2009年11月14日土曜日

「脱官僚」が看板倒れだというのは本当か?── 天下りの定義をめぐるマスコミの迷妄 (News Spiral)

 民主党政権が元大蔵事務次官を日本郵政社長に就けたのを手始めに、次々に元官僚を主要ポストに登用し、10日には江利川毅=前厚労事務次官を人事院人事官に任命する国会同意人事の審議も行われた。これについてマスコミは批判的で、例えば朝日新聞11日付は第2面の半分を費やして「『脱官僚』看板倒れ/人事官にも官僚OB起用/天下りの定義翻す/郵政人事以降ずるずる」と、侮蔑的とさえ言える表現を連ねて非難した。が、天下りに関して定義不明のまま迷走しているのは、むしろマスコミのほうである。

●脱官僚と反官僚は違う

 まず第1に、初歩的な問題として、民主党が言っているのは「脱官僚体制」であって「反官僚体制」ではないし、ましてや官僚OB個々人の人格・能力の否定でもない。

 「脱官僚体制」というのは統治システムの根本に関わることで、本論説でも繰り返し述べてきたように、明治憲法以来120年間、天皇の権威を背景にその直参の薩長藩閥から主に任命される首相・内閣とその直下の官僚体制の縦一線で国家を経営し、国会はあるにはあるが太陽に対する月のような関係であって、実質的な薩長・官僚権力の周りをグルグル回って、時にいちゃもんをつけ時に擦り寄っておこぼれを頂戴するような存在でしかなかった。もちろん過去に立派な政治家もいるけれども制度の本質としてそういうことだったということである。

 プロイセンのビスマルク体制をモデルとしたこのシステムは、発展途上国=日本が欧米列強による干渉や侵略を防ぎつつ、急速に産業国家として成り上がって「追いつき追い越せ」を達成するための官僚社会主義的な総動員体制としてはまことに有効であったとはいうものの、1980年に前後してこの国が米国に次ぐ世界第2の成熟経済大国の座を得たからには、内発的にそのシステムを解除して、先進国と呼ばれるに相応しく、国民の投票によって選ばれた「国権の最高機関」(憲法第41条)たる国会が国策を決定し、その国会から行政部のトップに進駐する首相・内閣が、「行政権は内閣に属する」(第65条)との規定に忠実に従って官僚体制を支配するよう、抜本的に変革されなければならなかった。

 蛇足。今「内発的に」と言ったが、日本人が自らこのシステム改革を成し遂げられなかったために、それに付け込む形で米国から主として経済面から様々な「対日要求」が突きつけられた。そのため、後に小泉=竹中が(部分的・擬似的にではあったが)「改革」に取り組もうとした時に、主として守旧派から「米国に国を売り渡すのか」といったハゲタカ論型の反発が生まれた。しかしそれは倒錯で、米国から言われようと言われまいと、日本は改革に踏み出さねばならなかった。それが政権交代によって今ようやく始まったのである。

 が、自民党政権は、その本質において、過去120年の官僚主導体制の随伴者であって、この抜本的改革を担うことは出来なかった。「小泉改革」とは何であったかと言えば、本来は民主党の主張であった「脱官僚体制」を部分的に簒奪して、「自民党をブッ壊せ」という過激なスローガンの下、野党ブリッ子をすることで実は自民党の延命を図るという、ほとんど最後の手段というか、禁じ手に手を染めて自民党政権の存続を図ろうとする幻惑的なマジックであったわけで、その成果は自ずと限られていた。そこで、脱官僚体制を全面的に達成する仕事は民主党政権に委ねられることになった。

 すでに述べてきたように、この政権は、取り敢えず過去の中央集権体制が存続している下で「脱官僚」のせめぎ合いを始めているものの、その成果は自ずと限定されていて、むしろこの体制下での脱官僚作業では出来ることと出来ないことがあることを浮き彫りにさせながら3年間ほどを戦って、「だから中央集権体制そのものを解体して地域主権国家体制に転換する必要があるのだ」と言って4年後の総選挙でそれへの国民的合意を求めることになるだろう。

 この「脱官僚体制」作業は、「反官僚(体制・個人)」になってしまったのではダイナミックな展開が難しい。逆に官僚体制の内部やOBたちの間に守旧派と改革派の亀裂を拡大して味方となる改革派を増やして行くことこそが成功の鍵である。菅直人が橋本内閣の厚労相になったとたんに、「ない」ということになっていたエイズ感染関係の資料が出てきたのは、官僚の中にこのような隠蔽工作を不快に思っている正義感の持ち主がいて、それを菅が目敏く見いだしたたからで、物事はそのように進めなければならない。

