2011年1月19日水曜日

白木屋

江戸の将来性に目をつけて入り込んできた伊勢商人、近江商人は、船で運びこんだ荷を江戸で売りさばくために「江戸店」を開きました。 近江国・長浜で材木屋を営んでいた白木屋の開祖・大村彦太郎は、寛文二年(1662)、江戸の日本橋通二丁目に小間物屋を開店して販売したお洒落な櫛や笄は、関東の田舎に暮らす女達の心をとらえたのです。三年後には通一丁目に進出して呉服店を兼業しました。以来、事業を拡大して越後屋(三越)、大丸と肩を並べる大店に発展し、江戸三大呉服店の一つになりました。屋号の「白木」は、材木屋だったときの名残りで、杉や檜を白木と総称することから付けられたと言われます。 

白木屋に三十年務めた仲田定之助の思いで話「広い畳敷きの呉服物売り場だった。その表には白木屋のマークを白抜きした紺暖簾を張り、店内には戸外に向かって、一番から八番までの帳場が並んでいた。上がりこんで座っている客は、欲しい品物の名を言うと、売り場の店員は独特な声を張り上げて小僧に伝達する。それを復誦しつつ、小僧は蔵からその反物をたくさん抱え込んで持ってくる。係りはそれを一本一本広げて見せては客に勧める。そして気に入るものがなければ、何回でも別の品物を運ばせて品選びをさせる。といった調子で、その貼り付けも細長く、分厚い和紙を横綴じにした大福帳式の売上帳に、大きな硯箱の中から毛筆を取り出して書くという、長閑な風景だった」。
昭和42年、白木屋は東急百貨店に商号・店名ともに改称し「東急百貨店日本橋店」となりました。(写真は、明治初年の白木屋)。(「吟醸の館」「千字寄席」「江戸・東京の老舗地図」「Wikipedia」「東京時代」より)。

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