2010年9月17日金曜日

日本広告の歴史:酒とタバコの広告ポスター(1894-1954):カラパイア

さけたばこ

 1984年から1954年にかけての、日本の街頭で貼られていた、ビール、酒、タバコの広告ポスターだそうだ。戦前には、政府はタバコ・塩・樟脳・アルコール・あへんに専売制を実施しており、戦後には、タバコ・塩・樟脳を扱う日本専売公社が設立されたという。アルコールやタバコなどの中毒性のあるものは、国家が財政収入を増加させるための重要な物資だったわけだね。


【Addictive ads, 1894-1954 ::: Pink Tentacle】

タバコ、1894
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タバコ、1900
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タバコ、1902
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カブトビール、1911
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大日本醸造会社、1912年
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サクラビール、1924年
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梅ケ谷酒、1926
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カスケードビール、1929年
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みのりタバコ、1930年
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タバコ 1932年
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タバコ、1932
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キリンビール、1933年
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松島酒、1934年
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タカラ焼酎、1935-1938年
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月桂冠 1935年から1938年
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南京都たばこ売上げ組合、1937年
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サクラビール、1938年
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キリンビール、1939年
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アンチの闇タバコのポスター(違反者は懲役3年に直面して、5万円の罰金)、1948年
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かがくナビ > 読む > 科学ニュース > だれでも速く走れるポン・ピュン・ラン

運動会などの短距離走(たんきょりそう)で、「もっと速く走りたい」「一等賞になりたい」と思う人は多いでしょう。女子400m走の日本記録を持つ丹野麻美(たんのあさみ)選手をはじめ、たくさんの選手を指導してきた福島大学教授で陸上競技部監督の川本和久先生は、「正しい走り方を身につければ、だれでも速く走れます」と言います。そんな夢のような走り方があるのでしょうか。

図:速く走るためのコツ。地面からできるだけ大きな反発エネルギーをもらい、そのエネルギーをできるだけむだにしないことが基本

地面からの反発エネルギーをむだにしないで走る

川本先生は、自分自身も大学で陸上競技の選手でした。その後、コーチ学を勉強し、さらにアメリカやカナダでも速く走る方法を学びました。そして、速く走るための独自の理論をうち立てました。川本先生の勧(すす)める「正しい走り方」は、「ポン・ピュン・ラン」という言葉 で表されます。「ラン」というのは、英語で「走る」という意味です。「ポン・ピュン・ラン」は、「ポン」「ピュン」の動作を入れて「ラン」(走る)ということです。

ポン・ピュン・ラン3つのポイント(図と対応しています)

◆1.「体をまっすぐにして走る」ということです。これは、地面に対して垂直(すいちょく)にということではなく、背中(せなか)と骨 盤(こつばん)を曲げないで一本の棒のようにするということです。こうすることで、地面に大きなhttp://www.futc.org/KAZZ/kawamoto.html

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叫ぶ英会話!音読が想像以上に凄い6つの理由 Read Aloud!! 読書猿Classic: between / beyond readers

アメリカ英語の発音を独学するなら最終兵器です。あと、次のサイトで口の形や動きを確認しておきましょう。

(無料ウェブサイト)
Phonetics: The Sounds of English and Spanish - The University of Iowa
「American English」をクリックすると、発音記号を選べば、その発音をする人を正面から見た口の形と動かし方がわかる動画と、口の中の動きがわかるアニメーション(気をつける箇所ごとに止めてみることもできる)を見ることができる。必見。


 さて、英語学習についての音読の効果は、次の通りです。

ア 発音を鍛えると音読の自信がつく。音読の自信がつくと、読むスピードとともに、発音の質が上がる。

イ 音読のスピードが上がると、訳しながら読む癖がとれ、英語を語順通りに理解する基盤が固められる。語順通りに理解できると、読む速度が上がる。

ウ 音読は英語の発音を鍛えるだけでなく、英語処理のチャンク(情報処理の単位)を広げて、ワーキング・メモリを有効に利用できるようになる。これにより、より多くの量の英語を短い時間で処理できるようになる。相手の話す英語、ニュースの英語が「速くて着いて行けない」という症状が緩和され、そのうち克服される。

