小沢一郎・民主党幹事長をめぐる事件で各紙が「検察リーク批判」に対する反論を載せていた。これは極めて異例のことである。よほど読者からの報道批判が激しいのだろう。
そこで検察リークについての私自身の体験を語りたい。私は一九八九年のリクルート事件当時、共同通信の検察担当記者だった。東京地検は情報管理が徹底していた。ヒラの検事や事務官に直接取材したことがバレれば、庁舎への出入り禁止が言い渡される。
かといって、幹部たちだけを相手に通り一遍の取材をしていても特捜部の動きはさっぱりつかめない。どうやったら、この鉄壁の城に情報ルートの穴をうがつことができるのか。私は検察庁舎の守衛たちにアプローチしたり、闇夜に紛れてヒラ検事の自宅を訪ねたりした。彼らが上司に通報すれば一巻の終わりだが、大半の人たちが黙っていてくれた。
半年ほどの試行錯誤を繰り返した末、私は特捜部内に複数の有力な情報源をつかんだ。いずれも優秀な捜査官だった。彼らとは暗い路上や電車の中、あるいは安い小料理屋(支払いはワリカンだった)で接触した。
彼らは私を信頼して捜査の極秘情報を教えてくれた。私も彼らを尊敬し、自分がよそでつかんだ情報を提供した。
やがて私は気持ちの上で彼らのインナーグループの一員になった。彼らの捜査に協力しながら、自分の仕事に必要な情報をもらうようになった。
時にはこちらから尋ねもしないのに、政界への資金の流れを教えてくれることもあった。そんなとき心の隅で「なぜ、こんな情報をくれるのか」とチラリと思ったが、特ダネをつかんだ嬉しさでそんな疑念はすぐ吹っ飛んでしまった。
今にして思えば、あれが検察リークだったのだろう。リークの目的は世論を喚起して、捜査に都合のいい情勢を作り出すことである。私はいとも簡単に検察リークに乗った。
理由は二つある。一つは既に述べたように特ダネが欲しかったからだ。他社との激しい競争を勝ち抜くのに必死だったのでその情報に飛びついたのだ。もう一つの理由は、当時の私が「政界の腐敗をただす」という特捜部の正義を信じて疑わなかったことだ。私は特捜部と一緒に日本の政治を良くすることが自分の使命だと思っていた。
理由はどうあれ、私が記者として超えてはならぬ一線を超えていたのは間違いない。もちろん私がそうだったからといって、今の検察担当記者も同じだと決めつけるつもりもない。ただ、情報には恐ろしい魔力がある。それがディープなものであればあるほど情報源と記者との一体感が強まり、記者の情報源に対する批判的な目は失われていく。記者は無意識のうちに情報源の前にひざまずき、相手を正当化し、ある種の「共犯関係」に陥ってしまう。
検察が極めて重要な情報源である限り、この「共犯関係」は変わらない。捜査当局に依拠する事件報道は当局の太鼓持ちをするよう宿命づけられている。
たいていの事件では記者も読者もその欠陥に気づかない。気づくとしても足利事件(DNA鑑定の誤りが明らかになり、無実が証明された)のように十数年たってからのことである。だが、今回の小沢氏の事件では、検察による小沢狙い撃ちの構図が当初からあからさまに見えた。多くの人々が捜査の公正さに疑問を感じた。だから報道批判も強まったのだろう。
これから次第に小沢事件の真相が明らかになっていく。一連の報道を検証してみると、新聞やテレビがいかに検察の尻馬に乗って虚報や誤報を連発したかが明らかになると思う。
それでもたぶんメディアは責任を他に押しつけ、口をぬぐってすませるだろう。今まで同じ過ちを何度繰り返しても、当局との関係を根本的に改めようとしなかったのだから。(了)
(編集者注・これは週刊現代の連載「ジャーナリストの目」に掲載された原稿の再録です)
問題は情報操作のための検察リークが有るように思えてならない昨今、どんな場合も検察は小沢氏に限らずある意味、不公平に狙い撃ちしているのでは? それも昔からね。
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