 坂本竜馬は倒幕の最後の段階で「維新革命に一滴の血も流すなと言い、鳥羽伏見の戦いの勃発を極力避けようとした。『幕府みなごろし』を腹中に入れつつ、一滴の血を流さずすべてを生かして新国家に参加させようとしたのだろう」(司馬遼太郎『竜馬が行く』第4巻)。皆殺しにするのは幕藩体制であって、佐幕派個々人ではない。そこが、人を殺せば世の中が変わると思って刀を振り回すばかりだった並みの志士たちと竜馬の違うところで、それがつまりはただのテロリストと真の革命家との違いである。

●官僚OB活用と天下りは違う

 第2に、官僚OBを適材適所で登用することと、天下りを容認することとは違う。天下りは、役所の人事・報酬制度に組み込まれた強固なシステムであって、次官経験者ならこの財団の理事長、次官と同期の局長経験者ならこの財団の専務かこの企業の常務、技官ならここ、ノンキャリならここかあそこという具合に、長年の慣行によって「指定席」が確保され、さらにそこから先の「渡り先」までがコースになっていて、それを差配するのは各省庁総務課の重要業務の1つである。しかもそうやって送り出された天下りOBを食わせ、また後々の世代のために指定席を永続的に確保するために、年々なにがしかの予算の割り振りが付いて回る。このシステムのために、無用な財団法人や独立行政法人の存続とそれへの無駄な予算配分が必要になるわけで、破砕しなければいけないのはこのシステムである。

 これまた以前に書いたことだが、例えば例の八ッ場ダムの場合、04年時点で、関連する7つの財団・社団に25人、37の工事落札企業に52人、57の随意契約企業に99人、合計176人の国交省OBが天下りしている。もちろんこれらの公益法人や企業は八ッ場ダムだけで成り立っているわけではないけれども、一度天下りが受け入れられれば、この人たちを食わせ後々までそれを指定席として確保するために、何が何でも事業が継続されて予算が付けられて、その一部が団体・企業に流れてこの人たちを食わせる一助となり続ける。しかもこの人数は04年時点で切った場合の断面であり、これが57年間も継続されてこれまでに3200億円が費消されたにもかかわらずまだダム本体は工事も始まっていないということになると、恐らくは通算で1000人を超える国交省天下りがその何分の一かを食い物にしてきたと推測される。話は逆さまで、事業が本当に必要なのかどうかはそっちのけで、事業が始まって天下り先が確保されれば、その利権維持のために事業は継続しなければならないことになるのである。

 このようなシステムを壊すという問題と、個々の官僚OBをどこのポストに登用するかどうかというのは、全く次元の違うことで、そんなことを言えば、官僚OBが政治家になることも天下りということになってしまう。官僚は、国民の立場からすれば、基本的には、公費を使って育て上げた優秀な人材の宝庫であって、それを政治家なり政府の要職なりに起用することは公益にかなうことである。

●日銀総裁人事はどうだったのか

 第3に、そこで上述の朝日記事を含めマスコミが盛んに言うのは、08年3月に福田政権が日銀総裁候補として武藤敏郎=元財務次官を国会同意人事として持ち出した時に、野党=民主党は「官僚OBだから」と言って反対し、結果的に総裁の座が3週間も空白となったではないか、ということである。が、これは当時も今もマスコミが全く問題の本質を理解せずに言い散らしているタワゴトにすぎない。

 武藤が日銀総裁に相応しいかどうかは、彼が官僚OBであるかどうかの問題ではなく、彼自身の過去の経歴と資質に関わることであって、絶対に同意出来ることではなかった。

 当時、INSIDERはこれについて詳しく論じていたので、以下に再録する。

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INSIDER No.432/08年3月17日
日銀総裁人事、打開へ──"空白への恐怖"に左右される福田政権

