2010年5月6日木曜日

rs120 さんのセリフ一覧 - はてなセリフ

:: H & A :: tumblr - Warm Fuscia wall - Greece (via mnadi)

ほぼ日刊イトイ新聞 - 谷川俊太郎質問箱

谷川俊太郎さんの答え きみは自分がしたいと思った仕事をすることになります、 きみは自分がなりたいと思った大人になります。 だからしたい仕事、なりたい大人を できるだけ早くみつけて、それをめざしてがんばろう! でももし いつまでたっても、 したい仕事が見つからなかったら、 仕事をしなくても生きていける道をさがさないとね、 これは仕事をさがすよりむずかしいけど。 それからもし なりたい大人が見つからなかったら、 とりあえずいい大人、 自分のことより、 ひとのためになることを 考える大人になろうとするのがいいと思う。 そうするとね、顔もひとに好かれるような いい顔になるんじゃないかなあ。 質問 一 ときどき鏡を見て、 どんな顔になるのか想像してみます。 ぼくはどんな仕事をするのかなぁ? どんな大人になるんだろう。 (りゅう 八歳)

谷川さんの様な大人になりたかったな。

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2009-08-04 - はてなに保存してもらうメモ帳

・無職旗本の家に生まれ、一切子分を持たず、党を作らず、政治的遊泳をしないのに軍艦奉行や陸軍総裁や参議や枢密顧問官になる。

・金玉を犬に食われて死にかけるが、生き返る。

・修行時代、昼の稽古が終わると夕方から夜明けまで稽古し、帰ってから朝稽古をしていた。

・天井を薪にするほど窮乏していたが、慣習通り賄賂を持ってきた鍛冶工に「その分圧銅の量を増やしていい大砲作りな!」と叱り飛ばす。

・蘭学勉強の為に損料年10両で借りた蘭和辞典全58巻を筆写した。それだけだと貧乏で損料や紙・インク代が払えないから、さらにもう一部筆写して売った。

・どうしても読みたい兵学書が先に買われてしまい、頼み込んだが譲ってはもらえなかった。仕方なく「あなたが寝ている間は読まないでしょうから、その間だけ貸してください」と食い下がり、持ち出し禁止を条件に許可を得たので半年通って、やはり筆写した。持ち主は感服して本を差し上げると言われるが、既に写し終えてるから断るも、「あなたが持つのが相応しいから是非に」と言われて貰った。

・妻に「ちょっと品川まで船を見てくる」と言って、そのまま渡米した。

・帰国後、老中からアメリカで目に付いた事を聞かれ、「特に日本と変わりません」と答えたが、再三再四尋ねられるので、「我が国と違い、アメリカで高い地位にある者はみなその地位相応に賢うございます」と答えて叱られる。

・刺客として殺すつもりでやってきた坂本龍馬が、その場で弟子入りする。

・岡田以蔵に護衛されて命が助かったのに、「人を殺してはいけないよ」と説教するが、「私が斬らなければ先生の首が飛んでいました」と返され、さすがに何も言えなくなる。

・ちなみに直心影流剣術免許皆伝の腕前だが、度々刺客に命を狙われながら刀は紙縒りで結んで抜けないようにしていた。

・幕府も藩もない当時稀有の視点から「一大共有の海局」を掲げ、「日本国の海軍」建設を目指して神戸海軍操練所を設立するが、門戸が広すぎて討幕派志士などもフツーにいたため、幕府から睨まれ罷免される。

・罷免後、切腹なり終身預けなり重く罰せられる予定だったが、幕府多難の為いきなり軍艦奉行に復帰し、第二次長州征伐の停戦交渉を成功させるが主君から裏切られ、辞職を願い出る。

・官軍の江戸城攻撃中止の談判に当たり、決裂時には江戸もろとも敵軍を焼き払う焦土戦術を準備。交渉の具ではなく、己の決意としての準備だった。結果、将軍慶喜と住民150万人は戦火から救われた。

・明治維新後、新政府に仕えている事を「二君に仕える不忠者」として福沢諭吉に攻撃されるが、「行いは自分のすることだが、批判は他人のする事なので知りません」とあっさり受け流す。

・維新後30年かけ、将軍慶喜と朝廷とを和解させ、「これで俺の仕事は終わった」。

・程なく他界、最後の言葉は「コレデオシマイ」。

勝海舟......... これじゃあ 龍馬が惚れる筈だワア

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じぶんに必死なひと、何かに必死なひと - tapestry

世の中には、じぶんに必死なひとと、何かに必死なひとに分かれているように思う。

じぶんに必死なひとは、何をやってもじぶんがどう評価されるかとか、じぶんがどうだったかという「じぶん軸」でものを考えたり取り組んだりしている。何かに必死なひとは、じぶんがどうのという基準ではなく、何かを成し遂げるためにその何かに夢中で取り組んでいる。そして、その何かをやったじぶんについて言及されても、ひょうひょうとしている。

