2009年9月15日火曜日

坂口安吾「戦後文章論」

  • 坂口安吾

言葉は生きているものだ。しかし、生きている文章はめったにありません。ふだん話をするときの言葉で文章を書いても、それだけで文章が生きてくるワケには参らないが、話す言葉の方に生きた血が通い易いのは当然でしょう。会話にも話術というものがあるのだから、文章にも話術が必要なのは当り前。話をするように書いただけですむ筈はありません。「ギョッ」という流行語のモトはフクチャン漫画だろう。横山隆一の発明品である。彼は漫画の中へギョッだの、モジモジだの、ソワソワだのという言葉を絵と同格にとりいれるという珍法を編みだした。

モジモジ、ギョッ、ソワソワを絵だけで表現するのはそうメンドウではないだろうが、言葉を加えた方が絵だけで表現するよりも、はるかに珍な効果をあげる。二科会員隆一先生はそれを見破りあそばされた。凡庸な眼力ではなかろう。

しかし、漫画というものは、絵よりも文学にちかいものですよ。それも少しの差ではなくて、絵が三分、文字が七分、否、一分と九分ぐらいに全然文学の方に近いだろうと私は思っています。

紙芝居は一目リョウゼン、絵は従で、物語の方が主ですが、それにくらべると、漫画の方は絵が多くて言葉の使用は甚だ少い。けれども、その多少によって絵か文学かが定まるわけではなくて、漫画の発想も構成もほぼ文学そのものだという意味です。絵で読むコントであり、落語であります。

ですから漫画家は文章がうまいな。近藤日出造や清水崑の人物会見記は、漫画も巧いが、文章の巧さもそれ以下ではない。

本職の絵カキはデッサンということを云う。文章にはそれにちょうど当てはまるものがないようだが、もしも文章に基本的な骨法があるとすれば、物の本質を正確につかんで、ムダなく表現することだろう。彼らの会見記はその骨法にかなうこと甚大で、それも最短距離で敵の本質をほぼ狂いなく掴んでいるし、さらに文章の綾を加えて仕上げるのが巧妙だ。綾にもムダが少い。漫画というものが、本来ムダがないせいかね。

横山兄弟も、うまい。弟の方は文士の探訪記に同行して挿絵をかいてるが、彼自身が絵も文章も書いた探訪記は文士以下ではないのである。兄貴の方は今日出海の「山中放浪」をそっくり借用して、人物を実名に書きかえて、自分の比島従軍記をこしらえあげてしまったが、まったくこの先生は珍法を編みだす名人である。しかし巧みなものです。歴史漫画の荻原賢次の文章は見たことがないが、これも名手に相違ない。彼が新大阪に連載中のゼロさんと横山泰三のプーサン(夕刊毎日)は社会時評としても卓抜で、その諷刺とユーモアは低俗なものではない。甚しく文学的なものですよ。

サザエさんも絵はあまりお上手ではないが、文章は相当うまいし、特に思いつきが卓抜だ。その他数名の新進流行児が揃って思いつきが相当に新鮮で、ブロンディの思いつきはすぐ限界がきてしまうが、彼らはなかなか限界を感じさせません。思いつきに富むということは何よりのことで、誰でも、というわけにはいかない。敬服すべきことです。

思いつきの点ではサザエさんが特にすぐれて、苦心の程がくみとれるが、絵にムダがあるように、彼女の文章(単行本の序文ぐらいしか読んでいないが)も巧みではあるがムダがある。

そのムダは、絵のデッサンの問題ではなくて、文章の基本的な骨法の問題で、物の本質を正確にムダ少くつかむ、ということが、長老達に及ばないのである。

長老と云っては相済まんが、招かれて二科の会員に参加させられたほどのお歴々であるから、長老と申す以外に手がないな。しかしこの長老のお歴々は、頼まれれば禁酒会会長でも憲兵少将でもイヤとは仰有らずに、オデン屋の開店祝いの招待と同じように馳せ参じるにきまってるから、オデン屋のノレンと同じように二科のノレンをくぐってもおかしくはないね。憲兵大将の部屋や法廷や廊下にデカデカと漫画をかかげるのも、オデン屋の壁にデンスケや河童をかくのも、二科会場へ三百号のデンスケをかかげるのも変りはないさ。彼らの心境はどこのノレンをくぐっても全然不都合がないだろうが、二科の教祖の心境の方が、どうも変だ。ギョッ、だね。

