京都が風水に則って「作られた」都市であることは周知の史実。もちろん飛鳥浄御原宮、藤原京、平城京、長岡京、平安京と続く遷都はすべて風水に基づいて行われた。南から北に、ほぼ同経度を北上して行った。次に「都」となるのは江戸=東京なのだが、この江戸も風水によって作られた。いわゆる「気」のたまる場所「穴(けつ)」に居城し、追って鬼門の方角に日光東照宮を置き、守り神として家康を安置した。
しかし、もともと江戸周辺は、利根川(当時は東京湾に河口があった)などが氾濫しまくる「水浸し」の土地であったらしいのだが、なぜそんな場所をわざわざ首都に選んだのか。
八岐大蛇伝説が治水を記したものであるとすれば、日本人は古代からわざわざ川=水を克服することによって都市を築いてきたということになる。考えると大阪、名古屋もそうだ。大阪はほぼ全域がかつては海だったらしい。わずかに大阪城のあたりがポコッと小さな島になっていたほどという。名古屋はいくつもの河川に挟まれた場所。今でも台風が来たら何カ所も堤防の決壊の怖れがある。
どうして水浸しの土地に都市を築こうとしたのか。最初に浮かんでくる考えは「雇用対策」だったのだろうか、ということだ。
ピラミッド、ニューディール、田中角栄の列島改造がそうであったように、大規模土木事業を国策とする目論みだったのだろうか。
京都などはもともとそこにあった天然の地形を利用しているのに対し、江戸は無理矢理に風水的に良い場所にするべく、河川の流れを変えたり、広大な埋め立てを行っている。そうして東の京とするべく様々な改造が行われていった。
しかし京都と江戸が、表面的に見てもっとも異なる点は、道路=街区ではないかと思う。東京は「碁盤の目」ではないのだ。(僕が東京に出て来てとても困ったのがこれ)
では東京を地図的な見地で見てまったく規則性がないかというとそんなことはない。東京は「円(螺旋)」と「放射」からできている。円は、そう皇居(堀)、「山手線」そして山手線の内外にいくつも存在する環状線、そして南武線+武蔵野線という大きな円。まだまだある。そしてそのいくつもの円を貫く放射状の道路と鉄道。(ちなみに山手線は「陰陽図」に酷似する)
まあ世界中のいくつもの都市がそうやって発展していくことは当然なのだが、東京の場合、どうもそこに風水が関わっているような気がしてならない。ハマコーがアクアラインを作ったのも、円環を閉じたかったのかな、という気さえしてくる。
なんにせよ、江戸は風水的にとても成功した都市となった。あんなに長く政権を維持していた権力など、世界史を見ても珍しい。それは風水によるのだろうか。その江戸幕府に亀裂を生じさせたのは他ならぬガラ空きの南側の土地、三浦半島だった。
さて時代を降りて来て、敗戦を乗り越えた日本は瞬く間に復興した。その景気が傾いたのはもちろん「ブルーマンデー」に事を発するのだけれど、都庁移転がそれに拍車をかけた、というまことしやかな意見もある。
皇居つまり元の江戸城は富士山からの大きな気を受け止めて安定・繁栄してきた。その気の流れを断ち切ったものがある。
そう、現在の都庁だ。
香港は風水都市といわれるように、ほとんどのビルが風水師の助言を盛り込んで建てられる。東京では一部を除いて風水に則って建てられた建造物はないように思われる。
けれど東京という大きな観点から見ると、どうも風水によってかたちを変えられてきているように思えてしょうがない。今でも何かの力が働いているように思う。
ちなみに、風水にはなんらかの科学的根拠があるのでは、という意見も少しずつ叫ばれるようになった。経絡、ツボが西洋医学では説明できないが事実効果はあるし、針麻酔は実際に効いている。近いうちになんらかの説明がつくのではないかと思う。まあ、説明できなくても効能があればいいんだし。「よくわからないけれど効果がある」ということで使用されている西洋薬や治療法もある。(リウマチの金製剤なんかがそうなのかな?)
それと同様に風水にもなんらかの説明があるのではないだろうか、ということだ。
たとえば最近の地震マップなどで、「危険」とされるのは、昔川だった土地であるとか、水浸しだった土地と堅固な土地の境目を横切る高架は切断されるとか(神戸がそうだった)、地震対策には古地図が必要になっている。ああ、書きたかったことからどんどん離れていく。どうしよう??
東京は碁盤の目ではない、と書いた。新興都市だと整然と区画されることが多いがそれでも、碁盤の目になる都市はそれほど多くないと思う。札幌は、市街地こそ違うけれど、中心部はほぼ碁盤の目になっている。とはいえ、札幌が風水に基づいて作られた都市であるかというと、どうもそうではない気配が濃厚だ。北と東になにもないし。さらに道路も正確な南北の線から微妙にずれている。
僕は札幌で生まれ、育った。二十歳までは北区、東区という碁盤のまっただ中に住んでいた。札幌に住んでいる方には分かると思うが、僕はほぼ常に「東西南北を意識して」生活している。無意識であっても、と言うべきかな。どこにいても頭の何処かで、「こっちが南、こっちが東」と自分の向きを感じているのだ。ただしある種の動物のように脳内に磁石があるわけではないので、正確ではない。「勘」だ。
だから地下鉄に乗って、初めての土地にポッと出たりするととても戸惑う。東西南北が分からなくて失見当識を起こすのだと思う。とても不安になる。なんとかして把握しようと努めるところから始まる。
これは僕のような者だけなのだろうか、それとも札幌、京都、旭川の出身者の多くが持つ性質なのだろうか。確かめたことはない。
ただ、東京人(といってもほとんどが地方出身者だけど)はどうやら東西南北をほとんど意識しない。これに気づいたのは東京に来てまもなくのことだ。たとえば待ち合わせをしようと思って「新宿駅の南」「あの店の西側」と言っても通じないのだ。東京では、「○○の××寄り」という言い方が一般的だ。相対的なのだ。
僕自身ももちろんそういう相対的な位置把握はしている。しかし大本ではやはりいつも東西南北を頭において、そして考えている。これは僕の生き方とか仕事の仕方にも表れているような気がしてならない。常に全体像を認識していないと動けないのだ。何も説明されずに「あれやれ、これやれ」と言われると何もしたくなくなる。札幌ではどうやって東西南北を把握していたかというと、「山のある方が西」という単純なものだった。これは京都の人もそうらしい(京都の人でやはりいつも方角を意識している人の書き込みを見かけた)。しかし京都人が札幌に来ると方角を取り違えることがあるそうだ。
山のある方角が違うからだという。
僕が今住む場所の西側には、丹沢山塊がある。それだけでも僕は少し落ち着く。マンションの8階なので空気のきれいな祝日、特に雨の降った翌日などは、富士山が見える。
ゴミが多すぎるせいで汚くて、世界遺産に登録してもらえない富士山ではあるけれど、ここからはそんなことは分からない。いっぱい「気」をもらって感謝していることにしよう。
2005.12.30
久しくこんな文章は読んだ事は無い。実に素晴らしい。
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