【新唐人2010年7月24日付ニュース】食品の安全問題が問われている中国。毒入りミルク事件は記憶に新しいですが、実際中国ではミルク以外に、米や豚肉、油などあらゆるものに汚染は広がっています。経済発展を続けているはずの中国で、なぜこのような事態が続くのでしょうか。報道をご覧下さい。
最近、中国の各地でまたもやメラミンが混入した粉ミルクが発見されました。中国メディアによると、甘粛省では基準値の86倍を超えるメラミンが検出され、中には559倍に達するものすらありました。
これを生産したのは青海省のミルクメーカー。毒入り粉ミルクは38トンに達しましたが、これが一昨年の事件で処理されなかったものなのかは、まだ調査中です。黒龍江省五常市のお米は、「中国で最も美味しい」と言われています。しかし7月12日、このブランド米の多くは米に香料を加えた「偽ブランド米」だったことが分かりました。
中山大学の蒋教授は、「香料は人工で合成する化学物質で、取りすぎると肝臓や腎臓を傷つけるので、香料入りの米は避けるべきだ」と言います。
他に、偽物のタイ米も見つかりました。市場に出回っているのは、見た目がそっくりの中国産の米だそうです。タイ領事館の職員によると、「中国で小売されているタイ米の9 割以上は偽物」だそうです。
偽物が氾濫する事態について、こんな指摘があります。「商売人は互いに騙し合う。社会全体のモラルが低下する中、みんな利益を得るのに血まなこになっている。だがこのようなモラル低下の背景には、必ず政府の無策が存在する」
香港メディアによると、ジャッキー・チェンがイメージキャラクターを務める人気ブランド「覇王(はおう)」のシャンプーなどから、発がん性物質のジオキサンが検出され、波紋を呼んでいます。
これに対しメーカー側は、製品は国の基準を満たしていると反論しました。
豊かになっても、広がり続ける中国製品の汚染。その背景には、社会全体のモラル低下と政府の無策があるのです。
2010年7月25日日曜日
中国に安全な食品はありますか?ー『毒』の悪循環 gikou89
大手マスゴミによる「官房機密費問題」の”もみ消し”ももはや限界 - 暗黒夜考〜崩壊しつつある日本を考える〜
「ダイヤモンド・オンライン」の「週刊・上杉隆」にて、上杉隆氏の「官房機密費問題」追求が続いている。
最新の記事を以下に転載する。(転載終了)
◆官房機密費問題追及に、既存メディア側からも心ある「援軍」が続出!
日本において、官房機密費問題がこれほどまでに「タブー」であるとは正直、想像の範囲を超えていた。政治側の問題のことを言っているのではない、普通の国ならば当然に、官房機密費の使途をチェックする側のはずのマスコミ、その不作為とごまかしのことを言っているのだ。それは、この問題の根深さの象徴であると同時に、優秀だとされた日本の新聞・テレビが、実際は一流でもなんでもなく、三流以下の、さらにその下の最低の「犯罪機関」に成り下がっている証左でもある。
春から「週刊ポスト」誌上においてキャンペーンを続けている「マスコミ人に渡った官房機密費」の問題は、きわめて大きな反響を呼んでいる。
○「週刊ポスト」誌には女性からも声援が多数
「週刊ポスト」編集部には、例のないほどの好意的な声が多数寄せられている。しかも、セックスを売り物にした、上品とはいえないこの週刊誌に対して、女性読者からの電話も少なくない。これは創刊以来初のことだという。それほどまでに、この問題に対する一般国民の怒りは深いのだろう。だが、記者クラブメディアはまだこの問題の大きさに気づいていない。いや実際は気づいているのかもしれないが、どのように対処していいのか、わからないのかもしれない。
記者クラブ問題を追及した時のように、筆者である私の存在を無視してしまうような手段はもはや通用しなくなっている。仮に、うまい具合に私を「抹消」できたとしても、それでは済まない事態が進行し始めている。
この問題に気づいた少なくない良心、とりわけ既存の記者クラブメディアで活躍している人々が声を上げ始めたのだ。
それは世代交代を伴った「革命」のようなうねりをこの国のメディアに及ぼしている。
フジテレビの「とくダネ!」にレギュラー出演している岩上安身氏は、「上杉殿、助太刀いたす」というユニークな表現でもって、早い段階から独自取材によってこの問題を追及しているジャーナリストの一人である。
岩上氏は「週刊大衆」やニッポン放送の番組の中で度々この問題を取り上げているが、何より自らユーストリーム上に設置した「岩上チャンネル」で独自の無料中継を行っているところが大きい。
一銭にもならない完全なボランティアだが、そのためだけに日本全国を飛び回り、マスコミに渡った機密費問題の取材を始めている。まもなく孫の誕生するフリーのジャーナリストが、生活を賭してまでこの問題を追うのは、これが日本という国家、さらには将来の国民にとって、放置できない重要課題だという認識があるからだという。
○ツイッター、ユーストリーム、BS放送、CS放送、ケーブルTVで広がる包囲網
評論家の宮崎哲弥氏も、この「マスコミ機密費問題」に敏感に反応したひとりだ。政治問題から距離を置いていたここ数年だが、やはり岩上氏と同様、これこそが日本の民主主義の根幹に関わる問題だとして発言を続けている。自らのトーク番組「宮崎哲弥のトーキングヘッズ」(朝日ニュースター)では、ゲストに私を招いて、一時間、自由に話をさせるという冒険を冒し、さらに地上波のレギュラー番組にも、私(上杉)を出演させようと、粘り強い交渉を行っている。もちろん、こうした行為は宮崎氏にとって何一つ得はない。むしろ、現在の仕事をすべて失う可能性のある危険な行為ですらある。
こうした「冒険家」はまだまだいる。
ジャーナリストの小西克哉氏は、自身がMCを務める「インサイドアウト」(BS11)に筆者を呼び、毎日新聞の政治部編集委員と生放送での直接対決の場を作った。
同じく江川紹子氏も、地上波のいくつかのレギュラー番組の中で「記者クラブ」に触れたり、ラジオ番組の中では、このマスコミ機密費問題を批判したりしている。
とりわけ、彼女自身のツイッター上で、この問題に関する意見をつぶやき続けていることの影響は小さくない。
ツイッターといえば同じく水道橋博士も同様だ。立場的にはもっとも既存メディアからの圧力を受ける芸能界に身を置きながら、臆することなく、この問題について語っている。
作家の室井佑月氏も、彼女自身の連載やメディアの中で繰り返しこの問題について言及し、国民の「洗脳」を解くために、危険ではあるが、まっとうな評論を続けている。
著名人の中でこのマスコミ機密費問題をもっとも粘り強く追っているのが、ラジオ界のカリスマでもある吉田照美氏だ。
○ラジオもまた心強い味方7月31日には久米宏氏と生放送
吉田氏は、自身の番組「吉田照美のソコダイジナ」(文化放送)で、私(上杉)がレギュラー出演している水曜日、この件については私以上に熱く追及している。それだけではない。他の曜日も繰り返しこの件について言及している。さらに趣味の領域を超えた趣味ともいえる絵画の分野でも、「マスコミ官房機密費」をテーマに、「3部作」を仕上げ、次回の個展で発表するほどの熱の入れようである。それもこれもメディアを知り抜いているからこそこの問題の重要性に気づき、敢えて「冒険」を冒しているといえよう。
ラジオといえば、久米宏氏も自身の番組「久米宏のラジオなんですけど」(TBS)でこの問題を取り上げている。しかも、今月末(7月31日)には、私をスタジオに呼んで、生放送しようという試みに挑む。