絵カキにも名文家が多いけれども、いかにも美文名文です。型通りではあるが、物の本質を正確に鋭くつかむという文章の基本的な骨法の欠けているのが多いようです。絵と文学はちがうのでしょう。ところが一流の漫画家は例外なく文章道の達人で、それは漫画の文学性によるのでしょう。それに、アップツーデートということにもよる。これも文学性の一ツと云ってよいかも知れません。理解されないアップツーデートというものはない。しかし理解されない大家や教祖の絵は多い。それはその美が深慮であるというよりも、その美には現代に生きるイノチの欠けるものがあるせいではないでしょうか。現代に生きないイノチは過去にも未来にも生きる筈はありませんよ。芸術の誕生は早すぎることも遅すぎることもない。いつも現代に生れるのです。

終戦後の文章で際立って巧妙になったのは、まず各新聞の碁将棋欄です。みんな揃って達人になった。実に短いけれども、卓抜な読み物です。特に三象子がうまい。対局の技術上のことも、心理上のことも、急所だけピタリと押えて一般向きの興味津々たる読み物に仕上げています。

これを新聞の他の連載的読み物と比べてみるとその卓抜なのが分る。たとえばどの新聞にも匿名批評がある。文学のもあるし、政治のもあるが、その一般向きの点でも、文章の巧みさの点でも、本職の文士の匿名批評がとても及ばない。しかも、そのヒラキが大きいね。その他、身の上相談の文章も、スポーツの批評も、とても問題にならない。碁将棋欄の文章だけが各紙そろって達人ぞろいとなり、一般向きの、そして特に興味ある読物になったのはどういうワケだろう。これに匹敵する新聞紙上の花形は、漫画ぐらいのものです。人物会見記も、妙に相手をいたわるような気風が現れてきて、だんだんつまらない物になってしまった。

三象子の文章が特に生きていて、いちじるしく活写の筆力が鋭いのは、彼は木村にも升田にも同情しない。別に悪意は毛頭ない。ただ真実を書ききっているから生きているのですよ。しかし文章もうまいなァ。私の住む土地の静岡新聞というのに、この土地の人なのか、高柳八段が田舎の素人将棋などの観戦批評を書いているが、これも捨てがたいものです。淡々としながら、たくまぬような、しかし巧みなユーモアもあって、急所はピッタリ押えているし、田舎の新聞にはモッタイない逸材です。

人物会見記の筆者は、筆力も観察力も相当の達人ぞろいのようだが、相手に気がねをする気風が起っては、せっかくの才能も死んでしまうのは仕方がない。しかし別に心を鬼にするというような大そうなものではありますまい。日出造や崑の漫画入りの短文が生きているのは、彼らが職人になりきっているからでしょう。職人になりきっておれば、現実的なナマの感情でくもることはないものですよ。それに漫画家は自分だけの角度というものを持っている。それも要するに職人になりきっているということでしょう。ちかごろ正宗白鳥先生が読売の東西南北で署名批評をやりはじめたが、さすがにおもしろい。職人になりきった人の味であろう。職人になりきった人は、年齢と関係なく現代に生きているものである。白鳥先生が明治の話をもちだして、いかに老齢を嗟嘆しても、読者が感じるのは白鳥青年です。しかし、漫画や碁将棋がめざましく生き生きした作品であるのに比べて、本職の文士の文章のダラシのないのはヒドすぎますね。つまり、匿名批評の文士には職人の根性が欠けているのですよ。商品でなければならん。読み物でなければならん、という大事な根性がなければ、すでに職人ではないし、したがって本職ではない。つまり素人なんです。いかに文士であるとあなた自身が強弁しても、あなたは素人だ。本職というものは、もっと仕事に忠実で、打ちこむものだし、手をぬくことを何よりもイサギヨシとせぬもので、あなた方のような雑な仕事をしながら、本職の文章をアレコレ云うのはまちがっていますよ。

先日も小原壮助先生に、安否の文章は講談の弟子だというオホメのお言葉にあずかった。しかし、それは壮助先生の洞察の心眼の鋭いせいではない。当り前の話ですよ。講談というものを知ってる人がよめば、一目で分る筈のものです。私自身が講談落語の話術を大そうとりいれました。ということを何度も書いているのですよ。彼らの話術は大したものです。見習うべきことがタクサンあるのですよ。

しかし、表面的にマネをしてもダメなものです。狂言にはもっと学ぶところが多かったのです。狂言は現代の言葉ではありませんが、表面的には言葉は死んでいても、生きているイノチがめざましい。そして今に至るまで生きているために必要な技術、そういう本質的なことを学ぶことの方が大切でありましょう。

私は文章上にだけ存在している現代の文章というものがイヤなんです。なぜなら、現実にもッとイキのよい言葉を使っているのだもの、習い覚えたペルシャ語で物を書いているような現代の文章がバカバカしくて、イヤにならない人の方がフシギなのですよ。そうではありませんか。

