2011年1月19日水曜日

浅草海苔: 八つぁん

浅草海苔

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江戸前と言えば、浅草海苔・佃煮・鰻の蒲焼・天麩羅・握り鮨、これこそが江戸前が生んだ五大食文化です。なかでも海に自生する海苔を干して食べる習慣は太古からあったと言います。海苔は浅草寺の門前町で土産物として人気があったのですが、後年、海苔の取引は日本橋魚河岸に移りました。今でも、明和元年(1764)創業の山形屋、嘉永二年(1849)創業の山本海苔店は、京橋と日本橋で営業しています。元禄二年(1690)創業の日本橋山本山は、茶や紙を商っていたのですが、昭和二十二年から海苔の商いも始めました。
天正十七年(1589)徳川家康の入府以後の江戸時代初期には干拓により海苔の採取が不可能になっていたのです。浅草では海苔が採れず、深川沖あたりで採取していたのですが、江戸前の海苔の養殖は品川や大森で行われていて、そこから東西に広がっていったのです。煎餅に海苔を巻いたものを「品川巻」と呼ばれ古くからの名物となっていますが、海苔が品川の名産だった名残です。下総国の葛西で採れた海苔なども加工されて販売されつづけ、消費地である江戸の市街地造成や隅田川の改修などにより、浅草が市や門前町として発展するとともに「浅草」の名を冠せられるようになったものと考えられます。

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