「いいんですよ、ぼくはね、そのためにこの番組がなくなっても——」
先日、久米氏は放送中にこう言ってのけた。「ニュースステーション」の司会者としてテレビジャーナリズムの一時代を築いた「テレビ界の天才」にこうまで言わせるのはなにか。だが、こうしたビッグネームの発言にも関わらず、テレビ・新聞の「一流メディア」は、この「マスコミ官房機密費」問題についてほとんど完璧に沈黙を貫いている。仮に、海外のメディアだったら、税金の一部が「賄賂」としてそれを追及するはずのマスコミに流れていたとわかったら「大キャンペーン」となっていることは間違いない。だが、記者クラブのある日本では、記事や番組で真正面から取り上げているのは皆無であることが不思議だ。
○大新聞・テレビはごく一部を除き相変わらずの狸寝入り
例外は、TBSの「ニュース23 クロス」で、マスコミの問題を微妙に避けながらも、松原耕二キャスターが最初に、そして執拗にこの問題を追及している。また、「東京新聞」の特報部は、5月21日に一度だけ記事にしている。ただし、わずかにこれだけである。いったいなぜマスコミはこの問題を避けるのだろうか。いまや、新聞のテレビ番組欄に名前が載っただけで視聴率が跳ね上がり、著書も飛ぶように売れるジャーナリストの池上彰氏もまた、この問題にもっとも理解のあるひとりだ。
かつて、私が「記者クラブ問題」を追及して孤立している時、自身のFM番組にいち早く呼んで生出演させてくれたのも実は池上氏である。今回も、朝日新聞の自身のコラムで、真正面からこの問題を取り上げた(5月28日)。
〈(マスコミに機密費が渡ったことが)もし事実だとすれば、日本のジャーナリズムにとって深刻なことです。政府から機密費を受け取っていたら、政府の批判はしにくくなるでしょう。(略)こんな重大な問題なのに、朝日新聞を含めて新聞やテレビの追及はほとんどありません。どうしてなのでしょうか〉
こう書いた上で池上氏は次のように結んでいる。
〈朝日新聞の編集幹部や、朝日新聞出身の評論家、コメンテーター諸氏は、どうなのでしょうか。取材してみる記者はいませんか?〉
この問題を追及すれば、筆者のように新聞・テレビなどの既存メディアから追放される可能性もあるのだろう。だが、池上氏は少しも恐れていないようだ。以前、私がそうした危険性について指摘すると、池上氏は笑いながらこう応じたのだった。
「僕は少しも構いませんよ、干されたって。だって、NHKでもそうした経験はたくさんしてきましたから——」
権力とメディアの健全な緊張関係、それを構築することこそ日本の健全な民主主義のための第一歩である。マスコミに渡った官房機密費問題の解明はまさしく、そのために避けて通れない問題である。
そうした冒険を厭わない人々はここに挙げた以外にもたくさんいる。
日本のマスコミ界における「革命」は、静かに、だが確実に進行しているのだ。
(転載終了)
イエスが殺された本当の理由 中川隆
1. ローマ人の目に映ったイエスの虚像 _ 革命家イエス
イエスは山を下って平地に立たれたが、大ぜいの弟子たちや、ユダの全土、エルサレム、ツロとシドンの海岸地方などから大群衆が、教えを聞こうとし、また病気をなおしてもらおうとして、そこにきていた。そして汚れた霊に悩まされている者たちも、いやされた。
また群衆はイエスにさわろうと努めた。
それは力がイエスの内から出て、みんなの者を次々にいやしたからである。
そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた
貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる
今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる
しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている
今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる
今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる
http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/042.htm
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歴史はイエスを抹殺した。
しかし、そのあとを完全に消し去ることはできなかった。
それで、今度はかかえ込んで骨抜きにしようとした。そしてそれは、一応見事に成功してしまった。
大勢への反逆児が、暗殺されたり、抑圧による貧困の中で死んでいったりしたあと、体制は、その人物を偉人として誉めあげることによって、自分の秩序の中に組み込んでしまう。
マルクスが社会科の教科書にのった時、もはやマルクスでなくなる、ということだ。
こうしてイエスも、死んだあとで教組になった。抹殺と抱え込みは、だから、本来同じ趣旨のものである。
キリスト教は、イエスの抹殺を継続するかかえ込みであって、決して、先駆者イエスの先駆性を成就した、というものではない。
イエスは相変わらず成就されずに、先駆者として残り続けている。
http://fanto.org/diary-new/archives/669.html
● イエスはなぜ殺されたのかイエスは、侵略者であるローマの官憲により、ローマ皇帝に対する反逆者として、ローマ法に則り十字架刑に処せられた。これはキリスト教にとって最大の謎である。
なぜイエスはローマ帝国に対する政治犯として処刑されたのか。
独特な話術と奇跡的な治療行為により、民衆の間に絶大な人気があったイエスは、当時のユダヤ教支配層の腐敗堕落を厳しく批判した。
一方、そんなイエスを救世主と担ぐ民衆の動きは次第に高まり、これを危険視するローマ当局の介入がユダヤの自治権剥奪を招きかねない情勢であった。
そこでユダヤの宗教指導層は、姦計を弄してイエスを逮捕し、涜神罪による死刑を宣告したのだが、かれらは死刑執行権を持たなかったのでイエスをローマ当局に引き渡し、総督ピラトは不本意ながらも、イエスを十字架刑にせよとのかれらの執拗な要求に屈した。
これが古くからある学界の通説である。
イエス処刑の責任は全面的にユダヤの宗教的支配層にあるというわけだが、この見解はローマ帝国統治下において反ユダヤ・親ローマ的立場を装った、初期キリスト教徒たちの護教的意図を斟酌していない。
これに対し、イエスは初めからローマ帝国に対する政治犯とみなされていたと主張し、先の通説を批判する学者も多い。イエスはユダヤ民族独立運動の指導者だった。いや、虐げられた貧しい人々との連帯を志向した革命家だった、云々。
いずれにしても、通説とその批判がともに全面的に依拠する福音書の受難物語は、文献学的研究により細部の記述の歴史的信憑性がほとんどすべて否定されている。
そこで進歩的な学者たちは、イエスの死の理由を「イエスの思想」に求めなければならない。しかしかれらといえども、イエスの死をその思想の必然的結果とするのはどうしても無理なので(悔い改めの決断を呼び掛けるとなぜ殺されるのか?)、結局、それはイエスの思想に対する周囲の無理解と誤解の結果だったと説明する。誤解されたのは必然だった!