エ 英語のチャンクが広がると、時間あたりの英語の処理能力が上がる。同じ時間英語を学んでも、英文を読む量、問題を解く量などが増えるので、学習速度自体が増す。

オ 音読された英語は定着しやすく、たくさんの英文を音読する事で、利用可能な英語のリソースが増える。文章の中で英単語や熟語、成句表現を覚える近年の教材(『速読英単語』『速読速聴・英単語』等)も、一通り覚えたと思った後、音読でダメ押しすると、効果と練度が1ランク上がります。

カ 自由に引き出せない会話集よりも、繰り返し音読した中学英語リーダーレベルの単語・表現の方が、日常会話や実用英語に役に立つ。


 音読は、つまるところ「筋トレ」「素振り」なので(はじめたばかりの時は、同じ英文を10回ほど読むとあごがだるく感じます)、実際に筋肉痛とともに成果がやってきます。

 シュリーマンはこの方法で、古代ギリシア語を含む9カ国語だったかをマスターしました。あまりに強く音読するので、何度も下宿を追い出されたそうです(『古代への情熱』)。

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武田邦彦 (中部大学): 随想 大麻犯罪の創造者

 日本は戦いに敗れ、アメリカの属国となり、伝統を捨て大麻を麻薬とした。長い間、江戸時代、明治時代、大正、昭和まで普通に大麻を栽培していて何の問題も起こらなかったのに、不思議なことに大麻を麻薬として取り締まるようになってから、新しい社会現象が現れた。

 それは「大麻を麻薬として吸う」という犯罪が発生したのである。わかりにくいと思うので繰り返すと、
「大麻が自由に栽培されていた頃には、誰も大麻を吸わなかったのに、麻薬に指定したとたん、日本人は大麻を麻薬として吸うようになった」
ということである。

 もともと、大麻には「麻薬性」がない。麻薬とは「強い精神作用があり、幻覚症状のような社会的に問題の症状が現れるもので、習慣性があって抜けられないもの」である。大麻は「強い精神作用」もなく、「習慣性」もない。だから、規制さえしなければ誰もバカらしくて吸わない。そこら辺の雑草を煎じて飲むようなものだからである。

 それは科学的にも正しく、日本の長い歴史が示している事実である。

 精神作用の大きさや習慣性から言うとお酒、タバコに比べて大麻はほとんどゼロといって良いので、誰も大麻を麻薬とは考えなかったのである。

 ところが大麻を麻薬として規制した昭和23年以後、大麻自身は昔と変わっていないのに、日本人の方が変わった。というより、日本人の体も変わっていないのに、突然、大麻が麻薬として効くようになったのだ。大金をはたき、麻薬使用で逮捕される危険を冒し、大麻を手に入れて吸うと大麻が「効く」のである。実に不思議な現象だ。

 この奇妙な事実は、人間というものをよく考えると、納得できるところもある。人間は幻想の動物だ。本能が命じても脳の判断で本能を押さえることができる。頭で「これは美味しい!」と思うと、味覚を感じる舌は美味しいとは思わなくても、美味しく感じる。人間とは幻想の動物だから、そういうものだ。

 大麻を麻薬として禁じる。そうすると日本人の頭には「大麻は麻薬」と信じる。お上のやることだから正しいと思うし、事実、大麻を吸うとマスコミは騒ぐ、すぐ警察に逮捕される。さぞかし、素晴らしい麻薬だろうと錯覚する。そして大麻を吸うと、麻薬のように効く。

 「裸の王様」という寓話がある。本人は裸でなにも着ていないのに、取り巻きに「王様、素晴らしお洋服ですね!」とゴマをすられると自分が裸であるのも判らなくなるという有名な話だ。大麻パーティーはまさにそれで、麻薬性のない大麻を「取締をくぐる」という行為をすることによって麻薬のパーティーを開くことができるのである。

 そこに大麻を使う「悪の温床」ができる。もともと、大麻は麻薬ではないので、規制しなければ大麻を吸う人はいないので「悪の温床」もできない。実は、「犯罪の創造者」は「大麻取締法」であって、大麻を販売したり、使う人ではない。

 非科学的な法律、大麻取締法を作ったために、犯罪の無いところに犯罪を創造した。本来、犯罪を防ぐはずの「法律」が犯罪を「創造」する。それは、誇り高い日本人がアメリカの言うこととなると、判断力を失うことと同じである。

 終戦後60年も経て、情けない。大麻取締法を廃止して犯罪を創造するのをやめよう!

