ニューヨーク・ハーレムに暮らす黒人たちは「9.11」をどう受け止めたか。そしてブッシュ政権のいまのありようは彼らの目にどう映っているのか。
●何事もなかったのように行き交う人々
天地を揺るがす大惨事が起きた昨年九月十一日、午後になってハーレムの街に出てみた。人々はまるで何事も無かったかのように通りを行き交っていた。声高に事件のことを話している人も見かけなかった。週に二回、子供たちにコンピューターを教えているハーレムYMCAまで自宅から十五ブロックの距離を歩いてみた。だが、警察署のあるブロックが二次テロに備えて封鎖されているほかは、特に変わった光景にも出会わなかった。YMCAの職員は、子供たちの親の安否を確かめる作業に忙殺されてはいたが、事件そのものに興奮している者はいなかった。テレビに写る現場付近の映像と見比べると、何とも不思議な静かな光景だった。
ハーレムとは、南北に細長いマンハッタン島の北部110丁目から155丁目を指す。全体の人口は約二十万人だが、黒人が多く住む中央ハーレムだけに限ると約十万人。マンハッタンのほぼ南端に位置するグラウンド・ゼロからは十キロほど離れており、地下鉄に乗れば三十分程度の距離だ。
●星条旗に覆われた街
事件から数日後、警察による封鎖ラインの敷かれているダウンタウンのキャナル・ストリートも含め、マンハッタンをあちこち歩いてみた。そこで異様な光景に気づいた。星条旗だ。ニューヨーク中に星条旗があふれている。五番街に建ち並ぶ高級ブランド店から街角のドーナツ屋に至るまでが星条旗を飾った。数え切れないほどの、アパートメント・ビルの窓という窓から星条旗が垂れ下がり、車はミニチュアの星条旗をなびかせて走った。人々は星条旗をプリントしたTシャツを身に着け、街頭で星条旗のステッカーを配った。文字通り、街全体が星条旗に覆われてしまったかのようだった。
●アメリカの中の「私たちの国」
ところがハーレムでは、どうしたことか星条旗の数が極端に少なかった。もちろん皆無というわけではなく、特に若者の中には星条旗のプリントされたTシャツやバンダナを身に着けている者もいたが、ダウンタウンに比べると十分の一にも満たなかったように思う。
ハーレム135丁目で毎日アクセサリーの露天を出している男性がいる。その露天商は、事件直後にニューヨーク中の露天商が必ず販売していた星条旗グッズを一切売っていなかった。理由を聞いてみた。彼はいつになく神妙な顔つきで「ここは良い国だ。けれど、このアメリカという国の中には、もう一つ、私たち(黒人)の国があるんだよ」と答えた。
黒人の平均所得は白人に比べるとまだまだ低く、二〇〇〇年の国勢調査では、ニューヨーク市の黒人の年間平均所得は一万五千二百九十四ドルで、白人三万六千八百ドルの半分にも満たない。とは言え、今では黒人中流層もかなり増えてきており、公民権運動の盛り上がった一九五〇〜六〇年代のように全員が「平等に貧しかった」時代は既に終わっている。いったん中流層となった黒人は、黒人としての強いアイデンティティを保ちながらも、考え方や行動様式は「中庸化」「アメリカ化」していく。
ハーレムでは星条旗を見かけることが少なかったと書いたが、同じハーレムの中でも、中流層の暮らすエリアでは、貧困層の多いエリアよりは多くの星条旗を見かけた。
●<世界>と対峙する前に<アメリカ>との決着を
「アメリカという国の中には、もう一つ、私たちの国がある」という露天商の言葉を、一年後に改めて思い出すことになった出来事があった。
現在、ブッシュ大統領がサダム・フセイン打倒のためにイラク戦争の準備を着々と進めている。それを阻止しようと世界各国の都市で反戦デモが行われている。そんな中、ハーレムでは相変わらず特に目立った動きもないが、それでも昨年十月十八日には西ハーレム126丁目にある聖メアリーズ教会で、珍しく小さな反戦集会が開かれたのだ。
六十人ほどが集まったこの集会で、ゲスト・スピーカーの一人であるハーレム選出のニューヨーク市議ウィリアム・パーキンスは、反戦についてではなく、一九八九年にセントラルパークをジョギング中の女性が殴打レイプされた事件について語った。ハーレムの黒人少年五人が警察に強要されたとされる自白に基づいて有罪となったもので、人種差別から派生した免罪事件として糾弾したのだ。反戦集会で差別事件とは一見不自然に思えるが、黒人社会では公の場であれ、内輪であれ、黒人問題が話題に上ることは多い。
