、看護婦さんへの花束だった……。老人達大喝采!自分の中で、これを抜くドラマCM未だなし。
2009年9月8日火曜日
加藤諦三ホームページ / 人を育てる
子供を甘やかしすぎてスポイルするということはない 子供が「シャベルを欲しい」という。子供が本当にシャベルを欲しい場合と、母親の関心を引くためにわがままを言っている場合と二つある。本当にシャベルを欲しい場合には与えることが望ましいのは勿論である。
そしてこの子は母親の関心を得られないまま、自分で自分に関心を持つナルシシストになっていく。また「わがままな大人」に成長していくだろう。それを見て母親はこんなに与えたのにと思っている。
問題は本当にシャベルを欲しくないのに、母親の関心を引くためのわがままを言っている時である。このシャベルを欲しいと言うわがままは自分に関心を持ってくれという要求である。
親が無関心な上にシャベルが欲しいという要求がいつも拒否されると、どうなるか。親を恨んで問題児となるか、自分で自分にしか関心のないナルシシストになっていく。
ではシャベルを欲しいと言うわがままが通る場合にはどうなるか。次はバケツを欲しがる。そこで親が放任で次から次へと与える。この場合その子はますますわがままになるだけである。子供が欲しいのはシャベルやバケツではなく、母親の関心だからである。
そして周囲の人はどう言うか。「あの人は子供の頃から甘やかされ過ぎたから、あの様にわがままな大人になっちゃった」。
しかしそうではない。この人は自分に眼を向けて欲しいと言う甘えの欲求が満たされないから、その様に社会性のない大人になったのである。よく「親が子供を甘やかしすぎて子供をスポイルした」と言う。これは間違いである。スポイルされた大人になった場合、親は子供を甘やかしてはいない。逆に甘えることを許さなかったのである。
子供は甘えたかった。つまり親の積極的な関心が欲しかった。しかし親の注意を得たいときに親の注意を得られなかった。そこで大人になっても甘えの欲求が満たされていなくて暴れまわっているのである。
あれをしろ、これをしろという要求は、私に言わせれば、いわゆる「不安なしがみつき」である。「不安なしがみつき」とは子供養育研究の権威ボールビーの言葉である。
一般に「甘やかされてスポイルされた大人」と言われている人達は、不安だからわがままを言って、身近な人達にしがみついているだけである。分かりやすく言えば、絡んでいるのである。わがままを言って周囲の人の関心を確認したいのである。
子供を甘やかしすぎてスポイルするということはない。甘えの欲求は甘えられれば解消する。子供をスポイルするのは親の無関心である。
蕩尽伝説
* 恋とファルス『感情教育』の主人公フレデリックにとって、女はまさに社会の象徴だった。初恋の人アルヌー夫人との関係が巧く行かなかったがゆえに、その後かれは社会への適応に失敗する。それが不可避であったことが巧みに描かれている。これが不滅の青春小説であるゆえんは、青春の感動と感銘を描いたからではない。まして熟女趣味のせいなんかじゃない。真逆だ。「青春」なるものがファルス(笑劇)でしかない、一幕の喜劇でしかない、青年の野心や野望なるものは滑稽な錯覚でしかない、雄々しい男根(ファルス)は幻想のなかでしか屹立しない、このことを徹底的に暴き立てて見せたからである。実際のところ、フレデリックが姦通できないのは、アルヌー夫人相手に近親相姦の恐怖に襲われるからである。フロベールはこのことをちゃんと書き込んである。かれは母なるものへの思慕を熟女に投影していた。この恋愛は倒錯している。でも、ことによると、あらゆる恋愛は倒錯しているのかもしれぬ。自分自身が年増女ルイーズ・コレとの恋愛に破れたフロベールは、恋愛の仕組みについて熟考した。その成果が『感情教育』によく出ている。恋愛は自然なものではない。文化的に仕組まれた人工的なものである。とりわけ19世紀フランスの場合、それは一種の通過儀礼として制度的なかたちで成立していた。その欺瞞を徹底して暴きつつ、最後に結ばれずに終わったアルヌー夫人と語り合うフレデリックの姿に、フロベールは愚かなる善人のイメージをあたえる。