寂しさの歌 金子光晴
(1895~1975・愛知県生まれ)
国家はすべての冷酷な怪物のうち、もっとも冷酷なものとおもはれる。
それは冷たい顔で欺く。欺瞞はその口から這ひ出る。「我国家は民衆である。」と。
ニーチェ 『ツァラトゥストラはかく語る。』
一どっからしみ出してくるんだ。この寂しさのやつは。
夕ぐれに咲き出たやうな、あの女の肌からか。
あのおもざしからか。うしろ影からか。糸のようにほそぼそしたこころからか。
そのこころをいざなふ
いかにもはかなげな風物からか。月光。ほのかな障子明かりからか。
ほね立った畳を走る枯葉からか。その寂しさは、僕らのせすぢに這ひ込み、
しっ気や、かびのようにしらないまに
心をくさらせ、膚にしみ出してくる。金でうられ、金でかはれる女の寂しさだ。
がつがつしたそだちの
みなしごの寂しさだ。それがみすぎだとおもってるやつの、
おのれをもたない、形代(かたしろ)だけがゆれうごいてゐる寂しさだ。
もとより人は、土器(かわらけ)だ、という。十粒ばかりの洗米をのせた皿。
鼠よもぎのあいだに
捨てられた欠皿。寂しさは、そのへんから立ちのぼる。
「無」にかへる生の傍らから、
うらばかりよむ習ひの
さぐりあうこゝろとこゝろから。ふるぼけて黄ろくなつたものから、褪せゆくものから、
たとえば 気むづかしい姑めいた家憲から、
すこしづつ、すこしづつ、
寂しさは目に見えずひろがる。
襖や壁の
雨もりのように。
涙じみのように。寂しさは、目をしばしばやらせる落ち葉炊くけぶり。
ひそひそと流れる水のながれ。
らくばくとしてゆく季節のうつりかわり、枝のさゆらぎ
石の言葉、老けゆく草の穂。すぎゆくすべてだ。しらかれた萱菅(かやすげ)の
丈なす群れをおし倒して、
つめたい落日の
鰯雲。寂しさは、今夜も宿をもとめて、
とぼとぼとあるく。夜もすがら山鳴りをきゝつつ、
ひとり、肘を枕にして、
地酒の徳利をふる音に、ふと、
別れてきた子の泣声をきく。二
寂しさに蔽われたこの国土の、ふかい霧のなかから、
僕はうまれた。山のいたゞき、峡間を消し、
湖のうへにとぶ霧が
五十年の僕のこしかたと、
ゆく末とをとざしている。あとから、あとから湧きあがり、閉ざす雲煙とともに、
この国では、
さびしさ丈けがいつも新鮮だ。
この寂しさのなかから人生のほろ甘さをしがみとり、
それをよりどころにして僕らは詩を書いたものだ。この寂しさのはてに僕らがながめる。桔梗紫苑。
こぼれかかる霧もろとも、しだれかかり、手おるがまゝな女たち。
あきらめのはてに咲く日陰草。口紅にのこるにがさ、粉黛(ふんたい)のやつれ。――その寂しさの奥に僕はきく。
衰えはやい女の宿命のくらさから、きこえてくる常念仏を。
……鼻紙に包んだ一にぎりの黒髪。――その髪でつないだ太い毛づな。
この寂しさをふしづけた「吉原筏。」この寂しさを象眼した百目砲。
東も西も海で囲まれて、這い出すすきもないこの国の人たちは、自らをとじこめ、
この国こそまず朝日のさす国と、信じこんだ。爪楊枝をけずるように、細々と良心をとがらせて、
しなやかな仮名文字につゞるもののあはれ。寂しさに千度洗われて、
目もあざやかな歌枕。象潟(きさがた)や鳰(にお)の海。
羽箒(はぼうき)でゑがいた
志賀のさゞなみ。
鳥海、羽黒の
雲につき入る峯々、錫杖(しゃくじょう)のあとに湧出た奇瑞(きずい)の湯。
遠山がすみ、山ざくら、蒔絵螺鈿(らでん)の秋の虫づくし。
この国にみだれ咲く花の友禅もやう。
うつくしいものは惜しむひまなくうつりゆくと、詠嘆をこめて、
いまになお、自然の寂しさを、詩に小説に書きつづる人々。
ほんとうに君の言うとおり、寂しさこそこの国土着の悲しい宿命で、寂しさより他なにものこさない無一物。だが、寂しさの後は貧困。水田から、うかばれない百姓ぐらしのながい伝統から
無知とあきらめと、卑屈から寂しさはひろがるのだ。あゝ、しかし、僕の寂しさは、
こんな国に僕がうまれあはせたことだ。
この国で育ち、友を作り、
朝は味噌汁にふきのたう、
夕食は、筍のさんせうあへの
はげた塗膳に坐ることだ。
そして、やがて老、祖先からうけたこの寂寥を、
