西洋哲学が日本の慣習に相容れない一番の理由は、西洋哲学が強い個をもとにしているから。日本人は集団を重視して強い個を好まない。
哲学はさまざまな「他者」の多様な価値社会の中で、共通した基盤を作れないか、という強い願望から発達したもの。日本人のようにハイコンテクストな社会ではその差し迫った願望自体を感じることができない。幸せなことに共通した基盤が湯水のように何の苦労もなく手に入る。日本人は手に入っていることさえ気付かない幸福な状態にある。
最近は集団が解体しつつあるといいながらも、まだまだハイコンテクストな社会であることにはかわりがない。「空気をよめ」は、見ず知らずでも日本人同士なら空気(コンテクスト)を共有できることが共有されていることを示している。
集団主義といいながら、確かに日本人は西洋人より、他人に無関心、自分の利益優先、自己肯定がより強い面があって、でもこれこそ集団主義の裏面。集団に守られている状況が生み出している。よく言われる外づらがいいが、うちづらはわがままの状態。
via d.hatena.ne.jp
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