しかし、イエスは決して誤解されたのではない。少なくともユダヤとローマの支配権力には、きわめて正確に理解されていた。だから殺されたのだ。
そうして権力がイエスの肉体を抹殺したあとに、「弟子」たちはイエスを「救い主」とすることによりイエスの精神を抹殺し、現代の神学者たちはイエスを「先駆者」とすることによって、その精神的抹殺を継承しているのだ。
さて、「食い意地のはった大酒飲み」といわれたイエスとは、いったい何者だったのか。
http://www.ne.jp/asahi/wtnb/2000/opinion/tagawa_jesus.htm
ローマ史家の土井正興氏が『イエス・キリスト』(三一新書)で熱心党とイエスとの関係を詳しく論じ、またローマの重罪犯に対する正規の死刑法である十字架刑に絡めて、イエスが「ユダヤ人の王」を僭称して、ローマの植民地支配への反逆者、「神の国」の到来を告げる黙示録的な政治的メシアとして処刑された
と主張しているのは、明らかに正しい。
土井正興氏は『イエス・キリスト』(三一書房)の149ページで、「それ(イエスの歴史的性格)は、・・・・
彼が、ローマ支配をくつがえして『神の国』=『ユダヤ人の王国』を建設しようとしたメシアとして、この運動を鎮圧したローマの代官によって、ローマの刑罰たる十字架刑によって刑死した
ということである」と述べている。
また八木誠一氏は『イエス』(清水書院)の188ページで、「十字架刑はユダヤ式の死刑ではなく、ローマのものであり、ローマに対して反乱を起こした者がこの刑に処せられた。
これは重要な事実である。
イエスはローマに対する政治犯として処刑されたのである」
と記している。
http://www.geocities.jp/toryon33/iesuotoko.htmlパウロ書簡から史実のイエスを傍証する
ちなみに、パウロ書簡は現存する最古のキリスト教文書ですが、新約聖書の約3分の1を占める膨大な量であるにもかかわらず、そこには史的イエスの描写が「一切」といっていいほど存在しません。唯一つの例外は『コリント人への第一の手紙』(11:23〜26)で、そこに、「主イエスは、渡される夜、パンをとり、感謝してこれをさき、そして言われた、『これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行ないなさい』。食事ののち、杯をも同じようにして言われた、『この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい』」
という記述があります。たったこれだけです。
これでさえ、死の影にほとんど包み込まれたイエス、生身のイエスの消滅を前提とした最後の晩餐でのイエス、それもその教義的解釈の枠内でしか史実のイエスを記述していません。これを史実のイエスへの言及と言っていいかどうか?
パウロがイエスに触れるのはキリストとしてだけ、つまりその十字架の死と復活と栄光の来臨についてだけであり、それもそれぞれについての神学的意味づけに関してだけです。
パウロは「意図的に」史実のイエスには触れません。
イエスがどのような家庭に生まれ育ち、いかに成長し、いかなる目的で伝道を始め、どのような集団を構成し、どのようにして死に至ったかについては何も語りません。
つまりそこには肉のイエス論(生前のキリスト論)はなく、霊のキリスト論(死後のイエス論)しかありません。『コリント人への第二の手紙』第5章16節には、「かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方はすまい」
と記しています。手紙としてこれを記しているというのは、読む人々にも「そのようにしなさい」と薦めてもいるわけです。
肉のイエスに関わる「作り話やはてしない系図などに気をとられることのないように、命じなさい」とも記しています。
「もうそのような知り方はすまい」というパウロの態度は、史実のイエスへの単なる無視ではなく、むしろ拒否を意味しています。
しかし、もしマタイ、マルコ、ルカなどの共観福音書で描かれたように、十字架贖罪死へ意図的に歩むイエス像が史実として正しいならば、最強最大の十字架贖罪論者であるパウロがイエスの言行についてほとんど一言も触れないのは言語に絶する不可解なこととなります。そこには当然十字架贖罪死へ向かう感動的なイエスの言行が数限りなく存在した筈だからです。
なぜパウロはイエスの言行について一切触れなかったのでしょうか?この重大な問題については、ふつう、「史実のイエスと直接接触のあったペテロ・ヤコブ・ヨハネなど直弟子たちに対する劣等感からくる反撥や開き直りかもしれない」と解釈されて、納得が求められています。
しかしパウロ自身のそのような個人的な境遇が救い主の生涯そのものへの無視へと続くことは決してありえません。これはさも解答があるかのようにみせる一種の誤魔化しや誤導です。
とにもかくにもイエスは彼と全人類にとって「神の子」で「救い主」だから、そのイエスの生涯について一言も語らないというのは、本当は信じられないほど奇妙なことなのです。
その奇妙さを実感していただくために、ここでひとつ質問してみたいと思います。もしあなたの命の恩人がいて、その人がまた家族一人ひとりの命の恩人でもあり、さらに存亡の危機にあった国家をも救った恩人だったとしましょう。
これでもパウロが信じた「全人類を救ったイエス」という大恩人よりはまだもう一つスケールの小さい恩人ですが、それでも、もしこういう人物がいたとするなら、あなたはその人の生まれや成長や活動内容に全く無関心でいられるでしょうか?
