2009年10月18日日曜日

ドル通貨制度のペテン 姉葉大作


『Credit as a Public Utility』翻訳

我々は真相を掴んでいる
通貨改革という希望
リチャード・C・クック
「公益事業としてのクレジット:経済危機の解決に向けて」
リチャード・C・クックの公開ビデオ

全6部構成の第1部

「我々の建国当時の政治指導者達は銀行のことを我々に警告していた」
トマス・ジェファーソン、ジェームズ・マディソン、そしてアンドルー・ジャクソンと言った合衆国の建国当時の政治家達は合衆国の最初とその次の銀行の設立に暗躍した銀行家達の支配から国を解放しようと努めました。
南北戦争中にアブラハム・リンカーン大統領は銀行からの借入れに頼らずにグリーンバックという紙幣で支出し、直接流通させる事によって真に民主的な通貨制度を実行に移したのです。
これらの方策によって我々は19世紀の大部分にわたり銀行の支配を概ね受けずに発展する事が出来たのです。

公益事業としてのクレジット:経済危機の解消に向けてと題する6部構成のビデオの第1部へようこそ。このビデオの目的は米国のための新たなクレジット制度の概要をあなた方に提示する事にあります。この新たな制度はかくも壊滅的に失敗して我が国の生活と自由を破綻させつつある銀行のクレジット制度に替わるものです。

私の名はリチャード・C・クックと言い、32年間公職に就いた後、2007年に退職した連邦政府の元アナリストで、この32年間の中の21年間は首都ワシントンに在る財務省に勤務しておりました。歴史の教鞭をとった事も農場を経営するビジネスマンであった事もあり、現在は著作家として活動しています。著作の一つである「チャレンジャーについての暴露」は私がNASAに勤務していた当時のスペースシャトルの大事故に関する内部からの報告でありますが、過去20年間で最も重要な宇宙飛行関係の書籍であるとされておりますが、現在の専門は国家財政です。私はトマス・ジェファーソンの母校であるウィリアム・アンド・メアリー大学を卒業しており、ジェファーソンと同様に、全ての人は平等に造られていると言う原則を反映させ、生命、自由および幸福の追求と言う価値を保証すべく努力している政府こそが唯一の合法的な政府であると信じています。この大きな経済危機の最中に余りに多くの人々の希望や熱意が脅かされている今日、我々はこれらの理想から疎遠になりつつあります。6部から成るこのビデオで私は、我が国と世界が直面している巨大な経済的諸問題に対する解決策を提案しますが、皆さんがそのような解決策を耳にした事は未だ嘗てないと思っています。何故なら、エコノミストやメディアのコメンテーター、政府の役人を含む体制的な地位にある殆ど全ての人々は破綻した制度にツギハギしようとしているに過ぎないからです。抜本的な改革を提唱する人々は殆どおりません。しかし、私と世界の多くの改革者達はそれを提唱しているのです。私は国家財政に従事した経歴を有する者で、共和・民主党の殆どの政治家達に働きかけて影響力を行使している大手金融筋に勤務していた者ではありません。私はありのままを話し、従来とは全く異なる観点から物事考えてみるつもりですので、皆さんも御一緒に開かれた心構えで話を聴いてくださるよう願っています。私は自らの著書、「我々は真相を掴んでいる:通貨改革という希望」に記した概念について言及しますが、皆さんも是非この本をお読みになって私が何を言わんとしているのかお考えになってみて下さい。何故なら、もし私達が私達自身や私達の家族、地域社会、国家、そして世界にこの危機を乗り切って欲しいと願うのであれば、我々は十分な情報を得て行動しなければならならないからです。最早遅すぎると言う事のないよう、明日にではなく今すぐに…


では、ここで米国の経済及び通貨制度について、何が今我々の直面している諸問題の原因を作ったのか、そしてこの制度を変える為に何が出来て何をしなければならないのかについてお話しましょう。何故なら破綻したのはこの制度であって、この制度こそが変えられなければならないものだからです。このビデオを見るに当たっては鍵となる一つ事実を忘れない様にして下さい。それは、現存する通貨の全てが、事実上、銀行による貸し出し、つまり、利子を付けて返済しなければならないローンがその源になっていると言う事です。これには銀行業界と我が国の政府運営を可能にしている外国の銀行からのローンが含まれています。これは要するに、金融制度が実際には借金の巨大なピラミッドであると言う事を意味しているのです。お金は何故この様にして創られるのでしょうか。それはこの制度が建国以来、我々の政府に絶えず影響を与えようとして来た金融界によってその様に創り上げられたものだからです。しかし、経済はその様にして動かされなければならない訳ではないのです。公共の福祉の増進に繋がる通貨創造の方法は銀行が左右している通貨供給以外にもあるのです。実際、米国財務省の前アナリストであった私は、議会の承認さえ得られれば、政府は借入に頼る事なく、しかも遥かに少ない徴税で国家の必要とする全ての通貨を得られると断言する事が出来ます。


銀行が運営している負債を基にした通貨制度こそ今日の危機を招いている根本原因であるが故に、この制度の変更は極めて重要な事柄です。しかし、この危機は政治的、社会的、そして倫理的な危機でもあります。それは我々の国を誰が管理し、管理する事によって誰がその利益を得ているのかと言う問題です。我々の国は少数の金融業界のエリートの為に存在しているのでしょうか? それとも我々人民が困窮せずに生活していける場であるべきなのでしょうか? その何れであるかを知る為の要は我々の有する通貨制度にあります。民主党の大統領と議会の両院で民主党が過半数を占めている今日に於いてさえ、我々は 未だに 金融家を誰よりも利する制度を有しているのです。彼ら金融家達はこの制度を確固たるものにする為に何十億ドルもの金を選挙献金として費やして来ました。この話を始める前に強調しておきたい事がもう一つあります。この負債を基にした通貨制度がもたらす諸問題は我々が貿易赤字と財政赤字のせいで負債を外国に輸出する時、更に増幅されるのです。2009年の2月24日火曜日の夜にオバマ大統領はアメリカを断固として経済的に復興させるとの決意を表明し、示唆的な演説を行いました。政府は買手に元金と利子の返済を約束して財務省証券を売却し、国債を財源に資金調達しようとしたのです。政府に支払う為の十分な金を米国の我々が最早持ち合わせていないが故に大統領の計画の成否が 中国 による米国財務省証券の継続購入に依存すると言うのは全く情けない話です。事実、オバマ大統領のこの演説の1週間前に国務長官であるヒラリー・クリントンは中国政府が米国債を確実に継続購入してくれるようにと訪れた中国から帰国したばかりでした。これは本来あってはならない事なのです。この深く腐敗した制度の下で、一つの借金は更なる借金を招来する事となり、それ故、オバマ大統領の経済回復計画ではこの国で安心できる長期的な繁栄を約束する事が出来ません。つまり、我々と我々の子供達や孫達の生活の質は引き続き落ち込んで行く事になるのです。それだけにこのビデオでお話する内容は格別に大切な事柄なのです。それでは、「建国当初の政治指導者達は銀行業界のことで警鐘を鳴らしていた」と題するこのビデオの第1部に入る事と致しましょう。


