非常に個人的な意見なんですけどね。
学問というのは世の中に様々ありますけど、どの分野も(入門書などで)ちょっとかじってみれば、不十分なりに(初心者なりに)、それなりに分かった気にもなるものですが、「数学」だけはちょっと趣が異なるような気がします。
数学の初心者用の本を手にとって、証明の式をながめてみれば、そこにあるのは、いうなれば、未知の「外国語」であって…、いや「外国語」と表現するには不十分ですね。そう、あえてたとえるならば「宇宙語(?)」でしょうか。数式の前では、非常に難解で有名なラテン語の習得の方がまだ優しく見えてきますから不思議ですね。
まあ、そういう数式を見るたびに思うのですが、学問は多種多様ですが、私は数学は学問ではないような気がするのです。
では、何なのかといわれれば、そうですね、あえていうなら、「神学」?
そのように感じる私には神々しすぎて理解できない分野であったりもします。特に、大学の「数学科」の学生は、数学的素養のない私には神の預言を司る神官の候補生にしか見えません。
まあ、これだけでは意味が分からないでしょうから、そのことについてちょっと書いてみたいと思います。
2.別に数学が嫌いだというわけではない
まあ、このようなことを書くと、「数学が嫌いなのか」と思われがちですが、別に、私は数学が嫌いだというわけではありません。
※まあ、だからといって、他の教科と比べて特に好きだということもありませんけどね
むしろ、小学生のときは、かなり好きだったのではないかと思います。小学生の頃は先生にいろいろと質問していたという記憶があります。
そうですね、その中で、一番記憶に残っているのは、図形の面積と線の質問ですね。
それはこういう話です。
例えば、四角形の面積を求めるという問題があるとしますよね。そこには四角形が描かれているわけです。そこには当然のことながら、図形が見えるように線が引いてあります。当時の私は、それをみていて、こっちの教科書の線の太さと、むこうの教科書の線の太さとが違うことに疑問を持ちました。
つまり、「じゃあ、その線の太さが違えば面積は違ってくるではないか」というわけです。太い鉛筆で書いた場合と、細い鉛筆で書いた場合とでは面積が違うのではないかという話しですね。
そして、たとえその線を限りなく細くしていっても、その分の面積はどうするのかという問題は解決されないわけです。
嫌な小学生ですね。まだ、小学生なのですからそうだからそうなんだと覚えればいいものをその点を追及していたわけです。
そのとき、先生はいろいろと工夫をして教えてくださりましたが、当時の私にはちんぷんかんぷんでした。
いろいろと悩んだすえに、結局、最後に、「じゃあ、線を引かずに内と外で色を分けて図を書いてみたら線はなくなるよ」といわれてやっと納得したという想い出があります。そのとき私は、「おお、なるほど、これは凄い。数学(算数)ってすごいなあ。」ととっても感心した覚えがあります。
※ちなみに、直線に太さはありませんね
まあ、こんな感じで、別に嫌いというわけではないですけど、馴染みというか、縁が薄いという気はします。
私は、より深く数学を学ぶにはやっぱりそれなりの「資質」が必要だと思うのです。そして、私にはその素質がなかったのだと思います。
3.簡単な数学(?)
例えば、数学の本を読むとよく出てくる有名な話に「アキレスと亀」とか、「0.999... は1に等しい」とかいうのがありますよね。これがどうにもこうにも私にはさっぱりです。
「それはそんなに難しくはないよ」というのをよく聞きますが、私の感覚はそれを拒否します。
□アキレスと亀
「アキレスと亀」というのはこういう話しでしたね。足の速いアキレスと亀が競争をすることにした。先に亀がスタートした場合、亀が先に進んでいるのでアキレスそれに追いつかなければならないが、彼が追いついたとき亀はわずかながら前に進んでいる。従って、またアキレスは亀に追いつかなければならないが、そのとき亀は…(無限ループって怖いよね)
これを私が考えると結論は、
「じゃあ、アキレスは永久に亀に追いつけないじゃん!」
となってしまうわけです。
2009年3月30日月曜日
Browser.js 数学は学問ではないのではないかと思ってしまう件について
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