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2010年9月16日木曜日

小沢の歴史的名演説を聴いても尚、国民への背信を行った"官"支持の国会議員たち: 父さんの日記

実際は、この143名が精一杯の"官"直人支持の現実だったのですね。なのに国会議員票が412ポイント??

顔写真は"官"直人のHP を見ていただくとして、国民に対する背信の結果として、次回の選挙で落選すべき143名の氏名を下記の通り掲載しました。

尚、"官"直人氏の応援議員(民主党所属の市区町村議会議員および都道府県議会議員)一覧もありますので、こちらも落選させるべき候補者リストとして、地方選でお使い下さい。(http://bit.ly/alXkrc )


::::2010年民主党代表選挙において"官"直人を支持した売国者リスト::::

仙谷由人   長島昭久   田嶋要   山井和則   阪口直人
玉木雄一郎  三村和也   藤本ゆうじ 村越ひろたみ 松浦大悟
広田一    前川清成   寺田学   藤末健三   馬淵澄夫
枝野幸男   安住淳    加藤公一  手塚仁雄   阿久津幸彦
本多平直   福山哲郎   古川元久  直島正行   古本伸一郎
細川律夫   小川勝也   高井美穂  湯原俊二   後藤祐一
藤田憲彦   斉木武志   柴橋正直  橋本博明   稲富修二
稲見哲男   田村謙治   すとう信彦 小宮山洋子  逢坂誠二
泉健太    生方幸夫   大串博志  大西健介   岡田康裕
小川淳也   小原舞    柿沼正明  神山洋介   城井崇
黒岩宇洋   三谷光男   池田元久  近藤洋介   斉藤進
笹木竜三   篠原孝    末松義規  高井崇志   高邑勉
竹田光明   武正公一   津川祥吾  仁木博文   西村智奈美
花咲宏基   平山泰朗   松本大輔  森岡洋一郎  谷田川元
山田良司   柚木道義   津村啓介  横光克彦   荒井聰
渡辺周    近藤昭一   平岡秀夫  石毛えい子  田島一成
森本哲生   中川治    宮崎岳志  阿知波吉信  小山展弘
高橋昭一   吉川政重   工藤仁美  中島政希   桑原功
玉木朝子   斎藤勁    藤田大助  小室寿明   高橋千秋
谷博之    榛葉賀津也  辻泰弘   増子輝彦   芝博一
金子恵美   加賀谷健   長浜博行  徳永久志   今野東
難波奨二   石橋通宏   田中慶秋  横粂勝仁   松野信夫
松野信夫   柳沢光美   網屋信介  打越明司   三日月大造
山根隆治   大野元裕   ツルネン・マルティ

推薦人
井戸正枝   岡田克也   岡本充功  金森正    菊田真紀子
玄葉光一郎  土肥隆一   中川正春  長妻昭    野田佳彦
鉢呂吉雄   藤田一枝   藤村修   前原誠司   牧野聖修
山尾志桜里  渡部恒三   石井一   江田五月   大河原雅子
岡崎トミ子  北澤俊美   白眞勲   林久美子   蓮舫蓮舫

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最後に、「私には夢があります」と、世界に紹介されるべき歴史的名演説をされた小沢一郎氏の決意表明を掲載します。
「小沢主義」 に書かれた信念と魂が込められた「私には夢があります」以下の言葉は、私の価値観と強く共鳴しました。

この演説を聴いても尚"官"直人に投票した国会議員は、価値判断基準において国民のそれとは乖離した、亡国推進議員です。


2010年民主党代表選挙当日 小沢一郎氏の決意表明

 お集まりの皆様、そして国民の皆様、小沢一郎でございます。皆様には今回の代表選の期間中、菅(直人)総理と私の主張をお聞きいただき、また、激励していただきました。ここに、まずもって心からお礼を申しあげます。

