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江戸城受渡しの時、おれと西郷との談判で、双方五人づつの委員を選び、城受渡しの式をすることにした。西郷は加わつたが、おれは加わらなかつた。その時は殺気全都に充満するといふ形勢で、なかなか油断が出来なかつた。この中に西郷は悠然として少しも平成に異ならず、実に驚いたは、城受渡しに関するいろいろの式が始まると、西郷先生居眠りを始めた。この式がすんで、ほかの委員が引取るも、なほ先生ふらりふらりやつて居る。西郷さん西郷さんと、ゆり起すと先生ハアーと言つて、ねとぼけ顔を撫でつつ悠然と帰つて行つたさうだ。
Read more at ninhao.cocolog-nifty.com西郷は漠然たる男だったが、大久保は、これに反して実に区別がはつきりしていたヨ。官軍が江戸城にはいつてから、市中の取締まりが甚だ面倒になってきた。これは幕府は倒れたが、新政が未だ布かれないから、ちやうど無政府の姿になつたのサ。徳川の城さへ明渡せば、後はみな官軍の方で適宜に始末するだろうと思つて、初めは黙って見ていた。そこはおれも人がわるいからネ。しかるに大量なる西郷は、意外にも、実に意外にも、「府下の事は何もかも勝さんが御承知だから、宜しくお頼み申します」といつて、自分は奥州の方へ行つてしまつた。後の処置は、勝さんが何とかなさるだろうといつて、江戸を去つてしまつた。この漠然たる「だろう」にはおれも実に閉口したヨ。これがもし大久保なら、これはかく、あれはかく、とそれぞれ談判しておくだらうに、西郷と大久保の優劣はここにあるのだヨ。西郷は、どうも人にはわからないところがあつたヨ。大きな人間ほどそんなもので・・・小さい奴なら、どんなにしたつてすぐ腹の底まで見えてしまふが、大きい奴になるとさふでないノー。 (写真・西郷南州は、Wikipediaより)。
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