-->きょうは多くの職場で為替が話題になったようです。信州にとって、円高は厳しい。製造業の輸出はもちろん、農産物も輸入モノが安くなるので競争力が落ちます。林業でも外国の木材が割安となり、観光に訪れる外国人の財布も軽くなります。
JALの経営悪化で、信州まつもと空港が無くなる可能性が強くなりました。ここまで来ると、あとは政治の判断ですが、村井知事は「驚いている」と言うばかり。金融危機で多くの雇用が失われたことについても、地元のテレビで「びっくりした」と語り、自分の秘書が首を吊っても驚くだけ。では、地元から出ている民主党の代議士は頼りになるか?といえば、読売新聞の全国版に、こんな記事が出てしまう状態ですから、政治には期待ができそうもありません。
1985年のプラザ合意は、たった5つの国が極秘に集まって決めることができた強烈な調整でした。しかし、行き過ぎたドル安を止めるために7ヶ国が集まった87年のルーブル合意は、効果をあげることができませんでした。以来、日本による介入などがあったものの、基本的には政府が為替を調整することは困難であり、また、そうすべきでもないという意見が先進国では主流となってゆきました。
その後、サミットにはロシアが加わり、Gの数は8に増えました。それが今では20になり、再びドル安が強い流れになっています。つまり、ドルという通貨は「安い、高い」という波を経ながらも、基本的には、より多くの国々を巻き込みつつ、調整されて安くなってきた通貨だと言える。リーマン・ショックから1年が過ぎ、「元に戻ったか?どうか?」というテーマで多くが語られていますが、おそらく風景は元には戻らないでしょう。起きているのは、プラザ合意やルーブル合意の続編のようにも思えます。ドルは下がるが、通貨の体制は大丈夫だと強調される。いつものように。
Gの数が5の前は、いくつだったのでしょう?私は、1971年のニクソン・ショックが、"G1"だったのではないか?と考えています。ある日、アメリカの大統領がひとりでテレビに出てきて、いきなり「ドルとゴールドとの交換を停止する」と発表した出来事は、世界にショックを与え、その瞬間から円とドルは変動の歴史へと踏み出してゆきました。70年代には、たった1ヶ国で決めることができたドル安も、だんだん調整に多くの国を巻き込むことが必要となり、ゆえにGの数も5、7、8、そして20と増えてきた。つまり、アメリカの政治力が相対的に低下するとともに、ドルもまた価値を下げてきたわけで、もしも今回のドル安&円高、そして、仮に藤井財務相の発言が多くの国々との調整を経て出てきたものだとすれば、円高の長期化という事態も考えられると思います。世界銀行の総裁が、「米ドルが支配的な準備通貨として地位が保証されていると当然視するのは間違いだ」と語り、「ドルに代わる複数の選択肢が増えてくる」と言っています。これは、中国の温家宝や人民銀行が表明してきた見通しと同じ。いちど中国が批判を受けながらも発表した内容を、アメリカ政府にいたことがある世銀の総裁が繰り返したのですから、これは中国が文句を言われながら造った砂利道に、世銀が改めて舗装を施したような趣があります。
ドル安の道は、誰かが拓かなければならないが、それは誰かが独りで造れるような時代ではないし、また8つの国だけでも難しい。20ヶ国に加えて、もうひとつの主体が通貨の在り方をめぐって存在感を示したのですから、いま起きている現象は"G21"、あるいは"G20プラス1"と呼ぶべきなのかもしれません。
2009年9月30日水曜日
Gの数は増え、ドルの価値は下がる。 : Espresso Diary@信州松本
ROCKWAY EXPRESS
マージョリー・コーン女史◆9月29日 アフガンとイラク戦争は国際連合憲章に照らせば、戦争犯罪になる。これがトーマス・ジェファーソン法律学校のマージョリー・コーン教授の主張するところだ。
特にイラク戦争は、イラクが大量破壊兵器を持っているという言いがかりをつけて侵略し、散々家宅捜査をしたが、見つからず、イラクには大量破壊兵器は無かったと結論つけた後でも、居残ったままであることは言語同断である。
通常、警察がこの家には不法な麻薬なり拳銃なりが隠されているとみなし、家宅捜索を強行したが、見つからなかったとなれば、いくら警察と言えども、それ以上家にとどまることはできないはずだ。しかしアメリカは軍をイラクに置いたままである。これが国際的にまかり通っているのは、勿論アメリカの力が際立って大きく、誰もどの国も表立って反対したがらないからだ。まさかアメリカに正義があるとは、どこの国も思ってはいないであろう。 結局この世は力が正義の世界である。それは今までは、ということだが。しかしそのアメリカの力にいよいよかげりが出てきた。アフガンやイラクで戦争を継続するためには巨額の資金が必要だが、それがもう出なくなってきている。そして今まで起こした戦争に対する反動が、出始めている。その一つがこのコーン女史などが進めている戦争犯罪でアメリカの為政者らを訴える運動だ。 ヒットラー政権で活躍した者たちも、戦争がドイツの敗北に終われば、戦争犯罪者として断罪されたように、アメリカの戦争でも勝っている場合はアメリカの敵が犯罪者であるが、アメリカ自体が落ち目になれば、今度はアメリカ自体が犯罪者側に陥る。この場合、ナチス時代のフランスのテロリストがドイツの敗北でレジスタンスとして賞賛されたように、立場と呼称が変化するだろう。 オバマ大統領はそこまでアメリカが落ち込む前に、ことを収拾したいと考えているはずだ。すなわち彼はイラクからの撤退をするだけではなく、結局はアフガンからも遠からず撤退する方針を打ち出すだろう。
そしてアメリカにとっては不名誉なことはなるべく穏便に済ませようとするだろうが、アメリカの将来にとって根本的に障害となることは手術をするように、切って捨てる荒業もするだろう。
オバマ政権がCIAとそれと協同しているイスラエル・シオニストのモサドと秘密の戦いをしていることは既に示したが、CIAの拷問問題は不問に付さない、としたので、今後もしばらくはこの戦いは終わらないはずだ。この戦いでオバマ大統領側が勝利すれば、ブッシュ前政権の者たちが起訴される可能性が高まるだろう。この場合は9月11日同時多発テロ事件の真相も明かされる方向に動くはずだ。
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●ブッシュ政権の高官らは戦争犯罪で起訴されるべきだ
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=15411
【9月27日 Randy Dotinga interviews Marjorie Cohn】
ジョージ・W・ブッシュ氏とディック・チェイニー氏には、サン・ディエゴにあるトーマス・ジェファーソン法律学校教授のマージョリー・コーン女史以上の敵はいないだろう。
ナショナル・ロイヤー・ギルド会長のコーン女史は、ブッシュ政権メンバーらが戦争犯罪で起訴されるよう要請する運動を行っている。
彼女はまたアフガンとイラクの戦争を国際法から見て不法と非難し、アメリカが問題であるという。これらの戦争が果たして自衛のために始められた戦争なのかどうか、議論の分かれるところだ。
新しい著書「自由の役割:徴兵拒否の政治学と栄誉」の中で、彼女と共同著者は、法的根拠に基づいて、現在の二つの戦争に従事することを拒否しているメンバーについて書いている。またブッシュ政権についての本「カウボーイ・リパブリック:ブッシュ・ギャングが法律を無視した6つの方法」を書いている。
今まではコーン氏の意見はワシントンでは多くの注目は集めなかった。ただし今オバマ政権では拷問問題を取り上げつつある。それでコーン氏は戦い続けている。あるインタビューで彼女は、不法な命令に従わないという兵士の責任、政府弁護団の起訴、前大統領と副大統領を裁判にかけることに対する障害に抵抗する能力などについて語っている。
質問:戦争犯罪闘争での最近の成功で一番大きかったことはなにか?
答え:アフガンとイラクでの戦争を拒否した兵士の軍法会議と軍の聴聞会における鑑定人として証言します。彼らはこれらの戦争は「不法」だと言います。アメリカの法律の一部でもある国連憲章を引用して私の証言はこれらの信念と一緒であることを示しました。そこには、一国は自衛のため、ないしは国連安保理が同意しなければ、他国を侵略することはできない、とあります。それでこれらの戦争は国連憲章に照らせば不法なのです。
我々の法律では、法の命令に従う義務がありますが、また不法な命令には従ってはならない義務もあるのです。不法な戦争を行うよう命じることは不法な命令なのです。
私の証言は、アフガンやイラクに兵士らを展開することは不法となる、と理解する何人かの兵士らの信念の合理性と一致しました。我々はあの証言である程度の成功を収めました。質問:どのように?
答え:ある場合には、拘留中の兵士には時間が与えられないことがある。他の場合には、軍と切り離され良好な条件下に置かれているのです。
ブッシュ政権の拷問と権力乱用の政策について昨年議会で証言しました。その証言は、こういった政策とその政策を正当化する拷問メモを書いた弁護士らをセットした人々を法の裁きの前に引きずり出すのに有用でした。質問:法律専門家の意見を表明することだけで起訴された人はいるか?
答え:どのように法を破ることができるかということを大統領にアドバイスすれば起訴されるでしょう。ヒトラーに、どのように人々を“合法的”に秘密収容所に追放しうまくやり終えるかをアドバイスしたために、第2次世界大戦後、戦争犯罪と人道に反する罪で起訴された弁護士はいます。
質問:弁護士らにそういうことがあったらどう思うか?
答え:アメリカの法律の下で、彼らは調査され起訴されるべきでしょう。質問:刑務所に入るべきか?
答え:有罪となれば、勿論、彼らは刑務所に行くべきです。質問:戦争犯罪の起訴をどのあたりまでの範囲で行うか?
答え:命令系統を辿り最高司令官までです。質問:だとするとブッシュ氏やチェイニー氏も入るか?
答え:勿論です。、戦争犯罪である拷問、さらに虚偽の口実で不法な戦争に我々を引きずり込んだこと、そのため数千人のアメリカ人と数万人のイラク人が殺されているのです。これらを立証する証拠が多く存在し起訴を可能にするでしょう。
質問:これらの問題を見ると、これが純粋に法的視点からなのか、それともこういった裁判が国家に影響を与えることを考えますか?
答え:両方です。私は法律分野で訓練を積みましたので、彼らが法を犯したことは明らかなのです。我々の国は法治国家です。
わが国の憲法は大統領が誠実に法律を施行することを要求しています。またこれらの重罪を犯したものを法廷に引き出さなければ、将来の政権は戦争犯罪を逃れることができると考えるだろう、ということははっきり言えることです。
他の国の国民は、我々が我々の指導者の犯した殺人と拷問を不問に付したとして我々のことを嫌悪するようになるでしょう。質問:ブッシュ氏とチェイニー氏が起訴されたら、どのようなネガティブな影響が出ると考えるか?国が分裂するかどうか、それをあなたは警戒するかどうか?
答え:共和党は反対するでしょう。国はいろいろな面で分裂しています。医療保険でもアフガン戦争に対する姿勢でも。ある人々は、特に共和党員は、大統領と司法長官が正しいことをすることを未然に防がず、ブッシュ政権の人々が裁判に掛けられれば怒りだすかもしれない。質問:外国で行っている戦争についてオバマ大統領はどうすべきか?
答え:撤退し、外交と海外支援を重用すべきで、アフガンやイラク、パキスタンに対する軍事的介入をエスカレートする代わりに問題解決には平和的な手段で行うべきです。質問:あなたが気に入る方向に潮目が変わってきているか?
答え:何が潮目を変えるかというと、力強い活発な反戦運動です。今はまだそうなっていません。ベトナム戦争の時、行いました。その時には徴集制度があり、大学生が抵抗運動をしました。質問:人間性というものをどう捉えるか?戦争や紛争を見て、人間は戦うもので、これは避けがたいことだ、と考える人がいます。また平和運動家がいます。彼らは暴力の代わりに外交を通じて物事を進めていけると考える人です。
答え:私は平和主義者ではありません。人には自衛のための行動を取るべき時というものがあります。しかしアメリカ政府は自衛のための活動をしてきたのではないのです。
国家同士の、また国内の問題は平和的手段で処理できます。暴力と戦いは最後の手段です。しかし残念なことに、アメリカは何回も、この暴力と紛争を最初の手段に使用してきました。
2009年9月29日火曜日
【国際通貨物語(その4)】 ドルが基軸通貨となった日|世田谷徒然日記
ポンドからドルに、基軸通貨が移動した日には明確な日付がある。
それは1944年7月8日である。
その日はブレトンウッズ会議が始まって1週間経ったばかりのとある1日で、その日に、IMF協定草案「第4条第1項」に、金との兌換性を「ドルだけに」保証することにする改正条件「修正4条1項」が加えられた。
この「ドルだけに」の表現が重要な意味を持つ。そして、このフレーズがその後の世界の国際通貨体制の帰趨を決定した。
基軸通貨ドルが形成されていったのは、IMF協定が明記した統一的な固定相場制を維持するために各国が金平価ではなくドル平価を選択し、ドルを介入通貨・準備通貨として使用したからである。
つまり固定相場制こそがドルが地域通貨からグローバルな国際通貨へと発展する最も重要なルートであった。
そして、この瞬間に基軸通貨はポンドからドルにその主権の座が移った。
基軸通貨ドルの形成は民間レベルでの国際取引から上向していったのではなく、ドル平価維持のため通貨当局が介入するといった公的レベルから下向して民間レベルでの国際取引へ波及していったのである。
その意味において、IMF協定は第二次大戦後のアメリカによる金独占と英米間の力関係の逆転の下で、ポンドからドルへの基軸通貨の交替を制度的に先取りするものであったと言える。
アシスト:コラム(Our World) / ビル・トッテン関連情報
題名:No.891 正しい方向へ転換できるか
From : ビル・トッテン
Subject : 正しい方向へ転換できるか
Number : OW891
Date : 2009年09月24日 昨年からアメリカでは、大企業が次々と経営破綻している。豊かさの象徴でもあった自動車会社のGM、保険大手のAIGが経営破たんして国営になったことは、アメリカが社会主義になったということを意味するという人もいるが、その一方で、アメリカではあいかわらず民営化が続いている。 (ビル・トッテン)
正しい方向へ転換できるか 民営化とは、端的に言って、国民の税金で作ってきたインフラやサービスを、バーゲン価格で民間に差し上げることだ。たいていの場合、その交渉は秘密裏に行われ、安値で手放す上に買い手側(投資家)に有利な条件がつく。 たとえばアリゾナ州は予算不足をまかなうために、州が所有する刑務所や州議会などを含む約30の建物を売却した。売却代金として、州は7億3,500万ドルを手にする一方、建物を使い続けるための賃貸料として毎年6,000万から7,000万ドルを払い続けていかなければならない。 シカゴでは昨年、市のパーキング・メーターが民営化された。ある報道では実際の価値の半額で売却されたともいわれている。この民営化による市民への大きな影響は、パーキング料金が2倍から4倍に値上がりすることだ。 さらにはペンシルバニア州では、2人の判事が民営化された少年刑務所から賄賂をもらい、少年を投獄するという事件もおきた。保護監察官の反対にもかかわらず、この判事によって2002年からおよそ5千人の未成年者たちが刑務所に送り込まれたという。 民営化といえば忘れてはならないのがアメリカのイラク戦争だ。イラクに駐留する米軍の次に大きな駐留部隊は民間企業に雇われた傭兵である。これまで米軍がやっていた、兵舎の建設、食事の供給など、そのほとんどを今では民間企業が行なっている。またロジスティック面だけでなく、ブラックウォーターUSAといった傭兵派遣会社は、戦術訓練を受けた人材をイラクに送っている。そしてこうした民間企業は膨大な請求書をアメリカ政府に送りつけ、結局それは国民の負担となるのである。 民営化の本質は、国民の負担が増え、一部の人が富を手にするということだ。日本でも今になってようやく、郵政民営化で誰が富を手にしたのかが衆目にさらされ始めた。もし国民が、国の資産が一部の人々の利権にすり替えられるのが「郵政民営化」の本質だと認識していれば、多くの人が郵政民営化に反対したことだろう。 債務超過で破綻すれば国有化し、売って儲かれば民営化するというアメリカのやり方は、結局は同じ人々、つまり一般国民ではなく一握りの支配者層だけが富を手にするという構図である。小泉改革は、「子どもたちの世代にツケを残さず、安心で安全な社会を維持する」というマニフェストのもと、民営化、規制緩和を行ない、同時にさまざまな手当て、年金をカットした。結局、子供たちの世代の負担を増大させたのである。しかしこれも、自民党を長年支援し続けた、または無関心から選挙で投票すらしなかった国民の責任である。今回の政権交代においても、日本が正しい方向へ転換できるかどうか、それは民主党だけではなく、有権者自身の意識にかかっている。
2009年9月28日月曜日
八ツ場ダムの7不思議 (転載) - 保坂展人のどこどこ日記