我が国の直面している災難の中心的要因が破綻した金融制度である事は明白です。破綻したのは我が国の金融制度であり、我が国の生産経済が破綻したのではありません。我が国と世界の経済は全ての人々が生活に必要な財貨とサービスを生産する能力を有しているのです。我々の国は大英帝国の銀行家達が動かす通貨制度に対する反抗を通じて創立されました。1750年頃、ベンジャミン・フランクリンはこの地球の表面に我々より「幸福でより繁栄した人々の集団を見出す事は出来ない」と書きました。ペンシルバニアを代表して訪英した際にフランクリンはイギリスにはかくも多くの貧困者が存在しているのに植民地がこれほどまでに繁栄しているのは何故かと訊ねられました。フランクリンは次の様に応えました。即ち「それは簡単な事です。植民地で我々は独自のお金を発行しています。植民地票と呼ばれているものです。我々は製品が生産者から消費者に容易に通過するよう適当な割合でそれを発行しております。この様にして、我々は我々自らの為に紙幣を創り、その購買力を制御し、如何なる者にも利子を払うことはありません。」と言ったのです。その後の1764年、英国の金融家達は英国議会に働きかけて通貨法を可決させました。この法律により植民地は独自のお金を発行する事が禁ぜられて出来なくなり、通貨の供給は半減させられました。フランクリンは次の様に書いています。「僅か1年で状況は全く反転して繁栄の時代が終わり、不況が始まったのであるが、その不況が余りに酷いものであった為に植民地の街路は失業者で満ち溢れる程となった」と。その後十年間の経済的衰退を経て革命戦争が始ったのですが、その契機となったのは歴史の教科書が教えているような印紙税法や茶の課税などではなく過酷な 通貨の 圧制だったのです。フランクリンは次の様に述べています。「英国の金融家達が議会に悪影響を及ぼして貧困の原因となり植民地の英国に対する憎悪を作り出して革命戦争を引き起こす様な事さえしていなかったなら植民地は茶などの物品に課せられた小さな税金の負担を快諾していたであろう。」


ここで、我々の独立宣言を起草し、1801〜1809年にかけて合衆国の大統領を務めたトマス・ジェファーソンの言葉を引用して読み上げたいと思います。

ジェファーソンは彼の財務長官であったアルバート・ガラティンに宛てた手紙の中で次の様に述べています。「私は銀行制度は我々の自由に取って常備軍よりも危険なものであると心底から信じている。もし、アメリカ国民が最初はインフレにより、次いでデフレによって民間の銀行が通貨の発行を操作するのを許すような事があれば、彼らの周りで太り行く銀行や企業は人々の有するあらゆる財産を剥奪し続けるだろう。彼らの子供達が自分達の父が征した大陸の上で遂に家を失った事に目覚めるまで… 通貨の発行権は銀行から取り戻してその正当な保有者である国民に返還しなければならない」。この僅かな言葉の中でジェファーソンは非常に多くの意味を込めていました。彼は発行権について述べていたのです。それは通貨を発行する権限を意味していました。しかし、合衆国憲法第1条が通貨制度に係る権限は議会に 属する 旨を定めているにも拘わらず、ジェファーソンが大統領に選出される頃までにこの権限は議会によって既に民間の銀行組織に与えられてしまっていたのです。そして彼はインフレとデフレが繰り返される事についても触れています。これは私がこのビデオで何度となく言及する事となる概念ですので、是非、憶えておいて下さい。ジェファーソンの後を継いだ米国の大統領にして彼の個人的な友人であるジェームズ・マディソン大統領も同じように述べています。「歴史は両替商どもがあらゆる形の不正利用、陰謀、欺瞞、また、あらゆる可能な暴力的手段の限りを尽し、貨幣とその発行をコントロールする事によって政府を支配し続けて来た事実を記録している」。ジェファーソンもマディソンも我々の通貨制度を統制するのは銀行家達であるべきか或いは国民を代表する選挙された議員であるべきかが問われた米国史の時代の中でこの様な判断を下したのです。実際、それは当時の主要な政治問題となっていました。通貨供給を統制してそれから利益を得る者が誰であるかが国家と経済の安全保障にとって決定的な要因となるものである以上、それは現在も主要な政治問題でもある筈のものです。かつて1791年にワシントン大統領の最初の財務長官であったアレキサンダー・ハミルトンは議会を説得して第一合衆国銀行を設立する為の法律を制定させました。この銀行はイングランド銀行をモデルにしたものです。これら二つの機関の何れもジェファーソンとその支持者達が断固反対していた私的に所有されている中央銀行に通貨発行の権限を与えたのです。第一合衆国銀行に与えられた特許が失効した1811年にはジェファーソンとその党が政府を運営していた為に議会による特許の更新はなく、彼らは民間の所有になる中央銀行が、かつて考案されたものの中でも、最も効果的に自治を破壊する装置である事を理解していたのです。しかし、1817年になると1812年の戦争に因って国の資金が不足し、議会はもう一つの銀行、即ち第二 合衆国銀行を設立したのです。


