この人の最大のウリは、劣等感から生まれる創造性であり、負け犬根性から生まれる諧謔精神だ。たとえば『暗渠の宿』では、もてなかった主人公がやっとのことで彼女を得るのだが、その彼女の元彼のことが気になって仕方がない。
「それを思うと、ふいと私は、不当にその男の後塵を拝しているような、えも云われぬたまらない口惜しさを覚えてくる。それに何よりその男は、うまうまと私の女の処女を破ったのである。そして私の女の、一番輝いている時期の心を独占し、一番みずみずしい時期の肉体を隅々まで占有し、交際期間から併せて都合七、八年もそれらを堪能して、さんざおいしい思いをし続けたのちに、これを弊履のごとく捨てたのである。そしてその男にしてみれば充分貪り尽くしたと云えるこの女を、私は、私に与えられた最後の砦として、随喜の涙を流して抱きしめているのである。その図を考えたとき、ただでさえインフェリオリティーコンプレックスの狂人レベルな私にしてみれば、およそ男としての根幹的な部分からわき上がってくる云いようのない屈辱感に、血が頭に熱く逆流してくる」
自らの惨めな境遇を徹底的に言語化する競技なんていうものがあったら、この作家はオリンピック級である。その過激な自虐ぶりが常人の同情とかを寄せ付けないレベルにまで高められていて、読者はもはや笑うしかないのである。
via ringolab.com
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