愚かなるものだけが持つ始原の善性を感じさせる。それが物語全体を救っている。そうすることで作者は自分自身の青春をも救おうとしたのである。* ふたりのナポレオンに挟まれフレデリックは結婚もできず、失意のまま中年を迎える。社会的適応に失敗する。必ずしも彼が軽佻浮薄だったせいではない。フロベールの生きた時代はフランス社会の激動期だ。世の中全体の動きが早すぎ、おっとりした田舎者には付いて行けなかった。というか、誰にもそんなことはできなかった。すべての人が流された。2月革命以来の共和制が自らの愚行により自滅自壊し、ルイ=ナポレオンによる帝政が復古した。あらゆる希望が潰えた。もはや王も民衆も頼りにならぬ。宗教など問題外。すべての理想は嗤うべきものと化した。政治に振り回され、青春のひとときを恋と野心に虚しく浪費し、あとに苦い失望だけが残った。19世紀フランスの青春を考えるうえで見逃せない重要なポイントをもう1つここで挙げておこう。それは初代ナポレオンの存在だ。天才という物語だ。フランスの青春が倒錯せざるを得ないのは、ほんの少し前にナポレオンという人間離れした皇帝が実在してしまったことにもよる。コルシカの貧乏息子がパリに出てきた。フレデリックのようなボンクラと異なり、頭脳明晰、野心奔放、軍略縦横で、ヨーロッパのほぼ全域を自らの支配下に置いた。これ以上は考えられない立身出世物語だ。まさに青春の巨匠と言えよう。日本なら幕末の志士たちみたいなもの。坂本龍馬に憧れるようなものだ。ま、龍馬なら日本レベルだし、しょせん浪人だから何とかなりそうな気もするが、ナポレオンは汎ヨーロッパ的な神聖皇帝だからなあ。無理。こんな青春超人が実在してしまったために、フランスの青年は誰もがコンプレックスを抱え込むことになる。いくらがんばっても、さすがにナポレオンには勝てない。時代も全然ちがう。政治や軍事じゃとても無理。だから文筆で世界制覇をめざすスタンダールのような屈折した才能が出てくる。誰もがナポレオンを潜在的なライバルとせざるを得なかった。かつて青春とは勝利と支配の別名だった。女なんか入れ食い状態。ナポレオンは世界を支配し、ゲーテは文芸を、ヘーゲルは哲学を支配した。万人を支配下に置くこと、オレ最高! オレ神! 自己愛バンザイ!で、そんな世界征服なんて、凡人には夢見るだけ無駄だし無謀(笑)てか、天才ってのは必ずしも個人の才能の問題なんかじゃない。時代との巡り合わせのようなものが大きい。ロマン主義が衰え、時代が下るにつれ、だんだん誰もが身の程を弁えるようになった。19世紀末には幻滅が世を支配する。夢もロマンもない。「青春なんてもう古いぜ」というわけ。第2次大戦後、極東の日本でフロベールがよく読まれたのは、社会にたいする幻滅という点に共感する若者が多かったからに相違ない。そうでもなければ、とても読み通せる代物じゃない。ろくすっぽフランス料理も食べたことがないのに、微に入り細に渡るフレデリックの贅沢三昧な生活描写など味読できるわけがない。ブルジョワ生活を体験したことがない者に、ブルジョワ小説など味わえるわけがない。むしろ今の時代こそ、この作品の真価が理解できるのではないか。格差社会の到来で、階級社会とは何たるかが日本人にも実感されるようになった。ついにフロベールは自分自身と自らの世代の生きた記録を残そうと志し、個人と歴史を重ね合わせる独特の語りの方法を工夫・開発し、後に「写実主義」(リアリズム)と呼ばれるジャンルの傑作をものした。それが『感情教育』である。もっとも彼が捉えようとしたのは普通の意味での見たままの現実のリアリティなんかじゃない。たんに個人の内面でも、あるいは客観的事実としての社会でもなく、両者が融合し合い、影響を与え合う現実の複雑な多元性である。その手法は『朗読者』に見られるように今なお生きている。そのかぎりで不滅の青春小説だ。それは青春という空理空想、そのアナクロニズムを否定し否認するために書かれた長大な青春小説である。自らを否定するために書かれた書物だ。青春を否定するためにも青春小説という体裁を取らぬわけに行かなかった。いわば青春小説の「脱構築」(デリダ)である。どうやらここには小説というジャンルの宿命がありそう。観念的なものを徹底的に否定し否認した結果、それが世間で「リアリズム」と呼ばれるようになった。生の現実が目の前に転がっていて、それを写生するから写実主義なのでは必ずしもなく、むしろ現実と思われるものがつねに何らかの観念形態でしかないことを暴き出すのがリアリズムだ。対象に向かい、いつも批判的な視座を取る。それが行き過ぎると自分自身を食い尽くし、骸骨のような文学になる。骨だけのほうが美しいという倒錯が生じる。そのようにして近代文学は自らの遺産を食い潰して行く。行き過ぎたリアリズムは自らのリアリティを失う。(つづく)