またしても、民間による通貨供給権が国を統制する力を発揮し始め、それが余りにも大きかった為に1828年に大統領に選出されたアンドルー・ジャクソンはこれを排除する決意を固め、「銀行は私を殺したがっているが、私が銀行を殺す事になろう」、「もしアメリカ国民が我々の通貨と金融制度のこの酷い不正を知りさえしたなら、夜の明ける前に革命が起こされるだろう…」などと述べたのでした。1834年、ジャクソンは第二合衆国銀行に預託されていた連邦政府の金を引き上げ、この銀行も過去のものとなって行ったのです。ジェファーソンとジャクソンが第一合衆国銀行と第二合衆国銀行を問題であるとしていたのは民間が所有する中央銀行のやり方についてでした。政府にお金を貸し付け、それを税金として納めたお金を含む政府収入から利子を付して返済する義務を国民に負わせると言うそのやり方にあったのです。銀行は部分準備制度によって実際に預かっている預金よりもずっと多くの金を貸し出しています。国立銀行は一定額の国債(財務省証券)を購入して「基本準備金」とする事によってこのようなやり方をしているのです。銀行はこの基本準備金を一度確保すると更に多額の現金を何の根拠もなく無から創り上げるのです。では、彼らはその「余剰」の現金をどの様に使うのでしょうか?彼らはそれを一般に貸し出して貨幣の流通量を増やし、しかも、そこから利子を取り立てるのです。巨額の国の借金が中央銀行制度に常に付き纏っていますが、それは銀行が財務省証券を購入することはすなわち政府にお金を貸し付けて利子を徴収する事だからです。国が戦争中であったり巨大で高額な軍用基地を有していたりすると、その国の借金が最も早く膨れ上がるのは言うまでもありません。

しかし、ジェファーソンは、中央銀行に協力することを拒否する事にり、8年もの間、連邦政府予算を均衡させる事が出来ました。以降、その様な偉業が果たされた事はかつて一度もありません。そしてアンドルー・ジャクソンは国の借金を完済する事すら出来たのです。銀行に何ら負債がなかったが故に我が国のこれら初期の政治指導者達は銀行の影響を受ける事が殆どありませんでした。ここで、ヨーロッパの有名な金融一族の創立者であるアムシェル・ロスチャイルドの言葉を読み上げてみましょう。1790年にロスチャイルドは次の様に語ったと報告されています。「国の貨幣を私に発行させ、支配させよ、そうすれば誰が法律を作ろうとも構わない」と。19世紀の間にロスチャイルド家とその金融界の仲間達は西ヨーロッパ諸国の君主達を事実上支配していたのです。ジェファーソンとジャクソンが中央銀行制度にあれほど強く反対して我々の共和国の自由を護持したのはロスチャイルドが何を言わんとしているのかを理解していたからに他なりません。英国にくみした保守派と共和制を唱えた者達との違いは主にこの点にあったのです。しかし、銀行家達が共和国をも支配しようと目論み始めたのに及んで、それも変わらざるを得なくなりました。ここでその数十年後の1861年から1865年にかけて起こった南北戦争に時計の針を進めましょう。エイブラハム・リンカーンが大統領に就任した1861年、連邦政府にはこの戦争の戦費を賄う資金が不足していました。


エイブラハム・リンカーン大統領は多額の資金を必要とし、しかも迅速にそれを得る必要がありました。そこで、彼はニューヨークの銀行家達のもとに出向いたのですが、その当時アメリカには四半世紀にわたって中央銀行が存在していなかった事を思い起こして下さい。英国と欧州の同業者と緊密に連携していた銀行家達は政府にお金を貸すのは良いが少なくとも25〜35%の利子 を払えなどと言い放ったのです! 全く言語道断な話です。そこで、議会は急進的ながらも全く道理にかなった一歩を踏み出しました。紙幣を印刷し、リンカーン政権にそれを支出して流通させる権限を与えたのです。その結果、金との直接の兌換性がない4億5千万ドルのグリーンバック紙幣が議会の承認を得て創られました。この実質的な購買力は南北戦争中の経済が生産する財貨やサービスを得る為に使用されました。このグリーンバック紙幣によって支出するお金を得る為に政府は何時も銀行から借り入れる必要など元々ないのだと言う事が証明されたのです。この戦争の間、グリーンバック紙幣に加えて政府は税金を上げ、戦時公債を直接国民に売却しましたが、その何れも銀行による金融制度を全く迂回して行ったのです。リンカーン大統領の通貨政策は1865年の上院文書第23号に次の様に記録されています。即ち「政府の支出力と消費者の購買力を満足させる為に必要な通貨と信用の創出、発行及び流通は政府が行うべき事柄である」と。これはこの半世紀前にジェファーソンが述べたものと全く同じ内容のものです。引用の続き:「通貨の創出と発行に係る特典は政府に属する最高の特権であるのみならず、政府が創造的活動を行う最大の機会でもある。これらの諸原則を採用する事で通貨の統一を求めて来た長年にわたる切実な願いが叶えられる事となろう。納税者達は莫大な金額の利子、割引や交換の費用を支払わずとも済むようになる。全ての公益事業に対する資金調達、安定した政府と秩序ある進歩の維持そして財務省の運営は実践的な政権運営の課題となる。人民は自らの政府のように安心できる通貨を得る事が出来、また、実際に得る事になるだろう。通貨は人類の主人たるを止め、それに仕えるものとなるのだ。民主主義はマネーパワーの上位に置かれ、それを支配する事となる」。リンカーンの政策は代議政府による通貨の発行こそが経済的民主主義の鍵であると言う事を指摘したのです。この言説は嘗て行われた如何なる言説よりも民主的通貨制度の原則を最もよく要約したものとなっており、グリーンバック紙幣制度の原理を完璧に言い表しています。この制度がこの国に於ける国家財政の基盤として十全に実施されていたならアメリカの歴史は遥かに異なる素晴らしいものとなっていた事でしょう。しかし、そうはなりませんでした。このビデオの次の第2部で我々はリンカーン大統領のこれらの善き意図が如何にして挫折させられたかを見ます。合衆国が如何にしてマーティン・バン・ビューレン大統領の所謂「銀行がのさばる社会」、即ち、その歴史の多くの部分を金融界が牛耳るような社会に如何にしてなったのかを見る事となります。もう一度言います。この悪しき制度こそが今日の災難の原因なのです。御視聴ありがとうございました。

全6部構成の第2部

「連邦準備制度:銀行家たちによる乗っ取り」

リンカーン大統領のグリーンバック紙幣制度は正常に機能したのですが、1863年と1864年に国立銀行法、次いで1913年に連邦準備銀行法を議会に成立させた金融業者達によって土台を掘り崩され、遂に別の通貨にとって換わられてしまいました。
今や、合衆国は金融エリート、銀行、そして負債を基にした貨幣制度に支配される国となったのです。その結果、20世紀はインフレとデフレが周期的に何度も繰り返される世紀の一つとなり、今、我々が見ている様なタイプの経済的混乱を引き起こされたのです。