そのようなことは人間として100%ありえません。
ところがパウロはそういうこと一切に対して拒否の態度を示し、事実上、積極的に「無視せよ」と薦めているのです。
これは非常に不自然です。言葉に尽くせないほど不可解です。
もしイエスが十字架死へ向けて意図的に生きたのが史実として正しければ、熱烈な十字架贖罪論者のパウロは彼一流のあの素晴らしい筆法で、十字架への道を歩むイエスの感動的な生き様を数多く紹介してくれたことでしょう。むろんイエスの生き様に対するパウロのこのような度外れた無視と拒否は、事実上、史実のイエス・本当のイエスへの甚だしい侮辱に他なりません。
________________________________________パウロが、イエスの言行・史実のイエス・肉のイエス・生前のイエスに一切触れようとしなかったのは、「史実のイエス」と「彼の信じたもの」とがその質において正反対と言っていいほど全く違っていたからなのです。
それはイエスが自覚的に十字架贖罪死へ向けて生きたのでなかったこと、言いかえれば、イエスはこうした彼岸的・肉否定的な「宗教的メシア」でなく、本当はダビデ王の子としての、此岸的・肉肯定的な、栄光の「政治的メシア」を目指した者であったことを意味しています。
当時の主なメシア像には、
(1)ローマの植民地からユダヤを独立させる軍事闘争をやっていれば、必ず神からの助けがあるとする戦闘的で自力本願的なもの(2)神の定めた時が来れば宇宙的な変動が起きて一切が転覆され神の国が到来するという待望的で他力本願的なもの
とがありましたが、積極的か非積極的かの違いはあるものの、ともかくどちらも直接的にはローマ支配の終焉によるユダヤの解放を意味していたわけですから、ともに政治的でした。
事実、ヨハネとヤコブなどイエスの直弟子たちは生前のイエスに、近く地上に建設される神の国でイエスの左と右の座を占めさせてほしいと頼み(マルコ10:35〜40)、あるいは、神の国では自分たちのうちで誰が一番偉いかと論議もしています(マルコ9:33〜37)。『マタイによる福音書』(21:20〜21)では彼らの母も同伴して頼み込んでいます。福音書にあるような自己犠牲的な贖罪死を目指す「宗教的メシア」のもとでは、弟子たちのこういう世俗的野望は辻褄が合いません。
だから十字架の贖罪死を目指す「福音書のイエス」は彼らを強くたしなめます。しかしこれは史実のイエスがもともと「政治的メシア」だったことの痕跡なのです。また四つの福音書全てに、処刑時、十字架の上に「ユダヤ人の王」という罪状の札があったことが記されていますが、「ユダヤ人の王」を決めるのはローマ皇帝の専権事項であったため、これはイエスが「政治的メシア」として「ユダヤ人の王」を僭称して活動したことで処刑されたことを示すもう一つの痕跡です。
また、イエスは自分を「人の子」と呼んでいますが、これは旧約聖書の中の「ダニエル書」7章13〜14節にある次のような預言を根拠にして使っている自称です。
みよ、人の子のような者が、
天の雲に乗ってきて、
日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。
彼に主権と光栄と国とを賜い、
諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって、
なくなることがなく、その国は滅びることがない。その他にもイエスが「政治的メシア」だった証拠としては、
・ガリラヤの海の漁夫ペテロとアンデレ兄弟に「人間をとる漁師にしてあげよう」(マルコ1:17)と述べている・幹部弟子のなかに軍事戦闘派の熱心党員がいる(マルコ3:18 マタイ10:4 ルカ6:15 行伝1:13)
などもあります。 したがって、
神の力によって神の国を打ち立てローマの植民地支配からユダヤを独立させようとしていた「政治的メシア」としてのイエス
これが史実 (中川隆 注:実際は史実ではなくて、ローマ人にはイエスはこういう姿で捉えられていたというだけでしょうね) のイエスであり、そのためにローマ兵に捕らえられて、ローマ総督ピラトから「ユダヤ人の王」という罪名の死刑宣告を受け、ローマの処刑法である十字架に掛けられ、ローマ兵によって刑殺されたのです。
イエスが十字架贖罪死を目指して生きたのでないことが、すでに上記の五つの理由や史的イエスに対するパウロの徹底的な無視から明らかになっていて、しかもローマの官憲によって刑死した以上、彼は「政治的メシア」だったということです。
むろんこの「政治的メシア」はその独自の律法解釈やそれによる破戒行動を行なうため、必然的に既存のユダヤ教権力層とも宗教的対立関係に入ります。イエスが軍事戦闘型の「政治的メシア」だったのか、それとも待望型のそれだったのか、福音書の捏造があまりにも甚だしいためどちらであるか決定するのは難しいですが、
弟子たちの中に軍事戦闘型の熱心党員のシモンがいることもあり、またイエスが逮捕される際に弟子たちのうちのある者(ルカ22:50では弟子たちのうちの誰か、ヨハネ18:10ではペテロ)が剣を抜き、イエスを捕らえに来た祭司長あるいは大祭司の僕(しもべ)の右耳を切り落としたとあるように、
私は闘争型の要素を持つ待望型だったのではないかと想像しています。
つまり戦闘性も多少持つが主に納税拒否などさまざまな反ローマのサボタージュを行なう非軍事的な性格のものです。熱心党員の弟子はシモンの他にも幾人かいたかもしれません。「政治的メシア」としてのイエスは十字架死によって敗北しました。
これを弟子たちは「宗教的メシア」に仕立て直してイエスを勝利者とし、みずからも勝利者としたわけです。
そのとき史実のイエスは直弟子たちからも見捨てられ放棄されたわけです。イエスが逮捕された後、直弟子筆頭とされているペテロが官憲などに三度尋ねられて、そのたび「自分とは関係ない」と告げ、雄鶏が鳴くまでに三度イエスを裏切ったという福音書の話も、ひとつはそういう事情を反映したものでしょう。