なぜなら、アメリカでは黒人差別事件はいまだに終わることなく、繰り返し起こり続けているからだ。ニューヨークでも四年前に白人警官によって無実の黒人青年が射殺され、しかし警官全員が無罪となったケースもある。つまり、黒人は戦争に駆り出されて戦死する前に、自宅の前で撃ち殺されるかもしれない、ということなのだ。
アメリカ国内にある<もうひとつの国>に住んでいる彼らは、戦争が迫りつつある<世界>と対峙するまえに、まず自分たちを抑圧し続ける<アメリカ>との決着を付けなくてはならないのかもしれない。
それを裏付けるように、反戦集会で配られたチラシには「私たちの息子や娘たちが大砲の犠牲となるだろう」「ブッシュが石油と金のために戦っている間、国内予算はカットされるだろう」(いずれも抜粋)の文字が読み取れた。いったん戦争が始まれば、アメリカの軍隊には黒人兵が多いことから黒人の戦死者が多く出るだろう。そして福祉予算が削減され、黒人の貧困家庭がさらに困窮するだろう。チラシは反戦を訴えていたが、その理由は世界平和ではなく、あくまで黒人社会を守ることだった。
●多様化する人種・民族・宗教
ハーレムでは所得格差の出現と同時に、人種・民族・宗教の多様化も始まっている。中でも、中南米やカリブ海のスペイン語圏からの移民とその子孫のヒスパニックは、爆発的な勢いで増加中だ。ニューヨーク市ではとりわけプエルトリコとドミニカ共和国の出身者が多く、彼らも含めたヒスパニックの総人口約二百十六万人は、黒人の百九十六万人を上回っている。
ハーレムYMCAの総務課に勤めるローザ・カストロ・クエロ(四四歳)も、四歳の時にドミニカ共和国から移民としてニューヨークにやってきた。いまだにアメリカ市民権は取っていないが「自分はアメリカ人だと感じる」と言う。ここで生まれたローザの三人の娘たちはアメリカ国籍を持ち、ひとりは陸軍にいる。ローザは「ブッシュは石油とお金のためにプライベート・ウォー(個人的戦争)を始めようとしている」と非難するが、もし娘がイラクに派兵されたら、その時はアメリカの勝利を是が非でも願わざるを得ないだろう。
ハーレムにはアラブ系の経営する食料品店や貴金属店がかなりある。全米でイスラム教徒への嫌がらせが急増した「9.11」後も、ハーレムでは、少なくとも私の知る限りでは何も起こらなかった。ハーレムで商売を始めて五年経つという中近東出身の人も「『9.11』後も問題なくハーレムで商売を続けている」「私は彼ら(黒人)に近しいものを感じる」とにこやかに語った。その合間にも、店にやってきた黒人の馴染み客たちが彼に親しげに挨拶をしていく。
しかし、話がイラク戦争に及ぶと表情が険しくなり、「ブッシュはどこの学校にでもいるガキ大将と同じだ。ただ物事を思い通りにしたいだけなんだ」などとブッシュ非難は止むことがなかった。そして「諜報の眼はそこら中で光っているから」と、本名などは伏せてほしいと言った。
●<他者との共生>は静かな反戦表明
先に述べたように、ハーレムは今、かつての「貧しいマイノリティ・コミュニティ」から「一般的なアメリカン・コミュニティ」への長い過渡期の途中にある。こうした背景の変化があるから、黒人社会はかつてのような一致団結の力に欠けているのかもしれないし、その一方で、<アメリカの中にあるもう一つの国>を出て、<世界>に対してはっきりとした意思表示をする段階には至っていないのかもしれない。
しかし、人々は<他者と共生する>ことを日々、学んでいるようにも見える。先のハーレムでの反戦集会はキリスト教会で行われたにもかかわらず、イスラム教徒の黒人女性も演壇に立った。「9・11」で思わぬ打たれ弱さを見せたアメリカ白人社会への揶揄(や・ゆ)からか、彼女は「私たちは抑圧されることには慣れているのです」と語った。
迫り来る戦争や、それが招くであろう世界規模の混乱に対して大きな声を上げることはないハーレムの人々だが、他者を受け入れ、共生していくことこそ、実は静かにして最大の反戦表明となり得るのかもしれないと思うのだ。
「論座」2003年2月号より転載
2010年4月6日火曜日
黒人にとっての9.11とイラク戦争
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