私の名はリチャード・C・クックと言い、この「我々は真相を掴んでいる:通貨改革という希望」と題する本の著者です。

公益事業としてのクレジット:経済危機の解消に向けてと題する6部構成のビデオの第2部へようこそ。この第2部の表題は連邦準備制度:銀行家たちによる乗っ取りです。

米国の金融史に関する我々の調査に戻りましょう。第1部で我々は南北戦争中に合衆国政府が如何にしてグリーンバック紙幣として知られる紙幣を印刷して支出し、流通させたかについて話しました。これは、ヨーロッパで戦争が常に政府の銀行に対する巨額の借金と言う結果に終わる事から、革命的な事だったのです。通貨制度がそうなる様になっていたのです。南北戦争の際に合衆国でそうならなかったのは、歴史上、画期的な事実でした。1865年にロンドンタイムズ紙は、恰も人民の為の政府に自らの通貨を支配させたいとするリンカーンの願いに対する答えであるかの如く、次の様に書いています。「もし北アメリカを起源とするこの有害な金融政策…が固定化すれば、政府は自らの通貨を何ら費用をかけずに供給することになるだろう。それは借金を完済して最早借金のない国となる。通商交易に必要な通貨を全て自前で持つ事になり、世界の歴史に例を見ない繁栄を遂げる事になる。全ての国々の頭脳と富が北アメリカに流出するだろう。あの国は破壊されなければならず、さもなければあの国が地球上のあらゆる君主制度を破壊するだろう」。何たる驚くべき言説でありましょう! これは合衆国を銀行の力から解き放つ上でグリーンバック紙幣が如何に強力であったかを示唆しています。我々はイングランド銀行の母国である大英帝国が南北戦争の際に南部側に同情的であった事を知っています。リンカーン大統領は1865年の4月14日にジョン・ウィルクス・ブースによって暗殺されましたが、ブースはその僅か前に英国が支配していたモントリオール市を訪ねていました。そこでブースは彼の陰謀に資金を提供した南部連合のエージェントから金を受け取ったのです。偉大なドイツの宰相であったオットー・フォン・ビスマルクはリンカーンが暗殺された12年後の1876年に次の様に語ったと報告されています。「合衆国が同等の力を持つ二つの連邦に分割されたのはヨーロッパの極めて有力な金融関係者達が南北戦争の遥か以前に既に決定していた事である。これらの銀行家達は合衆国が、そのまま単一のブロック、1つの国家として経済的、財政的な独立を果たし、彼らの世界的な金融支配を困惑させる事になるのを恐れていたのだ」。南北戦争で北部が勝利した事で国の統一は維持され、差し当たり、ヨーロッパの金融勢力は頓挫しました。しかし、彼らは復讐を期していたのです。


銀行家達ではなく、人民を代表する政府が通貨の供給をコントロールする権限を持つ事の必要性を理解していた今一人の大統領は1880年に大統領に選出され1881年にまたしても暗殺者の凶弾に倒れたジェームズ・ガーフィールドです。ガーフィールドは共和党のリンカーンとも言うべき人物で暗殺される数週間前に次の様に述べていました。「誰であろうと貨幣の量を制御する者は全ての産業と商業の絶対的な主となる…そして最上部にいる一握りの有力者達がシステム全体を何らかの方法で極めて容易にコントロールしているのを知るや、インフレと不況の時期が何に由来するのか自ずと明白になる」。ガーフィールドは、当時他の人々も気づいていたようにインフレとデフレ、好況と不況の周期が 貨幣の 現象である事を知っていたのです。物価が上がれば銀行の利子収入が膨れ上がり、銀行は利益を受け、また、物価が下がれば人々や企業が破産して銀行や金持達は破産者の資産を二束三文で買い取る事になるのです。しかし、グリーンバック紙幣の様な制度を通じて通貨を制御する事で政府は財政危機を緩和する事が可能となります。それ故、南北戦争後に銀行家達は議会に働きかけてグリーンバック紙幣を回収させようとしたのです。しかし、議会はグリーンバック紙幣が過去に使用されたどの様な通貨と比較しても最善なものである事を知っていました。グリーンバック紙幣はインフレを起こさず、借金する事なく戦費を賄う事を可能にしました。しかもグリーンバック紙幣は北軍を救った紙幣として広く認められていたのです。

かくして、グリーンバック紙幣は最高裁の合憲判決を受けて流通し続ける事となりました。1900年になってもグリーンバック紙幣は国内で流通している通貨のほぼ3分の1を占めていました。19世紀の後半は最も爆発的な勢いで合衆国の経済が成長した期間となっていますが、その時も 中央銀行は存在していなかった のです。しかし、グリーンバック紙幣が流通していたとは言え、銀行は依然として政治的に強力であり、南北戦争中にその足場を固める事が出来ました。1863年と1864年の国立銀行法により、彼らは政府から購入した財務省証券を基に一般への貸付を行うとする新たな国立銀行制度を確立させたのです。未だ単一の中央銀行に組織化されていませんでしたが、正に第一合衆国銀行や第2合衆国銀行と同様な制度でした。これを境に連邦政府は銀行が一般への貸し出しを行い得るよう銀行から借金しなければならなくなったのです。そうなる様に設定されたシステムだったのです。19世紀の残りの期間を通じて銀行の力は伸長して行きました。彼らの銀行券は国債と共に増え続け、法制化によってその量が固定されたグリーンバック紙幣に徐々にとって代わっていったのです。銀行は企業の事業への貸出しを行うだけではなく、不動産の抵当権を得たり、農民の種蒔きや収穫に必要な費用を貸出し、そして鉄道や鉄鋼等の産業を支配できる株式を獲得し始めたのです。銀行家達は政府が購入し得る銀の量を議会に制限させ、より希少な金を通貨の主要な裏付けとする事によって負債に無関係な通貨が流通する割合を削減する事にも成功しています。

