「和」を持って尊しと言ったのは、聖徳太子です(元々は孔子の言らしいですが)。
本来の意味は「和」というのは意見の違う人たちと波風を立てずに妥協し、調和したふりをすることではありません。
自分の中に不満一杯で相手に対して悪意があっても「和を持って旨としないとね」という安直な妥協の産物と理解されていると思います。
「和」の本当の意味は、自分の中に正直に、自己に正直に生きるということ。
不平不満があれば、正直に表現してぶつけ合うこと。
悶々としつつ、保身のため言いたいことも言わないというのではなく、
ぶつかり合いのなかでお互い歩み寄り(妥協ではない)理解していくことが「和」です。
おそらく1200年以上勘違いされてきたと思います(現在進行形ですが)。また、「お客様は神様です」も同様です。
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三波春夫にとっての本当の客は目に見えない神様で、
それを聞いているお客(オーディエンス)は神様のついでにご相伴に預かっているだけに過ぎないという意。
芸能という本質でいえば、この考えのほうが正しいです。
芸能の源流はすべて神事であり、それはすべて神への捧げ物です。
わたし達はそのついでに楽しませていただいているに過ぎません。
事実、接客・営業していると、中にはとんでもない厄病神も少なからずいらっしゃいました(さすが八百万神の国です)。
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