八ツ場ダムの7不思議 八ツ場ダムは、半世紀経つ間に必要性を失った(以下2と7)のはもちろん、実は、かなり無理矢理な、自然の摂理に逆らったダムで、いろいろな意味で未来永劫、利子がついてまわる事業です。各自治体の政策決定者とそれを支える職員の方々には、冷静にこの事業の全体像を把握していただきたいと思います。 事業費(4600億円)の利子(国債、地方債の利子)を含めると9000億円に膨れ上がる。それだけに止まらず、以下の3、4、6にかかる事業費はまた別で、さらに他にも隠れたコストがあります。隠れたコストについてはまた書くことにして、今日は、八ツ場ダムの七不思議ということで、まとめてみました。転載歓迎です。 八ツ場ダムの七不思議 1.半世紀が過ぎてもまだできない:八ツ場ダムは特定多目的ダム法に基づく治水、利水を目的とした多目的ダムだが、1952年のダム計画浮上から57年が経過した。ゼロ歳だった人でも57歳になんなんとす。疲れ果てて反対運動の旗を住民が降ろしたのは1992年。それから17年が経ち、総事業予算の7割が消化されたが、事業完成度は2008年度末で付替国道6%、付替県道2%、付替鉄道75%、代替地造成10%など、完成までの道のりは遠い。3000億円強はどこへ消えたのか? 2.東京五輪の渇水に備える事業?!国内外から大勢の人々が集まるオリンピック渇水に備えるためのダム。といっても石原知事が招致を進める2016年五輪ではない。1964年のことだ。東京都の水需要は1975年から減少を始め、日量最大690万トンの供給力に対し、170万トンが余っている。 3.1日53トンの石灰が必要:上流の草津温泉から流れ出る湯は、ダムを作ってもコンクリートが溶けるほどの強酸性。ゆえに一端は計画が頓挫した。しかし、1963年に石灰を投入する「中和工場」を完成させ計画が復活。以来、1日約53トンの石灰が投入され、ダムを作る限りは未来永劫にそれを続ける必要がある。 4.石灰の沈殿物を貯めるダムと土捨て場が必要:石灰の投入でできる中和生成物を沈殿させるために1965年に品木ダムを建設。その沈殿物を浚渫し、捨てにいく新しい土捨て場も未来永劫に必要になる。 5.3人の首相と3人の世襲がガード:ダム予定地(長野原町)を抱える選挙区からは福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三と3首相が出てこの事業を推進。そんな選挙区は他にはない。世襲した福田康夫、中曽根弘文は隣の小選挙区・参議院と群馬県に陣取り、ご当地は小渕優子が後継(敬称略)。前政権を象徴する因果な事業である。 6.ダム湖周辺は浅間山噴火で崩れた山の残骸:1783年の天明の大噴火で泥流死者1538人を出した浅間山。当時、死体が東京湾まで押し流されたことが古文書に残る。その泥流が積もったグサグサの地質に地すべりの大敵である水を貯めることになるのが八ツ場ダム。22箇所の地すべり地が判明しているがコスト縮減のため、2箇所しか対策をしない。さらなる追加対策予算が必要になると反対団体は指摘する。 7.カスリーン台風への効果はゼロ:1947年のカスリーン台風被害が発端の計画だが、同台風が再来しても効果はゼロであることが国会で暴露された。 上記7については「本当か?」と信じがたいと思う人もいると思うので、国会議事録へのリンクと政府答弁を張り付けておきます。その下に、この官僚答弁の読み方解説★もつけておきます。 衆議院予算委員会第八分科会 平成17年02月25日 ○国土交通省河川局長清治真人
八ツ場ダムにつきましては、吾妻川という支川に建設されるダムでございますが、その流域にたくさんの雨が降る場合とそうでない場合とがあるわけでございまして、カスリン台風のときのような雨の降り方においては、八ツ場ダムの効果というのは、八斗島地点について大きいものは期待できないというふうに計算結果も出ております。
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=28858&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=9&DOC_ID=778&DPAGE=1&DTOTAL=1&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=28872
★実は「大きいものは期待できない」どころか、ゼロだったのが暴露されたのが以下。 ○塩川鉄也議員の突っ込み
カスリン台風洪水に対応しての八ツ場ダムの洪水調節効果はゼロなんですよね
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=28858&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=9&DOC_ID=778&DPAGE=1&DTOTAL=1&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=28872 ○反論できない国土交通省河川局長清治真人
今御指摘のありましたようなダムの効果でありますとか、それから、これからダムがどのくらい必要になるのか、こういうようなこともあわせて検討してまいる所存でございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=28858&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=9&DOC_ID=778&DPAGE=1&DTOTAL=1&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=28872
★反論できないとき、官僚は認めずに、話をまるめて、逸らして、ゴックンと飲み込んで分からなくしてしまう。 まさのあつこ -->
2009年9月26日土曜日
多極化に対応し始めた日本
2009年9月25日 田中 宇民主党の鳩山首相が、就任から10日後の9月23日に米オバマ大統領と会談した。たまたまニューヨークでの国連総会に両者が出ていたので、その傍らでホテルで25分会っただけで、鳩山オバマ会談は大した出来事ではないと思う人もいるかもしれない。しかし、鳩山政権は就任前から反米的とみなされる方針や言動を発しており、米政府から悪意あるメッセージを何も受けず、鳩山がすんなりオバマと会談したことは意外感がある。
思い起こせば、先代の麻生首相と安倍首相は、米大統領と会談できるまるでに、就任から半年待たされている(福田は就任2カ月後に会談した)。特に安倍は、米国に対して対米従属の尻尾を思い切り振っていたにもかかわらず、訪米の前に訪中・訪韓せねばならない屈辱を(おそらく米国の差し金で)味わった上、半年たってようやく訪米し、ブッシュ大統領と会談させてもらったものの、晩餐会も開かれず冷たくあしらわれた。この先例から考えると「反米」の鳩山政権は、オバマに会えるまでに1年待たされても不思議ではなかった。それが、就任からわずか10日で会談が実現してしまった。 (意味がなくなる日本の対米従属)
今回の国連総会でも、少し前まで世界で最も米国と親しい国のはずだった英国のブラウン首相は、オバマ大統領との正式会談を断られている。オバマは、ブラウン政権がパンナム機事件の容疑者をリビアに帰してしまったことに怒って面会を拒否したという。英国の報道によると、英政府は条件を変えて5回もオバマとの会談の要請したが断られ続け、仕方がないのでブラウンは、国連本部内をオバマが移動する時、人混みを避ける裏道として厨房内を通った際にオバマをつかまえて10分ほど立ち話した。英米両政府は「米政府が会談要請を5回も断ったというのは事実無根だ」と発表したが、厨房会談については否定していない。 (New low for US-UK ties as Obama meets Brown in a New York kitchen)
オバマは国連総会を機に鳩山のほか、中国、ロシアの首脳とも2者会談を行った。オバマが親米のはずの英国との会談を断る一方、反米的な中露とは会談したのは、いかにも「隠れ多極主義」的だが、会談相手の中に反米的な日本の鳩山が入っているのは、新政権になった日本がようやく世界の多極化に対応して「非米同盟」の方向に傾いたことを象徴しており、興味深い。
鳩山政権では、岡田外相が就任時に、米国に「核の先制攻撃をやめる」と言わせることを試みる件で質問され「私の持論は、先制使用すると明言する国に核軍縮や核の不拡散を言う資格があるのかということだ」と答えている。また岡田は、FT紙の取材に対して「自民党政権の外交政策は、過度に対米従属だった。私は、日本独自の考え方に基づいた外交をやりたい」と述べている。これらの発言は、従来の日本外交の常識からすると、米国に対して言ってはいけない「不敬罪」にあたる暴言である。世の中のしきたりを知らない子供が「王様は裸だ」と叫ぶようなもので、子供を政権に就かせるべきではない、というのが「大人」の自民党や外務省やマスコミの従来の考えだった。 (Okada seeks to redefine Japan-US relations)
「子供じみた反米論者」とレッテルを貼られる民主党政権の言動からすると、鳩山首相や岡田外相が国連総会出席のために訪米しても、米政府から冷たい仕打ちを受けて終わるという予測が出て当然だ。ここ数年、対米従属一本槍のプロパガンダ体制が組まれている日本のマスコミでは、鳩山政権が就任早々、ニューヨークでオバマ政権から冷や飯を食わされるのを受けて、いっせいに「無能な鳩山・岡田」と大合唱するつもりだったのだろうが、その目論見は外れた。
反米のはずの岡田は、反米を許さないタカ派のはずのクリントン国務長官と会談して笑顔で写真を撮り、鳩山政権がインド洋での海上自衛隊の給油活動を中止しそうなことに対して、クリントンは容認する姿勢を見せた。東アジア担当の国務次官補であるカート・キャンベルは、日本の民主党が望む日米の対等関係は、日本が自信を持って自律的に行動することを意味するので悪いことではないとFT紙に語っている。
▼日本を冷戦思考や対米従属中毒から引き離す「脱官僚」
すでに短く書いたが、私が見るところ、オバマ政権が鳩山政権に対して意外な親密さや理解を示しているのは、今の米中枢が隠れ多極主義の戦略を採っているからだ。日本は小泉政権の時代に、対米従属を強化するか、もしくは対米従属を薄めてアジアとの関係を強化するかという選択肢があったが、小泉は対米従属強化の方に進み、次の安倍政権以後はそれが踏襲された。福田政権はアジア重視をやろうとしたが、小泉時代から強まった中韓朝露に対する敵視プロパガンダに阻まれ、動けなかった。その後の麻生政権まで、米国は一貫して、表向きだけ日本重視といいつつ、実態は日本無視だった。それは、米国中枢で米英中心主義より多極主義が強くなっていったのに、日本は対米従属の姿勢を変えたがらなかったためだ。
民主党も、しばらく前までは「自民党よりさらに積極的な対米従属策を採る」というネオコン的な戦略が党内にあった。今回、国土交通相となった前原誠司らが、以前にその戦略を採っていた。小沢一郎は、以前から「日本は米国・中国の両方と等距離の正三角形の外交関係を持つべきだ」と考えていたが、それと対照的なネオコン戦略も党内にあった。しかし、米国でネオコンが失敗の烙印を押され、米国の崩壊感が強まった後に政権をとった今の民主党からはネオコン色が消えた。前原は巧みに態度を変質し、閣僚ポストを得た(小沢と対立していたのではなく、小沢の了承を受けた上で、党の方向性を模索する別働隊的な動きをしていたのかもしれない)。
鳩山が、選挙前に発表した論文「私の政治哲学」で、米国の市場原理主義が失敗したと明言したことは、民主党がネオコン戦略と決別し、米国の衰退と世界の多極化に対応して、小沢の正三角形外交戦略に一本化したことを示している。マスコミでは、鳩山と小沢の間に齟齬があると書かれている。個人的な相性は悪いのかもしれないが、東アジア共同体(アジア通貨統合)や、日米関係の対等化など、鳩山が論文で書いた外交戦略は、小沢の戦略と一致しており、戦略的には両者の間に矛盾が感じられない。 (「私の政治哲学」鳩山由紀夫)
民主党は「対等な日米同盟」を掲げているが、米国は2000年の「アーミテージ・ナイ報告書」で、すでに「日本は米国に従属するのではなく、対等な同盟関係に近づくべきだ」と書かれている。 (アメリカの戦略を誤解している日本人)
戦後の日本は、多極主義と英米中心主義が暗闘する米国中枢の、英米中心主義(冷戦派)の方から強い影響を受けている。冷戦派は占領軍として、政治家より官僚機構が力を持つ戦後日本の体制を構築したが、その結果、官僚機構は対米従属や冷戦体制の永続化を望む傾向が強くなり、米国は日本に対米従属を求めているというプロパガンダを深く国民に植え付けた。民主党が、官僚制度の解体再編を方針として掲げているのは、日本を冷戦型思考や対米従属への中毒状態から引き離そうとしているからともいえる。
英米中心主義は、国際的な元締めが、情報戦能力が高いMI6の英国やイスラエルであり、プロパガンダ技能に長けている。日本を英米中心主義から多極主義の側に転換しようとする民主党は、失政やスキャンダルなどを誇大報道されて短命に終わりかねない。だから鳩山政権は対抗手段として、小沢が得意とする、めくらまし的な表裏のある戦略をとっている。
▼非米的な国連との協調を強める日本
たとえば鳩山は国連で、豪州や韓国などの首脳と会談し、北朝鮮に対して毅然とした態度をとろうと呼びかけている。それまでの事前予測では、鳩山政権は社民党を連立に入れたこともあり、北朝鮮に対して宥和的な態度をとると思われていただけに、意外な感じがする。しかし、これまでの日本政府が北朝鮮をことさら敵視する政策をとってきたのは、北朝鮮敵視自体が目的ではない。 (Japan's new PM takes lead in talks over NKorean nuke row)
北朝鮮問題をめぐる米国の最終目標は、中国を中心とする東アジア諸国が、米国に頼らずアジア諸国間の連携によって問題を解決できる体制を作り、東アジアで米国が影響力を低下させても安定が維持できるようにすることだ。この米国の目標が達成されると、日本は対米従属が続けられなくなる。だから日本政府は、拉致問題など独自の北朝鮮敵視策を設け、もし6カ国協議で話がまとまったり、米国が北朝鮮と単独で和解しても、日本が北と和解せずにすむようにしていた。従来の日本は、対米従属を続けるために、6カ国協議に対して消極的だった。
鳩山は「北朝鮮敵視」そのものは変えないものの、6カ国協議の場で積極的に中国や韓国と協調し、問題解決に向かって努力する姿勢を見せている。これは、中国中心の東アジア諸国が米国に頼らず自律的に北の問題を解決するという、米国の目標に積極的に協力する姿勢に、日本が転換したことを意味している。対米従属のために中国などを敵視する従来の日本政府に冷淡だった米国が、鳩山に対しては一転して歓迎姿勢になるのは当然だ。 (Japan's Next PM Pledges Stronger Foreign Policy)
鳩山政権は、インド洋での自衛隊の給油活動を止める代わりにアフガニスタンの復興支援を活発化するなど「国際貢献」を積極展開することを打ち出している。積極的な国際貢献は、従来の自民党政権も実行していた。しかし、従来の日本の国際貢献の「国際」とは、米国もしくはG7など英米中心体制のことだった。これに対し、民主党政権の国際貢献の「国際」は、国連であり、反米諸国やBRICを含めた、非米化しつつある国際社会である。
小沢一郎は以前から、日本は米国による世界への軍事進出につき合うべきではなく、国連主導の軍事行動(平和維持活動)にのみ参加すべきで、しかも活動範囲の主力をアジアに限定すべきだと主張してきた。この考え方はまさに、世界の各地域の諸大国が自分の地域の安定を維持するために努力するという、多極型の世界体制の思考であり、米国一極による世界体制への追随とは対照的な戦略である。 (Ichiro Ozawa: the shadow shogun)
国連は従来、英米が仕切っていたが、2年ほど前から、中露などBRICや非米的な途上国集団、反米的なイスラム諸国や中南米諸国の力が強くなり、国連総会では米英批判が増え、安保理では中露が反対する案件は通らなくなった。今回の国連総会でも、イランのアハマディネジャド大統領や、リビアの指導者カダフィといった反米的な国際政治家が演説した。世界経済を米国中心体制から脱却すべきだと提案したアハマディネジャドの演説は意外と穏健でとげが抜かれていたが、国連総会初登壇のカダフィの演説は過激で、ブッシュ・ブレアを裁判にかけろとか、欧米はアフリカを搾取した賠償金7・77兆ドルを払えとか、ケネディ暗殺の真犯人を追及せよとか、アラビア語で100分まくし立てた。 (UN general assembly: 100 minutes in the life of Muammar Gaddafi)
このように、日本が連携を深めようとする国連は、非米化の度合いを強めている。日本自身も対米従属から多極化対応へと傾いていくだろう。早速、核廃絶の持論を持つ岡田外相は、イランのモッタキ首相と会談したときに「イランと一緒に世界の核兵器を廃絶しましょう」と持ち掛けられている。(イランの核開発が平和利用に限定されてきたことは、すでにIAEAが認めており、返す刀でイランは、イスラエルや米国を含む世界中の核兵器を廃絶せよと提唱している。オバマの世界核廃絶提案は、実はイランと同歩調である) (Japan FM: Iran Says Wants Abolition of Nuclear Weapons %%%)
▼円高容認で対米優位を得る日本
鳩山政権は「地球温暖化対策」に熱心だが、これにも裏表がある。鳩山は国連で、温室効果ガスの排出を大幅に削減することを世界に向かって約束したが、この約束には「世界の主要な諸国が同様の大幅削減を目標として掲げた場合、日本も大幅削減を実施する」という条件がついている。 (New Japanese leader makes world debut at UN, bilateral conferences)
世界の気候は今、むしろ寒冷化の傾向にある。温暖化対策を推進してきた著名なドイツの学者(Mojib Latif)が「世界は今後20年ほどは寒冷化傾向になるが、その後は必ず温暖化する」という新説を発表したりしている。温暖化を主張してきた学者たちは、今回の温暖化停止(寒冷化傾向)を全く予測できなかった。そんな無能さなのに「20年後に必ず再び温暖化するから、世界はその時に備えて対策をとるべきだ」という彼らの新説が正しいと考えるのは、どう見てもおかしい。こうした懐疑心が世界に充満し始め、国連が提唱する大幅な排出規制を世界の諸国が実施する可能性は大幅に低下している。鳩山が約束を守る必要は減っている。 (Scientists pull a temporary about-face on global warming) (UK climate scepticism more common) (No Leader on Climate Change as Nations Prepare to Meet)
経済面では、民主党政権は円高ドル安を容認し、従来の日本の「円安ドル高が日本には良いんだ」という善悪観から脱却していきそうだ。これを書いている間にも、藤井財務相が「円安政策はとらない」と米国で宣言した。民主党は、大蔵省財務官出身の榊原英資を経済顧問としているが、榊原は昨年、ドルが崩壊していく過程を見越したらしく「安い円が望ましい時代は終わった。資源高騰の中、今後は強い円が日本の国益に合う」と主張し、その後は「強い円は日本の国益」という本も出している。 ('Mr. Yen' sees U.S. policy makers as behind the curve)