ガーフィールドが警鐘を鳴らしていたように銀行家達は時折、信用供与を制限する事により担保資産の差し押さえや破産を通じて何千もの農家や企業を自らの手中に陥らせ、その当時の所謂「恐慌」も作り出していました。中でも最悪なのは1873年と1893年の恐慌です。これらの恐慌を通して銀行は国で最も強力な、間違いなく連邦政府や地方政府よりも強力な制度となりつつあったのです。19世紀後半の期間に通貨制度を巡る闘争が燃え広がりました。グリーンバック紙幣の通貨制度を護り、更なる増発を目指してグリーンバック党が結成されました。通貨の増発はこの期間に結成された今ひとつの政党である人民党の主眼でもありました。1896年の大統領選で人民党が民主党を引き継いで共和党のウィリアム・マッキンリーに対抗してウィリアム・ジェニングス・ブライアン候補を擁立した際に機は熟しました。ブライアンは人類を金の十字架に付けるべきではないと主張した銀本位制支持派の大統領候補でした。ブライアンは政府こそが通貨の供給を制御すべきなのであって銀行であってはならないと言明し、次の様に主張しています。「我々は政治綱領の中で貨幣の鋳造と発行の権限は政府に属すると明言している」。ブライアンは、また、次の様にも述べました。「マネーパワーは平和な時には国家を食い物にし、逆境の時には陰謀を企む。それは君主よりも横暴であり、独裁者よりも傲慢であり、官僚よりも利己的である」。

しかし、銀行家や産業家達はマッキンリーの選挙運動に金を注ぎこみ、マッキンリーはかろうじて大統領選に勝利したのです。我々の歴史のこの時点を境に共和党は大企業と大手金融の党となりました。通貨の収縮に因る恐慌は20世紀に入っても繰り返されましたが、JPモルガンを筆頭とするニューヨークマネートラスト銀行の行動によって引き起こされた1907年の大恐慌もその一つです。モルガンはシステムを救済する為に2億ドルの私的紙幣を印刷して土壇場でそれを救ったように見せかけました。1913年には銀行制度を安定させる為であると主張してモルガン関係者らを含む金融業者達、加えて英国やヨーロッパの銀行カルテル及び銀行と結束していたアメリカの様々な独占的産業の関係者の全てが 一体となって議会に連邦準備銀行法案を通過させたのです。この法律によって制定された連邦準備制度はイングランド銀行や第一及び第二合衆国銀行と同様に私的にコントロールされる中央銀行に他なりません。表面上は、それが連邦準備銀行券の形で通貨を発行して財務省の債券を売買し、米国の財政資金を預かっているが故に、恰も政府機関であるかのように見えます。その様にしてそれは財務省の所謂「財務代理人」として行動しているのです。1935年以来、連邦準備銀行の総裁は合衆国大統領が任命して来ました。しかし、地方銀行12行を含む各地の連邦準備銀行は加盟銀行が所有しており、その加盟銀行たるや私益を事とする 私人 の所有になると言うのが真相なのです。そして、選挙で選ばれた公人ならざる金融エリートのリーダー達が今日に至るまで連邦準備制度の政策を左右しているのです。


将来有名な飛行士となる人物の父であったチャールズ・リンドバーグ二世は1913年に連邦準備銀行法が成立した当時下院議員でした。彼は次の様に述べています。「金融制度は…連邦準備理事会に引き渡された。その理事会は純然たる不当利得行為を行っている特定集団…の権限によって金融システムを運営管理している。そのシステムは私的なもので、他の人々のお金を使って可能な限り最大の利益を得ると言う目的からのみ運営されているのだ」。リンドバーグは連邦準備銀行法を立法府による永年の最悪の犯罪であると断罪しています。また、この1913年には所得税の課税を認めた憲法16条の改正法案も可決されましたが、その主目的は銀行制度が公衆に金を貸し出す際のベースとなっている国債の利子の支払に充てる為だったのです。その法案にウッドロウ・ウィルソン大統領が署名して法律となったのですが、彼は後に次の様に書いています。「偉大な産業国家は今や 銀行の信用制度によって支配されている。我々の信用制度は私人によって集中管理されているのだ。国の成長、ゆえに我々のあらゆる活動は少数の人物の手中にある… 我々は文明世界の中で最悪の形で統治され、最も完全にコントロールされ支配された政府の一つと成り下がった。−自由な言論による政府では最早なく、信念や多数決による政府では最早なく、単に一握りの支配的有力者の意見と圧力によって動かされる政府となったのだ」。それでは、ウィルソンは何故その法案に署名したのでしょうか?先にこの法制化の過程を目撃したハーバート・フーバー大統領は銀行のロビイスト達が連邦準備銀行法案を承認させる為に議会とウィルソンに対して行った約束の内容を記録しています。彼らが議会とウィルソン大統領に伝えた事柄は次の様なものでした。「最早我々に金融恐慌が起こる様な事は決してありません…恐慌の発生は不可能なのです…実業家達は自らの財産を危険に晒さらす必要が最早なく今や安心して事業に邁進する事が出来…実業家はもう恐慌や不況に怯えて暮らす事なく自らの運命を定め得る…将来的に恐慌が起こる事は考えられない…アメリカ国民に再び恐慌が吹き荒れる様な事は決してありません」。1913年以来、富と力の寡頭政治が合衆国とその国民、その経済、そしてその制度を支配して来ましたが、彼らはこの連邦準備理事会を含む民間の銀行組織を通じてその様に支配して来たのです。恐慌は繰り返されました。今日、我々はその一つに直面しているのです。もちろん、全ての人が例外なく常にこの寡頭政治に同調していた訳ではありません。その例外となる最も著名な人物はフランクリン・ルーズベルト大統領で、概ねニューヨークのウォール・ストリートを中心に活動していた寡頭政治の支配者達は彼を自らの階級の裏切者であると呼んでいたのです。