2009年9月7日月曜日
金融日記:日本人が英語をしゃべるときに気をつけるべき7つのポイント その1
前回は英単語や英文法を学ぶ良書を紹介しました。
英単語と英文法は、リーディング、ライティング、リスニング、スピーキングの全ての土台となるものです。
紹介した本はどれもめちゃくちゃロングセラーのすばらしいものばかりなので、ぜひ読んでみてください。 さて、今日は日本人が英語を話す時に覚えておくとものすごく役立つポイントを紹介したいと思います。
僕は英語のスピーキングに関しては、何かいい本や教材をみつけて急にできるようになったと言うわけではありません。
少しずつ試行錯誤しながら身につけました。 言うまでもなくコミュニケーションの基本は、相手の言うことを正しく理解して自分の言いたいこと正しく伝えることです。
気のきいた表現を覚えたりしても、この基本ができていないと全く意味がありません。
それでは僕がとても大切だと思う日本人のスピーキングのポイントを説明します。 1.YesとNoは言わない これは意外と思った人もいるかもしれません。
しかし、英語に慣れるまではとにか"Yes"と"No"を封印した方が英会話力が格段に伸びます。
と言うのも、英語の"Yes"と"No"は日本語の「はい」と「いいえ」とは根本的に違う構造をしており、しかも、ここを間違えると自分の言うべきことの反対が伝わってしまうと言う致命的な誤解を生み出すからです。 また、日本語では何か話を聞くとき、特に上司やお客様のようなちょっと上の立場の人の話を聞く時は、「はい」「はい」といちいち相槌を打つ習慣がありますが、英語にはこのような習慣はありません。
だから、日本人は"Yes" "Yes"とよく連発しているのですが、これは非常に滑稽です。
この"Yes"=「はい」の間違った思い込みを脳みそから強制削除するためにも"Yes"は封印しましょう。 さて、"Yes"と"No"と「はい」と「いいえ」の違いを説明します。 「昨日、選挙に行かなかったのですか?」 と言う質問に対して、もしあなたが選挙に行っていなかったら答えは、 「はい、行きませんでした」 となります。
もし行っていたら、 「いいえ、行きましたよ」 が正しい答えです。
日本語の場合は文全体を見て、それが事実と同じか違うかを見るのです。 ところがこれが英語だと、 "Didn't you go to the election, yesterday?" と聞かれて、もし選挙に行っていなかったら、 "No, I didn't." となります。
逆に行っていたら、 "Yes, I did!" が正しい答えです。
日本語とまったく逆になるのです。
YesかNoかと言うコミュニケーションにおいて極めて基本的なことが、日本語と英語では真逆になってしまうのです。
これは英語では文全体ではなく、動詞にだけ注目するからです。
この場合は"go"に注目しますから、"I didn't go to the election."か"I went to the election."が返答するべき文になり「動詞」に対して否定か肯定かで"Yes"か"No"が決まるのです。 これは日本人には非常に困ったものです。
正反対の事実が時に相手に伝わってしまうからです。
しかし、こう言う誤解を避ける簡単な方法があります。
それは"Yes"も"No"を使わないと肝に銘じることです。 この場合は"I didn't."か"I did."と答えればいいのです。 "Don't you think Mr. Hatoyama is stupid?"