そもそも、日本の輸出産業の利益のみに焦点を当てて「日本には円安ドル高が望ましい」と考える従来の教科書的な考え方は、政治的に見ると、日独がドルを買い支えるという、1972年のニクソンショックから90年代の金融グローバリゼーションによる米英復活までの英米中心主義の戦略に沿ったものであり、日本の対米従属戦略の一環である。米英が金融財政面で崩壊感を強める今の局面で、日本が米英と共倒れになるのは馬鹿げており、円高ドル安を是認する榊原や民主党の考え方はまっとうだ。民主党政権は、アジア開発銀行やASEAN+3が推進してきた「アジア共通通貨」(アジア通貨統合)の構想を支持しているが、これもドル崩壊への備えと考えれば当然の方針転換である。
今のタイミングでの円高容認への日本の方針転換は、米国にとって非常に危険である。円安ドル高を信奉していた従来の日本は、円高ドル安傾向になると、当局が公然とあるいは秘密裏に円売りドル買い方向の介入や仕掛け作りをしていたが、今後の日本はドル買いをしなくなり、米国債の買い増しもしなくなっていく可能性がある。これは、ドルと米国債が急落する可能性を強める。日本と中国が協調してドルと米国債を見放したら、米国は破綻してしまう(日中は巨額のドルや米国債を持っているので、簡単には動けないが)。 (US May Face 'Armageddon' If China, Japan Don't Buy Debt)
日本人の多くは従来「米国に嫌われたら日本はひとたまりもない」と恐れてきた。しかし今、日本人が「日米関係を変える」とは自覚せずもっと漠然とした危機意識から8月末にとった投票行動によって民主党政権に転換して考えてみると、日本は対米従属一本槍の国是を静かに離れることによって、実は意外にも米国に対して強い立場を持てる事態となっている。似たような米国との関係性の転換は、ここ数年、中国やアラブ諸国も経験しており、それが世界体制の多極化につながっている。今後、時間がたつうちに、日本人は世界において自分たちが置かれている新たな立場の意味に気づき、自信を持つようになるかもしれない。この自信や覚醒(日本人だけではなく、欧米より劣位にあると思い込んでいた世界中の諸民族の自信と覚醒)こそ、米国の隠れ多極主義者が待ち望んでいるものだと私は考える。ブレジンスキーは、日本の転換を見て喜んでいるだろう。 (世界的な政治覚醒を扇るアメリカ)
▼小沢一郎を評価すべき
今回の私の記事は、民主党支持になっているが、私は民主党内の元ネオコン系の人々(リベラル右派)が詐欺師に見えるので好きでない。彼らが、米国本家のネオコンの一部と同様に「わざと過激にやって失敗させる隠れ多極主義者」であるのなら、その奥の深さは尊敬に値するが、英イスラエルにがんじがらめにされた覇権国である米国と異なり、日本は隠れ多極主義などというややこしい自滅戦略をとる必要はないので、日本の元ネオコンの人々は、おそらく単に風見鶏的に付和雷同なだけである。だから、私は民主党を支援したいと思わない。
私が今回、民主党を評価しているのは、彼らが日本の対米従属維持のプロパガンダの嵐を乗り越えて、米国の崩壊と世界の多極化に対する準備を開始しているからである。プロパガンダを軽信する人々からの中傷や非難を恐れ、マスコミに継続的に登場するため、簡単に自説を曲げてしまった言論人が、日本でも米国でも非常に多い。日本の言論状況は、昭和19年ごろよりひどいかもしれない。そんな中で、日本が米国と無理心中することを止めようとする民主党政権は、尊敬に値する。小沢一郎は高く評価されるべき政治家である。
その一方で、自民党や官僚機構内部にいる人々にとって、対米従属を脱することは非常に難しいことだったことも理解できる。今回の日本の転換は、8月末の選挙で本格的な政権交代が起こり、まっさらな民主党が好きなように今後の日本の戦略を変えられる立場についたからこそ起きた。自民党でも、同じ立場になったら、似たようなことができるはずだ(自民党はリベラル詐欺師も少ない)。民主党政権は、今後あるかもしれないスキャンダルや国際金融危機の再来の責任をとらされて短命に終わるかもしれず、自民党政権に戻るかもしれないが、その場合でも自民党は対米従属に戻らず、多極化対応を継続することが期待できる(自民党がどう再生するかまだ見えないが)。
官僚機構の内部にいる人々も、米国と無理心中せずにすむかもしれないということで、今回の日本の転換に安堵しているのではないかと思われる。まだ今後、逆流的などんでん返しがあるかもしれないが、少なくとも日本がひさびさに国際社会のプレイヤーとして復活したことは、ほぼ間違いない。日本人として生きるのがうれしい時代が戻ってきた観がある。
日本:米国のリードを自在に引っ張るプードル JBpress(日本ビジネスプレス)
ワシントンの一部の人たちが鳩山政権について話しているのを聞けば、日本人がベネズエラのウゴ・チャベス大統領を自分たちの最高指導者に担ぎ上げたところかと思うだろう。
総選挙で勝利を収めた鳩山由紀夫氏率いる民主党の、「対米依存の少ない」外交政策を行うという公約や、新首相が「米国主導の市場原理主義」と呼ぶものに対して抱く疑念は、米国の石油資産を差し押さえるという決定に対してあわや見せかねなかった冷静さを欠いた態度で受け止められた。
保守的なヘリテージ財団は、非常ボタンを押した多くの調査機関の1つだった。民主党が半世紀に及ぶ自民党の政権支配を断ち切った日、同財団は「太平洋の反対側でガラガラと崩れ落ちる音」と、「反資本主義的、反米主義的なレトリックを長く駆使してきた中道左派政党」の台頭を感じ取った。
オバマ政権内部の高官でさえ、今なお戦時中の恨みが充満する地域の平和維持に60年間貢献してきた日米同盟への影響について内心神経質になっていた。
日本をプードルと呼ぶのは間違いで、実のところは猫である
神経質になるべきではない。鳩山氏は正しい。日米関係は再調整が必要だ。最もよく引き合いに出されるイメージは、主人と従順なプードルだ。米国は、名目上非武装の日本を核兵器と日本国内に駐留する5万人の軍隊で防衛しており、それに対して米国は資金と奴隷のような忠誠心を受け取っている。
だが、こうした描写は事実と一致しない。もし日本が米国のペットだとすれば、それはプードルというよりも、望む時にはいつでも主人の元を離れるのを常とする、強い意志を持った猫である。
奴隷のような従順さを示すことからは程遠く、日本は、日米両国は不可分であるという虚構を維持しながら、繰り返し米国に逆らってきた。例えば、米国は朝鮮戦争以来ずっと、日本国憲法――インクが乾くとほぼ同時に書いたことを後悔した文書――から平和条項を削除するよう日本を説得しようとしてきた。だが、日本はそれを拒否してきた。
ROCKWAY EXPRESS
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ジュリアン・ロバートソン氏◆9月26日 このブログではドルが下落することを言い続けてきている。特に鳩山政権となって、藤井財務大臣が円安政策は採らない、と言っているのを見ても、ドルは下げる傾向が続きそうだ。
現在ドルは90円を切ってきた。今年中にどこまで下げるのか、という点ではまさしく80円台、87円前後と見る意見が多い。実際はそんなものではすまないかも知れない。
ジョージ・ソロス氏のクォンタム・ファンドと並ぶ世界最大級のヘッジファンドであるタイガー・マネージメントを率いたジュリアン・ロバートソン氏は中国と日本が米国債を買ってくれねばアメリカは破滅すると言っている。
日本は上記のように藤井財務相の発言にあるように、頼りにならないし、中国もこのブログで示してきたように、ドル資産を現物の金や銀、その他高級不動産、などに投資することを国民に奨励しているくらいだから、ドルを売りこそすれ買い増しする勢いはもはやない、と言える。せいぜい調整程度であろう。 9月30日のアメリカ会計年度の末日が近づくにつれドルの動きは要注意だ。
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●アメリカは、中国と日本が負債を買ってくれねばハルマゲドンだ
【9月24日 CNBC】
アメリカは日本と中国が我々の負債を買い上げてくれることに全面的に依存しているので、彼らがそれを停止すれば、厳しい経済問題に直面する、とタイガーマネージメントの創設者で会長だったジュリアン・ロバートソン氏がCNBCに語った。
「もし日本と中国が我々の負債を買ってくれねばハルマゲドンだ」とインタビューでロバートソン氏は語る。「どこから資金を得ることができるのか知らない。どうも我々はとんでもない状況に自らを追い込んでしまったようだ。そこからなんとかして脱出しなければならない」 ロバートソン氏は、外国が我々の債権を買うことを停止すればインフレが大きな問題となる、と語った。
「もし中国と日本が債権の購入を停止すれば、我々はすぐ15から20%のインフレに見舞われるだろう」と語った。「これは経済の問題ではない。これは彼らが金を貸してくれねば、誰が貸してくれるのか、という問題なのだ。我々がこの二つの国に完全に依存する状況を考えてくれ。大変なことだ」 ロバートソン氏は、中国は米国債を購入することを停止するとは思わっていないが、日本は最終的には長期国債を売らざるを得なくなるだろう、と述べた。
「それは買わないことよりもっと深刻なことだ」と彼は言う。「その他には、彼らは殆ど短期国債だけを購入している。そしてそれは我々が提供しているものだ。それは我々は長期債を売ることができないからだ。ご存知のように、歴史は、短期の借り入れをする人は火の車に見舞われることを示している」と語った。
この問題を避ける唯一の方法は、経済を成長させ抜け出るしかない、と語った。
「アメリカは大量消費を改め、節約に徹し貯蓄をすることだ。そして、以前の状態にもどらねばならない」と語る。「そうならねば、迷い込んだ森から抜け出ることはできない」
ロバートソン氏は短期的にはそんなに楽観論者ではない。
「我々は相当まずい状況にある」と彼は語る。「リセッションは少なくとも一時的には超えたと思う。しかし、我々には取り組んでいない多くの問題があり、また、あまりに多くの金を借りたので、中国と日本が我々の負債を買ってくれねばそれを返済することができなくなっている。
●「円安政策とらない」藤井財務相、米に約束
9月25日10時38分配信 読売新聞
【ピッツバーグ(米東部)=森田将孝】藤井財務相は24日午後(日本時間25日未明)、金融サミットの開幕前にガイトナー米財務長官と初めて会談した。
藤井財務相は会談後に記者団に対して「他国のような通貨安政策には反対で、円もそう対応すると申し上げた」と話し、ガイトナー長官に安易な円売り・ドル買いの市場介入などによる円安政策は取らない姿勢を伝えたことを明らかにした。通貨当局の責任者が公式の会談で為替介入しない方針を伝えるのは極めて異例で、発言が為替や株式市場に与える影響が懸念される。
藤井財務相は米側に「自国通貨安の政策をとる傾向もあるようだが、(4月の)ロンドンサミットにおいて駄目となった」と伝えたことを明らかにし、このような方針に対して「ガイトナー長官は非常に好感を持っていた」と述べた。
ただ、藤井財務相は「ガイトナー長官が基本的にドルは強くなくてはならないと言っていることは多とする」とも述べ、自国通貨を強くしたいとする米国側の立場にも理解を示した。
また、藤井財務相はガイトナー長官に、鳩山政権が衆院選の政権公約で掲げた内需中心の経済政策に切り替える方針を伝えた。米国は貿易赤字などの改善のため、中国や日本などの輸出国に内需拡大を求める「世界的な経常収支の不均衡」の是正を提唱しており、ガイトナー長官からは日本の内需拡大方針に共感を得られたとしている。
円安政策を取らずに円高になれば、輸入品が安くなるなど内需振興に寄与しやすいとの見方があることについて、藤井財務相は「そういう意図した為替政策は取らない。為替市場は自由経済の牙城で、安易に公が介入するというのはどうかと思う」との認識を示した。
金融機関の自己資本比率規制の強化については「基本的に健全にしていくことは賛成だが、早急にやるとかえって貸し渋りを起こす傾向があるとも理解をしてもらった」と述べた。
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ドルは下落する?◆9月25日 アメリカ経済活動は上向いたと、連邦準備制度理事会は23日発表した。景気は底入れをした、というのだ。
しかしレーガン政権時代の財務次官だった、ポール・クレイグ・ロバーツ氏は政府発表の中味は嘘だ、と言っている。
このブログでもアメリカ経済はこれから更に深い底に陥るという点を指摘してきた。それは下記にもみられるように、経済の実態は少しも良くなっていないからだ。銀行の破綻は継続中だし、雇用はますます悪化している。住宅の差し押さえもまだまだ継続しているし、これからは商業用不動産の破綻が問題になりだすだろう。
こうして政府の示す数字上の景気回復と、実際の経済の悪化との乖離が一層激しくなり、ついにその矛盾が誰の目にも明らかとなるだろう。
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●経済もまた嘘の一つだ
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=15326
【9月22日 by Paul Craig Roberts】
アメリカ人は米政府からはなにも真実の情報を受け取ることがない。経済に関してももそうだ。アメリカ人は経済的にどん底に落とされ、100万の学童がホームレスになっている。だが連邦準備制度理事会のバーナンキ議長はリセッションは終わったと語る。 流れるニュースはより空虚な内容となっている。消費者支出はアメリカ経済の70%を占める。それは経済を支えている。これがストップしている。超富豪を別として、21世紀には消費者所得に成長はない。ジョン・ウィリアムズ氏は統計学の専門家だが、彼のshadowstats.com では、世帯収入は2001年をピークに下落が続いていると報告している。 アメリカ経済は 消費者所得の成長を消費者負債での成長で置き換えることで成長を維持してきた。連邦準備制度理事会議長のアラン・グリーンスパン氏(当時)は、低金利をもって消費者負債を奨励した。低金利は住宅価格を押し上げ、アメリカ人に彼らの住宅を借り替えることを可能ならしめ支払いを可能にした。クレジット・カードは不動産とエクィティの価格が上がる期待で、最高限度まで使用され積もった負債の支払いに使用された。浮かれた騒ぎは不動産とエクィティのバブルがはじけることで終わった。
消費者はもはや負債を増やすことができなくなり、収入は上昇せず、成長する消費者経済の基礎はなくなった。
まさに、統計は消費者は金銭的に生き残るため負債の支払いを続けていることを示している。消費者が成長の鍵となっている経済では困ったニュースだ。
投資銀行は過去から学んだ教訓を破棄した欲に駆られた規制緩和のおかげで、消費者より大胆になり、新しい高い目標に向かって投機的なレバレッジを掛けた。
ラリー・サマーズ氏とゴールドマン・サックスのヘンリー・ポールソンCEOの扇動で、証券取引委員会とブッシュ政権は債務レバレッジに対する規制をはずして協力した。
バブルが破裂すると、桁外れのレバレッジは金融システムを崩壊の脅威にさらした。米財務省と連邦準備制度は誰も知らぬ間にこの“金融システムを救済するため”に何兆ドルもの資金を注入した。これは経済危機を引き起こした欲に駆られたこれらの金融システムを救済するためにアメリカ市民の老後のたくわえの半分を奪うことを意味した。
銀行ではなく消費者が痛めつけられた。不良資産救済プログラム(TARP)の7000億ドルで生き返り、連邦準備制度の拡大されたバランス・シートで銀行はまたもやヘッジファンドのような振る舞いをしだした。レバレッジを効かせた投機は、現在の株式市場の上げ相場でもう一つのバブルを生み出しているが、それは経済の回復を意味しているわけではなく、いくつかの投資銀行と彼らの米政界の友人らによるアメリカ人の富の強奪である。利益を巻き上げているゴールドマン・サックスは職員に対し数十万ドルのボーナスを発表した。
◆残りのアメリカ人は手ひどく痛めつけられている
失業率の数字はクリントン政権時からフィクションである。この失業率はアメリカ人で1年以上も失業状態にあり求職活動をあきらめた者の数は含まれていない。報告されている10%という率は、長期にわたって失業状態で苦しんできて、もはや失業者の数に入っていない数百万人のアメリカ人を考えれば控えめな方なのだ。毎月、失業者は何もしないで時をすごすだけなので、失業者のカテゴリーから外れるのだ。
インフレ率は、特に“コア・インフレーション”は、もう一つのフィクションだ。コア・インフレーションはアメリカの二つの最大予算アイテムの食糧とエネルギーを含んでいない。消費者物価指数(CPI)はクリントン政権のボスキン・コミッション以来、もし製品の価格が上昇すれば、消費者はより安い製品と替えることを想定している。これは、そのとおりだろうが、このようなインフレの計り方は、CPIは過去のものと比較する意味がないことを意味する。 ボスキン・コミッションのCPIは、インフレ率を下げることで、GDPの成長率を上げるものだ。この統計的な操作の結果は、控えめのインフレ率であり、そのため本当の社会保障収益の本当の価値を損ない、更に成長率の誇張だ。
過去のアメリカの繁栄の時期に、アメリカ人の収入は生産性と共に上昇した。 それは本当のアメリカ人の収入の増大であり、それがアメリカの経済を推進した。
今日のアメリカは、増大している収入を示している分野は、金融セクターであり、それは過度のレバレッジと、アメリカ人の労働を外国人のもので代替している実業界の上に乗っているアメリカの将来を危うくしている。
今日のアメリカで幅を利かせている補償規定と株主の収益を強調する環境下で企業の役員らはアメリカ人の雇用を最小化することで収益と補償を最大化している。
これを主要メディアや外国の企業にへつらうエコノミストの中でこのことを認めるものを見つけてみてほしい。
下落の最悪の部分はこれからだ。銀行破綻と住宅差し押さえはこれからがピークとなる。商業用不動産の破綻はこれからだ。ドルの危機は増大している。
それが来た時、アメリカは巨大な予算を組むために、あるいは貿易赤字のために苦労し、世界はドルの下落による被害を避けようとして、金利は劇的に上昇するだろう。 今年の春からアメリカドルはペッグしているものを除けば、全ての通貨に対し下落している。スイス・フランはドルに対し14%上昇した。カナダ・ドルからユーロ、あるいはポンドなど全てのハードカレンシーは、今年の4月以来少なくとも13%は上昇した。日本円もそれに続いているし、ブラジルのレアルは25%上昇した。ロシアのルーブルでさえ、米ドルに対し13%上昇したのだ。
最も安全な投資がドルに対抗するものであるという回復とはどんな回復なのか?