ルーズベルトは大恐慌最中の1932年に大統領に選出されました。連邦準備理事会と協働していたイングランド銀行は狂騒の20年代に投資バブルを創り出した上で、突如、利子率を上げてニューヨーク株式市場に投機されていた貨幣量を縮小させ、恐慌をもたらしたのです。株式市場は1929年に暴落した後、連邦準備理事会が自らの金を大量に大英帝国に渡した1932年に再び暴落しました。金の十分な裏付を得られなくなった合衆国の通貨供給は1929年の恐慌から経済が回復し始めていたにも拘わらず、再び、突如として縮小したのです。これらの出来事は連邦準備制度と銀行組織が貨幣の蛇口を勝手に開け閉めするだけの途方もない力を有している事を示すものです。しかし、ルーズベルト大統領は、ニューディールの際に雇用を創出し、連邦政府の機関を使って企業や農民及び家族用住宅に低コストのクレディットを供与して国を復活させました。ルーズベルト大統領の下で連邦準備理事会は政府と協力して国家経済が再び成長して行くのに必要な十分な量の通貨を供給しましたが、1950年代までにウォール・ストリートは再びその支配を確立しようとしていました。銀行の金利は合衆国財務省が1951年にニューディール政策を転換して連邦準備制度が以前の様に独立して行動する事を認めた後に上昇し始め、世界大恐慌への糸口となったのです。1960年代にジョン・F・ケネディーは合衆国経済に対する増大する一方のウォール・ストリートの力を受け容れがたく思っていましたが、彼は1963年に暗殺されてしまったのです。クレディットを公的に支配して最も偉大な産業民主主義を築き上げたニューディールの政策は1960年代には徐々に色あせて行きました。1970年代になると、金融業者達は再び勢いを増し、一連の方策を使って経済を乗っ取り始めましたが、それらの一連の対策こそ我々が今正に直面している2008〜2009年の恐慌と言う経済的破綻に導いたのです。合衆国は金融制度のみならずアメリカの実業界の全てを統御している金融エリートによって支配されて来た国なのです。これらの金融業者達が今日の我々にもたらした経済破綻は我々が知っていたアメリカそのものを終わらせる糸口ともなりかねません。後に我々はオバマ大統領と彼の政権が提案している内容について吟味します。

アメリカの労働者を支援する為の対策が幾つかありますが、それ以上の事が行われなければなりません。最も重要なのは貨幣制度を巡る 支配権 を金融寡頭制から永久に奪い返す事です。この支配権は直ちに我らの政府の代表に引き渡され、国民の利益の為に行使されるべきものなのです。しかし、先ずはこの6部構成のビデオの次の部で過去40年の経済史を概観して経済的破綻が如何にして齎されたのかを見る事と致しましょう。御視聴ありがとうございました。


全6部構成の第3部

「金融制度の崩壊」

我々が今目撃している崩壊は金融制度の中で始ったもので、生産経済に於いてではありません。この危機は連邦準備理事会が金利を下げて住宅バブルを作り出し、次いで金利を上げてそれを終わらせたことから始ったのです。2008年の銀行破綻はヨーロッパの銀行が「毒入り」米国債の購入を拒否した事が引き金となって起こりました。現在、株価の落ち込みと共に我国の経済が抱える負債は更に増大しています。それ故、銀行が貸付を再開したからと言って問題が解決される事はないでしょうし、オバマ政権の経済刺激策も同様に健全な経済を取り戻すには不十分なのです。

私の名はリチャード・C・クックと言います。これは私の新しい著作で書名は「我々は真相を掴んでいる:通貨改革という希望」です。公益事業としてのクレジット:経済危機の解決に向けてと題する6部構成のビデオの第3部へようこそ。この第3部の表題は:金融制度の崩壊です。第1部と第2部では合衆国が如何にして金融エリート達と彼らが私的に所有し国民と政府に負債を負わせることによって通貨を流通させている銀行システムに支配される国となったのかについてみてきました。そして、銀行システムが他の国々の銀行システムと連動している為にその影響力が国際的である事も述べました。グローバル化とは、良きにつけ悪しきにつけ、我々が経済的に全て連動している事を意味しているのです。中国がアメリカの債権者になって米国債を買い続ける気になるのもそのためですし、彼らはその投資がなければ我々が彼らの製品を買う事は不可能である事を知っているのです。しかし、益々不安定化する世界にあってこのシステムは全体として国際銀行家を経済的にも政治的にも最も強力な勢力にしているのです。ここで、我々が2009年の現在に直面している危機を手早く見てみましょう。その前に我々は現代の国家が、実際上、二つの経済を有していることを理解しておく必要があります。その一つ は男性も女性も毎日出勤して我々が日常生活で使用する財貨やサービスを創り、我々に仕事を与え、また、我々や家族に必要なものを購入する為の所得を与えてくれる生産経済です。この生産経済は課税を通じて共通の必要に資し、不測の事態に備え、あるいはよりよい働き方に投資する為の余剰所得をも生じるものでなければなりません。生産経済にはわが国に 輸出される財貨やサービスを生産している他の国々の農場や工場も含まれます。もちろん、他の国々の農場や工場で働く人々の賃金は合衆国で同様な物づくりをしている人々よりしばしば少ないものとなっています。この不況に際して生じた如何なる事も我々に必要なものを供給する世界の生産経済の能力を何ら低下させたりしていないと言う事実に着目して下さい。事実、生産経済の効率性や生産性は技術革新やテクノロジーにより常に成長し続けているのです。実のところ、経済危機が始まったのはFIREと呼ばれる第2の経済に於いてなのです。FIREとは金融 (Finance)、保険 (Insurance)、そして不動産 (REal estate)を指し、銀行取引、信用供与、投資、資本形成、貸付など、貸したり借りたりで生産経済をグルグル巻きにしている経済、所謂「流動性」即ち、生産経済を潤滑に機能させる運転資金を与えなければならないとされている経済です。しかし、近年、合衆国に於けるFIRE経済は生産経済よりも遥かに早いスピードで成長しました。これが問題の根本なのです。FIRE経済の不均衡な成長はインフレや過剰な諸経費、暴利や腐敗を意味しているからです。