子らにゆづり、
櫁(しきみ)の葉のかげに、眠りにゆくこと。そして僕が死んだあと、五年、十年、百年と、
永恆の末の末までも寂しさがつゞき、
地のそこ、海のまはり、列島のはてからはてかけて、
十重に二十重に雲霧をこめ、
たちまち、しぐれ、たちまち、はれ、
うつろひやすいときのまの雲の岐れに、
いつもみずみずしい山や水の傷心おもうとき、
僕は、茫然とする。僕の力はなえしぼむ。僕はその寂しさを、決して、この国のふるめかしい風物のなかからひろひ出したのではない。
洋服をきて、巻きたばこをふかし、西洋の思想を口にする人達のなかにもそっくり同じようにながめるのだ。
よりあひの席でも喫茶店でも、友と話してゐるときでも断髪の小娘とおどりながらでも、
あの寂しさが人人のからだから湿気のように大きくしみだし、人人のうしろに影をひき、
さら、さら、さらさらと音を立て、あたりにひろがり、あたりにこめて、永恆から永恆へ、ながれはしるのをきいた。三
かつてあの寂しさを軽蔑し、毛嫌ひしながらも僕は、わが身の一部としてひそかに執着していた。
潮来節を。うらぶれたながしの水調子を。
廓うらのそばあんどんと、しっぽくの湯気を。
立廻り、いなか役者の狂信徒に似た吊上がった眼つき。
万人が戻ってくる茶漬の味、風流。神信心。
どの家にもある糞壺のにほいをつけた人たちが、僕のまわりをゆきかうている。
その人達にとって、どうせ僕も一人なのだが。僕の坐るむこうの椅子で、珈琲を前に、
僕のよんでる同じ夕刊をその人たちもよむ。
小学校では、おなじ字を教わった。僕らは互いに日本人だったので、
日本人であるより幸はないと教えられた。
(それは結構なことだ。が、少々僕らは正直すぎる。)僕らのうへには同じように、万世一系の天皇がいます。
ああ、なにからなにまで、いやになるほどこまごまと、僕らは互いににていることか。
膚のいろから、眼つきから、人情から、潔癖から、
僕らの命がお互ひに僕らのものでない空無からも、なんと大きな寂しさがふきあげ、天までふきなびいていることか。四
遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもってきたんだ。
君達のせゐじゃない。僕のせゐでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあって、旗のなびく方へ、
母や妻をふりすててまで出発したのだ。
かざり職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、
風にそよぐ民くさになって。誰も彼も、区別はない。死ねばいゝと教へられたのだ。
ちんぴらで、小心で、好人物な人人は、「天皇」の名で、目先まっくらになって、腕白のようによろこびさわいで出ていった。だが、銃後ではびくびくもので
あすの白羽の箭(や)を怖れ、
懐疑と不安をむりにおしのけ、
どうせ助からぬ、せめて今日一日を、
ふるまひ酒で酔ってすごさうとする。
エゴイズムと、愛情の浅さ。
黙々として忍び、乞食のように、
つながって配給をまつ女たち。
日に日にかなしげになってゆく人人の表情から
国をかたむけた民族の運命の
これほどさしせまった、ふかい寂しさを僕はまだ、生まれてからみたことはなかったのだ。
しかし、もうどうでもいい。僕にとって、そんな寂しさなんか、今はなんでもない。僕、僕がいま、ほんたうに寂しがっている寂しさは、
この零落の方向とは反対に、
ひとりふみとゞまって、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といっしょに歩いてゐるたった一人の意欲も僕のまわりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。(昭和20・5・5 端午の日)
――『落下傘・1948年・日本未来派発行所刊』より――
2011年12月31日土曜日
声 「非戦」を読む
via haizara.net
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