 また、昨年来、私自身にかかわることで、同志の皆様を始め、国民の皆様に大変、ご心配とご迷惑をおかけしたことを、この機会に心からおわび申しあげます。

 さて、今回の立候補にあたっては、今日の危機的な政治経済事情の中で、果たして自分にその資質があるだろうか、政治の最高責任者として国民の生活を守るというその責任を果たすことができるだろうか、と本当に悩み、自問自答いたしました。それにもかかわらず立候補を決意をしたのは、今、政治を変えなければもう間に合わないという、私の切実な思いを正々堂々、世に問いかけたかったからであります。

 思い起こせば、私は27歳で衆議院議員に初めて立候補した際、選挙公報にこうつづりました。「このままでは日本の行く末は暗澹(あんたん)たるものになる。こうした弊害をなくすため、まず官僚政治を打破し、政策決定を政治家の手に取り戻さなければならない」と。意志なき政治の行き着く先には国の滅亡しかありません。日本は敗戦を経て本質は変わっていないのではないか。若かりしころの、感じたその思いは初当選以来、いまなお変わっておりません。

 今日、わが国はデフレによる経済の収縮、少子高齢化の既存の社会制度のギャップによる不安など、経済も社会も危機的な状況に陥っております。

 世界で最も層が厚かった中間所得層が解体され、ごく少数の富裕層と数多くの低所得層への分化が急速に進んでおります。日本が誇った社会保障制度も崩れつつある中、2年後には団塊の世代が年金受給者となる日を迎えます。

 今、日本は、最も大事にされなければならないお年寄りがいなくなっても誰も気づかず、また、就職できない多くの若者が絶望感にさいなまされ、若い親が育児を放棄しわが子を虐待する。もはや高度成長がいろいろな問題を覆い隠してくれた時期はとうに過ぎ去って、社会の仕組みそのものが壊れています。そしてまた、日本人の精神風土も興廃し始めていると思います。

 今、ここで政治を見直し、行政を見直し、国のあり方を見直さなければ、もう日本を立て直すことができないのではないかと思います。多くの国民の皆さんも同じように感じていたのだと思います。昨年、われわれ民主党に一(いち)縷(る)の思いを託し、政権交代を実現させていただきました。しかしもう1年が過ぎ、残された任期はあと3年であります。

 私たちは今、直ちにこの3年間を国の集中治療期間と位置づけ、徹底した改革を断行し、実行していかなければなりません。しかしその改革は明治維新以来140年続く官僚主導の政治を、根っこから国民主導、政治主導に変えなければとても成し遂げられるものではありません。私の頭の中を占めているのはその思いなのであります。

 しかし、私は官僚無用論を言っているわけではありません。日本の官僚機構は世界に冠たる人材の集まっているところであると考えております。問題は政治家がその官僚をスタッフとして使いこなし、政治家が自分の責任で政策の決定と執行の責任を負えるかどうかということであります。

 私は40(歳)代でたまたま国務大臣、自民党幹事長に就任するという機会があり、国家はどう運営されているのか、その実態を権力の中枢でつぶさに見続けて参りました。そこで見た官僚主導の、例えば予算作りでは、各省のシェアが十年一日のごとくほとんど変わることがありませんでした。官僚組織というのはそういうものであります。

 その中で私は、自民党の中にいながらこの改革は無理であることを骨身に染みて分かりました。だからこそ、政権与党である自民党を飛び出して、真にしがらみのない政党を作り、政権を変えるしかないという決意をもってこの17年間、政治活動を続けて参りました。

 改めて申しあげます。昨年、政権交代が実現したのは、こんな日本を何とか変えてくれ、という国民の悲痛なまでの叫びからだったはずであります。この声に応えようと、菅総理大臣始め閣僚の皆さんが一生懸命に取り組んでおられることを否定をするものではありません。

