茂木健一郎氏が言うには、閃きと「ど忘れ」には類似性があるそうです。この人の本を読んだことがないので、詳細はわからないですが、「ああ、それなんだったっけ?喉のところまで出かかっているのに、忘れちゃったよ。」というのと、ひらめきを得る為に思いを巡らす事が似ているという事なんでしょうか。例えてみれば、失われたパズルのピースを脳の中から必死に探しているのが「ど忘れ」、一方、経験した知識・記憶ではないが、そこにハマリそうなピース、言い換えれば、解決策を必死に脳内から探し出すのが「閃き」の過程かもしれません。「ど忘れ」と「閃き」の差として考えられるのは、前者は基本的にぴったりハマるパズルのピースであるが(そりゃ、そうだ。もともとしっかりハマッていたピースを脳内で忘れただけなのだから。)、後者は類似するが完全一致するピースじゃない。類似するピースを脳内から探すのは応用という言葉で表現できるかもしれません。そして、似て非なるピースであっても、無理やり押し込めば、カドが取れてピースがハマるかもしれない....。それが「閃き」なのか....。だから、閃きは突拍子もない所から、いきなり湧き出るものではないそうです。類似のピースのストックが脳内になければ、閃きは生まれない。類似のピースのストックを増やす為には、情報のインプットが不可欠なわけです。基本的に類似分野の知識・インプットを増やせば、解決策・閃きの可能性が高くなる。一方で、全然関係ない分野の発想が応用されて、解決策・閃きを導き出すかもしれない....。要は、分野が離れていても、部分でみると相似形のピースであればよい。逆にジャンル違いの相似形ピースを探し当てた方が、革新的な応用・閃きになりやすい。
2009年6月1日月曜日
大日本セキュリティ総合研究所 インターネットとはナニモノだろうか?
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