キリスト教は史実のイエスとは何の関係もありません。それは直弟子たちの創作物です。________________________________________
パウロはイエスを直接知っていた直弟子たちから、先ほど述べた「最後の晩餐」の様子(これについては、パウロは、十字架贖罪死信仰を前提とした「これは私のからだ、これは私の血」などのイエスの架空の言葉によって、すでにペテロなどに欺かれているか、あるいは、たぶん、自分自身を欺いている)だけでなく、イエスの言行について無数の事実を知らされていましたが、ほとんど全て「政治的メシア」に関する史実であったため、あえて「肉のイエス」には一切触れませんでした。
彼は過去の「肉のイエス」に触れないことを、「古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」
(『コリント人への第二の手紙』第5章17節)と神学的に正当化さえしています。
パウロが史実のイエス・肉のイエスに一切触れずに済ませることが「できた」ということは、すなわちイエスの直弟子たちも、「政治的メシア」と直結する部分は全て排除するという仕方で、イエスの生涯や生き様を無視したということを示しています。
現代聖書学ではルドルフ・ブルトマンの福音書に対する詳細な様式史研究などによって、「史的イエス研究のための唯一の資料である福音書からは史実のイエスを再構築できない」
という結論が出されています。つまり福音書に書かれているイエスの記事はほとんど信用できないということで、これは福音書が非事実の塊だということに他なりません。
さて、「政治的メシア」から「宗教的メシア」へ転換することで、キリスト教はイエスの政治性から脱してローマ帝国と妥協可能になり、その成功とともに際限なく非政治化してゆき、帝国内部に広く浸透できることになりました。しかしそのかわりローマ帝国との妥協の産物として、
「ローマ人でなくユダヤ人たちがイエスを刑死させた」
というありもしない罪が捏造され、それが史実とは異なる十字架贖罪論の福音書に描かれて、その後の二千年に及ぶユダヤ人迫害の土台を形作ることになりました。
キリスト教がイエス殺害の主犯としての罪をローマ人からユダヤ人に転嫁したのは、ローマ総督がイエスを殺害したという姿のままではローマ帝国内部での成功がとうてい不可能だったからです。その姿はイエスがローマ支配に反抗する「政治的メシア」として処刑されたことを示すもので、ローマ人は帝国内にこういう敵性宗教が蔓延するのを絶対に許さなかったことでしょう。
また、「宗教的メシア」を強調するために治癒奇跡や自然奇跡(風を叱って止めさせる・水上を歩く・パンと魚を数千倍にする)など様々な奇跡を次々と行うイエス像が捏造されるに至りました。
http://www.geocities.jp/toryon33/syuukyoukaitou.html#hitonoko
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2. 奇跡の丘
1964年 製作:アルコ・フィルム リュックス・フランス映画会社
原案・脚本・監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ(「マタイの福音書」に基づく)
Q資料...これがイエスの本当の辻説法
群集を見ると、彼は弟子たちに言った何と幸運な者だ、貧しい者は。 彼らには神の王国がある。
何と幸運な者だ、飢えている者は。 彼らは腹いっぱいに満たされるだろう。
何と幸運な者だ、泣いている者は。 彼らは笑うだろう。
おまえたちに言っておこう。敵を愛し、呪う者を祝福し、侮辱する者のために祈ってやれ。おまえの頬をピシャリと打つ者には、反対の頬も向けてやれ。
上着を奪い取ろうとする者には、シャツもくれてやれ。
求める者には与えてやれ、おまえの持ち物を奪うものがいても、返してくれなどと言うな。
人さまにしてもらいたいと思うことを、彼らにもしてやれ。
おまえたちを愛してくれる者たちを愛したところで、それが何だというのだ。
徴税人たちでさえ、彼らを愛する者たちを愛しているじゃないか。
兄弟たちだけに挨拶したところで、ほかの者より何か善行でもしているというのか?
誰でもそうするじゃないか。
返してもらうことをあてにして貸すなら、それが何だというのだ。
悪人どもでさえ、返してもらうことをあてにして、身内の者に貸している。
しかし、おまえたちは、敵を愛し、よいことを行い、何も期待しないで貸してやれ、そうすれば、おまえたちの受ける報酬は大きく、おまえたちは神の子らとなる。
なぜならその方(神)は、邪しまな人間の上にも善良な人間の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨をお降らせになるからだ。
おまえたちの父が憐れみ深いように、憐れみ深い者になれ。
裁くな、そうすれば、裁かれないですむおまえたちが「裁きに」使う物差しが、逆におまえたちを裁く物差しになるからだ。
盲人は盲人の手を引けるか? 二人とも穴に落ちはしないか?
弟子は師にまさらない。師に似ていればそれで十分だ。
おまえは兄弟の目の中にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の中にある丸太に気づかないのだ?自分の目の中にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、
「あなたの目にあるおが屑を取らせてください」
と、どうして言うことができるのだ?
偽善者よ、まずおまえの目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきりと見えるようになって、兄弟の目の中にあるおが屑を取り除くことができる。
よい木は腐った実を結ばず、朽ちた木はよい実を結ばない。茨からイチジクが採れるか?
アザミから葡萄が採れるか?
