見えないルールがある
学校では、「ルールがあるんだよ。ルールを見つけてから、それに従って努力しないと意味ないよ」ということを、きちんと教えてほしいなと思う。
「好きな絵を描きなさい」とか、「好きなことを研究しなさい」なんて課題を出して、「自由」にやって、それに点数を付けられる側は、たまらない。
点数が付いて、序列がつくのだから、そこにはもちろん何らかのルールがあるのに、ルールは教えてもらえない。点数の付け方は一方的で、子供達は「自由」と習っているものだから、お互いに付けられた評価を比較して、ルールを探索することすら想像できない。
隠蔽されたルールに、たまたま乗っかった子供は「努力した」ことになって、ルールを探せなかった誰かは「努力不足」になる。「ルールがある」ことを習わない状況での成功は、誉められた子供にしたところで、結果として何がよかったのかが分からないから、次につながらないし、下手をするとその成功が呪縛になって、道を誤ってしまうことだってある。
リアル社会には、「ルールが見えない」状況はたくさんある。でもそこで、ルールを探そうとする人と、内面の「良さ」を磨くことに全てのリソースをブチ込んだあげく、「世の中は分かってくれない」と、何かに屈する人とがいる。
ルールがあるのは当たり前のことだけれど、「当たり前」のことだって、習わなければ分からない。心臓が止まった人の顔色は悪くなる。これは「当たり前」だけれど、外来や病棟で急変して、心肺蘇生が必要な患者さんに対して、「どうしましたか?」と尋ねる研修医は、毎年必ず出現する。習っていないから。
2011年1月24日月曜日
見えないルールがある
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