「鳩山って馬鹿だと思わない?」 "I think he is stupid."
「馬鹿だと思うよ」 "I don't think he is that stupid."
「それほど馬鹿だとは思わないよ」
"Didn't you talk to her?"
「彼女に話しかけなかったの?」 "I talked to her."
「話しかけたよ」 "I couldn't talk to her."
「話しかけられなかったんだ」
このように"Yes"と"No"を使わなくても、まったく困ることはありません。
英語では"Yes"と"No"は動詞に引っ付いているオマケみたいなものなのです。
この英語の構造が完全に身につくまでは"Yes"と"No"は封印しましょう。
2.命令形は使うな! 日本の教科書ではよく習うけど、実際にはほとんど使わないのが命令形です。
なぜ使わないかと言うと、人は日常生活で人に命令しないからです。
奴隷とご主人とか、軍隊で兵隊と指揮官みたいな関係ならいざ知らず、現代の民主主義の社会では命令形と言うのはケンカしている時ぐらいしか使いません。
また、現代人は大人になるとあからさまにケンカしません。
なぜなら大人はケンカすると訴えられたり、時には脅迫罪などで逮捕されたりするので、大人はケンカしなければいけない時こそ妙に丁寧な言葉遣いになったりするからです(笑)。
また、会社で自分が中間管理職の場合はパワハラやセクハラで訴えられかねません。 しかし、日常生活やビジネスで人に何かを依頼しないといけないことはよくあります。
こういう時に命令形を使うと大きな顰蹙を買います。
「お前何様のつもりなんだ」と思われてしまいます。
命令形を使ってはいけません。
日本の英語の教科書には"Please"をつければ丁寧だとか書いてありますが、そんなことはありません。
"Please"をつけても命令形はどぎつい表現になりがちです。
だったらなんと言えばいいかと言うと、なれないうちは馬鹿の一つ覚えみたいに依頼の場合は"Could you please 〜"を使ってください。 "Could you please send this letter to the office of the Democratic Party?"
「この手紙を民主党の事務所に送っておいてください」 "Could you please prepare your business plan by next week?"
「来週までにビジネスプランをまとめておいてください」 また、レストランで注文を伝えたりする時は馬鹿の一つ覚えのように"I would like 〜"を使ってください。 "I would like a piece of this chocolate cake."
「このチョコレートケーキをひとつください」 "Could you please 〜"と"I would like 〜"で何でも言えることが分かるでしょう。 もちろん、命令形の気のきいた言い回しはたくさんありますが、そう言うのは基本的な会話、つまり「相手の言っていることを理解して、こちらの意思を正しく伝える」と言うことが完全にできるようになってから覚えればいいことです。
3.数字の単位は丸暗記する 数字の数え方は丸暗記しておかないとダメです。
日本語と英語では単位の呼び方が違うので、覚えておかないといけません。
英語では3ケタごとに呼び名がありますが、日本語だと4ケタごとです。
これは日本人には非常に困ります。 英語の場合は、 1,000 -> thousand
1,000,000 -> million
1,000,000,000 -> billion
1,000,000,000,000 -> trillion となります。 しかし、日本語の場合は、 10,000 -> 万
100,000,000 -> 億
1,000,000,000,000 -> 兆 となります。 もうこれは完全に覚える他ありません。 10万 -> 100 thousands
百万 -> 1 million
10億 -> 1 billion
1兆 -> 1 trillion などと自分の仕事でよく使うケタを何回も練習して考えなくても変換できるようにしておいてください。
残りの4つのポイントに関しては次回へ
金融日記:藤沢数希の英語本セレクション
移民とか海外移住のはなしをこの前ちょっこっと書いたので、今日は英語の本の話でもしましょうか。
英語は世界の共通語で、外国人同士が出会ったらとりあえず英語で会話することになっています。