どの木もその結ぶ実によってしられる。
善良な人間は倉から良い物をを取り出し、邪しまな人間はいかがわしい物を取り出す。
なぜなら口は、心から溢れ出るものを語るからだ。
わたしを「先生、先生」と呼びながら、なぜわたしの言うことを実践しないのだ?わたしの言葉を聞き、それを実践する者はみな、岩の上に家を建てた者に似ている。
雨が降り、激流が襲っても倒れなかった、岩が土台だったからだ。
しかし、わたしの言葉を聞いても実践しない者は、砂の上に家を建てた者に似ている。
雨が降り、激流が襲うと、倒れてしまった。ぺしゃんこだった。
ある人が彼に向かって言った。「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります。」
するとイエスは答えた。
「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
別の者が
「まず、わたしの父を葬りに行かせてください」
と言うと、イエスは彼に言った。
「死んでいる者たちに自分たちの死者を葬らせるがよい。」
また、別の者も言った。
「先生、わたしはあなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいをさせてください。」
イエスは彼に言った。
「鍬に手をかけてから振り返る者は、神の王国にふさわしくない。」
彼は言った。「収穫は多いが、人手が足りない。だから収穫の主に、刈入れのために働き手を送ってくれるよう願うのだ。
さあ、行け。わたしはおまえたちを遣わす。
それは、小羊を狼の群れの中に送り出すようなものだ。
金も、バッグも、サンダルも、杖も携えてはならない。
道中では誰にも挨拶をするな。
どこかの家に入ったら、開口一番、(この家に平安があるように!)と言ってやるのだ。
もし平安の子がそこにいるのならば、おまえたちの挨拶は受け入れられる。
もしいなければ、その平安はおまえたちに戻ってくる。
同じ家にとどまり、そこで出される物を食べ飲むがよい。
働く者が報酬を受けるのは当然だ。
家から家へと渡り歩くな。
町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べるのだ。
病人の世話をし、そして彼らに、(神の王国はあなたがたに近づいた)と言ってやるのだ。
しかし町に入っても、迎え入れられなければ、出ていくときには、足についた埃を払い落として、
「だが、これだけは確実だ。神の王国は近づいた」
と言ってやれ。
祈るときは、こう言うのだ。
「父よ、あなたの名が崇められますように。あなたの支配がありますように。
わたしたちに毎日、日々のパンを与えてください。
わたしたちの負債を赦してください。
わたしたちもわたしたちに負債のある者をみな赦しますから。
わたしたちを誘惑(試される状況)に遭わせないでください。」
求めよ、そうすれば、与えられる。探せ、そうすれば見つかる。
叩け、そうすれば、開かれる。
求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者はには開かれるのだ。
おまえたちの中に、パンを欲しがるわが子に石を与え、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか?
おまえたちは、よい者でなくても、わが子にはよい物を与えることも知っている。
もしそうなら天にいる父は、どんなに多くのよき物を、求める者に与えてくださることか!
隠されているもので知られずに済むものはなく、明るみに出ない秘密はない。
わたしが暗闇で言うことを、光の中で言うのだ。
耳にささやかれたことは、屋根の上で言い広めるのだ。
体を殺すことができても、魂を殺すことができない者たちを恐れるな。
五羽の雀は二セントで買えないか?
だがその一羽でさえ、おまえたちの父が知ることなしに、地に落ちたりはしない。
おまえたちの頭髪までも、一本残らず数えられている。
だから、恐れるな。おまえたちはたくさんの雀よりもまさっている。
群集の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟にいってやってください。」
イエスは彼に言った。
「なあ、誰がわたしを、おまえさんたちの裁判官や調停人に立てたのだ?」
彼はたとえで彼らに語った。
「ある金持ちの土地が豊作だった。金持ちは、
(どうしよう、作物を蓄えておく場所がない)
と思いをめぐらし、やがてこう言った。
(よし、こうしよう。倉を壊してもっと大きなやつをつくり、そこに穀物や財産をみなしまい、わが命の君にこういってやる。
(命の君よ、おまえさんには何年分もの蓄えが十分にできたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして陽気にやれ。))
しかし、神は彼に言った。
(大ばか者!今夜おまえの命の君は取り上げられる。おまえが生産したものは、いったい誰のものになるのか?)
自分のために富を積んでも、神の目に豊かでない者は、これこのとおりだ。」
おまえたちに言っておく
。
何を食べようかと、命のことで心配などするな。何を着ようかと、体のことで思い悩んだりするな。
命は食べ物よりも大切じゃないか。体は衣服よりも大切じゃないか。
烏のことを考えてみるのだ。
種蒔きもせず、刈入れもせず、納屋に穀物をためもしない。
それなのに、神は烏を養っておいでだ。
おまえたちは烏よりも価値がないのか?
おまえたちのうちの誰が、思い悩んだからといって、寿命を一日ひき伸ばすことができようか。
なぜ、服のことで思い悩んだりするのだ?
百合がどのようにして育つのか考えてみるがよい。
働きもせず、紡ぎもしない。
だが、栄華をきわめたソロモンでさえ、これほどには着飾っていなかった。
もし神が、今日は野にあっても、明日は炉に投げ込まれる草でさえこのように美しく装われるなら、信仰心の薄いおまえたちにはなおさらのことじゃないか。
だから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかなどと考えて、思い悩んだりするな。
それは世の誰もが切に求めているものだ。
おまえたちの父は、おまえたちがこれらの物を必要としていることを知っている。
ただ、おまえたちへの神の支配を確信するのだ。
そうすれば、これらの物はすべておまえたちのものになる。
自分の持ち物を売り払って、施しをしてやれ。
自分自身のために、富を天の口座に積み立てるのだ。
そこでは虫が食うことも、錆つくこともなく、盗人が忍び込んで盗むこともない。
おまえたちの富のある所に、おまえたちの心もある。
彼は言った。「神の王国は何に似ているか。それを何にたとえよう。
それは一粒のからし種に似ている。
これを取って庭に蒔くと、成長して木になり、空の烏がその枝に巣をつくる。」
彼はこうも言った。「神の王国は、パン種に似ている。
女がこれを取って三升の粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」
偉そうにふんぞり返っている者は赤恥をかくが、へりくだる者は褒められる。ある人が盛大な宴会を催そうとして、大ぜいの人を招いた。
宴会の時刻になったので、彼は僕を客人のもとに遣わして言わせた。
「さあ、もう用意が整いましたので、お越しください。」
するとみな、言い訳を口にしはじめた。
最初の者は彼に言った。
「畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください。」
別の者はいった。
「牛を二頭ずつ五組買ったので、しらべねばなりません。どうか、失礼させてください。」
また別の者は言った。
「新婚ホヤホヤなので、行けません。」
僕は帰ると、このことを主人に報告した。
すると、家の主人は怒りを爆発させて僕に言いつけた。
「さあ、すぐに町の通りに出て行き、見かけた者は手当たり次第連れて来るのだ。」
そこで、僕は通りに出て行き、見かけた者を集めて連れてきた。
こうして、その家は客人でいっぱいになった。
父や母を憎まない者は、わたしから学ぶことは出来ない。娘や息子を憎まない者は、わたしの弟子になれない。
十字架を受け入れて(非難に耐えて)わたしに従わなければ、わたしの弟子の一人になれない。
自分の命を守ろうとする者は、それを失う。
しかし、わたしのために命を失う者はそれを保つ。
塩はよいものだ。
だが、塩味を失えば、どのようにしてもとの味にもどるのだ?