私の時代のアメリカの世帯は、夫が働き、妻は家事に携わり子供の養育をしていたが、今日では殆どそういう例を見ない。多くの場合、全部とは言わないが、世帯のメンバーは家計のために仕事をしなければならない状況にある。しかし、仕事は無くなりつつあり、パートタイムの仕事も同様にない。 財務省で次官補として働いていた時使用された方法による計り方で計れば、失業率は今日では、20%となる。更に、これを減らす明確な方法はない。生産の現場に労働者が戻ってくることを要請するために、低金利政策を待ち望んでいるような、金利の上昇で労働者を臨時的に解雇した工場はない。
仕事は外国に移転してしまった。アメリカが繁栄していた時代、CEOは顧客、労働者、株主にたいし同等の責任があるという考え方を叩き込まれていた。
この考え方は根絶された。ウォール街に押され、また「過大視された株主の利益」を約束する乗っ取りの恐れから、また「能率給」により煽られて、CEOはアメリカ人を安い外国の従業員で代替させるあらゆる方法を用いた。 失業率20%、また職をみつけることのできない優秀な工学の卒業生の存在にもかかわらず議会は外国人に対する6万5000ドル/年の H-1B就労用ビザを支持し続けている。
大恐慌以来最も高い失業率の只中で、能力のあるアメリカ人ワーカーがいないと考えるのは愚かなことではないか?~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~-->
CIA本部のロビーの床◆9月24日 アメリカのCIAのテロリスト容疑者への尋問時の行き過ぎの問題、それが時に拷問になり法に触れるまでの権力の乱用問題となっている。
ブッシュ政権時代の「武断政治」の後遺症であるが、オバマ大統領はこの問題でCIAに対する調査を再開するつもりだ。これに対し7人の元CIA長官がオバマ大統領に直接書簡を送り、CIAに対する再調査を中止するよう要請したが、大統領はその計画に変更がないことを明確にした。 これはある意味、オバマ大統領とCIAとの戦いを示していると言えそうだ。CIAの要所部分にはかなりの割合でユダヤ系アメリカ人が入っていると言われ、ユダヤのアメリカ支配の重要な部分を担っていると思われる。このCIAの闇の部分が政府の知らないところで、さまざまな動きを独自の資金を駆使して行ってきていると見られている。 しかしCIAは職員数数万人の巨大組織だ。一筋縄でいくような組織ではないし、彼らにはさまざまな非合法の下請け組織が控えていると判断すべきだから、どこでどんなやり方で圧力や危険が待っているかもしれない。だからオバマ大統領と言えども、そろりそろりとやるしかないだろう。 実際このCIAは、例えばケネディ大統領やロバート・ケネディ司法長官暗殺の黒幕と見られたりしているのを見ても(http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/newsnight/6166806.stm)、自分たちの都合にとって障害となるような人物を、たとえそれが自国の大統領であろうと暗殺しかねない組織と見られている事情があることを思えば、慎重さを要することは論を待たない。 しかし今回のこの問題は、大統領の一つの決意を示す行動であると見られる。それでCIAも組織を挙げてそれに抵抗しようと試みたのがこの7人の元長官らの書簡だろう。しかし大統領はこの戦いの矛を収めるつもりはないようだ。
従って、このオバマ大統領の動きは、最終的にはCIAのもっと秘められた部分をも暴くような局面に至るかも知れず、注視していくべきと思われる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●オバマ大統領:司法長官のCIA調査を支持
【9月21日 FOXNews.com】
オバマ大統領は、7人の元CIA長官らの書いた調査中止を要請する書簡にもかかわらず、ホルダー司法長官にCIAの権力乱用問題での調査の自由裁量を与えた。 オバマ大統領は20日、エリック・ホルダー司法長官のCIA問題における決定を却下するつもりがないことを明確にした。司法長官はブッシュ政権時に、CIAがテロリストとされる者たちに対する尋問で法の範囲を超えることがあったかどうかを調査する決定をした。 オバマ大統領はホルダー長官に対し、7人の元CIA長官らから調査中止を要請する手紙を受け取った後に、自由裁量権を与えた。
「私は元CIA長官らが自分たちが築いてきた組織を支持しようとしていることを評価したい。しかし自分としては、誰も法を超えて存在する者はいない、ということを信じている」と、オバマ大統領はCBS番組の“フェイス・オブ・ザ・ネイション”内で語った。 「私はアメリカ大統領として、法の番人としてある司法長官の決定を却下する決定を主張しようとしているのではない、ということを明確にしておきたい」 CIAの元長官らは、大統領宛ての手紙の中で、この問題は既にCIAと専門の検察官により調査されており、その決定を再考慮することはCIA職員にとって法の示すところのものに従うことに懸念を抱かせることになる、と書いた。
「ホルダー司法長官の犯罪調査の再開の決定は、司法省が以前起訴を思いとどまったケースの者たちが相変わらず危機の中にあるという雰囲気を生み出す」と彼らは書いた。
「9月11日同時多発テロ事件などの余波の中で、困難な任務についたこれら男女の職員らは、彼らの活動を規制する規則には不変性があることを信じたはずだ」とこれら7人の元長官らは書いた。
オバマ大統領は、調査を再開するという議論の多い決定については距離を置いていた。大統領は20日、まだ時間があるからと、後ろではなく前を見たい、と語ったが、批判者はもし大統領が本当にあのアドバイスに従うつもりだったならば、彼は調査を中止したはずだ、と言う。
大統領は20日、“魔女狩り”を願っているわけではない、と語り、「ジョン・ダーハム検事は犯罪調査はまだ行っていない」、と語った。「彼らは一体何がおきたのかということを調べているだけだ」と大統領は語った。 ワシントン・ポスト紙は、週末にかけて、司法省の再調査はこのケースの狭いポートフォリオを中心とするものだろう、と報告している。
この記事ではホルダー氏はキーとなるメモを決定の前に読んでいなかったとある。このメモとは、CIA職員に対する告訴は取り上げないという決定について説明した、ブッシュ政権の下にあった検事たちの書いたもの。●7人の元CIA長官がオバマ大統領に調査中止を要請
【9月18日 Los Angels Times】
新しい司法省のCIAの活動についての調査は「継続する危機の雰囲気を醸成する」と、過去35年間の共和・民主両党政権に仕えた情報機関を指揮した7人の元長官が今日、オバマ大統領に調査中止を要請した。
民主党は、大統領が将来を見ているのだ、と言った。しかし大統領は司法長官であるエリック・ホルダー氏が、情報機関職員あるいはブッシュ政権で許可された請け負い業者らの尋問乱用の可能性のある10のケースについての調査をする特別検察官を指名するということを中止させることはなかった。
これらのケースは連邦政府によって既に起訴が取り下げられているものだ。
元情報機関長官たちは「もし一つの政権の期間中、職業検察官により終了した犯罪調査が、次の政権内で国政被任命者の命令で再開されるとすれば、起訴の取り下げということは意味がなくなる」と書いた。 これら7人の元長官たちはジョン・ダッチ、ポーター・ゴス、マイケル・ハイデン、ジェームズ・シュレンジンガー、ジョージ・テネット、ウィリアム・ウェブスター、ジェームズ・ウールセイだ。 彼らは、異なる政党における将来における調査があるという心配は、テロリズムと戦う際に必要となる積極的な尋問に支障をきたすだけでなく、外国政府との協力面でも問題が出ると懸念を表明した。
現在のレオン・パネッタCIA長官のスポークスマンは、彼は今日と明日に集中しているのであり、過去ではない、と述べた。
ホルダー司法長官のスポークスマンは、計画には変更ないことを示唆した。そしてオバマ大統領は現在の職員らの仕事にはなんらの影響も与えないと自信を持っていると語った。 ホワイトハウスはなんらのコメントも出していない。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~-->
軍人ラビが配布したパンフレット◆9月23日 昨年暮れから今年はじめにかけてのイスラエルのガザ侵攻で、軍人ラビが前線でイスラエル兵を鼓舞し、それが問題となっている。
旧約聖書を見れば、モーセの後を継いだヨシュアが現在のパレスチナ地方に侵入する時、そこに以前から住んでいた住民をことごとく殺したことが書かれている。旧約の神がそれを命令しているからそうなってしまったのだが、現在でもそのようなことをイスラエル軍に求めるのが、このイスラエルの軍人ラビである。 イスラエルでは、非宗教人が30%くらい存在している(現在はもっと多いかも)しイスラム教徒やキリスト教徒、ドルーズ教徒もいる。つまりイスラエル人の多くは非ユダヤ教徒なのだ。そこにユダヤ教の教えで聖戦思想を吹き込む動きが強まっているというから、これはイスラエル内部でも問題とならざるを得ないであろう。 しかしいずれにしてもイスラエルの建国自体が、いわばシオニズムという聖書的な概念を背景にして建国された経緯があるのだから、どうしても宗教的な急進派が力を持つようになるのは避けられないのではないだろうか。 そうすると今後は、イスラム教徒の急進派(原理主義・根本主義)と、イスラエル・ユダヤ教徒の急進派とのガチンコの衝突になることが懸念されるのだ。まさしく宗教戦争だ。これをイスラエルの職業軍人も恐れている。狂信的になったら、その行き着く先は破滅であろう。それは狂信的になれば破滅するまで戦い、妥協を知らない、ということになるからだ。
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●イスラエル軍に増えている軍人ラビ(ユダヤ教教師)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/newsnight/8232340.stm
【9月7日 BBC Newsnight】
イスラエル軍は変貌している。かつてはその世俗性を持っていた戦闘部隊には、イスラエルの戦争は“神の戦争”と信じる人々が増えている。
軍人ラビは一層影響力を増してきている。宗教の訓練に加え戦争で鍛えられて、軍規は彼らを新しい軍のエリートにしている。
彼らは士官学校を卒業し、軍司令官の近くで活動している。彼らの主要な義務の一つは兵士らの士気を高め最前線でも鼓舞することだ。
イスラエルの将軍は戦争をジハード(聖戦)にしてしまう危険性を警告している。この問題はイスラエルの中で相当の論議を呼んでいる。軍の士気というものは、神に仕える人間によって与えられるべきものなのか、それとも国家に対する信念とそれを保全せんとする思いからくるべきか? 軍人ラビは今年のガザ侵攻の期間中、目立つようになった。彼らのいくつかの活動は、軍における政治・宗教的影響力に関しいくつかの疑問を投げかけている。
非宗教的兵士であるガル・エイナブ氏は、基地、兵舎、戦場でも隅から隅まで宗教的論理が溢れていると語った。
兵士が銃を受け取ると、すぐさま今度は聖書の中の一編である詩篇の本を与えられる、という。そして彼の小隊がガザに侵攻していった時、彼らには民間のラビと軍人ラビが両サイドについていた、と言う。
「あれでは戦争が聖戦のようになる、まるで十字軍のように。戸惑いました。宗教と軍は完全に切り離すべきです」と彼は語った。
◆光の子ら
しかしシャミエル・カウフマンのような軍人ラビは、この変化を歓迎している。以前は、戦争では軍人ラビは前線から離れた場所にいた、と言う。ガザの侵攻時には、兵士に同伴するように命ぜられた。
「我々の任務は兵士の戦闘心を鼓舞することにある。聖書の時代からメシアの到来に至るまでの永遠のユダヤ人の精神だ」
彼の小隊がガザに行く前に、ラビ・カウフマンは、彼らの司令官がカウフマン師に角笛を吹くよう要請したという。「ちょうど聖書に出てくるヨシュアがカナン(現在のパレスチナ地方)の地を征服した時のように。あれは戦争を聖なるものにする」と語った。
ラビらは、何百もの宗教的な小冊子をガザ戦争時に配布した。
そのことが知れ渡ると、イスラエルで大きな問題となった。いくつかの小冊子には、兵士のことを「光の子ら」と呼び、パレスチナ人を「闇の子ら」と呼んでいるのだ。他の箇所では、パレスチナ人のことを聖書の中でユダヤ人の憎い敵であったペリシテ人になぞらえている。
イスラエル軍はこの小冊子の発行には直接かかわってはいないが、その本の中には軍のスタンプが押されている。
軍の指導者らは、ラビに軍の規範を守るよう要請しているし、彼らラビの信念は信念として別にしてほしいとしている。彼らはこの新しいい民族主義的宗教兵士がイスラエル軍に入ってきている動きにも同様の姿勢であたるとしている。◆宗教的義務
西岸のヘブロンの近くにある正統派ユダヤ教神学校を訪ねてみよう。そこは今増えている宗教学校の一つで、そこでは聖書を前線に持参することを奨励している。
この神学校は西岸のユダヤ人入植地にある。神学校の学生らは皆、戦闘部隊に入隊することを選択するが、思想的にあまり熱心でない学生らは入隊を避けることが統計的に示されている。これがイスラエルの新聞の見出しを飾った。
19歳の学生は、宗教的兵士は軍の態度を改善するし軍がより“道徳的”になる、と語った。
彼らはイスラエルの市民を守ることを宗教的義務と考えている。主(神)がそれを命令している、というのだ。
もしオバマ大統領がやり通すことになれば、イスラエルは最終的には殆どの入植地から撤退することになるだろう。
入植者らは国際法からみれば、違法となるし、パレスチナ人は将来の彼らの国土となる領土だと主張している。しかしイスラエルの宗教的兵士らにしてみれば、西岸は神がユダヤ人に与えた領土なのだ。
ガル・エイナブ氏は、多くの兵士は入植地を閉鎖することには反対するだろうと語る。この入植問題は軍を分裂させる可能性がある、と彼は語った。そして多くの士官らがこの入植者であると言う。
「もし、イスラエル政府からの命令とラビのメッセージとの間に矛盾が出てくれば、入植者と宗教的右翼兵士らはラビに従うでしょう」と彼は語った。
◆「ジハード」の脅威
イスラエル軍指導部はジハードの考え方には強く反対している。エリ・シャーマイスター准将は、軍の教育総監だ。彼は過去いくつかの過ちがあったと認めた。しかし今は軍人ラビとの関係で良いバランスが保たれていると言う。
彼は、イスラエル軍の司令官が唯一、兵士らの士気の責任を持っている者だと強調した。
「イスラエル軍の規範コードは明瞭だ。我々は兵士をこの規範コードに照らして審査するのであり、宗教的なものを使うことはない」と語った。
シャーマイスター准将の前任者は、軍の内部で警戒すべき変化があったことを証言している。
ネヘミア・ダガン予備役将軍は、軍におきていることはイスラエル人の多くが思うよりはるかに危険なものであると語る。
「我々兵士は、我々自身の考え方は脇において、やるべきことをやることができた。我々自身が宗教的かキブツ出身かは問題ではなかった。しかしもうそういうわけにはいかなくなった」と言うのだ。「戦場での士気は宗教的権威からもたらされることはない。もしそれがなされれば、それは“聖戦”となってしまう。私は人々がこの言葉を好まないだろうということを知っている。しかし現実はそうなりつつある。一旦聖戦となれば、限界がなくなる。多くの宗教的なユダヤ人は、ガザ侵攻時なされた説教の内容に反対だ。彼らはユダヤ教の正しい教えを曲解させると共にイスラエル軍の規範コードと矛盾する考え方を押し付けている」と語った。 日々、イスラエル軍は市民のいる領域、ガザや西岸、東エルサレムで任務についている。イスラエル兵がさらされている影響力は大変重大な内容を持っている。
ここに住んでいるパレスチナ人に対する彼らの姿勢は、彼らが使用する武力と兵器に影響を与えることになりそうだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ズビグニュー・ブレジンスキー氏◆9月22日 米露が協力してイスラエルのイラン攻撃を阻止するべきであり、またそれは可能であるという点を示してきたが、カーター大統領時代に安全保障顧問だったブレジンスキー氏が、もしイスラエル機がイラク上空を通過してイラン攻撃に向かうようなときには、アメリカはそれを実力で阻止すべきだ、という見解を示した。
彼はまたイスラエルはロビー活動をしてアメリカをイラン攻撃に向かわせるようなことは控えろ、と言っている。もしアメリカがイランを攻撃するようなことがあれば、結果は破滅的なものになる、と言っているがそれは正しい。それをすれば世界大戦に発展しかねないし、その際イスラエルも破滅していくことになると、このブログでも何回か指摘した。 今年8月の時点で、イスラエルのペレス大統領がロシアのメドベージェフ大統領に対し、イスラエルはイラン攻撃するような計画はしていない、と言ったとメドベージェフ大統領が語っていることが報告されている。それがイスラエルの本音かどうか分からないが、少なくともペレス大統領の考えは読み取れそうだし、イスラエルのイラン攻撃の話は、結局イランが核計画を中止することを狙ったブラフなのかもしれない。
しかしイラク(とシリア?)の核施設に対する攻撃・破壊という過去の実績があるから、まだなんとも言えないであろう。
それに、イスラエル側は上記のロシア大統領の話を否定するコメントを出している。いかなる選択肢もある、と相変わらずの姿勢であることを強調した。 ブレジンスキー氏がユダヤ系であるにもかかわらず、イスラエルのイラン攻撃をアメリカは実力で阻止せよと言っていることを見ても、これはアメリカ側からのイスラエルに対する圧力となり、イスラエルはますますイラン攻撃をしにくいところに追い込まれつつあると言えるだろう。
それにブレジンスキー氏はリバティー号事件に言及している。1967年の6日戦争時、イスラエル軍がアメリカ艦船を攻撃した事件だ。誤射だったとイスラエルは言い訳したが、間違いなく誤射ではなく、確信犯的に攻撃したものだ。これにブレジンスキー氏が言及した、ということは、イスラエルにとっても不気味な圧力になるはずだ。 特にブレジンスキー氏はオバマ大統領の国際戦略面での指南役の位置にある(あった?)人物だ。そのような人物の発言となれば、オバマ大統領自身の意図に近い内容を持つ発言と捉えられておかしくないのだから、なおさらだ。
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●ブレジンスキー:アメリカはイスラエル空軍のイラク上空通過を阻止せよ
【9月21日 HAARETZ.com】