僕も間違いなく前者だ。

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fukumatsu: shimobayashi: hajimehoshi: ... - the Emitter

文化大革命 - L'eclat des jours (2008-10-09)

その時歴史が動いた「ひらがな革命」

正直最初は大して興味も持たずに見ていたのだが、大好きな曹丕の「文章は経世の大業にして……」が出てきたので、思わずまじめに見始めたところ、菅原道真が遊びもしなければ家庭も省みない勉強一代男として学の分野で君臨せんとするまさにそのとき、わずか16歳にして大貴族藤原の息子、藤原時平が出現する。この男、権門の子弟ということで日本版科挙も受けずに参内するという裏口っぷりを発揮する(が、政治は不可解なものだから、このシステムも実はここぞというときには機能することもあるのだな、と後でおれは気付く仕組みだ)。

発揮するのは良いのだが、当時、女がすなる和歌で恋歌ばかり詠むに長け、あっちに美女がいればあっちへ出向き、こっちに美女がいればこっちに出向き、歌を贈ってはねんごろになるという堕落者である。親父のコネで出仕したのは良いけれど、どう考えてもあそびをせんとや生まれけむな男である。

一方、道真は毎日漢文を読みあさり、勉強しまくり、家族を顧みず、という生活。それでも和歌に心を動かされることもあるが、ひらがなで書かれたものをいちいち漢字で書きなおすという硬骨ぶりを発揮する。真の漢は漢字を使い、ひらがななどでは文章をなさないのだ、という確固たる信念あり。

さて、官僚はときどき配置換えをすることで、見識をむりやり広めたり妙な縄張りを作れないようにしたりすることは、平安時代でも行われていたわけで、菅原道真も四国の長官に赴任することになる。

そこで驚いた。住民はみんなぼろを着て、字(道真にとっては漢字のこと)も読めずもちろん書けず、どこかへふらふらいなくなってしまう。

律令制度は土地を国家が持ち人頭税を徴収することを基礎としているから、食えなければ逃げるしかないからだ。

これはいかん、と菅原道真は考える。

農業を育成するには、土地に人を縛る必要があり、土地に縛られていれば逆に落ち着いて文化を甘受することもできる。つまり、律令制度には致命的な欠陥がある。つまり、人頭税だ。(戸籍制度が適当だから逃げられる時代はその致命的欠陥は国家にとっての問題ではあるが、戸籍制度ががっちり組まれるとその致命的欠陥は国民のものとなるのだろうな、と恐怖を覚えたりもするのであるが、それは余談と予断)

こういうときこそ、中国に聴け、と菅原道真は考える。拝外主義者である(ひらがなを絶対使わないわけだし)

かくして都へ戻って遣唐使を出そうといろいろ進めていくと、中国の情報が入ってくる。黄巣の乱というのがまきおこっていて中国の政治状況がおかしくなっているらしい。

うむ、律令制度の本家もだめなのか。

愕然とする道真。

しかし、学があるということは良いことだ。

自ら新たな政治の枠組みをついに考えだす。

それが、地代だ。すでに荘園の萌芽があるが(班田収受の法から時代もたっているわけだし)、それを利用し、土地に税金をかければ良いのではないか。

さっそく建白書を作り新たな税制を作り、人頭税を廃止し……

そこに貴族が猛然と抗議をするのは当然であるが、そうは言っても国家存亡の危機にまで実は国家財政が傾いているので、そのあたりはなあなあにできそうではある。

しかし、道真改革に対して、猛然と反旗を翻したのは他ならぬ部下の官僚たちであった。なんと、学問の王様の道真ともあろうお方が、われらが模範たる先進国、中国由来の律令制度を否定するとは、四国でおかしな食い物でも食ったのであろうか?

かくして日本で最初の公務員によるゼネストが敢行されてしまい政務がストップしてしまう。

予算審議の最中に政治の空白が生まれる状況の始まりである。

官僚がそっぽを向いてしまうとどうにもならないので、それまで女遊びが過ぎるとして軽く見られていた藤原時平(道真の右大臣と並んで左大臣になっていはいるが遊んでばかりいるので誰からも相手にされていなかった)にみんなの注目が集まる。国家存亡の危機なのはさすがに殿上人にもわかっている。下級役人にもわかっている。

さて時平も困った。

が、女心を自在に操るまでに至ったこの男、状況把握のセンスがある。

とりあえず、まとめると

・人頭税をやめて土地に税をかけるべき(学問の神様の結論なのだから正しいと考えるべきだ)

・先進国中国由来の律令制度を変えるということは、官僚たちの知的基盤、あるいはアイデンティティの破壊となるので、それは不可能だ(というか実際に政務が滞っている)

つまりジレンマですな。

しかし、と、時平は考える。これがジレンマになるのは、後者の代表が前者を持ちだすことの不整合に由来しているのではなかろうか?