土地のためにも肥料のためにもならず、外に投げ捨てられるだけだ。
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_qtxt.html
________________ヨーロッパ諸国の中でも特にカトリックの勢力が強いイタリアでは、パゾリーニがキリストを冒涜する映画を撮るに違いないと早合点し、激しい反対の声をあげ、撮影中から早くも妨害される。映画が完成してヴェネチア映画祭に出品されたときも、右翼の学生がパゾリーニに怒号を浴びせ、腐った生卵を投げたりした。
ところが映写が始まってみると、何と忠実なキリストの映像化…
満場はシーンと静まりかえった。 というエピソードがあります。
何故こんなに信用されなかったのか?
それはウルトラ左翼のパゾリーニだからです。http://blogs.yahoo.co.jp/legendofbenji/12024963.html
無神論者・パゾリーニが、キリストの生涯を新約聖書の「マタイの福音書」を元に映像化した作品。
マリアの懐妊に始まり、東方三博士の礼、ヘロデ王の嬰児大虐殺、パンと魚の奇跡の話、サロメが洗礼者ヨハネの首を所望した話、最後の晩餐、釈放されたバラバ、磔刑、そして復活と、絵画等の主題になるような内容はほとんど描写されているし、 「汝の隣人を愛せよ」というような、よく知られたキリストのことばも、作中に多数含まれている。
他のパゾリーニ作品に見られるような”毒気”はなく、敬虔なキリスト教信者の視点で描かれているといえるだろう。 飾り気のない映像も、キリストを語るにふさわしい。パゾリーニが無神論者であることを知らなければ、キリスト教信者によるキリスト教布教の為の作品にも思えるほどである。いったい、パゾリーニの意図はなんだったのか。
パゾリーニがアッシジ滞在中に時の法王、ヨハネ23世のアッシジ訪問に遭遇し、ホテルで街の喧騒を聞きつつ手にした聖書が、この映画製作のきっかけとなったらしい。しかし、「奇跡の丘」撮影前に発表したオムニバス映画「ロゴパグ」の第3話「リコッタ」で、キリストの磔刑映画のパロディーを描き、「宗教を侮辱した」かどで告訴された(判決は無罪であった)という経緯があったので、パゾリーニによるキリストの映画製作には反対も多かったという。
ところが、「奇跡の丘」が発表されると、国際カトリック映画事務局賞を受賞。ローマ法王庁がキリスト教徒に適した映画を選出する「ローマ法王のオスカー」と呼ばれるリストでも、「奇跡の丘」は上位に入っている。ヴァチカンのお墨付きになったわけである。
http://www.cinemaitalia.jp/primipiatti/primo-ka.htmヨハネパウロ二世の推薦する映画第二位の映画。
カトリック信者ならこれ以上の信頼できる評価は無いでしょう。
1位「シンドラーのリスト」(93)
2位「奇跡の丘」(64)
3位「ライフ・イズ・ビューティフル」(97)
4位「モダン・タイムス」(36)
5位「ナザレのイエス」(77)
6位「ベン・ハー」(59)
7位「わが命つきるとも」(66)
8位「2001年宇宙の旅」(68)
9位「8 1/2」(63)
10位「山猫」(63)
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/B001SSXXWA
パゾリーニはコミュニストであったにもかかわらずなぜにこの映画を作ったのか。
彼はこう語っている。[パゾリーニの言葉]
私はアッシジのプロ・チヴィターテ・クリスティアーナに泊めてもらっていた。その後も何度か訪ねているが、そこは私のような人間にもいつも扉を開いている。1962年10月2日だった。アッシジはロレート・ジョヴァンニ(ヨハネ)23世の来訪を待っていた。
ヨハネ23世はヴァティカンを出て、宗教会議のさだめによって“貧しくつつましき者”と名付けられた聖フランチェスコの墓に祈るためにやってきた初めての法王だった。
私はベッドに横になり、町の音に耳を澄ました。町は人々の声や足音で沸き立っており、好奇心と幸福感で熱くなっていた。大聖堂に向かう道にはたくさんの足音が聞こえた。ありとあらゆる鐘が鳴り始めていた。
私は優しい農民法王のことを思っていた。彼は難しいと当時は思われた希望へと人々の心を開き、またレジーナ・コエリの扉も彼に開かせたのだ。そこで法王は《自分の目で》泥棒や殺人者たちを見たのである。厚い慈悲の心以外は何もまとわずに。
私も一瞬起き上がってそば近くで彼にまみえたいと思った。しかし、鐘が私の頭の上でも鳴り響いているあいだ、彼に会いたいという望みは突然鎮まった。自分がたくさんの人にとって苛立たしいはみ出し者になるのではないか、安易な宣伝をしようとしていると非難されるのではないかと思ったからだ。
私は自分のことを“放蕩息子”とは思わなかったが、多くの人にとってはそうした振る舞いは趣味の悪いシナリオのように映るだろう。
本能的に手をナイトテーブルの上にのばして私は福音書の本を手にした。それはすべての部屋に置いてあるものだった。私は最初のところから読み始めた。
つまり4つの福音書の最初、マタイ伝から。最初のページから最後まで、今でもよく覚えているのだが、祝典で沸き立つ町の喧噪から喜んで身を守るように私は読み耽った。ついに本を置くと、私は最初のざわめきから、鐘が巡礼法王の出発を告げるまで、自分がこの厳しいと同時に優しい、かくもヘブライ的で激しやすいテキスト、それこそがマタイ伝だーーを全て読んでしまったことに気づいた。
福音書を映画化しようという考えは何度も浮かんだが、この映画はまさにそこで、その日の、その時間に生まれたのである。
パゾリーニは「信者の中に入り込まずには神の子イエスを描くことが出来ず、無神論者である自分自身と信者との、2つの物語の間をきわめて難しい均衡をこの作品で実現せねばならなかった」と書いている。
これでなるほどと思い当たるのが、この映画の極めて客観的なイエスの描き方だ。俳優は素人であり、現代的な感情を込めた演技をしていない。
