世のすべてのものは移ろいゆく。恋愛感情や若さがそうであるように、どんなに「今のまま変わらないで」と願っても、いっさいが例外なく変化していく。人は世界が常に変化しつつある「無常」なものと頭で分かっていながら、欲望が心に生まれると「無常」として受け止められなくなる。煩悩(欲望)が判断を誤らせ、永遠に変化しない「常なるもの」と錯覚させる。そして、相手の心変わりを非難しては嘆き、失ってしまった物をいつまでも惜しみ悔やむ。
釈迦は“縁”をキーワードにして、「苦」の根源に迫った。結果、万物が変化するという事実を認めない「無知」が「迷い」を生み、迷いが「欲望」を生み、欲望が「執着」を生み、執着が「苦しみ」を生むとする結論に至った。「無常」という真実をあるがままに受け入れることでしか心の平安(悟り)は得られないのだから、心が勝手に真実を曲げて解釈しないようにしっかりと現実を直視し、すべてのものに対する執着を断てと釈迦は説いた。釈迦は「無常」を受け入れた時に、初めて人は解脱(げだつ)できるとした。※解脱…煩悩の苦しみを克服して安らいだ自由な境地に至ること。また解脱には「輪廻から解放される」という意味もある。以下に続く。●輪廻(りんね)転生について仏教では各人の業(ごう、カルマ=善悪の行為)によって魂が六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天)を輪廻するとされている。輪廻している魂は「迷いの状態」とされ、果てしのない再生から解脱する(自由になる)事を仏教は究極目標にしている。解脱を目指して善業を積む--これは来世にもっと善良な魂となる為に、現在の生活で善業を行なおうという前向きな思想だ。ところが現代(特に新興宗教)では、「前世の行いが悪かった」「祖先の大罪のせいだ」と過去の業ばかりを脅迫まがいに強調し、善行の理由が過去の禊(みそぎ)になっている。この場合、前世の業で人生は定まっており、現世ではどんな努力も無駄という考えに陥りやすくなる。過去をことさら重視せず、現在の自分を見て、よりよい魂となる為に善い行いをするべきだろう。※魂が死後に生まれ変わるという考え方は、古代ギリシャでプラトンやピタゴラスも説いており、釈迦の誕生以前からインドにあった思想だ。●すべて空なり仏教の「空」は虚無を意味する空ではない。人の命は肉親と繋がっているだけではなく、これまで食べてきた全ての命とも、日光や水、酸素を生む植物、この宇宙にある全てのものと繋がっており、誰しも他から切り離されては存在できず、あらゆる物質と溶け合っているという、極めて深い感動的な意味での「空」だ。この世の全てが巨大なひとつの生命であること、これを一文字で表したものが「空」だ。ゆえに「色即是空、空即是色」(世の全てが空であり、空はまた世の全てである)となる。※あなたは私であり、私はあなたであり、鳥も、花も、星も、道端の石ころまで同じ存在である…グッとくるね。
2009年8月2日日曜日
釈迦の人生を知ろう
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