そこでまずは道真に退場を願うことにして、うまいこと九州へ追い出した。ストを打っていた官僚たちも、土地に税をかけられることに戦いていた貴族たちも大喜び。

再び、しかし今度は時平を中心に政務が回り始める。

しかし、と、時平は頭を悩ます。へたすると結局道真と同じわだちを踏むことになるからだ。いずれにしても、道真改革は実行しなければならないわけで。いくら自分が大貴族の御曹司といったって、部下の官僚がストを打ったら手も足もでないのは、あの誰もが尊敬する道真が手も足も出なくなったことから明らかだ。

そこで、しょうがないので打開策を探るために勉強をしていてふと気付く。この漢字の塊のような文書群が、官僚たちを中国万歳、先進国の成果を後進国は受け入れていればよいのだ、という安易な考え方のもとになっているのではないか? っていうか自分の国のことは自分の頭で考えろよ常考。

そういえば、故郷のお寺の教えに、やまとことばはことだまでどうしたといかいうのがあったが、じっさいのところ、われわれがはなすことばとかくことば、これのかいりがかんりょうたちに、みょうなこていかんねんをうえつけていると、かていしよう。

そんな仮定ができるのは、この男が恋歌ばかりを作っていて、試験勉強のために漢文を詰め込まなかったからだろう。つまるところ、時平は他の官僚や大臣と異なり、漢字にも中国にもこれっぽちも未練はないし自身のアイデンティティもないのだ。

まずは、この国はこの国、やまとのくにだということを世に示すことから始めよう。そうすれば自ずと道は開けるに違いない。

そこで、天皇に歌はいいですよいいですよと吹き込み(おそらく財政問題のこともあり、醍醐天皇と時平は共同戦線を張っていたのは間違いないだろうと思う。道真追放にも醍醐天皇が積極的にかかわっていたようでもあるし)、歌集の作成の許可を取り付ける。次に、下級役人の中でも特にばかにされまくっている平仮名遣いを集めてきた。紀貫之たちだ。

まあ、というわけで、おれはひらがなで歌われる歌の良さを広く世に問うことにした。おまえらがんばれ。

なんと、自分たちの文学に初めてお墨付きを得られるとは! 紀貫之たちは感動してさっそく歌探しの旅に出る。足かけ3年かけて地方の旧家に残る文書やら木簡やらから歌をいっぱい集めてきた。

しかし、困りましたぞ、と貫之たち。

何が? と時平。

出てくる歌はみな、恋の歌ばかり。これではかっこがつきません。

うーん、と時平。恋の歌は良いものだが、確かにそれでは、説得力がないなぁ。やまとのくにはこいのくに、というわけにはいかんだろうし。

おおそうじゃ、と時平は面々を見て気づく。おまえらが作ればいいじゃん。

なんと、われらが作った歌をわれらが選んで載せて良いのですか?

だって、おまえらしかいないじゃん。

大感激した紀貫之たちは、歌詠みの本領発揮しまくる。ひらがなだからこそ可能な掛け言葉やらおのまとぺやらを駆使して、季節の歌やら風景の歌やらを作りまくる。

かくして、古今和歌集が完成した。

おお、これは読みやすい、と天皇も大感激。

さて、欽定の歌集とあれば、これこそ我が国の文化の道標、それまで漢文にあらずんば文にあらず、とひらがなをバカにしていた貴族も官僚もみな古今和歌集を読み、ひらがなに親しむ。いやぁ、恋とは良いものですな、いやいや季節のうつろうさまもまた良いものですよ、という調子だ。

いや、わたしは漢文以外は文とは認めませぬというのは、官場においては新しき文化の風潮に乗れぬ愚か者ということとなった。

さらにこの文化風は吹きまくり、寝殿造りのような建築分野、十二単のようなファッション分野にまでおよび、国風文化とまで呼ばれるまでに至った。

さて、諸君、我が国の財政は危機に瀕しているのはみなさん先刻御承知の通りだ。律令制度はしょせん外国の制度に過ぎぬ。我が国には我が国の美しい文化があり、それにみあった制度があるべきではなかろうか?

うむ、そうかも知れませぬの。

かくして、時平は無事、律令制度からのランディングに成功したのであった。

そのころ、九州の地で道真は辞世の歌を七言律詩で書いていた。

面白いねえ。文章も上手い!

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