糸井重里と岡田斗司夫が、いぜん対談でこんなことを話していた*1。「もし恋人から別れを切り出されたら」についてである。そこで糸井氏がとてもいいことをいっていた。こんな内容です。
糸井 岡田さんやぼくは、「私はあなたと別れたいの」と言われたら、事情を聞いて、「なるほどなぁ、そりゃ別れたいだろう」と、言います。
岡田 はい。まったくそのとおりでございます。「俺はいやだ」と言ったところで、どうなるか? と、復縁できる可能性が上がるかどうかをまずは考えて、その可能性と、みっともないこととのリスクのバランスを計ります。
糸井 それは温度をなくす発想なんですよ。「俺はいやだ」と言う人は、そこで相手に「愛せ」って言ってる、ということなんです。そこで、愛、つまり依存が生まれるんです。ぼくは愛は依存だと思う。それがないと「契約」とか「親切」だけになるんです。ぼくはなんだか、依存がないのはいかん! と思いはじめたんです。歳を重ねるにつれて、糸井氏のいう「依存」、みっともないことにしかリアリティが感じられなくなってきた。「俺はお前と別れたくない!」と平気で言えたらどれだけいいだろう。そのみっともない感じ。そんな風にだらしない自分をさらけだせたら、もっといろんなことが相手に伝わるのではないか。わたしはつねに、靴に泥がつかないようにと注意しながら恋愛をしてきたような気がして、そういうのはそろそろ止めてもいいんじゃないかとおもうようになった。もっとみっともなくなりたい。無意識に損得を計算したり、頭の片隅でこっそり勝算を計ったりするのはもう止めたい。なんかもう、そういうのはいいんじゃないか。
糸井氏が「温度をなくす発想」といったのはよくわかる。本気で人とつきあったら泥もつきますよ。とくに男女の関係はね。だからといって、自分の身なりを汚さないことばかり考えていたら、温度が下がってしまう。平気で泥まみれの恋愛ができる人ってたくさんいて、そうした人たちの恋愛はわたしのそれよりもずっと充実しているに決まっているのであり、わたしはなぜそうなれなかったのか、つい考えてしまうのである。もっと温度を上げていきたい。
”— 2008-05-05 - 空中キャンプ (via omizu)
2009年8月5日水曜日
I know what works for me. BTAICBW » 糸井重里と岡田斗司夫が、いぜん対談でこんなことを話していた*1。「もし恋人から別れを切り出されたら」に...
via pinto.tumblr.com
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