 しかし、政治と行政の無駄を徹底的に省き、そこから絞り出した財源を国民の生活に返すという、去年の衆院選挙マニフェストの理念はだんだん隅においやられつつあるのではないでしょうか。実際に来年度の予算編成は、概算要求で一律10%カット。これではこれまでの自民党中心の政権と変わりません。財政規律を重視するという、そういうことは大事なことではありますけれども、要は官僚の抵抗で無駄を削減できず、結局マニフェストを転換して国民に負担をお願いするだけではないでしょうか。これでは本当の意味で国民の生活は変わりません。

 私には夢があります。役所が企画した、まるで金太郎あめのような町ではなく、地域の特色にあった町作りの中で、お年寄りも小さな子供たちも近所の人も、お互いがきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人たちが集う都市が調和を保ち、どこでも一家だんらんの姿が見られる日本。その一方で個人個人が自らの意見を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本に作り直したいというのが、私の夢であります。

 日本人は千年以上前から共生の知恵として、和の文化を築きました。われわれには共生の理念と政策を世界に発信できる能力と資格が十分にあります。誰にもチャンスとぬくもりがある、豊かな日本を作るために、自立した国民から選ばれた自立した政治家が自らの見識と自らの責任で政策を決定し実行に移さなければなりません。

 そして、霞ヶ関で集中している権限と財源を地方に解き放ち、国民の手に取り戻さなければなりません。そのため、国のひも付き補助金を順次すべて地方への一括交付金に改めます。これにより、地方では自主的な町作りやインフラ整備が可能になります。国、地方を通じた大きな節約効果と、そして地域経済の活性化が期待できます。また、地域での雇用が生み出され、若者がふるさとに帰り、仕事に就くこともできるようになります。

 また私は、国民健康保険、介護、生活保護などに対する補助金、15兆円を社会保障関係費として、一括地方に交付します。これにより各地方の実情に合わせて、また地方の知恵を生かして、より効率的な福祉行政が行える仕組みに改めます。われわれに期待されているのは、いびつになってしまったこの国の形と日本人の生活をもう一度蘇らせる大改革なのであります。

 国民の皆さんにご負担をお願いするのは、ここにいる皆さんがありとあらゆる知恵を絞って、できることすべてに取り組んでからでいいはずであります。そしてそれが、昨年の総選挙で民主党と国民との約束でなかったでしょうか。

 政府・与党の政策の一元化のもと、改革を実行するのが民主党です。政府が作成した法案に、後から与党議員が意見をいう、自民党と同じような事前審査の仕組みではありません。私は政府と与党の議員、誰もが対等に話し合って、政策を一から作り上げる、全員野球の態勢を積極的に進めたいと考えております。

 また外交政策においては、日米関係は、わが国にとり最も重要な二国間関係と考えております。日中、日韓関係は、日米関係に次いで重要な二国間関係であり、長い歴史を踏まえ、今後、政治、経済、文化とあらゆる分野で協力関係を深めていかなければなりません。

 特に拉致問題については、みずから対策本部長として全力で取り組みます。国際関係はまず市民の心の交流こそが必要であるとの認識のもと、実際私は長年にわたり、草の根交流を続けております。さらには日中韓3カ国の協力のもとで、環太平洋諸国も含む東アジア共同体を推進したいと考えております。

 また農業、漁業の戸別所得補償制度の充実を前提として、EPA(経済連携協定)、FTA(自由貿易協定)を始め、広域的な経済連携も積極的に推進いたします。

 景気対策とデフレ克服にも最優先で取り組まなければなりません。日銀法改正などの制度改革や、インフレターゲット政策も視野に入れるなど、金融政策と財政政策の両面からあらゆる手段を講じます。

 また、人と人との新たなきずな作りにも取り組みます。民主党として新しい公共の考えを積極的に届け出、NGO(非政府組織)やNPO(民間非営利団体)をはじめ、ボランティアや企業の社会貢献活動を積極支援するとともに、政府の持つ情報もできる限り開示いたします。