世界の唯一のデフォルトの言葉です。
未来永劫この事は変わらないでしょう。 さて、英語のはなしです。
正直言って僕はもう何年も英語「の」勉強をしたことがありません。
しかし、毎日英語「で」仕事をしています。 もちろん僕は日本語が母国語で、英語は大人になってから後天的に身につけた外国語ですから、受験勉強等を通して最初は英語「を」勉強していたわけです。
はるか昔のことなのですが、その時とても役にたった本がいろいろありました。
このまえ本屋に行った時、そのどれもがまだ売られていることに気付きました。 やっぱり僕がいいと思ったものは他の人もいいと思っているんですね。
とんでもないロングセラーで本の後ろを見ると恐ろしいほどの刷数であることが分かります。
英文法の本 NEW・山口英文法講義の実況中継(上)、山口俊治
NEW・山口英文法講義の実況中継(下)、山口俊治僕が受験勉強していたときに読んだ本です。
大人になってから読んでも全くよくできています。 英語の構造は基本的にすべて: SV
SVC
SVO
SVOO
SVOC のうちどれかになっているわけですけど、日本人が苦手なのがSVOCです。
これは文の中にさらに別のO=Cの関係が入り込んでいるネクサス構造になっているのですが、この本はその辺が実に合理的に分かりやすく説明されていて目から鱗です。
英単語の本 DUO 3.0、鈴木陽一
DUO 3.0 / CD復習用
DUO 3.0 / CD基礎用ある程度英語ができるようになると、自分の好きな作家の原著を読んでみたり、仕事で英語のマニュアルをじっくり読んでみたり、趣味の英語のサイトを見たりして、楽しみながら英語力がついていきます。
ところがこの段階に達するまでが大変なのです。
とにかく何が何でも3000語程度の英単語を覚える必要があります。 僕は英単語に関してはこの本以上に効率のいいやり方を知りません。
この本のおかげで僕は数カ月の間に飛躍的に英単語力が上がって、辞書を引かずともかなりの英文を読むことができるようなりました。 この本のメソッドは極めてシンプルです。 As technology rapidly advances, it's tough to keep pace with it.
(技術は急速に進歩するので、遅れずについていくのは大変だ。) このようにひとつのセンテンスに覚えなければいけない単語をなるべくたくさん詰め込んでいるのです。
そして3000語程度を習得するのに、オーバーラップしない最小の数のセンテンスが選ばれています。
単語をひとつひとつ覚えるより、ひとつのセンテンスを覚えれば5個の英単語が自動的に覚えられるように設計されているのです。 本で手を動かしながら英単語を覚えて、さらにCDを聞いて耳でも英単語を覚えれば、かなり短期間に必要な語彙を習得することができます。
英作文の本 日本人の英語、マーク・ピーターセン
続・日本人の英語、マーク・ピーターセン僕はこの本を読んだ後にはじめて"a"と"the"を使いこなすことができるようになりました。
"a"と"the"は大学入試でも大した配点ではなくそのままスルーしている日本人が多いと思いますが、決して侮ってはいけません。
と言うのも"a"をつけるか"the"をつけるかで文の意味がかなり変わってしまうのです。
ここを適当にするとかなり意味不明の英文が出来あがります。 ビジネスの世界では英会話は多少発音がおかしくてもいいのですが、ちゃんと文章が書けないと馬鹿に見えるのです。
逆にいえば発音がよくなくても、しゃべる内容がすばらくて、明晰な文章が書ければ、外国人から見るととんでもなく教養のある人だと見られます。 小学生ぐらいのときに海外に住んでたことがある帰国子女の女性なんかに多いのですが、発音だけネイティブでしゃべり方が妙に子供っぽい人がいます。
この人たちはしゃべり方がネイティブの「小学生」にそっくりで会話の内容も全然なかったりします。
これはビジネスの世界では最悪です。
小学生といっしょに仕事をしているような気分になるのです。
もし英語が出来なければ沈黙しているだけで本当は頭がいい人なのかもしれないと勝手に思われたものを、英語が出来てしまったばかりに馬鹿であることが世界中にばれてしまうのです。
リスニングに関しては、僕は映画が好きだったのでDVDの英語字幕で勉強しました。
好きな映画を見ながら英語も勉強できて一石二鳥ですね。
それでは次回はスピーキングに関しておはなししようと思います。