私がこういう文章を書きだしたのは、特に新型を編みだそうという志よりも、習い覚えたペルシャ語で物を書くのがイヤで、イヤで、たまらなくッて、万やむをえず、こうなっているのです。むろん多少の工夫も致しましたが、万やむをえずこうなった後に、おのずから工夫の志も起ったわけで、私の方の考えでは、習い覚えたペルシャ語で物を書いて、フシギだとも、イヤだとも思わない人々、特に本職の心事はワケがわからない。

私は戦争裁判の証人に戦犯事務局へよばれた友につきそって行ったことがあった。むろん英語の分らん拙者だから、通訳に行ったわけではない。一人ではいささか心細いからたのむ、というから、心得た、と、漫画の長老と同じことさ。私も頼まれれば禁酒会会長でも税務署の徴税部長でも何でもやるさ。しかし友は私以上に英語の心得がないらしく、よって、はからずも実に苦心サンタン、テンテコマイをさせられたね。某将軍は占領地の住民に対して寛大であった、寛大であろうと心がけた、その寛大というのが、どうしても先方に通じないね。ようやく通じて、先方は私の言葉を云い直してくれましたよ。ソフトと云いましたね。そのときはアメリカもアッパレだと思いました。耳もうたれたし、目もうたれましたよ。目をうたれたと云うのはシミジミ相手のお顔を見直したというような心境さ。カラリとした晴天を二千米の峠であびてるように爽快だったね。

言葉はそれでタクサンなのだ。否、単に間に合うというばかりでなく、それは目ざましく生きています。寛大という日本語と、ソフトというアメリカ語との差は、習い覚えたペルシャ語と生きている言葉との相違ですよ。我々の文章が習い覚えたペルシャ語であるために、生きてる筈の言葉にも習い覚えたペルシャ語の死神の相がのりうつッているのですね。死神にとりつかれて蒼ざめた言葉を生気乏しく使っているのですよ。

当り前の言葉で大概のことが言い表わせる筈ですよ。日常生活の言葉で文学論がやれないと思いますか。それだけの言葉では間に合わない深遠な何かがあるのですか。

私は坊主の学校で坊主の徒弟の稽古をやって、あんまり役に立つことがあったとは思わないが、一ツ驚いたことがありました。仏教哲学に倶舎論{クシヤロン}というものがあって、人間の心理を七十五に分類してますが、その分類された心理をどんなに先生にテイネイに教えていただいても全然わからんのですよ。梵語やパーリ語も心得て、西洋の哲学もわきまえて、西洋式の印度哲学に通じた大先生の一人でありましたが、チンプンカンプンで、適確なことはまるで分りません。ところが、真言宗の某派の管長の長老から同じ本を習いました。この長老は小猿のようにチョコチョコした人ですが、倶舎論にかけては天下に及ぶ者なしと実にハッキリと定評のあった倶舎論学者で、この人の講義にはおどろきました。アッと云ったまま、開いた口がふさがらぬようなオモムキがありましたよ。

実になんでもない日常の言葉で、正確にハッキリと説明しきってしまう。人間の心理の分類だもの、難解な筈はないのですよ。ただ七十五というバカバカしくこまかな分類だから、分類がムリなのです。全然その差の有りえないところへ屁理窟をつけてどうしても七十五というこまかさに分類しようという印度聖人のコンタン、日本人の先輩だけのことはある。彼らが用いていた日常の言葉をパーリ語と云いますが、深遠な哲理を俗人と同じ言葉で論議するのは不都合であるというので、学者だけの言葉をこしらえた。これを梵語と云うのです。そういう武装好みの学者だから、すべてコンタンが不穏です。わざと七十五にも心理を分類するという、有りうべからざることをやる。わが長老は小猿のようにチョコチョコと、しかし秀吉よりもゴキゲンうるわしくニコニコしながら、たよりないぐらいタダの言葉で一ツ一ツ御説明あそばすのですが、そのよく行き届いて、適切で、明快なこと。それをかの長老はニコニコと、こんな風なアンバイに仰有るのです。

「メンドウなことを言うとるもんじゃ。これはナ。ナニ、カンタンなことじゃ。くどいことを言いたておるからムツカシく見えるが、ナニ、タワイもないことを言うとるんじゃよ。分ってみればバカバカしいもんじゃナ。区別のないものに区別をつけて、こじつけておるだけじゃよ。きいてみればほんとにツマランことじゃナ」

というような前ブレをつけておいて、ニコニコ、スラスラと説きあかす。語句の一々に説明が適切で、綜合した結果に於て、なるほど前ブレの通りの実にツマラン結論がハッキリと現れてくる。かの長老は益々ゴキゲンうるわしく、

