昔、とはいってもそんなに前のことではない頃、
私の娘は小さすぎて学校まで歩けなかった
だから私たちは市バスを使っていた毎朝、私は歩道をバス停まで彼女を手を引いて歩き、
毎朝、私はじれったい思いで3番街を眺めていた
その間、彼女は薬局の窓の向こうの宝物に心を奪われていた私は別にバスに乗るのが嫌いというわけではなかったけれども、
休みの日はご褒美のように感じていた私は安堵とともに、「ああ、今日はバスの送り迎えがない」と
思ったものだった。そしてある朝。
「みてお母さん!みて!犬だよ!」
どうってことのない普通の散歩中の犬を指差して彼女が歓声を上げた。その瞬間、私の目が開いた。
これこそが親であることなのだ。
これこそが我が子の大切な子供時代、
これこそが人生そのものなんだと。いつかー、そう遠くない未来、私たちは一緒にバスに乗ることはなくなる。
そして私はそんな大切な時間を愚痴っぽく浪費しているのだった。それからというもの、毎朝、私はこう考えるようになった。
「ありがとう、今日もバスに乗れる」私の小さな子はもう大きくなって、私たちは学校までの
10ブロックを歩くようになった。彼女はまだ私の手を
つないでいるけれども、それだって、そのうち終わること
を私は知っている。「バスに乗って学校に行っていた頃を覚えている?」
私は時折聞いてみる。「覚えているわ」彼女はそう答える。
「バス乗るの、好きだった」
「私もよ」私はそう答えるのでした。一日一日は長い、でも年月は短い
via lifehacking.jp
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