また、それは通貨制度の基盤を形成している負債のピラミッドが最終的に崩壊する事を意味します。このFIRE経済の立役者は主に金利の操作によってそれを動かしている連邦準備理事会です。生産経済とFIRE経済の両方に流入する貨幣が全て究極的には銀行の利子を付した貸付けによるものである事から利子率はきわめて重要な問題になります。しかし銀行による貸付は容易に悪用されます。そして利子が複利の場合は、負債は飛躍的に膨れ上がり、生活の為に働いている誰にとっても更なる負担となるのです。例えば、商品市場の購入契約で業者達の使っているお金の97%までが彼ら自身のものではなく、銀行から借り入れた資金なのです。株式の信用買いも同じカラクリで行われており、投資家が自ら拠出するのは小額のお金で、残りは全て借入で賄っているのです。株式ファンドが企業を丸ごと買収する際にも銀行のローンが使われています。これらの全てが投資家にとって非常に危険なものであるのは明らかですが、銀行にとっては、彼らの貸し出す金は部分準備制度により預金を何倍にも膨らませる特権によって無から創り出されている為にそれほど危険なものとはなりません。借り手が破産した場合に銀行は彼らの資産を、勿論もし資産があればの話ですが、差し押さえる事が出来るのです。 今日、合衆国内の経済危機は行過ぎたFIRE経済によって始りました。具体的にはあの世界大恐慌以来の最悪な経済危機を誘発した住宅バブルの崩壊がそれです。多くの人達が警鐘を鳴らしていたこの住宅バブルは2000〜2001年のドットコムバブルと呼ばれたあのバブル崩壊の後に連邦準備制度がアラン・グリーンスパンの下で決定した事柄の結果でした。 ジョージ・W・ブッシュがアル・ゴアを押しのけて大統領になったと最高裁が判定した当時の2000年12月、株式市場は大暴落しました。僅か1年の間に8兆ドルもの投資資金が露と消えたのです。2001年の3月ブッシュ大統領は大型減税案の通過を議会に求めましたが、それは主に最も裕福な納税者を対象としたものでした。2001年の終わり頃には合衆国政府はアフガニスタンに侵攻して9.11のテロ攻撃の報復を行っており、イラクへの侵攻も計画していた為に経済が新たに牽引される兆しはなく、連邦準備理事会はそれでも何とか景気を回復する為に金利を今後の2年間に500ベーシスポイント、即ち、5%もの大幅な引き下げを行うとの決定を下したのでした。この連邦準備理事会が金融寡頭制の道具である事を忘れないようにして下さい。それら金利の引き下げは、しかし、工業生産の進展に資するものとはなりませんでした。それどころか、金融業界は住宅担保ローンの申込書を書ける全ての消費者に貸付けを行ったのです。その結果、住宅インフレの暴走により住宅価格が急騰したのですが、連邦政府の規制機関はそれに対して何ら対処する事なく住宅バブルは膨れ上がりました。巨額の住宅担保ローンによる現金が経済につぎ込まれましたが、それらの現金は何も無いところから創り出されたものなのです。そして、今や、銀行は連邦準備理事会のお墨付きを得て前代未聞の挙に出ました。この益々不良化する不安定な抵当権付き住宅ローンを各種不動産担保証券の束に組み入れてパッケージ化したのです。そして次にウォール・ストリートはそれらの新製品を米国と世界の投資家に販売したのです。後にそれらの証券類が有毒なローンであるとして暴露された事は我々の既に何度も聞き及んでいるところです。一方、世界大恐慌の最中に経済的危険負担を緩和する為に制定されたグラス・スティーガル法を廃止するよう銀行家達がビル・クリントン大統領を説得した際にウォール・ストリートと銀行による他の種類の投機的貸し出しの水門が1999年に開かれました。


このグラス・スティーガル法は商業銀行と投資銀行の業務の越境を禁止していたのですが、今や、以前は不法行為であったリスクの最も高い貸付業務を最大の商業銀行が行う事が出来る様になったのです。かくして住宅バブルのみならず、商業用不動産、株式ファンドやヘッジファンド、商品及び金融派生商品として知られる金融商品等の金融バブルが追加される様相を呈し始めました。金融派生商品(デリバティブ)と言うのは原資産から価値を得る(価値が派生する)当業者間の取引であり、それらの原資産の例としては株式、社債、商品、通貨等があり、保険証券もその中に含まれます。実際、多くの金融機関が合計数兆億ドルにも及ぶ自らの最大投資資金を基にデリバティブを取り引きしているのです。政府はもう一つ重大な決定をしています。それは証券取引委員会がこれらのデリバティブを規制しないと言うものです。実際、規制が行われた試しは全くありません。どの様なバブルにも共通している事があります。それは巨大な額の金が、究極的には銀行の貸付を源泉とするものですが、財貨やサービスの生産者が実際に行っている仕事とは全く関係なく経済に投入されると言う事です。それ故、当然の事ながら、インフレが結果として引き起こされたのです。住宅価格は先に示唆したように、事実上、一夜にして高騰したのです。連邦準備理事会と政府による家族用住宅に対するこの価値なきインフレはこの国の勤労庶民に対する 犯罪 なのです。人々は頭金なし、金利支払のみ、利率変動型抵当等の非標準型の借入証書を使って住宅を購入しました。ガソリンの値段もこのインフレ環境の中にあって高騰し、株価も企業の負債資本比率が非常に高かったにも拘わらず膨れ上がり、ダウ式平均株価はつい2007年の10月に14,100ポイントを超えました。これもやはりバブルなのです。住宅その他の資産を引き渡す際に売主が手にする資本利得はこの過去20〜30年に労働者の間で起こっていた仕事の海外委託や給与・賃金の伸び悩みに起因するアメリカ人の所得の減少を埋め合わせるものになりました。この仕事の海外委託は1970年代の初めに遡る一連の政策や決定の結果でした。仕事の海外委託と給与・賃金の伸び悩みは金融業者の暗躍による利益がグラフの上を舞い上がるに連れて消費者の購買力と預金額が同時に減退した事実から分かるように給与実所得の急激かつ長期的な減少をもたらすものとなりました。自らの仕事で十分な生活費を稼ぐ事が最早出来なくなった消費者は自分の家を事実上の現金自動預け払い機の様に扱う事で投機的カーニバルに加わろうとしたのです。ローンブローカーが1年おきに住宅ローン契約を書き直すのは珍しい事ではありませんでした。ブローカーは手数料を受け取り、住宅所有者は住宅の前の価格と新しい価格の差額の増分を小切手で受け取っていたのです。住宅価格が急落し始めるや住宅所有者は最大の敗者となり、以前に高成長していたフロリダ、テキサス、ネバダ及びカリフォルニアでは特にそれが顕著となりました。

