2009年7月14日火曜日

ネットゲリラ: 江戸前じゃない寿司の話

さて、今回は
寿司の歴史について、文化人類学的考察なんぞしてみようと思うんだが、寿司という食い物くらい、そのバリエーションが豊富なモノはないわけです。今では酢飯の上に生ものの切り身を乗せて軽く握ったモノが世界的に「Sushi」として認知されているんだが、それは、「寿司と呼ばれるモノの一種」にしか過ぎない。で、寿司のルーツといえば、何と言っても「馴れ鮨」ですね。今でも琵琶湖の鮒なんか使って作られているんだが、物凄い貴重品になってしまって、値段も高いです。コレが、元々の寿司のルーツです。


すしの起源は、紀元前4世紀頃の東南アジアにさかのぼります。貴重なタンパク質をおぎなうため、米の中に塩味をつけた魚を漬けて発酵させた魚肉保存法だとされています。内臓を処理した魚を米飯に漬け、米飯の自然発酵によって魚の保存性を高めた食べ物でした。このすしを「なれずし」と呼び、数十日から数カ月たったところで魚をとりだし、食べるのは魚だけ、米は捨てられていたのです。

東南アジアでは「雨期」というのがありまして、カンボジアのトンレサップ湖なんかは雨期になると物凄く広大な湖になります。それが乾期には、物凄く小さくなる。魚たちは狭い湖にひしめき合う結果となるので、網仕掛けるとウハウハです。あんまり沢山獲れすぎるので、保存法を考えなきゃならない。そうした中から生まれてきた「保存法」ですね。つうか、東南アジアという土地では、米だけはいくらでもとれるわけで、何でも米がベースです。米で発酵させるというのは、乳酸発酵ですね。本来、コレは「具」である魚を保存するための技術であり、米の部分は食いません。つうか、米の部分は酸っぱい味なんだが、旨味が凝縮されて、古くなればなるほど美味しいといいます。米飯は何十年も経つと、ドロドロのヨーグルト状になるんだが、それがマニアにはたまらない、らしい。あいにく、おいらは食った事がないんだが。

そうした「馴れ鮨」は、日本に伝わって「生成ずし」というモノになったそうで、室町時代後期の話なんだが、米飯部分がドロドロになる前に、米飯と魚といっしょに食うという日本独特のスタイルになるわけだ。ところが、せっかちな人が多くて、馴れ鮨が馴れるのを待ってられない、というので、「早ずし」というのが誕生する。

ご飯が最初は発酵を助けるためだけであり、貯蔵を目的としていたのですが、江戸時代になると、日本独特のご飯そのものをおいしく食べる「早ずし」へと変わっていきました。自然発酵を待たずに、飯に酢を混ぜ、魚だけでなく野菜・乾物などを用いて作るのです。この形態は、日本各地にその土地の産物と強く結びついたものとして今でも見受けられます。

Posted via web from realtime24's posterous

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