「ツマランことじゃのう。なんで、こうムリに区別をたておるのやら、泣かせんでもいいことに、人を泣かせおるもんじゃのう」

というグアイであった。かの長老のおかげで、倶舎論の真意はわからなかったが、日常の言葉でどんなことも言えるものだし、その方に血も肉もこもっているものだということを、事実に於て教えられたのである。これを開眼というのかね。坊主の徒弟なみに、開眼という非凡なことを、やってきたのですぞ。

大岡昇平と三島由紀夫は戦後に文章の新風をもたらしましたが、その表現が適切に、マギレのないようにと心がけて、まさしく今までの日本の文章に不足なものを補っております。明快ということは大切です。

ですが、小説というものは、批評でも同じことだが、文章というものが、消えてなくなるような性質や仕組みが必要ではないかね。よく行き届いていて敬服すべき文章であるが、どこまで読んでも文章がつきまとってくる感じで、小説よりも文章が濃すぎるオモムキがありますよ。物語が浮き上って、文章は底へ沈んで失われる必要があるでしょう。

御両所に共通していることは、心理描写が行き届いて明快であるが、それは御両者のつかみだしてきた事柄についてのことで、その事柄として明快に心理をつかみとって描いてみせているけれども、その事柄でない方には目をふさいでいる。一方に行き届いて明快であることが、他には全然行き届かぬという畸型を生じております。

それも要するに、文章が濃すぎるということだ。文章というものは行き届くはずはないものです。行き届くということは、不要なものを捨てることですよ。すると他に行き届かないという畸型は現れません。

そして、捨てる、ということは、どういうことかと云うと、文章は局部的なものでないということです。むろん、文章は局部的にしか書けないし、その限りに於て文章は局部的に明快で、また行き届く必要がありますけれども、文章の運動というものはいつも山のテッペンをめざし、小説の全体的なものが本質として目ざされておらなければならない。言葉の職人にとって、一ツ一ツの言葉というものは、風の中の羽のように軽くなければなりませんな。

どうしても、この言葉でなければならん、というのは、そんな極意や秘伝があるのか、と素人が思うだけのことですよ。職人にとっては仕事というものは、この上もない遊びですよ。彼の手中にある言葉は、必然の心理を刺しぬくショウキ様の刀のようなものではなくて、思いのままに飛んだり、消えたり、現れたりする風の中の羽や、野のカゲロウや虹のようなものさ。

言葉にとらわれずに、もっと、もっと、物語にとらわれなさいよ。職人に必要なのは、思いつき、ということです。それは漫画の場合と同じことですよ。ここを、ああして、こうして、という問題のワクがまだ小さいウラミがあります。

要するに、文章が濃すぎると思うのですよ。もっとも、私の言うのは文章だけに目をおいて、言ってるのですがね。

文章の新風としては、今度の芥川賞の候補にのぼった安岡章太郎という人のが甚だ新鮮なものでありました。私は芥川賞に推して、通りませんでしたが、この人は御両所につづく戦後の新風ですね。この人の文章は、山際さんや左文さんのような戦後風景に即しておって、文章としてはたくまずして(実はたくんでいるのでしょうが)おもしろい。作中の人間と、文章がピッタリして、本当に生き物のような文章なのです。そして風の中の羽のように軽い。

けれども、この妖しい生き物のような文章は、文章の限りにおいて面白いが、恐らく文章が全然内容を限定してしまう性質のものです。まア、人間は銘々が自分だけの物をつくればタクサンなのだから、自分は自分の領分だけでタクサンだ、と云えば、それもそうですが、いくら妖しい生き物のような文章でも、内容があんまり限定されるということは、結局作品を骨董的なものに仕立ててしまって、いつまでたっても、それだけのものだ。

だから、文章としては風の中の羽のように軽くて、作中人物は生き生きと浮き上り、結局文章は姿を没するような爽快なオモムキがありますけれども、大岡三島御両所のように後世おそるべしというところがない。文章が濃すぎるということは今だけの問題にすぎない意味があるが、文章が妖しく生きすぎていてノッピキならぬオモムキがあるのは、文章と人間や物語とがピッタリはまりきって、他を入れる余地がないことを意味するように思われる。

内容を限定する危険のある文章はなるべく避けなければいけますまい。どんな人間同士の複雑な関係や物語にも間に合う幅が必要ですよ。

大岡三島御両所の文章は批評家にわからぬような文章や小説ではないね。甚だしく多くの人に理解される可能性を含んでいますよ。

新聞の連載漫画や碁将棋の観戦記に職人のイノチがこもって今日的に生き生きしている目覚しさを、御両所は誰よりもお分りになる筈であろう。批評など相手にするのは愚ですよ。バカになることですよ。


初出
新潮(1951年9月)
底本
日本論(河出文庫): 67—78
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