カーター大統領時代の安全保障アドバイザーであったズビグニュー・ブレジンスキー氏は20日、アメリカ軍はイスラエル空軍機がイランの核施設を攻撃するのを実力で阻止すべきと語った。 ニュースサイトのデイリー・ビーストでのインタビューで、ブレジンスキー氏は、アメリカ軍は「無能な幼児ではない」と語り、イスラエル軍は「イラク上空を通過するだろう。我々はそれを手をこまねいてみているのか?」と語った。
イスラエルジェット戦闘機がイラク上空を通過しようとする場合、アメリカは何をすべきか、との問いに対し、ブレジンスキー氏は、アメリカは「その権利を厳しく否定するべきだ」と語った。「つまり、それを語るだけではない、という否定だ。もし彼らが通過しようとすれば、飛び立ってそれに向かっていかねばならない」と氏は語り、イスラエルの戦士らは「帰還するかどうするか選択せざるを得ないだろう」と言う。
ブレジンスキー氏は、「誰もこういうことは願わないが、これはリバティー号事件の逆かもしれない」と語り、イスラエル軍が6日戦争の時、アメリカのリバティー号を攻撃したことに言及した。あの時イスラエルは標的を間違えた、という言い訳をした。
この事件は、イスラエルとアメリカ双方の調査委員会により調査されたが、両者とも、これは悲しむべき誤射だったと結論を出した。
昨年暮れ、ブレジンスキー氏はハアレツ紙に、アメリカにイラン攻撃をさせるようイスラエルがロビー活動をしつこくし続けると、アメリカとの関係に害となるかもしれない、と語っている。
ブレジンスキー氏はハアレツ紙に対し、「イスラエル政府に少しだけアドバイスをするが、それはイランを攻撃するようにとアメリカを煽ることのないように、というものだ。私はアメリカがイランを攻撃するとは思わないが、もしやればその結果は破滅的だろう」と語った。 20日、ロシアのメドベージェフ大統領はCNNに対して、イスラエルのシモン・ペレス大統領は、イスラエルはイラン攻撃はしない、と言ったと語った。 ロシアの大統領は、そのような攻撃は「想像できる最悪のものだ」と語った。
メドベージェフ大統領はペレス大統領が今年の8月ソチでの会合の時にそのコメントをした、と語った。「彼がソチに私を訪ねてきた時、ペレス大統領は我々全員にとって重要なことを語った。イスラエルはイランを攻撃する計画は持っていない。我々は平和の国でありこのような攻撃はしないと言った」とインタビューの中で語った。ロシア政府の記録によれば、この件は17日に記録されたという。
●イスラエル高官:メドベージェフ大統領は誤解している
【9月21日 HAARETZ.com】
何人かのイスラエル高官らは、公の場でメドベージェフ・ロシア大統領のCNNとのインタビューで語った、ペレス・イスラエル大統領がイランを攻撃することはない、と発言したと言ったことについて激しく非難した。
ダニー・アヤロン国務次官は、メドベージェフ大統領は「イスラエルについて語る資格はないし、イスラエルの政策にはなんらの変更もない」と語り、メドベージェフ大統領はペレス大統領が語った内容を誤解した、と語った。
イスラエルはイランを攻撃すると何年も脅してきた。またイスラエルの高官らはイラン大統領のアハメドネジャド氏をヒトラーになぞらえてきた。メドベージェフ大統領はペレス大統領が、イスラエルは「平和の国でイラン攻撃など考えもしない、と保証した、としている。
イスラエル軍の幹部の一人、ガビ・アシュケナジ少将は21日、核技術を獲得したイランは地球全体の脅威であり、イスラエルは近い将来のイラン攻撃の考えを捨てていない、と語った。
●必要ならイラン空爆辞せずと、イスラエル軍参謀総長
【9月22日 CNN】
イスラエル軍のアシュケナジ参謀総長は21日、イランの核開発問題に関連し、イスラエルには自衛の権利があり、「イランに対する(軍事手段を含む)すべての選択肢がある」と述べ、必要に迫られた場合、イランの核関連施設への空爆も辞さない考えを示した。イスラエル政府の従来の立場を改めて主張したもの。
参謀総長はイスラエル軍ラジオとの会見で、「我々は(軍事手段を含む)いかなる準備も用意している。現在もだ」と強調した。
ロシアのメドベージェフ大統領は最近、CNNとの会見で、イスラエルはイランに対するいかなる強硬措置も取らないとの旨の発言を示していた。メドベージェフ氏は、会談したペレス・イスラエル大統領の発言を引用していた。アシュケナジ参謀総長の言葉は、このメドベージェフ氏発言を意識した形ともなっている。
アフマディネジャド大統領は今月18日、パレスチナ闘争支持の集会に関連したテヘラン大学での演説で、第2次世界大戦中のユダヤ人大量虐殺の事実を改めて否定、ドイツ政府などの反発を買っていた。
らばQ:心にズドン…90歳の老人が語る45の人生の教訓
1. 人生は公平では無いけれど、それでもいいものだ。
2. 疑わしいときは、次の一歩は小さく歩もう。
3. 誰かを嫌うには人生は短すぎる。
4. 病気になると仕事は自分の面倒をみてくれない。友人や家族がしてくれるのだから連絡を取っておこう。
5. クレジットカードの支払いは毎月全額支払っておくのだ。
6. すべての口論に勝たなくていい。反論にも賛成してみよう。
7. 誰かと一緒に泣こう。一人で泣くより楽になる。
8. 神様に怒っていい。彼なら受け入れてくれる。
9. 初めての給料から、老後の蓄えを始めよう。
10. チョコレートに関しては抵抗は無駄だ。
11. 「過去」と平和を維持していれば、「現在」をダメにすることはない。
12. 自分の子供に泣いているところを見られたってよい。
13. 他人の人生と比べるな。人がどんな軌跡をたどったのかなど、分かりはしないのだから。
14. もしその関係が人に言えないのなら、関わるべきではない。
15. すべてのことは一瞬のうちに変わるが、心配しなくてもよい。神は見ている。
16. 深呼吸をしよう。心が落ち着く。
17. 使えないもの、美しくないもの、楽しくないものは、何でも取り除こう。
18. もし死なずに助かったときは自分を強くする。
19. 子供時代のような幸せを持つのに遅すぎるということはない。ただし2度目は他人の力に依存してではなく自分次第である。
20. 自分の好きなことを追い求めるとき、自分の出した答えに拒否を示すな。
21. キャンドルを灯し、シーツを新しくし、素敵な下着をつける。特別な日のためにとっておくのではない。今日という日こそが特別なのだ。
22. 準備をぬかりなく、そして、なるように、ありのままに。
23. 今、変人になろう。歳を取るのを待ってから紫色の服を着なくてもよい。
24. 夜の秘め事をする上で、一番大事な機能は脳である。
25. 幸せになる上での責任は、自分自身以外にない。
26. どんな災いも、次のセリフで閉じ込めてしまえ。「5年経ったらこれはそれほど大事なことなのか?」
27. いつも「生(せい)」を選ぼう。
28. 何でも誰でも許そう。
29. 他人が自分を何と思おうと、知ったことではない。
30. 時間はどんなことさえも癒す。時間を与えよ。
31. どんな良いことも悪いことも、変わる。
32. 自分のことを、まじめに捉え過ぎる必要はない。他の誰も気にしてしない。
33. 奇跡を信じよう。
34. 神様は神様だから愛してくれる。何をしたか何をしなかったかではない。
35. 人生を計算するな。参加して今を楽しもう。
36. どんどん年齢を重ねることは、その反対よりずっといい。 若くして死ぬよりだ。
37. あなたの子供の子供時代は1度きりだ。
38. 最終的に真に大事なことは、愛したということ。
39. 毎日外に出よう。奇跡はあちこちで待っている。
40. もし皆がトラブルを山のように捨てたとして、他人のと見比べたら自分のは持ち帰ろうと思うものだ。
41. うらやましがることは時間の無駄である。もうすでに必要なものは持っているものだ。
42. 最高のときはこれから来る。
43. どんな気持ちになろうとも、起き上がって、着替えて、そして姿を見せよう。
44. 恵みなさい。
45. 人生はリボンで結ばれているわけではないが、それでもギフトである。
2009年9月23日水曜日
【対談】 ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグ
古代ヘブライ人は、金髪や黒人ではなく、黒髪・黒い目の人種だった──
<対談>1986年1月
彼は1916年にロシアに生まれ、イスラエルに移住。
(左)ユダヤ人言語学者 ヨセフ・アイデルバーグ
(右)彼の著書『大和民族はユダヤ人だった』
その後、アメリカで理工学を学び、ヨーロッパで言語を修得。
イスラエル建国前は、地下軍事組織「ハガナ」のメンバーであり、
建国後はイスラエル国防軍の陸軍少佐を務めた。現在は
イスラエルで、歴史、言語、民俗学を研究している。
歴史に謎を持つ民族──日本人とユダヤ人。そこには、不思議な共通点が数多く存在する。ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグは、そうした歴史の謎にとりつかれ、14年の間、日本の言語・宗教・歴史を調べた。
彼は断言する──日本人の先祖はヘブライ人だと。
※ 彼は1984年12月、『大和民族はユダヤ人だった』と題する本を出版した。
以下の対談は、彼が調査のために再び来日(1986年)されたときに行なわれたものである。
ヨセフ・アイデルバーグが京都の「護王神社」で
出仕として仕えていたときの姿
■Q. アイデルバーグさんは、以前滞日されていたときは京都の神社で出仕として仕えられ、古代ユダヤと神道の類似性を強く確認されたそうですが、今回は、どういうところを調査されたのですか?
■A.(アイデルバーグ) 東北を主に調査しました。民謡のなかにヘブライ語でしか解釈できないものをいくつか調べてきました。
■Q. 確かに、東北には日本語では意味の通じない「ナニヤドヤラ」の歌などがありますね。でも、日本語で意味が通じないということは、ヘブライ語が後世、日本に流入してきた証拠にはなっても、日本語がヘブライ語から発生したという理由にはならないと思いますが。■A. 私は、実のところ14年の歳月をかけて、各地の言語を調べあげたのです。世界には、中米のマヤ人をはじめ、いくつも「失われた10支族」の候補となる民族があります。しかし、日本語のようにヘブライ語起源の言葉を多数持つところはありませんでした。優に3000語を超えるのです。
ここで、重要なことは10支族が、この地に着いてから、2000年以上の時が流れたということです。その間、日本語は中国語や朝鮮語に影響を受け続けたのです。にもかかわらず私は、さらに500語のヘブライ起源の日本語を発見しました。そんなことは、世界中日本語ぐらいにしか存在しません。
■Q. アイデルバーグさんは、どのくらいの言語をお知りなのですか。■A. ロシア語、フランス語、ドイツ語、ペルシア語、イーディッシュ語、アラビア語、ヘブライ語……日本語は話せませんが音読みと訓読みを区別することはできます。
■Q. 今、話されているのは英語ですね。■A. ああ、そうですね。アメリカで理工学を学びましたから。
■Q. そうした言語上の広い知識と科学者としての思考がアイデルバーグさんのバックボーンになっているのですね。でも、日本語の中には、多数の中国語が入っています。むしろ、失われた10支族は中国にとどまり同化したのではないですか? そして、その地からこぼれ出た言語を日本人が使用しているとは考えられませんか?■A. 実は、河南省の開封に小さなヘブライ人社会があったらしいのです。
言い伝えでは漢王朝の時代にその地に着いて、1850年くらいまで集まっていたらしいのです。当初、私の調査もそこまでで終わりそうだったのですが、実はバハラ地方に古い伝説が残っていたのです。それによれば、サマリア王国を追放された10支族は、東方へさまよい出てアジア大陸を渡り、中国のかなたの神秘な国に定着したというのです。だから私は、日本を調査し、そこに多数の古代ヘブライ語が残っていることを見つけたのです。
13世紀のころ、北京にやってきたマルコ・ポーロは『東方見聞録』の中で、
(左)中国の河南省の都市・開封の位置 (右)開封のユダヤ人家族
「中国東部の開封には大いに栄えているユダヤ人社会が存在していると聞いた」と
記している。この「開封(かいほう)」は中国で最も歴史が古い都市の一つであり、
850年前の北宋時代に首都になった。(当時100万人の国際都市だった)。
開封の中国風シナゴーグ(ユダヤ教会堂)※ この「開封のユダヤ人」に興味のある方はココをご覧下さい
アッシリア王国に滅ぼされたサマリアの古代ヘブライ人たちは、
シルクロードを東へ東へ突き進んでいったと推測されている
■Q. それは、いつごろのことだとお考えですか?
■A. 神武東征のころでしょう。10支族がサマリアを出て、しばらくして神武東征が開始されています。天皇の公式名スメラ・ミコトは古代ヘブライ語の一方言で「サマリアの陛下」を意味しますし、神武天皇の正式名“カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト”は、「サマリアの皇帝、神のヘブライ民族の高尚な創設者」という意味になるのです。
■Q. しかし、バハラから日本までというと相当な距離ですよね。日本に着いたころには少数民族になっていたのじゃないでしょうか?■A. たとえば13世紀にモンゴル民族が、ヨーロッパに移住した距離はもっと遠いですが、数は減っていません。それに海を渡る以上、かなりまとまった勢力のはずです。
■Q. ただ、当時日本には先住民がいたと思うのです。仮に10支族がまとまってきたとしても、特定の地域に定住し、次第に先住の日本人に吸収され、事実上、消滅していったのではないでしょうか?■A. 『古事記』や『日本書紀』を見ると、先住民族のほうが追い払われているようです。それに、一般的には、日本人は移住民族と考えられていますし、やはり10支族が現在の日本人の直接の先祖になったと、私は考えます。重要な政治機構や神道なども古代ヘブライのものに一致しますしね。
■Q. つまり、アイデルバーグさんは、古代ヘブライ民族がそのまま日本人になったというお考えなのですね。■A. そうです。もちろん現在のユダヤ人は混血していて、かつてのヘブライ人ではないですし、日本人も変わりました。でも今でも日本人の中にはユダヤ人のような顔つきの人がいますし、ヘブライ人の中にもモンゴロイドのような容貌の人がいます。
■Q. 古代ヘブライ人はどのような容貌をしていたのですか。■A. 黒ずんだ肌、黒髪、そして黒い目をしていたと思われます。金髪の人種でも黒人でもなかったのは確かでしょう。
マンチェスター大学法医学教室が、
英BBCが放送した「イエスの顔」
エルサレムで大量に発見された紀元1世紀の
ユダヤ人の人骨群の中から、当時の典型的な
ユダヤ人男性の頭がい骨を選出して復元した
ものである。中東男性の顔つきをしている。
(詳細についてはココをクリック)
■Q. 先ほど、古代日本の政治機構もヘブライ的だといわれましたね。
■A. “大化の改新”というのがありますが、古語では「タイクワ」と書かれているようですね。これは、ヘブライ語で、“希望”を意味するのです。おそらく、神道系の人々と仏教系の人々が争い、結果的に神道系の人々が勝って法律を決めたのだと思うのです。だから、この“タイクワの改新”の法律は、ほとんど聖書から取られています。
■Q. 一般には中国の影響だと言われていますが。■A. いえ、身分を区別するために冠をかぶる制度を取り入れたほかには、中国的な要素はありません。残りすべては、その出所を『旧約聖書』で正確に確認できるのです。
■Q. 確か、ご本には身分を示す言葉もヘブライ語であると指摘されていますね。■A. ええ、神武天皇が定めた“アガタヌシ”は(AGUDA-NASI)で「集団の長」を示し、“ミヤツコ”はヘブライ語で「代表者」の意となります。
■Q. うーん。確かに古代において並々ならぬ関係があったのは事実のようですね。でも、もし日本人がヘブライの民であるとすれば、『旧約聖書』のようなものがあるはずです。■A. それが、『古事記』『日本書紀』なのです。
■Q. いえ、私の言いたいのは、かつて古代ヘブライ人がカナンの地で繰り広げた歴史書とでもいうべきものなのですが……。■A. まさに、『古事記』『日本書紀』は形を変えた『旧約聖書』なのです。神武東征神話も約束の地カナンへ旅するヘブライ人の記述に符合します。両者とも、東方にある神の与えた地を目指すのです。
日本では、それを決めた地が日向・曽富里の高千穂峰であり、聖書ではホガーのサハラ高原のタハト山です。そして、ヤム・サフを越えて穴居族テダに会います。古代日本人は曽富で穴居族タダに会うのです。そして、古代日本人は、曽富里の東「葦原の国」へ着き、古代ヘブライ人はサハラの東「カナン」に着くのです。「カナン」とは、「CNNE-NAA」の合成語と考えられ「葦原」を意味します。
■Q. 神武以後の天皇の歴史についてはいかがですか?■A. 崇神天皇はダビデ王、垂仁天皇はソロモン王に似ています。仲夏天皇はサウル王でしょう。それぞれ同様の事件が記録されており、ピックアップできます。
■Q. とすると、大和の地というのが、必ずしも日本列島を意味しなくなるのではないですか?■A. おそらく日本列島に着く以前の歴史に関係してくるでしょう。10支族が大陸を移動してくる途中、天山山脈の一地方にとどまった可能性があります。そこにヤマトゥという地名が残っているのです。
■Q. 確かに符合しますね。でもヘブライの神は唯一神であり、日本の神は八百万といわれています。神に対する概念が根本的に違うような気もするのですが。■A. そうですね。伝説ですが、アダムはイヴと結ばれる前に女神リリスと結婚しているというのがあります。リリスは、そこで8万の神を生んでいます。似ているでしょう。ただ、現在のユダヤ教はエルサレム起源であり、失われた10支族のユダヤ教とは違うようです。たとえば聖書には10支族が、8ヵ月めの15日に過越しの祝いをしたと書かれていますが、今日、私たちはそんなことはしないのです。ただ、日本の神社では8月15日に“古代の解放の祭り”を行なっています。でも、その本来の意味は忘れられていますが。第一、他民族に征服されたことのない古代日本人が、なぜ、“解放の祭り”をする必要があるでしょうか?
■Q. “祭り”という言葉は、非常に宗教的でしかも神道的な言葉ですが、古代ヘブライ語で説明できますか?■A. ヘブライ語に「マソリット」という言葉があって“伝統”を意味します。そこからきたように思います。
ユダヤ人言語学者 ヨセフ・アイデルバーグ
■Q. 実によく調べられていて、正直、驚きました。アイデルバーグさんは、聖書を予言書として解釈したり、そこから日本の未来を読みとったりするような研究もされていますか?