 政府は今日中にも、19日で任期切れとなる日本銀行総裁の後継人事について何らかの打開策を国会に提示することになろう。理屈上は、(1)政府が「ベスト」と自負する武藤敏郎副総裁の昇格を再提示する強硬策、(2)現総裁の任期を延長する法改正もしくはすでに副総裁就任が確定している白川方明京大教授の一時的な総裁代行就任など暫定案、(3)野党が受け容れやすい別の人選を提示----などの方策がありうるが、(1)は、町村信孝官房長官は与謝野馨前官房長官が16日のNHKテレビ討論で「参院で否決されたものをもう一度ぶつけるのは乱暴すぎる」と指摘したとおり、自民党内でも合意は得られまい。(3)がベターで、民主党の鳩山由紀夫幹事長は同じく16日のサンプロで「財務省出身者ならダメということでなく、財務官経験者(の黒田東彦アジア開銀総裁や渡辺博史国際金融情報センター顧問)なら国際的な視野を持っており反対しない」という趣旨を語っている。が、19日が目前に迫っている中で人選と国会での手続きが間に合うかどうかという問題がある上、「結局は民主党が総裁を決めた」という印象を生む可能性もある。そこで(2)の暫定案を採って人選にしばらく時間をかけるという選択に落ち着く公算が大きい。

●「財金分離」の原則論

 政府・与党もマスコミも余りよく理解していないように思われるのは、民主党の武藤反対論の根拠となっている「財金分離」論の意味である。新聞の論調はほぼ一様に、民主党がそのような原則論にこだわっているのは非現実的だ」というものだが、17日付毎日新聞「風知草」で山田孝男専門編集委員が正しく指摘しているように、同党の主張には「歴史と人脈がある」のであって、昨日今日の思い付きではない。

 言うまでもないことだが、80年代後半〜90年代のバブルとその崩壊による"失われた10年"あるいは15年を生み出したA級戦犯は旧大蔵省である。中曽根内閣時代に国有財産の払い下げやNTT株の大々的な売り出しで土地と株への国民的狂奔を作り出したのは同省であったし、その結末としての銀行の不良債権問題に度々対処を誤って傷口を広げて史上空前の金融スキャンダルに発展させたのもまた同省であった。山田は「甘い判断の積み重ねで深手を負っていくさまが第2次世界大戦下の内閣と軍官僚を思わせ、"第2の敗戦"といわれた」と書いているが、それを憎しみを込めてそう呼んだのは故司馬遼太郎だった(『土地と日本人』ほか)。金利政策を誤って急激な引き締めに走って経済をオーバーキルした直接の責任は日銀にあったが、当時日銀は大蔵省支配下にあり、総裁も大蔵次官出身で、護送船団方式と言われた大蔵省の銀行界丸抱えの金融政策の迷走が日銀をも誤らせたことは明らかで、そのために橋本内閣時代に大蔵省が"金融"の機能と権限を剥奪されて「金融庁」が発足し、「財金一体」が自慢のスローガンだった同省は片肺を失って「財務省」という屈辱的な名称変更を受け入れなければならなかった。そしてそれを表裏一体のこととして、日銀法を改正して大蔵省の日銀に対する監督権も削除されたのである。

 その当時、大蔵省の戦争犯罪追及の先頭にあったのが、自社さ連立与党の一角を占めていた「さきがけ」の田中秀征、鳩山由紀夫、菅直人であり、その直下で理論や政策をになったのが前原誠司、枝野幸男、玄葉光一郎、簗瀬進、安住淳、福山哲郎、長妻昭らであった。政界を引退した田中を別にすれば、そのすべてが今は民主党のトップないし中堅幹部であって、そのことを山田は、この党の主張の背景にはそういう歴史と人脈があると指摘したのである。

 これは元さきがけの人たちにとっての単なるノスタルジアの問題ではない。すでにその時から、旧大蔵省を頂点とする霞ヶ関官僚の実質的な日本支配に終止符を打つことは、避けて通れない時代の中心課題であって、橋本内閣の中央省庁再編と地方分権改革が肝心の旧大蔵省権力の解体だけは避けようとして中途半端なものになり終わろうとしていた中で、さきがけの面々はそうさせないように頑張ったのであったし、しかし田中秀征はその成果に不満であることを理由の1つとして、さきがけを離れ、政界にも見切りをつけたのであった。

 「改革」とは詰まるところ、旧大蔵省を頂点とした官僚権力の革命的な解体のことであり、その中では同省の「財務省」への再編と「金融庁」の発足は決定的に重要な第一歩だったであり、そしてその前後、最後の大蔵事務次官、最初の財務事務次官として異例とも言える長きにわたってトップの座にあって、その改革に反対し続けたのが武藤という人物である。まさに「財金分離」による大蔵省と日銀それぞれの改革にとって最大の障害であった人物が、その後、日銀副総裁になるということ自体が反改革的であり、ましてやその副総裁を無難にこなしてきたからというだけの理由で総裁にするなど信じられないほど反改革的である。そこに、まさに「改革帳消し内閣」としての福田政権の本質が露呈しているというのに、旧さきがけが中枢の大きな部分を占めている民主党が賛成できるわけがない。こんなことも分からずに、「武藤のどこが悪いのか」などと言っているマスコミには反吐が出る思いがする。鳩山がテレビで言ったとおり、マスコミも財務省の根回し工作に屈しているのである。