これらのバブルは連邦準備理事会が2003〜2006年に以前の政策を覆し金利を引き上げた事によってはじまりました。このシナリオから、建国初期の我が国の大統領が銀行組織に貨幣制度をコントロールさせるような事をすればどうなってしまうかについて警告を発していたように、連邦準備理事会が如何に与え、そして奪うようになったのかを見て取る事が出来ます。住宅価格は需要、投機、そして毎月の住宅ローンの返済額を魅力的にさせたであろう金利の突如とした大幅な切り下げ等の要因によって上昇しました。しかし、今や、何百万もの住宅の市場価格が帳簿価格を下回る状況、つまり、住宅を購入した人々の負債額よりも安くなってしまったのです。その間、銀行は人々が借金を返済し得なくなったのを見て信用引き締めを行い、債務不履行の住宅購入者が余りにも多かった為にクレジットカード等の貸付金に係る金利を引き上げて埋め合わせたのです。リーマンブラザーズやメリルリンチ等の巨大な金融機関が破産したり競争相手に買収されたりする羽目となりました。今や何百万もの人々が職や家、そして健康保険を失っています。1ヶ月当たり50万もの職が−2009年の2月には60万でしたが− 無くなっているのです。失業手当を受け取っている人々だけでなく職探しを諦めた人やパートタイムの職しかないいわゆる「失意の人々」も含めると今後の数ヶ月間で実質失業率は20%を超える可能性があります。そして政府の税収入も落ち込み、中央及び地方の政府が公務員の給与や業務を削減するに連れて失業者は更に増えて行きます。失業率は世界大恐慌の際のレベルに接近し始めているのです。

知っての通り、合衆国の財務省と連邦準備理事会は、緊急対策を通じて、FIRE経済を救済しようとしています。ブッシュ政権の不良債権救済プログラムを通じて何千億ドルものお金が銀行に流れ込みましたが、バラク・オバマ大統領の新たな財務長官であるティモシー・ガイトナー財務長官はその額に更に追加しています。これらの緊急援助は外国の投資家、主にヨーロッパの投資家が合衆国の当局者に対し最早我が国のリスクの大きい証券を購入する事はしないと述べた事が発端となって行われたものでした。2008年10月の金融崩壊もその事が引き金となって起こったのです。これまでの所、緊急援助資金は大銀行が破産寸前の弱い銀行を買い上げて自らの支配を固める為に使われて来ましたが、彼らは未だ企業や消費者に対し停止状態の貸付けを再開するに至っておりません。それらの銀行は救済資金をその額も未だに不明な不良資産による彼らの損失を埋め合わせるためにため込んでもいるのです。しかし経済の中での銀行組織による新たな貸付けや借金の流れの再開がこの経済危機に対する答えと言う訳ではありません。国全体が抱えている負債の重荷、即ち我々個人や家計、企業、そして政府等の全ての層が金融機関に対して抱えている借金の額はおよそ53兆ドルにも達しており、しかも毎年3兆ドルが更に追加され続けているのです。その借金の利子は、国内総生産が年間14〜15兆ドルである我々の経済規模に対して、毎年2〜3兆ドルにも及んでいます。住宅価格と株価の低落により非常に膨大な富が消え去ったせいでこの負債の重荷はこの過去2年の間に極めて過酷なものとなりました。オバマ政権がこれらの状況に対処するべく新たに打ち出した7,870億ドルの経済回復プログラムは合衆国の歴史に類を見ない最大の支出法案です。しかし、それは雇用の創出と言う面が不透明であり、インフラの整備に対する資金も貧弱なものとなっています。


陣頭指揮で実現しようとしているのは10〜20万ほどの連邦政府の仕事で、全体的な目標としては2010年までに350万の雇用を創出するとの事です。しかし、それで十分なのでしょうか? 現行法が許している範囲では政府が経済の抱えている負債を除去する事は殆ど出来ず、再び経済成長を促す事によって借金の清算が可能となるであろうと希望する以外にないのです。しかし、その様な望みが実現する見通しはありません。借金の額は余りにも大き過ぎ、例え消費者が極めて僅かなものしか購入せず、以前よりも遥かに多くの割合所得を貯蓄に回したとしても、到底、逃れ得るものではありません。それに、消費者がその様に行動すれば、消費が落ち込んで雇用が更に失われ、外国からの輸入も少なくなります。この様に、それは米国と米国の輸入で生産経済を支えている他の国々の経済が急速に悪化して行く事を意味するのです。この景気の下降は何時まで続くのでしょう? それは誰にも分かりません。オバマ政権が望んでいるのは議会を通過したこの法案に含まれている経済回復対策によって我々が破滅的状況に陥る事なく2009年を無事に切り抜けるであろうと言う事なのです。もし政府がこの国の通貨制度をコントロールする方向で動けばどんな形の深い構造的な変革が起きるかという問題に関しては未だ着手されておらず、議論すらも行われていません。それを起こす為の方法は人々、即ち、我々がそれを声高に、明確に、かつ一体となって要求すること以外にないでしょう。真の通貨改革は政府が銀行を抱えている不良債権から救ってやるために単に銀行組織の株式を買い取るなどと言う事に留まるものなどではありません。真の通貨改革を行えば銀行が主導する負債に基づく通貨制度を完全に排除する事になり、金融業者達と彼らを政治的に支える者達の激しい抵抗を受ける事になるでしょう。しかし、この改革はいずれにせよ行われなければならず、今直ぐに為されるべきものなのです。後ほど私は如何にしてこのような通貨改革を行うのかについて説明します。さもないと、例え政府が経済で遥かに大きな役割を演じ始めたとしても、銀行が貨幣を創出する通貨制度は以前のままです。金融エリート達は依然として支配し続けるでしょう。しかし我々はこれまで概観してきたところから、民間の金融業者達が通過の供給を担当しているかぎり、全てのアメリカ人の経済生活が圧迫され、遂にはこの国の生活水準が急激に下落するに違いないことが分かるのです。それはこの国の津々浦々で既に起こっている事です。そしてそれは米国の消費者が他の国の製品を買う能力も崩壊しつつあるが故に、世界中で起こっている事でもあるのです。危機を感じている人々の間に広がっている絶望感は日増しに高まっており、極めて深刻なものとなるでしょう。残念な事に、オバマ政権は経済難に遭遇したアメリカ国民の痛手を和らげようとしていながら、権力の座にあって未だ金融寡頭制に挑もうとはしておりません。金融寡頭制のエリートは経済回復を欲していると言ってはいるが、それは勤労者を利するような経済回復ではありません。彼らが欲しているのは銀行と企業の利益を蘇らせる事なのです。しかし、我々は、経済の下降と共に起こったどの様な事も世界の潜在生産力を減少させてはいないと言う事を忘れてはなりません。生産経済は、それが負債を背負わされ、我が国の最善の職業と産業が次々に海外に出て行くせいで弱体化されていなければ、以�</p>

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