■A. いえ。それに関してはノーコメントです。私はただ、言語、歴史、宗教、民族学といった点からのみ日本人が10支族の末裔であることを証明しているのです。
■Q. こうした説は、イスラエルではどの程度、受け入れられているのですか?■A. それはまだ、なんともいえませんが、私が今まで講演をしたときは、出席されていた聴衆の大多数の方が、受け入れてくれました。
■Q. それは、ユダヤ人の方と考えてよいのですか?■A. はい、そうです。
■Q. 人数にするとどのくらい?■A. 30〜60人……まだ、それほど多くの人ではありません。
ヨセフ・アイデルバーグはヘブライ語と
日本語(カタカナ)の類似性を指摘している
■Q. かなり衝撃的な説であると思うのですが、アイデルバーグさんは自説に信念を持っておられます。日本のアカデミズムも同様ですが、こうした説が受け入れられるのは実に難しいことだと思います。
■A. 『古事記』にアメノコヤネという神が出てきますね。(そう言うと、氏はノートにすらすらとカタカナで“コハノ”と書いた) これは司祭を意味するヘブライ語です。
■Q. カタカナに見えますが。■A. イスラエルでは小学校1年生でも読めるヘブライ語です。ただ発音は“コヘン”といいますが。
■Q. 似ていますね。■A. 私の説に反対する人は、確かにいます。でも、彼らは感情的に反論するだけなのです。私は、いつも科学的に証拠をあげるのです。14年間、私は私財を投げうってこの研究に打ち込んできました。そして、これだけの確証を得たのです。
■Q. 今後、どういう活動をされるのでしょうか?■A. 私にできるのは講演、講演、講演です。それと出版。もうすぐ第2冊目を出す予定です。そこには、さらに多くの証拠を提示することになるでしょう。どんなに突飛に思えても、真実は必ず認められると信じています。
■Q. 日本人と古代ヘブライ人が同祖であると証明されれば、時代が変わるかもしれませんね。■A. おそらく、近い将来、日本人が失われたイスラエル10支族だということは歴史の常識になるでしょう。
ほぼ日刊イトイ新聞 - はじめての中沢新一。
今、大学になっている土地は、
原野だったり
林であったり
かなり広大な領域であったところです。 その理由を尋ねてみると
縄文時代の遺跡であったり、
長いこと聖地の歴史が
続いていた場所だった、ということが
見えてきたわけですね。 その目で
慶應大学や早稲田大学や
青山学院大学や東京大学という、
都内の主要な大学の
ポイントを見てみますと、
ほとんどがそういう場所でした。 東京大学に至っては、
あそこから
最初の弥生式土器まで
発見されているわけですからね。 それから、もうひとつ
気がついたことがあったんです。 それはテレビ塔の場所なのですが、
いちばん気になるのは、
東京タワーでした。 そもそもこの
『アースダイバー』という本を
作るにあたっての
いくつかのきっかけの中で、
ひとつの重要なきっかけになったのは、
フランスの
ロラン・バルトという思想家が書いた
『エッフェル塔』
という見事な本です。 エッフェル塔が、
パリの街で、
いかに重要な神話的な存在であるか、
というのを書いてありまして、
そして、
なんとなく自慢してるんです。
こんなタワーを持っている国民はいないだろうと。 ぼくは、その自慢がイヤだったんですね。
東京タワーだって、いいじゃないか、と。 あの形は、たしかに
エッフェル塔にくらべると
ちょっとダサいとは言わないまでも
きゃしゃな感じはするし、
ゴジラとかモスラとかには
さんざん踏み荒らされるし、
ちょっと
かわいそうなところもあるけれども、
あのタワーの形っていうのは、
見事に東京の芝の地形とあっています。 そして、よく見てみますと、
東京タワーにのぼっていくと
お気づきになると思いますけども、
まわりはぜんぶ、墓地とお寺ですね。 その意味をさぐっていくと、
東京タワーが建っていた場所は、
長い時間、広大な墓地であり、
そしていくつかのスポットは、
聖地であったらしい、
ということが、見えてきます。 その目でものを見てみます。 東京タワーは芝に建ちましたけども、
もともと
東京タワーを建てる予定だったのは
上野だったようです。
上野も古墳地です。
これも因縁ですね。 それから、
もとのTBSが建ってるあたり、
という地点を結んでみますと、
テレビ塔が建つあたりというのは、
なぜかいつも聖地のあたりなんです。
この聖地の場所というのは、
岬なんですね。 (明日に、つづきます)
2009年9月22日火曜日
おもろ生活<7>洗顔でばれた日本のスパイ - ゆうさんの自転車/オカリナ・ブログ
日本が中国を侵略していたころ、日本人スパイがばれる日本人特有の?しぐさがあったという。顔を洗うとき、日本人は手のひらに水を汲んで手を動かす。一方、中国人は水をこぼさないように、手を動かさずに顔を動かすというのである。 日本では水は比較的豊富にあるが中国ではそうではない、ということからこのような違いがでてくるという。スパイ活動を不自由なく?できる中国語の実力があっても、顔を洗ってばれてしまったという話だ。 以上は、結構知られたことだ。
昨日、韓国人政治学者の興味深い講演を聞いたが、そのなかで日本人スパイに関連する話があった。 韓国人は「白衣民族」と言われるが、顔を洗うときその白い衣服を汚さないために必ず首筋も洗うというのである。日本が朝鮮を植民地にしだ時代、中国でと同じように日本スパイが暗躍した。 そのスパイが、独立運動グループに紛れ込んで、充分な?活動をしていたのに、顔の洗い方が少々変わっていたというのである。顔をさっと洗って首筋を洗わないのである。一日ならともかく毎日そのように簡単に顔を洗うのが「おかしい」ということになって、スパイであることがばれたというのである。 顔を洗うときには、気をつけよう???!!!!
2009年9月18日金曜日
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあら... - Yahoo!知恵袋
祇園精舎(インドのお釈迦さまのお寺)の鐘の音は、「永久不変なものはない」といっているように聞こえる。沙羅双樹(ツバキの一種。お釈迦さまが死を迎えるとき白くなって枯れた。)の花の色は、栄えている者が必ず落ちぶれるという意味を表している。思い上がったふるまいをする者は長くは続かない。それは単に春の夜に見る夢のようだ。荒々しい強者もゆくゆくは滅びてしまう。それは、いかにも風が吹くと飛んでいく塵と同じだ。 と、いう訳になりまして、「栄華はつづかない。栄えていてもお落ちてゆく。」という意味です。平家物語の冒頭、平氏が没落していく様を表しております。
2009年9月17日木曜日
CDを2度がけすると誰にでも分かるほどハッキリ音質が向上する? / オーディオの作法 - 麻倉怜士 : matsu & take
まずは一度CDを入れて再生し、「何もしなければ、こんな音です」と確認します。そしてイジェクトボタンでCDを取り出し、再度CDをインサートして「プレイ」ボタンを押す ー 必要な動作はこれだけです。一回読み込んだものを取り出して、再度読み込んだだけなのに、音質は誰にでも分かるほどハッキリ向上します。1回目はいかにもCDらしい硬い音であっても、2回目はキンキンしたところがほぐれて、しなやかになり、音に豊潤さが出てくるんですね。私の感触で言うと、そのCDプレイヤーの実力を「価格の倍くらい」にアップさせてくれます。
2009年9月16日水曜日
浪漫飛行~9月15日(火)~|The New York Blog
日本航空の浪漫飛行
多額の債務と年金問題を抱える日本航空は、海外からの資金援助を求めている。幾ら貰えるかは分からないが、問題解決に至るには何れにしても到底足りない金額である。
勿論、相手がアメリカン航空だろうがデルタ航空だろうが、もらえるお金は幾らかの足しにはなる。でもこの航空会社は一年以内に返済する必要がある負債だけで20億ドル(1800億円)あるのだ。海外から数百万ドル(数百億円)プレゼントされたどころで焼け石に水である。
野村證券によれば、その翌年度には更に24億ドル(2160億円)の負債も返済期限を迎える。
というのに、日本航空は二年連続の赤字を迎える状況にある。これは海外の航空会社による戦略的提携、コードシェアリングによるコスト削減程度の話では解決しないレベルの話である。
また、どんな戦略的提携をしたところで、36億ドル(3240億円)にも上る年金債務の問題は解決しない。更に日本航空は、運賃の設定や路線開設に過剰に関与してくる日本の航空行政とも戦わなければいけないという問題も抱えている。規制により資本参加を1/3以下に抑えられて経営権を掌握できない海外資本も、日本航空の経営に革新をもたらすことはできない。
しかし、海外勢にとっては提携は良い話である。現金の拠出と見返りに太平洋路線を手にすることができ、これは将来の日米航空自由化交渉の行方次第では大きく結実するかもしれない。でも、日本航空にとっては抵抗負荷ばかり多く、揚力が足りない話である。
***
日本航空は子供の頃からお世話になっているので、個人的にはどういう形でか存続してもらいたいと思っているし、のれんには価値があると思う(今でも海外に行くならJAL!と思っている人も結構いるのではないだろうか)
でも、提携の話が報道されてから日本航空の株価は上がっているのはとても不思議。提携話を好感しているのかもしれないが、個人的にはこういう政治銘柄は怖くてとても手が出せない。
2009年9月15日火曜日
坂口安吾「戦後文章論」
- 坂口安吾
言葉は生きているものだ。しかし、生きている文章はめったにありません。ふだん話をするときの言葉で文章を書いても、それだけで文章が生きてくるワケには参らないが、話す言葉の方に生きた血が通い易いのは当然でしょう。会話にも話術というものがあるのだから、文章にも話術が必要なのは当り前。話をするように書いただけですむ筈はありません。「ギョッ」という流行語のモトはフクチャン漫画だろう。横山隆一の発明品である。彼は漫画の中へギョッだの、モジモジだの、ソワソワだのという言葉を絵と同格にとりいれるという珍法を編みだした。
モジモジ、ギョッ、ソワソワを絵だけで表現するのはそうメンドウではないだろうが、言葉を加えた方が絵だけで表現するよりも、はるかに珍な効果をあげる。二科会員隆一先生はそれを見破りあそばされた。凡庸な眼力ではなかろう。
しかし、漫画というものは、絵よりも文学にちかいものですよ。それも少しの差ではなくて、絵が三分、文字が七分、否、一分と九分ぐらいに全然文学の方に近いだろうと私は思っています。
紙芝居は一目リョウゼン、絵は従で、物語の方が主ですが、それにくらべると、漫画の方は絵が多くて言葉の使用は甚だ少い。けれども、その多少によって絵か文学かが定まるわけではなくて、漫画の発想も構成もほぼ文学そのものだという意味です。絵で読むコントであり、落語であります。
ですから漫画家は文章がうまいな。近藤日出造や清水崑の人物会見記は、漫画も巧いが、文章の巧さもそれ以下ではない。
本職の絵カキはデッサンということを云う。文章にはそれにちょうど当てはまるものがないようだが、もしも文章に基本的な骨法があるとすれば、物の本質を正確につかんで、ムダなく表現することだろう。彼らの会見記はその骨法にかなうこと甚大で、それも最短距離で敵の本質をほぼ狂いなく掴んでいるし、さらに文章の綾を加えて仕上げるのが巧妙だ。綾にもムダが少い。漫画というものが、本来ムダがないせいかね。
横山兄弟も、うまい。弟の方は文士の探訪記に同行して挿絵をかいてるが、彼自身が絵も文章も書いた探訪記は文士以下ではないのである。兄貴の方は今日出海の「山中放浪」をそっくり借用して、人物を実名に書きかえて、自分の比島従軍記をこしらえあげてしまったが、まったくこの先生は珍法を編みだす名人である。しかし巧みなものです。歴史漫画の荻原賢次の文章は見たことがないが、これも名手に相違ない。彼が新大阪に連載中のゼロさんと横山泰三のプーサン(夕刊毎日)は社会時評としても卓抜で、その諷刺とユーモアは低俗なものではない。甚しく文学的なものですよ。
サザエさんも絵はあまりお上手ではないが、文章は相当うまいし、特に思いつきが卓抜だ。その他数名の新進流行児が揃って思いつきが相当に新鮮で、ブロンディの思いつきはすぐ限界がきてしまうが、彼らはなかなか限界を感じさせません。思いつきに富むということは何よりのことで、誰でも、というわけにはいかない。敬服すべきことです。
思いつきの点ではサザエさんが特にすぐれて、苦心の程がくみとれるが、絵にムダがあるように、彼女の文章(単行本の序文ぐらいしか読んでいないが)も巧みではあるがムダがある。
そのムダは、絵のデッサンの問題ではなくて、文章の基本的な骨法の問題で、物の本質を正確にムダ少くつかむ、ということが、長老達に及ばないのである。
長老と云っては相済まんが、招かれて二科の会員に参加させられたほどのお歴々であるから、長老と申す以外に手がないな。しかしこの長老のお歴々は、頼まれれば禁酒会会長でも憲兵少将でもイヤとは仰有らずに、オデン屋の開店祝いの招待と同じように馳せ参じるにきまってるから、オデン屋のノレンと同じように二科のノレンをくぐってもおかしくはないね。憲兵大将の部屋や法廷や廊下にデカデカと漫画をかかげるのも、オデン屋の壁にデンスケや河童をかくのも、二科会場へ三百号のデンスケをかかげるのも変りはないさ。彼らの心境はどこのノレンをくぐっても全然不都合がないだろうが、二科の教祖の心境の方が、どうも変だ。ギョッ、だね。
絵カキにも名文家が多いけれども、いかにも美文名文です。型通りではあるが、物の本質を正確に鋭くつかむという文章の基本的な骨法の欠けているのが多いようです。絵と文学はちがうのでしょう。ところが一流の漫画家は例外なく文章道の達人で、それは漫画の文学性によるのでしょう。それに、アップツーデートということにもよる。これも文学性の一ツと云ってよいかも知れません。理解されないアップツーデートというものはない。しかし理解されない大家や教祖の絵は多い。それはその美が深慮であるというよりも、その美には現代に生きるイノチの欠けるものがあるせいではないでしょうか。現代に生きないイノチは過去にも未来にも生きる筈はありませんよ。芸術の誕生は早すぎることも遅すぎることもない。いつも現代に生れるのです。
終戦後の文章で際立って巧妙になったのは、まず各新聞の碁将棋欄です。みんな揃って達人になった。実に短いけれども、卓抜な読み物です。特に三象子がうまい。対局の技術上のことも、心理上のことも、急所だけピタリと押えて一般向きの興味津々たる読み物に仕上げています。
これを新聞の他の連載的読み物と比べてみるとその卓抜なのが分る。たとえばどの新聞にも匿名批評がある。文学のもあるし、政治のもあるが、その一般向きの点でも、文章の巧みさの点でも、本職の文士の匿名批評がとても及ばない。しかも、そのヒラキが大きいね。その他、身の上相談の文章も、スポーツの批評も、とても問題にならない。碁将棋欄の文章だけが各紙そろって達人ぞろいとなり、一般向きの、そして特に興味ある読物になったのはどういうワケだろう。これに匹敵する新聞紙上の花形は、漫画ぐらいのものです。人物会見記も、妙に相手をいたわるような気風が現れてきて、だんだんつまらない物になってしまった。
三象子の文章が特に生きていて、いちじるしく活写の筆力が鋭いのは、彼は木村にも升田にも同情しない。別に悪意は毛頭ない。ただ真実を書ききっているから生きているのですよ。しかし文章もうまいなァ。私の住む土地の静岡新聞というのに、この土地の人なのか、高柳八段が田舎の素人将棋などの観戦批評を書いているが、これも捨てがたいものです。淡々としながら、たくまぬような、しかし巧みなユーモアもあって、急所はピッタリ押えているし、田舎の新聞にはモッタイない逸材です。
人物会見記の筆者は、筆力も観察力も相当の達人ぞろいのようだが、相手に気がねをする気風が起っては、せっかくの才能も死んでしまうのは仕方がない。しかし別に心を鬼にするというような大そうなものではありますまい。日出造や崑の漫画入りの短文が生きているのは、彼らが職人になりきっているからでしょう。職人になりきっておれば、現実的なナマの感情でくもることはないものですよ。それに漫画家は自分だけの角度というものを持っている。それも要するに職人になりきっているということでしょう。ちかごろ正宗白鳥先生が読売の東西南北で署名批評をやりはじめたが、さすがにおもしろい。職人になりきった人の味であろう。職人になりきった人は、年齢と関係なく現代に生きているものである。白鳥先生が明治の話をもちだして、いかに老齢を嗟嘆しても、読者が感じるのは白鳥青年です。しかし、漫画や碁将棋がめざましく生き生きした作品であるのに比べて、本職の文士の文章のダラシのないのはヒドすぎますね。つまり、匿名批評の文士には職人の根性が欠けているのですよ。商品でなければならん。読み物でなければならん、という大事な根性がなければ、すでに職人ではないし、したがって本職ではない。つまり素人なんです。いかに文士であるとあなた自身が強弁しても、あなたは素人だ。本職というものは、もっと仕事に忠実で、打ちこむものだし、手をぬくことを何よりもイサギヨシとせぬもので、あなた方のような雑な仕事をしながら、本職の文章をアレコレ云うのはまちがっていますよ。
先日も小原壮助先生に、安否の文章は講談の弟子だというオホメのお言葉にあずかった。しかし、それは壮助先生の洞察の心眼の鋭いせいではない。当り前の話ですよ。講談というものを知ってる人がよめば、一目で分る筈のものです。私自身が講談落語の話術を大そうとりいれました。ということを何度も書いているのですよ。彼らの話術は大したものです。見習うべきことがタクサンあるのですよ。
しかし、表面的にマネをしてもダメなものです。狂言にはもっと学ぶところが多かったのです。狂言は現代の言葉ではありませんが、表面的には言葉は死んでいても、生きているイノチがめざましい。そして今に至るまで生きているために必要な技術、そういう本質的なことを学ぶことの方が大切でありましょう。
私は文章上にだけ存在している現代の文章というものがイヤなんです。なぜなら、現実にもッとイキのよい言葉を使っているのだもの、習い覚えたペルシャ語で物を書いているような現代の文章がバカバカしくて、イヤにならない人の方がフシギなのですよ。そうではありませんか。
私がこういう文章を書きだしたのは、特に新型を編みだそうという志よりも、習い覚えたペルシャ語で物を書くのがイヤで、イヤで、たまらなくッて、万やむをえず、こうなっているのです。むろん多少の工夫も致しましたが、万やむをえずこうなった後に、おのずから工夫の志も起ったわけで、私の方の考えでは、習い覚えたペルシャ語で物を書いて、フシギだとも、イヤだとも思わない人々、特に本職の心事はワケがわからない。
私は戦争裁判の証人に戦犯事務局へよばれた友につきそって行ったことがあった。むろん英語の分らん拙者だから、通訳に行ったわけではない。一人ではいささか心細いからたのむ、というから、心得た、と、漫画の長老と同じことさ。私も頼まれれば禁酒会会長でも税務署の徴税部長でも何でもやるさ。しかし友は私以上に英語の心得がないらしく、よって、はからずも実に苦心サンタン、テンテコマイをさせられたね。某将軍は占領地の住民に対して寛大であった、寛大であろうと心がけた、その寛大というのが、どうしても先方に通じないね。ようやく通じて、先方は私の言葉を云い直してくれましたよ。ソフトと云いましたね。そのときはアメリカもアッパレだと思いました。耳もうたれたし、目もうたれましたよ。目をうたれたと云うのはシミジミ相手のお顔を見直したというような心境さ。カラリとした晴天を二千米の峠であびてるように爽快だったね。
言葉はそれでタクサンなのだ。否、単に間に合うというばかりでなく、それは目ざましく生きています。寛大という日本語と、ソフトというアメリカ語との差は、習い覚えたペルシャ語と生きている言葉との相違ですよ。我々の文章が習い覚えたペルシャ語であるために、生きてる筈の言葉にも習い覚えたペルシャ語の死神の相がのりうつッているのですね。死神にとりつかれて蒼ざめた言葉を生気乏しく使っているのですよ。
当り前の言葉で大概のことが言い表わせる筈ですよ。日常生活の言葉で文学論がやれないと思いますか。それだけの言葉では間に合わない深遠な何かがあるのですか。
私は坊主の学校で坊主の徒弟の稽古をやって、あんまり役に立つことがあったとは思わないが、一ツ驚いたことがありました。仏教哲学に倶舎論{クシヤロン}というものがあって、人間の心理を七十五に分類してますが、その分類された心理をどんなに先生にテイネイに教えていただいても全然わからんのですよ。梵語やパーリ語も心得て、西洋の哲学もわきまえて、西洋式の印度哲学に通じた大先生の一人でありましたが、チンプンカンプンで、適確なことはまるで分りません。ところが、真言宗の某派の管長の長老から同じ本を習いました。この長老は小猿のようにチョコチョコした人ですが、倶舎論にかけては天下に及ぶ者なしと実にハッキリと定評のあった倶舎論学者で、この人の講義にはおどろきました。アッと云ったまま、開いた口がふさがらぬようなオモムキがありましたよ。
