線路上の群集に列車突入/即死六名十余名重軽傷す
遭難者は殆んど若い職工の男女/昨夜高田馬場駅近くの惨事
四日午後九時十分ごろ市外高田町八一四、一〇一九両番地先山の手線の高田馬場駅から約五十間ほど目白駅に寄つた線路上で同地付近の男女五六十名が立ち並んで品川駅行き上り〇〇列車一,〇〇七号を見送りつゝ夢中で万歳を歓呼してゐる際、反対の方向から〇〇列車と摺れ違ひに品川発田端行七八三号下り貨物列車(略)が驀進し来つてアハヤといふ間もなく線路上に逃げ迷ふ男女を無残にも或ひは轢断或ひは刎ね飛ばして下落合指田製綿工場男女工等即死者六名、重軽傷者十余名を出した、急報により所轄戸塚署から津崎署長以下警官四十名、東京地方裁判所から市原検事、警視庁から鑑識課員等現場に急行、付近の在郷軍人、青年団、消防組等の応援を得て重軽傷者を最寄りの伊藤病院、真下医院、楽山堂分院及び帝大病院分院に収容して応急手当を加へた、椿事を起した現場はふだん通行を厳禁してある約十米もある高い土手上の線路で真ツ暗闇の中に気味悪く光る線路の付近一面に頭、胴体、四肢等が飛散して名状し難い凄惨な光景を呈し、足場が悪いため負傷者の収容、死体の取り片づけに大混乱を現出した、
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もっとも犠牲者を多く出したのは、山手線西側の土手下(下落合35番地)で操業していた指田製綿工場だった。この事故により、経営者の三男である中学生の指田潤三(17歳)をはじめ、同工場につとめていた田中兼吉(22歳)、海老澤新一(19歳)、関文一(17歳)、藤岡照道(18歳/のち病院で死去)の5名が犠牲になっている。また、重傷者の中にも同工場の工員が多く含まれており、特に10代後半の少女たちが目立つ。重傷者の8名を合わせ、指田製綿工場だけで計13名の死傷者を出しているのだ。同社では操業をつづけられないほどの、壊滅的な被害だったろう。
2010年10月13日水曜日
下落合の事件簿「山手線〇〇列車事故」。(下):Chinchiko Papalog:So-netブログ
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