 確かに、小沢一郎代表にそれほどの想いがあったかどうかは疑問で、鳩山が16日のテレビで示唆したところでは、「政権を獲った時に財務省を完全に敵に回していいものかどうか」と小沢が言い、鳩山らも「そういう判断もあるか」と武藤容認に傾いた時期もあったようだ。が、与党が予算案の強行採決に踏み切ったことから小沢が強硬論に転換、日銀総裁についても、鳩山の表現によれば「こうなれば(財金分離=原則論の)純粋な立場に立ち戻るべきだ」という判断が固まったのであって、その意味では、わずかに迷いが生じたこともあったけれども、本来あるべき主張が雨降って地固まる風になっただけのことである。

●ガソリン税も一時値下げか

 日銀総裁が決まらないというのは、別に驚くことでもない。サンプロで榊原英資早大教授が言い切っていたように「日銀は組織的に政策を決めているので、総裁が決まらないからと言って経済には何の影響もない」というのが本当である。マスコミがこれまた口を揃えて「国際的信用が失墜する」と言うのは、財務省の囁きを鸚鵡返しにしているだけで、こんなことがなくても日本の経済運営がすでに信用されていないという事実を忘れている。むしろ問題は、これまでは政府・与党が決めた総裁候補が国会で反対されるなどということ自体がありえないことだという、自民党一党支配時代の発想の延長で事に当たってきて、候補がきちんと所信を述べて質疑をした上で国会議員が判断するという(米欧では時間をかけて慎重審議するのが当たり前の)国会同意人事が全く形骸化していて、もめた場合の最低限のルールさえ出来ていないことが露呈したことである。

 ねじれ国会が悪いことであるかに言う論調も相変わらず根強いけれども、こういうケースの1つ1つについて新しい体験を積みながらルール化していくことが課題であり、日銀総裁人事もそのようなケースの1つである。総裁が決まらない場合に任期を延長したり代行を置いたりするルールは、この結果がどうなるにせよ、確立しておいた方がいいし、そういうことが両院がねじれたり政権が交代したりすることが当たり前のような政治風土を耕していく努力となるのである。

 福田内閣にはそのような自覚がなく、対応がよろずグズグズと遅れ、せっぱ詰まると"空白の恐怖"に促されて強行突破を図るということの連続で、それはたまたま現在は小泉内閣の遺産である衆院3分の2超の議席を持っているから成り立っているものの、そうでない場合には全く対処のしようがなくなってしまう。このようなダラダラと続く無為無策と発作的な強行突破の繰り返しが「何をやっているのか分からない福田政治」という印象を生み、内閣支持率の低下に次ぐ低下をもたらしている。

 この有様では、道路特別財源とガソリン税の暫定税率の問題を巡っても同様のことが繰り返され、結果として年度末までに与野党合意は成立せず、4月からガソリン税の25円値下げが(少なくとも一時は)実現してしまう公算も大きくなっている。それをまた強行採決で持ち上げ直して元に戻すのは至難で、"空白の恐怖"はいよいよ福田にとって現実となって政局運営に行き詰まる場合も考えられる。民主党はそこで解散・総選挙に追い込みたいのは当然だが、自民党としてはこの福田を頂いて選挙をやるという選択はありえないので、内閣総辞職によって乗り切ろうとするだろう、いずれにせよ3月末以降は大波乱含みとなる。

 福田としては解散も総選挙もせずに7月の洞爺湖サミットまで何とか持ちこたえて、地球温暖化問題で目覚ましいイニシアティブを発揮することで政権浮上を図ろうという計算だが、その布石としての4月胡錦涛中国主席来日も餃子問題とチベット暴動でどうなるか分からず、肝心の温暖化では16日まで開かれたG20(主要20カ国閣僚級会合)で日本の産業別積み上げ方式による削減目標という案はほとんど見向きもされず、ポスト京都議定書の枠組みについて何の方向性も打ち出すことが出来なかった。

 こうして、すでに各種調査で支持率が30%台前半に入り始めた福田内閣には、赤の点滅信号が灯っている状態である。3月末から4月にかけてそれが赤信号に変わる可能性は50%以上とみるべきだろう。▲ 

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