実になんでもない日常の言葉で、正確にハッキリと説明しきってしまう。人間の心理の分類だもの、難解な筈はないのですよ。ただ七十五というバカバカしくこまかな分類だから、分類がムリなのです。全然その差の有りえないところへ屁理窟をつけてどうしても七十五というこまかさに分類しようという印度聖人のコンタン、日本人の先輩だけのことはある。彼らが用いていた日常の言葉をパーリ語と云いますが、深遠な哲理を俗人と同じ言葉で論議するのは不都合であるというので、学者だけの言葉をこしらえた。これを梵語と云うのです。そういう武装好みの学者だから、すべてコンタンが不穏です。わざと七十五にも心理を分類するという、有りうべからざることをやる。わが長老は小猿のようにチョコチョコと、しかし秀吉よりもゴキゲンうるわしくニコニコしながら、たよりないぐらいタダの言葉で一ツ一ツ御説明あそばすのですが、そのよく行き届いて、適切で、明快なこと。それをかの長老はニコニコと、こんな風なアンバイに仰有るのです。
「メンドウなことを言うとるもんじゃ。これはナ。ナニ、カンタンなことじゃ。くどいことを言いたておるからムツカシく見えるが、ナニ、タワイもないことを言うとるんじゃよ。分ってみればバカバカしいもんじゃナ。区別のないものに区別をつけて、こじつけておるだけじゃよ。きいてみればほんとにツマランことじゃナ」
というような前ブレをつけておいて、ニコニコ、スラスラと説きあかす。語句の一々に説明が適切で、綜合した結果に於て、なるほど前ブレの通りの実にツマラン結論がハッキリと現れてくる。かの長老は益々ゴキゲンうるわしく、
「ツマランことじゃのう。なんで、こうムリに区別をたておるのやら、泣かせんでもいいことに、人を泣かせおるもんじゃのう」
というグアイであった。かの長老のおかげで、倶舎論の真意はわからなかったが、日常の言葉でどんなことも言えるものだし、その方に血も肉もこもっているものだということを、事実に於て教えられたのである。これを開眼というのかね。坊主の徒弟なみに、開眼という非凡なことを、やってきたのですぞ。
大岡昇平と三島由紀夫は戦後に文章の新風をもたらしましたが、その表現が適切に、マギレのないようにと心がけて、まさしく今までの日本の文章に不足なものを補っております。明快ということは大切です。
ですが、小説というものは、批評でも同じことだが、文章というものが、消えてなくなるような性質や仕組みが必要ではないかね。よく行き届いていて敬服すべき文章であるが、どこまで読んでも文章がつきまとってくる感じで、小説よりも文章が濃すぎるオモムキがありますよ。物語が浮き上って、文章は底へ沈んで失われる必要があるでしょう。
御両所に共通していることは、心理描写が行き届いて明快であるが、それは御両者のつかみだしてきた事柄についてのことで、その事柄として明快に心理をつかみとって描いてみせているけれども、その事柄でない方には目をふさいでいる。一方に行き届いて明快であることが、他には全然行き届かぬという畸型を生じております。
それも要するに、文章が濃すぎるということだ。文章というものは行き届くはずはないものです。行き届くということは、不要なものを捨てることですよ。すると他に行き届かないという畸型は現れません。
そして、捨てる、ということは、どういうことかと云うと、文章は局部的なものでないということです。むろん、文章は局部的にしか書けないし、その限りに於て文章は局部的に明快で、また行き届く必要がありますけれども、文章の運動というものはいつも山のテッペンをめざし、小説の全体的なものが本質として目ざされておらなければならない。言葉の職人にとって、一ツ一ツの言葉というものは、風の中の羽のように軽くなければなりませんな。
どうしても、この言葉でなければならん、というのは、そんな極意や秘伝があるのか、と素人が思うだけのことですよ。職人にとっては仕事というものは、この上もない遊びですよ。彼の手中にある言葉は、必然の心理を刺しぬくショウキ様の刀のようなものではなくて、思いのままに飛んだり、消えたり、現れたりする風の中の羽や、野のカゲロウや虹のようなものさ。
言葉にとらわれずに、もっと、もっと、物語にとらわれなさいよ。職人に必要なのは、思いつき、ということです。それは漫画の場合と同じことですよ。ここを、ああして、こうして、という問題のワクがまだ小さいウラミがあります。
要するに、文章が濃すぎると思うのですよ。もっとも、私の言うのは文章だけに目をおいて、言ってるのですがね。
文章の新風としては、今度の芥川賞の候補にのぼった安岡章太郎という人のが甚だ新鮮なものでありました。私は芥川賞に推して、通りませんでしたが、この人は御両所につづく戦後の新風ですね。この人の文章は、山際さんや左文さんのような戦後風景に即しておって、文章としてはたくまずして(実はたくんでいるのでしょうが)おもしろい。作中の人間と、文章がピッタリして、本当に生き物のような文章なのです。そして風の中の羽のように軽い。
けれども、この妖しい生き物のような文章は、文章の限りにおいて面白いが、恐らく文章が全然内容を限定してしまう性質のものです。まア、人間は銘々が自分だけの物をつくればタクサンなのだから、自分は自分の領分だけでタクサンだ、と云えば、それもそうですが、いくら妖しい生き物のような文章でも、内容があんまり限定されるということは、結局作品を骨董的なものに仕立ててしまって、いつまでたっても、それだけのものだ。
だから、文章としては風の中の羽のように軽くて、作中人物は生き生きと浮き上り、結局文章は姿を没するような爽快なオモムキがありますけれども、大岡三島御両所のように後世おそるべしというところがない。文章が濃すぎるということは今だけの問題にすぎない意味があるが、文章が妖しく生きすぎていてノッピキならぬオモムキがあるのは、文章と人間や物語とがピッタリはまりきって、他を入れる余地がないことを意味するように思われる。
内容を限定する危険のある文章はなるべく避けなければいけますまい。どんな人間同士の複雑な関係や物語にも間に合う幅が必要ですよ。
大岡三島御両所の文章は批評家にわからぬような文章や小説ではないね。甚だしく多くの人に理解される可能性を含んでいますよ。
新聞の連載漫画や碁将棋の観戦記に職人のイノチがこもって今日的に生き生きしている目覚しさを、御両所は誰よりもお分りになる筈であろう。批評など相手にするのは愚ですよ。バカになることですよ。
初出 新潮(1951年9月) 底本 日本論(河出文庫): 67—78
女性歴史文化研究所
西山哲郎/中京大学社会学部助教授
「あの子はテストで私よりいい点をとったけど男好きなのよ」
少し前の流行語に「濡れ落ち葉族」というものがある。会社を定年した後に、それまで培った社会関係をすべて失って、妻の行くところならどこでもついてくる鬱陶しい男性を表現する言葉として、それは痛烈なインパクトをもっていた。
ヴォーゲル『女の子はいつも秘密語でしゃべってる』(草思社)88頁
世の少なからぬ男性が定年後に「濡れ落ち葉族」へ転落する要因は、その壮年期に、積み上げた業績や社会的地位をベースにした人間関係しか顧みず、仕事を離れたプライベートな世界をなおざりにしていたことにある。そういう男性に対して、家族・親族とのふれあいや近所づきあいといった、いわゆる「女子どもの世界」に積極的に参加するよう説く男性学の主張には、疑いようもなく正当な根拠があるだろう。
こうした男同士の人間関係の病理については、ここ二十年ほどの間に研究がずいぶん蓄積されてきた。その中の一人、イヴ・セジウィックによれば、近代の男性の絆は[その見かけとは違って]実際は同性だけで構成されている訳ではないという。もし男性が純粋に同性だけで絆を結んだとしたら、それはちょうど戦国時代の武将と小姓の間に見られたようなホモセクシュアルな関係になってしまうだろう。近代においては、例えば軍隊のような男らしい男同士の関係ほどホモセクシュアルはタブーとなり、むしろ異性愛が強制されることになる。そこでの絆は女性を欲望の対象として共有することで《間接的に》形成されるのであって、異性を想像の上で[例えば猥談の中で]、あるいは現実に[婚姻やスワッピングを通じて]交換することで強化されるのである。
セジウィックによれば、男性がつくるこうしたいびつな社会関係[ホモ・ソーシャルな人間関係]の中で女性はしばしば犠牲者となるものの、女性同士が結ぶ人間関係自体は上記の病理を免れているという。確かに女性同士の友情においては、ホモセクシュアルをタブー視するために互いの触れあいを避けることや、友人の助けが切実に必要な時にプライドから言い出せないことはまれであろう。実際、男性が「濡れ落ち葉族」になりがちな年齢層のことを考えれば、女性の関係性の豊かさには目を見張るほどの違いがある。まさに「男よ、男らしさの鎧を脱げ!」である。
ところで、こうしてセジウィックの男性批判が肯定されたとしても、そして互いをサポートしあえる女性同士の関係の豊かさが真実であるとしても、後者の関係に別の病理が潜んでいないとはいえない。最近出版されたレイチェル・シモンズの著書『女の子どうしって、ややこしい!』には、[特に思春期の少女間に顕著に見られる]女性固有の関係性の病理が克明に描かれている。
シモンズによれば、女性は[男性が今も縛りつけられている]地位や業績の世界から長年排除されてきたために、他人との関係を操作することによって自分の存在を維持してきた。その世界では、[男たちのように]他人より優ることではなく、他人を理解し、親密な関係を築くことが生活の第一目標となる。容姿が優れていたり、成績が良かったりすることは、より広く、親密な関係を他人と結ぶ上で役には立つが、あまりやりすぎてはいけない。過度の美点はいつ他人のねたみを招くかもしれない爆薬であって、適切なタイミングで適切な分量を使用するにはいいが、使い方を間違えると友人同士のネットワークから自らが吹き飛ばされる危険性もはらんでいる。
冒頭に引用した台詞は、「カンペキすぎる」女の子に対する同性の排除がどのように行われるかを示す典型であるが、そこでなによりも非難されるのは「男好き」であることだ。フェミニズムが普及した今もなお地位ある男性との関係が重要な女性の世界において、互いの親密さをおろそかにして男性の好意を得ようとすることぐらい罪深いものはない。たとえどんなに一途な恋でも、同性の皆に祝福されるよう根回しを済ませてからアプローチするのでなければ、そこには不道徳が存在するのであって、結局その当事者は「男好き」と呼ばれても仕方がないのである。
こういう女性同士のホモソーシャルな病理においてなによりも問題なのは、それがなかなか顕在化しないことにあるとシモンズは言う。「感じの良い子」であることが至上目的である世界では他人への攻撃はしばしば間接的で、好意に偽装されたものになる。攻撃を受ける側でも、相手の気持ちを理解しようとするあまりに相手の悪意を好意と誤認することがある。さらに他人の感情を理解するよう修練してきた女性同士の間では、攻撃は物理的なものではなく、[以前の親密な関係から知り得た]相手の感情の中核を破壊するものになる場合すらある。こうした状況を考えると、男性に限らず女性にとってもホモソーシャルな病理を理解し、そこから抜け出すことは、真にジェンダーフリーな社会を実現するのに不可欠なことではないだろうか。
2009年9月13日日曜日
スリーインワン
スリーインワン コンセプツについて
私たちが感じるスリーインワン
スリーインワンは、1980年代にゴードン・ストークス氏とダニエル・ホワイトサイド氏によってアメリカで開発された、心と身体の健康を扱うワークです。ワンブレインシステムとも呼ばれ、大脳生理学や構造神経学を利用した、自分とのコミュニケーションを取り戻すための、優しく安全な方法です。
セッションではファシリテーターがあなたの腕にやさしく触れ、問いかけます。身体は腕の反応を通して、今のあなたに必要な最善の情報を伝えてくれます。あなたの問題に対する答えは、すべてあなた自身の中にあります。
ファシリテーターは、クライアント自身が権威者であることを尊重し、過去の経験にまつわるストレスを解放して、現在でよりよい選択をし直すためのお手伝いをしていきます。
スリーインワンの3本柱+1
1.振る舞いのバロメータ
心の地図です。自分の心がどこにいて、どこに行きたがっているか?迷っている時の道しるべとなります。
2.筋反射テスト
身体とコミュニケーションをとる方法です。ストレスがあると筋肉が弱くなるという神経学的原理を使っています。腕に軽く触れていくことであなたの身体、そして心につながります。
3.構造機能
人間、ひとりひとりの力強さ、美しさを外側に表しているものです。みんな顔が違います。顔が違うということは、持っている本質的な魅力が違うのです。その違いが構造であり、使い方が機能なのです。ひとりひとりがすばらしい存在だということに気づきます。実際には、51個の構造機能をスリーインワンでは使っていきます。
4.選択の力
選択の力は私たちのパワーの源です。ここがすべてのはじまりです。人生の主役になるか脇役になるかの分かれ目です。どちらの道も選ぶことができる力を持っています。生まれた時は、誰もが主役でした。自分が主役になる力をとりもどすことはいつでも可能です。私たちの選択肢は無限です。
実際にどうやってセッションするの?
セッションを受ける人をクライアント。セッションをする人をファシリテータといいます。ファシリテータはヒーラーでもなければセラピストでもありません。「問題を簡単にする人」というスタンスです。
クライアントを尊重し、同格であるのがファシリテータです。クライアント本人の内面から湧き出てくる叡智を尊重します。
治療はしません。感情ストレスをとることをします。感情ストレスをとることによっていろいろな変化が起こります。1.テーマを決める。
今の自分にとって最優先のテーマを筋反射を使いながら特定していきます。テーマは、対人関係、苦手意識、受け入れがたい現実、身体の不調、ストレスといった問題から、自分の可能性を探っていくことまで、幅広く扱えます。
自分が問題だと思っていても実はたいしたことがないということがあります。また、ほんの軽い気持ちで言ったテーマが、実は重大なことだったりすることもあり、このあたりはなかなか興味深いところです。2.成功の基準を設定する
このテーマが解決したら自分はどのようになっているだろうか?どのような変化が起こったらセッションが有意義なものであるのか成功の基準を決めます。「目標設定」をするのです。
3.セッションをして良いかクライアントに許可をとる。
本人がやる気まんまんでも、身体がNoということもあります。もし、身体がNoといったらセッションは行いません。
他のテーマ設定をするか後日にセッションということにもなります。そして、「優しく」セッションができるか許可をもらいます。身体に了解をもらえば、穏やかなセッションとなります。このプロセスがスリーインワンが安全なワークだと言われる所以です。
さらに、このセッションから「利益を得る意欲」が十分にあるかどうかを確かめます。
#優しくできなかったり、意欲が足りなければ修正をします。4.ストレスの度合いをチェックする。
どれくらいテーマに対して重荷に感じているか、また、問題がなくなったらどれくらいやる気があるのか確認します。
このことは車のブレーキとアクセルに例えることができます。やる気はアクセルで、ブレーキはストレスです。ブレーキをかけずにアクセルを踏むとスムーズに車は走ります。ブレーキを踏んでなくてもアクセルを踏まないと進みません。ブレーキを踏んでいて、アクセルも踏んでいるととんでもないことになりますね。5.振る舞いのバロメータをとる。
問題がオンラインした(起きた)時に心の底ではどう感じているか?振る舞いのバロメータでその感情を照らし出します。
6.年齢遡行する。
問題の根っこの部分を探していきます。過去のストレスによって、今現在がしばられているのです。スリーインワンのセッションは今現在ではなくその人の過去に遡って、原因となったできごとを探していきます。
その時からつぶやいている独り言、パターンになってしまっている振る舞い、決めてしまったこと(あきらめてしまったこと)を探すこともあります。
全く忘れてた意外な過去を思すこともあります。「こんなことが原因だったなんて・・・」。そんなふうに感じることもあります。7.解放する。
東洋、西洋の100種類ほどの修正法を使って解放をします。
バッチフラワーやその他のエッセンス、シンボル、色、エニアグラム、チャクラ、経絡、様々なボディワークを使います。
#筋反射を使って、そのテーマを解放するベストの修正法を選びます。8.ストレスがなくなったことを確かめ、現在に戻ってくる。
過去においてテーマに対するストレスがなくなり、それに対処していく意欲があること確かめます。そして、自分を勇気づける言葉やエネルギーが湧いてくるイメージと共に現在に戻ってきます。
9.新しい自分を宣言する!
新しい自分にふさわしい振る舞いや自分へのメッセージを決めます。
さぁ 新しい自分への第一歩を踏み出しましょう!
これがセッションの基本的な流れです。シンプルでしょ。
★個人セッション
仕事のストレス、対人関係、身体の症状など「心と体」に関するあらゆるテーマを扱います。
あなたを長年混乱させてきた原因を発見しましょう。とても穏やかでシンプルな優しいアプローチでストレスの解放を行っていきます。
テーマ一例) 夫婦関係の改善、親子関係改善、職場の人間関係のストレス、身体の健康、学習能力の向上、運動機能アップ、能力開発、自己実現、不妊のストレス、出産への不安、育児の不安、目標設定、ライフワーク、経営相談
★トレーニング・コース
スリーインワンのテクニックを学ぶコースです。トレーニングコースではテクニックの修得だけではなく、コース中のセッションを通じて自分の問題やストレスを解放していきます。コースが修了する時には驚くほどクリアな自分がいることに気づくでしょう。
- セラピストになりたい方
- 様々なセラピー、ヒーリングを学んでいてそれを統合したい方
- 自分自身をもっと知りたい方
- 創造性・感受性を高めたい方
- 関係性を改善したい方
- 自分の才能を開花させたい方
- 夢を実現したい方
にお勧めします。
Power Line - Dueling Narratives in DC
As you're undoubtedly aware, major demonstrations are going on today in Washington and around the country. The DC protest is the biggest, with some observers estimating that over a million people--a figure that seems unrealistically high--have gathered to demonstrate against the Obama administration's liberal policies. We'll have more to say about this, but for the moment, here is a CNN news report that I found wonderfully symbolic. CNN had a reporter live at the rally to do an interview about Joe Wilson. Why that made sense I'm not sure, apart from the liberal media's determination to deflect attention toward Wilson and away from Americans' widespread dissatisfaction with the Obama administration. What followed is pretty entertaining:
We are living in a weird era, in which news organizations studiously avert their eyes from the news.
PAUL adds: I'm struggling to write a legal brief and thus not at the event. The MSM is estimating the crowd as "thousands" (MSNBC) or "tens of thousands" (the Post). Fox says tens of thousands too However, a friend who is there tells me it's a "six figure" size crowd.
It's hard to estimate the size of large crowds even in the absence of bias, and nearly every march on Washington that I can recall has produced wide variations in size estimates.