 衆議院の解散総選挙はこうした改革に与えられた任期を費やして、その結果を出してからのことであります。官僚支配の140年のうち、40年間、私は衆院議員として戦い抜いてきました。そしてようやく官僚機構と対立できる政権の誕生にかかわることができました。われわれは国民の生活が第一の政治の幕開けにやっとこぎつけたのであります。

 官僚依存の政治に逆戻りさせるわけにはいきません。それはとりもなおさず、政治の歴史を20世紀に後戻りさせることになるからであります。私は代表になってもできないことはできないと正直に言うつもりであります。しかし、約束したことは必ず守ります。

 こう断言できるのは官僚の壁を突破して、国民の生活が第一の政治を実行するのは、最後は政治家の志であり、改革のきずなで結ばれている皆さんとなら、長い時代の壁を突破できると信じるからであります。そして私自身は、民主党の代表すなわち国の最終責任者として、すべての責任を取る覚悟があります。

 今回の選挙の結果は私にはわかりません。皆さんにこうして訴えるのも、私にとっては最後の機会になるかもしれません。従って最後にもう一つだけ付け加えさせてください。

 明治維新の偉業を達成するまでに多くの志を持った人たちの命が失われました。また、わが民主党においても、昨年の政権交代をみることなく、志半ばで亡くなった同志もおります。このことに思いをはせるとき、私は自らの政治生命の総決算として最後のご奉公をする決意であります。そして同志の皆さんとともに、日本を官僚の国から国民の国へ立て直し、次の世代にたいまつを引き継ぎたいと思います。

 そのために私は政治生命はおろか、自らの一命をかけて全力で頑張る決意であります。皆さんのご指示、ご理解をお願いいたしまして、私のごあいさつといたします。ありがとうございました。

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2010年9月15日水曜日

田中角栄 演説 動画 gikou89

田中角栄 演説_01 昭和56年9月3日 静岡県函南町 富士箱根ランド

田中角栄 演説 02 昭和57年8月27日 神奈川県箱根町 芦ノ湖ホテル

田中角栄 演説_03 昭和58年8月29日 静岡県函南町 富士箱根ランド

田中角栄 演説_04 昭和59年9月10日 静岡県函南町 富士箱根ランド(1)

田中角栄 演説_04 昭和59年9月10日 静岡県函南町 富士箱根ランド(2)

田中角栄 演説_04 昭和59年9月10日 静岡県函南町 富士箱根ランド(3)

 

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2010年9月13日月曜日

フォーリング・マン 9/11:The Falling Man

WTCを飛び降りた人は約200人。退路を絶たれ火炎を逃れる道が他になかった状況に鑑み、NY市検死局では9-11死亡者全員を「他殺」と断定。「自殺者(Jumper)」とは認めていない。

これを「飛び降りをなかったことにする態度」、「事実と向き合わないといけない」なんて精神カウンセラーみたいなこと言う人がいるが、冗談じゃない。あの日は全米と世界中が飛び降りる人たちを生中継でなす術なく見守っていたのだ、なかったことになんかできるわけない。「自殺は罪。地獄に堕ちる」という宗教に配慮しただけだと思うよ? 遺族があれを自殺と認めるわけないでしょ。あの朝も、最後の最後の瞬間まで彼らは、生きたいと願っていたはずだ。

写真の男性の身元は分からないが、おそらく背格好と服装(毎日着ていたオレンジの下着が他の写真に映っていた)から最上階レストラン「Windows on the World」の音響エンジニアのジョナサン・ブライリー(Jonathan Briley)さん(当時43歳)ではないかと言われている。

以下の動画の1:00:05に登場する方だ。父親は牧師で「苦しみを乗り越えろ」と人に説教するのが仕事だが、「自分のこととなるとそれができない」として、取材には応じていない。

亡くなられた約3000人全員のご冥福をお祈りします。


9/11 Falling Man(邦題:フォーリング・マン 9.11)
2006年英TV局が製作した76分のキュメンタリー。監督はアメリカ人のヘンリー・シンガー、撮影はNYのリチャード・ヌメロフ。4:53に出てくるのが最上階レストランのシェフ長Michael Lomonaco(この日は遅刻して九死に一生を得た)、8:43は写真家Richard Drew。批評1、2、 3。

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