MORE (from Paul): Mark Hemmingway filed this report from the march. He agrees with my friend that the crowd was "well into six figures" and finds reports that estimated the crowd at 350,000 to be plausible.
江戸時代、えた・ひにんの人ははどうやって選ばれたのか? - BIGLOBEなんでも相談室
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。 まず、身分制度についてですが、士・農・工・商ですが、次にくるのは「非人」「穢多(えた)」の順です。 で、ここで、あなたの質問に答えるとしたら、地方の成立は雑多な部分もありますので、話が長くなります。そこで、江戸および江戸時代についてのみお話をいたします。 確かに、士農工商の序列ではありましたが、実際としては、士・工・商・農、という序列が正しいと思います。 年貢(税金、または、武士の給与)確保のため、武士の次に農民が位置しましたが、士農工商で一番苦労したのは、農民でした。 まず、「非人」について: 元々は「人非人」あるいは「僧侶」の意味でした。つまり、人間界を捨てた「世捨て人」のことを指しました。やがて、賎民(せんみん=貧しい人)を指すようになり、中性では「穢多」と混称されるようになってきました。しかし、江戸時代に入ると両者は「厳密」に区別され、「非人」は良民(平民)のなり下がりとして位置づけられ、良民への復帰の道が開かれていました。
「穢多」と違っているところは、「皮細工等の生産に従わず」卑属な遊芸や物貰いの独占権を持ち、「穢多」よりも上位に位置していました。 「非人」にも2種類あり、「抱非人(かかえひにん)」と「野非人(のひにん)」とに分かれていました。 「野非人」は今日で言われる「路上生活者」。つまり、ホームレスで、主に、農村部で飢饉や病気などにより年貢が納められなくなった者が「人別帳」を離れて江戸へ流入した者たちでした。つまり、「無宿者」と同じ考え方です。江戸でも厳しく取り締まりをし、一定の区域に住まわせたりしましたが、効果はなく、後の、「無宿狩り」などへと発展していきました。 一方、「抱非人」は、例えば、
(1)姉妹伯母姪と密通した者。
(2)男女の心中(相対死)で女が生き残った場合。もしくは、両人とも生き残った場合。
(3)主人と下女の心中で主人が生き残った場合の主人。
(4)15歳未満で無宿の子どもが盗みをした時。
などとなっていますが、
非人小屋頭が江戸の各地にあり、そこの頭の支配を受けていました。この非人組頭の頂点に「弾左衛門」という人物がおり、その支配下に「頭」と呼ばれる者が4〜5人いました。最も有名なのは、荒川土手(地名は分かってはいますが、人権に関わることなので、ここでは、あえて、荒川土手とします)に木組みと筵(むとろ)で住まいを造り、痩せた土地を開墾し、非人同士が結婚して子どもが生まれても、その子どもも非人でしかなかったのです。 まあまあ、幅を利かしていたのが「車善七」率いる人たちでした。 非人の生計としては痩せた土地から得るものは少ないので、主に「物乞い」でした。江戸時代、非人以外が「物乞い」をすると、逆に、罪になりました。また、街角の清掃、門付(かどづけ)などの清めに関わる芸能を披露。そして、街角の清掃に付随して紙くずを拾って、それを発展させて「再生紙」造りにも寄与しました。(現代のリサイクルの先駆け?)。さらに、町役の下役として警備や刑死者の埋葬、また、斬首の刑(首切りの刑)などでは、罪人を押さえつけたり、その後の死体処理をしたり、入牢した者が病気に罹った時の看病。少年犯罪者の世話などに従事しました。 そして、「非人」は、上記(1)〜(4)などの罪で非人になっても、家族や親類縁者が、多少の「銭」を支払うことで、平民に戻れたのです。 そこへいくと、「穢多」は、「非人」よりも、さらに下位に置かれ、町民の住居からは、かけ離れた場所に、一箇所に集めて住まわされました。その条件?としては、「非人」の中でも、さらに「素行」が悪く、「非人の秩序」を乱す者などが対象でした。しかし、支配をしていたのは、やはり、「非人組頭」の弾左衛門でした。 彼らは、例えば、死んだ牛馬を百姓から貰い受け、その肉を食い、皮は皮製品などにしました。この斃牛馬(へいぎゅうば=死んだ牛馬)の取得権は「穢多」の何よりの独占権でした。
その他にも、藁(わら)細工、燈心細工、破魔弓矢(はまゆみや)細工等簡単な手工業的生産に携わりました。 この「穢多」の歴史は、戦国時代に戦国大名から鎧(よろい)や鞍(くら)などの武器としての皮製品調達のために、当時は長史(ちょうし=村のまとめ役)に皮製品の上納を命じたことに始まる、と、されています。その見返りとしては、年貢を安くしてもらったり、とかの恩恵も与えられました。 しかし、江戸時代に入ると、「穢多」は、、「士農工商・非人・穢多」と「非人」より下位に位置づけられ戦国時代と同じような職業に従事し、一生涯「平人(ひらびと、または、ひらんど)=庶民」に戻ることはできませんでした。 こうした「非人」や「穢多」は、収入があってないようなものでしたので、租税を課せられることもなかったので、やがて、その租税免除により、幾らかでも貯えをし、土手などから、平地に土地を持つ者も出始め、大きな意味で「部落」ができました。 そして、明治4(1871)年に制定され、明治5年に編成された、いわゆる、壬申戸籍(じんしんこせき)には、「皇族」「華族」「士族」「卒」「地士」「僧」「旧神官」「尼」「平民」「新平民」「非人」「穢多」などという「階級」が書かれており、当時は、まだまだ、身分制度が色濃く残っており、しかも、誰でもがこの戸籍を閲覧することができました。 しかし、昭和43(1968)年に、差別部落の人を探し出す事件が発覚し、大企業での採用取り消し、部落民との結婚禁止などという事件が発生し、同年、「閲覧」および「公開」を禁止し「永久封印」とされました。 とは言うものの、現在に至っても、「部落名」を聞いたり、そこに代々住んでいたということで、「偏見の目」が向けられ、現在、「部落開放運動」や「同和問題」が今なおクローズアップされているのが現状です。
江戸時代、えた・ひにんの人ははどうやって選ばれたのか? - BIGLOBEなんでも相談室
学校教育で受ける士農工商ってウソです。江戸時代にそのような制度はございません。
江戸時代に存在したのは
武家…お城勤めをするもの
上士(家老その他で一般的には100石以上)
中士(100未満30石以上)
下士(30石未満)
郷士(帰農した侍で、有事に兵隊として従軍する)*
浪人(仕事のない元武家)**
僧家…神社・仏閣で働く人***
農家…名主(村の代表みたいなものでたいがい地主で巨大商社)****
本百姓(独自の土地を持つ百姓で郷士もここ)*
水呑百姓(地主から土地を借りて農業している)*****
町家…職人(物作り専門)
商人(物販や物流を行う)****
町人(いまで言うサラリーマン又はフリーター)******
以外…えた(人や動物の死体処理や土木事業などに携わる人)
非人(犯罪者) *は相互に関係がある
*****と******は武家や名主の下で下働きしてる者もおり、有事の際徴兵される 幕末には農家で軍事組織を編成した農兵が作られた。春日隊、彰義隊、新選組など
幕府陸軍は主に町人から集められた(傭兵)
台場事業その他大型公共事業は主にえたが請け負った このように江戸時代は相互関与しあっているため、士農工商という身分分けはできません。有名人には農家出身の武家も多いです。
2009年9月12日土曜日
Same time, same place — ある作家は、次のような体験を語っています。 ...
ある作家は、次のような体験を語っています。
子供の頃、私はひどく短気で、そのためにしばしば怒りが昂じて、残酷なことを言ったり、良くないとわかっている事をしたりしました。ある日、私が遊ぴ友達に対して怒りを爆発させてしまい、泣いているその友達を家に送って帰ってくると、父は言いました。
「おまえが怒って、思いやりのないことを言うたびに、門の柱に釘を打ち込むことにしよう。だが、おまえが、忍耐強くいて、親切で優しい言葉を言う度に、一本釘を抜いてやろう」と。
数カ月がたちました。その入り口を通るたびに、釘の数がどんどん増えているのが見え、どうしてもその理由を思い出さずにはいられません! そこで私はついに、その釘が抜かれるようにするのはチャレンジになるから、最善を尽くしてやってみようと決めたのでした。
とうとう、待ちに持った日がやってきました。
最後の一本の釘を父が抜いてくれた時、私はそこらへんを飛び回りながら、誇らしげに言いました。
「お父さん、やった、釘が全部なくなった!」父が穴だらけになった柱をじっと見つめている様子が今も目に浮かびます。父は、思慮深くこう言ったのです。
「ああ、確かに釘は全部なくなった。だが、痕は残っている」
日本人がいくら技を決めても一向に審判はポイントを取らない。 - カナ速mini
91 2008/02/24(日) 01:08:22.48 ID:KrCrsjCx0
今までで強烈に感動したCMドラマ。
アメリカで見たし、何のCMかも忘れたし、一度きりだし、台詞もうろ覚え。でも覚えてる。舞台はアメリカの老人ホーム。寂しい老人達が、届いた花束を持った看護婦さんに、
期待して集まってくる。カードが読まれて、花束が誰宛か判明して、その人だけが喜ぶ。
後はがっかりして部屋に戻る。ある時、大きな花束が届いて、また老人達が集まってくる。今度は誰宛だろう? と
看護婦さんが、早くカードを読むようにせかされる。彼女がそれを読む。カードには、
「大切なあなたにこの花束を贈ります」とか書いてある。期待する老人達の輝く顔。
そして最後の宛名を見て……、看護婦さんは涙目に。
それは、ここの老人達全員からの、看護婦さんへの花束だった……。老人達大喝采!自分の中で、これを抜くドラマCM未だなし。
2009年9月8日火曜日
加藤諦三ホームページ / 人を育てる
子供を甘やかしすぎてスポイルするということはない 子供が「シャベルを欲しい」という。子供が本当にシャベルを欲しい場合と、母親の関心を引くためにわがままを言っている場合と二つある。本当にシャベルを欲しい場合には与えることが望ましいのは勿論である。
そしてこの子は母親の関心を得られないまま、自分で自分に関心を持つナルシシストになっていく。また「わがままな大人」に成長していくだろう。それを見て母親はこんなに与えたのにと思っている。
問題は本当にシャベルを欲しくないのに、母親の関心を引くためのわがままを言っている時である。このシャベルを欲しいと言うわがままは自分に関心を持ってくれという要求である。
親が無関心な上にシャベルが欲しいという要求がいつも拒否されると、どうなるか。親を恨んで問題児となるか、自分で自分にしか関心のないナルシシストになっていく。
ではシャベルを欲しいと言うわがままが通る場合にはどうなるか。次はバケツを欲しがる。そこで親が放任で次から次へと与える。この場合その子はますますわがままになるだけである。子供が欲しいのはシャベルやバケツではなく、母親の関心だからである。
そして周囲の人はどう言うか。「あの人は子供の頃から甘やかされ過ぎたから、あの様にわがままな大人になっちゃった」。
しかしそうではない。この人は自分に眼を向けて欲しいと言う甘えの欲求が満たされないから、その様に社会性のない大人になったのである。よく「親が子供を甘やかしすぎて子供をスポイルした」と言う。これは間違いである。スポイルされた大人になった場合、親は子供を甘やかしてはいない。逆に甘えることを許さなかったのである。
子供は甘えたかった。つまり親の積極的な関心が欲しかった。しかし親の注意を得たいときに親の注意を得られなかった。そこで大人になっても甘えの欲求が満たされていなくて暴れまわっているのである。
あれをしろ、これをしろという要求は、私に言わせれば、いわゆる「不安なしがみつき」である。「不安なしがみつき」とは子供養育研究の権威ボールビーの言葉である。
一般に「甘やかされてスポイルされた大人」と言われている人達は、不安だからわがままを言って、身近な人達にしがみついているだけである。分かりやすく言えば、絡んでいるのである。わがままを言って周囲の人の関心を確認したいのである。
子供を甘やかしすぎてスポイルするということはない。甘えの欲求は甘えられれば解消する。子供をスポイルするのは親の無関心である。
蕩尽伝説
* 恋とファルス『感情教育』の主人公フレデリックにとって、女はまさに社会の象徴だった。初恋の人アルヌー夫人との関係が巧く行かなかったがゆえに、その後かれは社会への適応に失敗する。それが不可避であったことが巧みに描かれている。これが不滅の青春小説であるゆえんは、青春の感動と感銘を描いたからではない。まして熟女趣味のせいなんかじゃない。真逆だ。「青春」なるものがファルス(笑劇)でしかない、一幕の喜劇でしかない、青年の野心や野望なるものは滑稽な錯覚でしかない、雄々しい男根(ファルス)は幻想のなかでしか屹立しない、このことを徹底的に暴き立てて見せたからである。実際のところ、フレデリックが姦通できないのは、アルヌー夫人相手に近親相姦の恐怖に襲われるからである。フロベールはこのことをちゃんと書き込んである。かれは母なるものへの思慕を熟女に投影していた。この恋愛は倒錯している。でも、ことによると、あらゆる恋愛は倒錯しているのかもしれぬ。自分自身が年増女ルイーズ・コレとの恋愛に破れたフロベールは、恋愛の仕組みについて熟考した。その成果が『感情教育』によく出ている。恋愛は自然なものではない。文化的に仕組まれた人工的なものである。とりわけ19世紀フランスの場合、それは一種の通過儀礼として制度的なかたちで成立していた。その欺瞞を徹底して暴きつつ、最後に結ばれずに終わったアルヌー夫人と語り合うフレデリックの姿に、フロベールは愚かなる善人のイメージをあたえる。愚かなるものだけが持つ始原の善性を感じさせる。それが物語全体を救っている。そうすることで作者は自分自身の青春をも救おうとしたのである。* ふたりのナポレオンに挟まれフレデリックは結婚もできず、失意のまま中年を迎える。社会的適応に失敗する。必ずしも彼が軽佻浮薄だったせいではない。フロベールの生きた時代はフランス社会の激動期だ。世の中全体の動きが早すぎ、おっとりした田舎者には付いて行けなかった。というか、誰にもそんなことはできなかった。すべての人が流された。2月革命以来の共和制が自らの愚行により自滅自壊し、ルイ=ナポレオンによる帝政が復古した。あらゆる希望が潰えた。もはや王も民衆も頼りにならぬ。宗教など問題外。すべての理想は嗤うべきものと化した。政治に振り回され、青春のひとときを恋と野心に虚しく浪費し、あとに苦い失望だけが残った。19世紀フランスの青春を考えるうえで見逃せない重要なポイントをもう1つここで挙げておこう。それは初代ナポレオンの存在だ。天才という物語だ。フランスの青春が倒錯せざるを得ないのは、ほんの少し前にナポレオンという人間離れした皇帝が実在してしまったことにもよる。コルシカの貧乏息子がパリに出てきた。フレデリックのようなボンクラと異なり、頭脳明晰、野心奔放、軍略縦横で、ヨーロッパのほぼ全域を自らの支配下に置いた。これ以上は考えられない立身出世物語だ。まさに青春の巨匠と言えよう。日本なら幕末の志士たちみたいなもの。坂本龍馬に憧れるようなものだ。ま、龍馬なら日本レベルだし、しょせん浪人だから何とかなりそうな気もするが、ナポレオンは汎ヨーロッパ的な神聖皇帝だからなあ。無理。こんな青春超人が実在してしまったために、フランスの青年は誰もがコンプレックスを抱え込むことになる。いくらがんばっても、さすがにナポレオンには勝てない。時代も全然ちがう。政治や軍事じゃとても無理。だから文筆で世界制覇をめざすスタンダールのような屈折した才能が出てくる。誰もがナポレオンを潜在的なライバルとせざるを得なかった。かつて青春とは勝利と支配の別名だった。女なんか入れ食い状態。ナポレオンは世界を支配し、ゲーテは文芸を、ヘーゲルは哲学を支配した。万人を支配下に置くこと、オレ最高! オレ神! 自己愛バンザイ!で、そんな世界征服なんて、凡人には夢見るだけ無駄だし無謀(笑)てか、天才ってのは必ずしも個人の才能の問題なんかじゃない。時代との巡り合わせのようなものが大きい。ロマン主義が衰え、時代が下るにつれ、だんだん誰もが身の程を弁えるようになった。19世紀末には幻滅が世を支配する。夢もロマンもない。「青春なんてもう古いぜ」というわけ。第2次大戦後、極東の日本でフロベールがよく読まれたのは、社会にたいする幻滅という点に共感する若者が多かったからに相違ない。そうでもなければ、とても読み通せる代物じゃない。ろくすっぽフランス料理も食べたことがないのに、微に入り細に渡るフレデリックの贅沢三昧な生活描写など味読できるわけがない。ブルジョワ生活を体験したことがない者に、ブルジョワ小説など味わえるわけがない。むしろ今の時代こそ、この作品の真価が理解できるのではないか。格差社会の到来で、階級社会とは何たるかが日本人にも実感されるようになった。ついにフロベールは自分自身と自らの世代の生きた記録を残そうと志し、個人と歴史を重ね合わせる独特の語りの方法を工夫・開発し、後に「写実主義」(リアリズム)と呼ばれるジャンルの傑作をものした。それが『感情教育』である。もっとも彼が捉えようとしたのは普通の意味での見たままの現実のリアリティなんかじゃない。たんに個人の内面でも、あるいは客観的事実としての社会でもなく、両者が融合し合い、影響を与え合う現実の複雑な多元性である。その手法は『朗読者』に見られるように今なお生きている。そのかぎりで不滅の青春小説だ。それは青春という空理空想、そのアナクロニズムを否定し否認するために書かれた長大な青春小説である。自らを否定するために書かれた書物だ。青春を否定するためにも青春小説という体裁を取らぬわけに行かなかった。いわば青春小説の「脱構築」(デリダ)である。どうやらここには小説というジャンルの宿命がありそう。観念的なものを徹底的に否定し否認した結果、それが世間で「リアリズム」と呼ばれるようになった。生の現実が目の前に転がっていて、それを写生するから写実主義なのでは必ずしもなく、むしろ現実と思われるものがつねに何らかの観念形態でしかないことを暴き出すのがリアリズムだ。対象に向かい、いつも批判的な視座を取る。それが行き過ぎると自分自身を食い尽くし、骸骨のような文学になる。骨だけのほうが美しいという倒錯が生じる。そのようにして近代文学は自らの遺産を食い潰して行く。行き過ぎたリアリズムは自らのリアリティを失う。(つづく)