本作のすばらしさはその音楽によるところが大きい。聖書に書かれている事実は、淡々と語られていく。
ゴルゴタの丘にのぼる場面。このシーンを「パッション」と比べるといかに違うかわかります。
熱心なクリスチャンのメル・ギブソンが作った「パッション」と比較するとあらゆる面で対照的だ。パゾリーニ版のこの淡々とした進行が、彼の客観的な視点、信者でないという事実を如実に物語っているように思える。
信仰というのは理屈でないので、「パッション」ではメル・ギブソンの思い入れの深さが、時に執拗なまでに残酷な描写に行き着いたり、観ている私からするとうんざりしてしまったりするのだが、「奇跡の丘」には見事にそれがない。やはりパゾリーニは信仰心からイエスを語っているとは思えない。非常に冷めているなあと感じる。
ではこの淡々とした語り口が、なぜ数あるキリスト教映画の中でももっとも感動的であるといわれる作品といわれるようになったのか。
まず聖書を読んでみるとわかることだが、聖書が淡々としているのだ。現代的なストーリー展開に慣れている私たちにとっては、入りにくい文章である。
なにより、いつどこでだれとだれがどうした、という現代なら当たり前の歴史記述が聖書にはない。唐突に物語りははじまり、ある記述はとても長かったり、ある記述はあっさりしていたり、時系列であったりなかったり、そのときにその場に誰がいたりというのが定かでない。
そしてそのとき「と思った」という登場人物たちの思いは見事に省かれている。だからそれは文脈から汲み取るしかないので、そこにイエスを物語にするときの醍醐味があるといえるし、難しいところであるのだ。そしてこれが様々な聖書解釈、異端信仰を生む。
だいたい、どうしてユダがイエスを裏切ったのか、その理由は一切書いていないのが、私からすると本当にミステリアスだ。
では、キリスト教に興味がない私が、もし聖書のイエスの生涯を映画にするとしたら、どうするだろう?
そう考えると、この映画も非常にすっきり理解できる。
おそらく、パゾリーニが聖書を読んで最も共感できた箇所が、この映画でもっとも感動的な場面になっているのだと思う。だから「イエスの奇跡」といわれる処女受胎や湖の上を歩いたことや、病の治療、復活は淡々と描かれる。削ってはいないという点もミソだと思う。あくまでそれは事実として描いている。
この、ことさら奇跡を大げさに映像にしていないことが、信者でない多くの人がこの映画に対して拒否反応を示さなかった理由だと思う。
そして、コミュニストらしい解釈というか、お金持ちや権威ある階層に対しては戦いを挑むイエスが描かれる。
過ぎ越しの祭りのときに、イエルサレムに入城し、両替人の台や、鳩を売る者の腰かけをくつがえし、天使のような子どもたちが宮に入り、イエスを祝福する。その子どもたちが、ロケ地周辺から集められて演技させられてますっていう感じが非常にほほえましく、子どものたちの純粋さに溢れている感動的な、私の一番好きな場面。
「神の国はこのようなものたちである」と、そのかわいい子たちをいとおしく、優しい表情で見つめる人間としてのイエス。
こういったキリスト教の教えの根幹にあたる小さきものたちへの「愛」のシーンの普遍性こそが、この映画の素晴らしいところだと思う。
これこそキリスト教の教えがどうこうよりも、信者でないパゾリーニの心をも揺さぶった聖書の一場面であったろうし、同じく信者でない私が見ても感動する場面なのだ。
聖書に懐疑的な人間が、どうしても信じられない奇蹟は淡々と(鞭打ちもなければ、磔で苦しむさまも出てこない)、現代人でも共感できるエピソードはしっかり描く、このバランスが優れているのが、本作の素晴らしいところだ。また、キリスト教の信仰では、「自らの罪を認める」というのが重要だが、この映画からはガチガチの罪悪感が感じられない。象徴的な場面としては、イエスがムチ打ちと磔で苦しむ場面で最もそれが強く表される。が、映画にこのシーンはない。人類の罪を背負ってイエスは磔刑にされた、というイエスの受難は、ぽっかり抜けているのが興味深い。
http://myvoyagetoitaly.seesaa.net/article/11038795.html
黒と白の対照を最大限に生かした美しい画面。黒の美しさ、白の美しさが心を動かす。画面は動でなく、静を目指して構成されている。その静は石で作られ直線で象られた建物によってしっかりと支えられている。
そのような静かな美しさに充ち満ちた映像でイエス・キリストの生涯が語られる。
『奇跡の丘』でイエスの起す奇蹟は、ほとんど大道芸のように表現される。パゾリーニは奇蹟の中に聖なるものを示さない。パゾリーニの視線を追うとき、パゾリーニの視線が熱を帯び、炎をあげるのは、イエスが怒りを言葉に表す時だということに気付く。
パゾリーニは言葉の中にイエスを見ているのだ。
イエスの言葉は激しい。イエスの言葉はこう叫んでいる。全てを破壊せよ。私だけを見ろ。私だけを愛せ。
イエスの言葉は静かな美しさに充ち満ちた映像によって支えられている。映像の静かさの背後には激しさがある。その激しさが抑制されているところに生まれているのが『奇跡の丘』の映像の静かさなのだ。だからイエスの激しい言葉を支えることができる。
イエスは手に太い釘を打ち付けられるとき、苦痛の叫び声を上げる。それはキリストに対するパゾリーニの冒涜ではない。そうではなく超人でないイエスに対するパゾリーニの愛なのだ。
パゾリーニはイエスの中に一人の反逆者を見ていると言ったら、たぶん間違っているだろうが、パゾリーニのイエスに対する共感は怒れる反逆者という点にあるのだと僕は感じたことも確かなのだ。
『奇跡の丘』では常に鳥たちの鳴声が聞える。鳥たちの鳴声は、イエスという一人の人間の物語を、人間社会という閉ざされた所ではなく、世界という開かれたところに投げ入れる。イエスは世界と繋がり、人間を超える。いや人間たち全てが世界に投げ入れられているのだ。そこにおいてこそ神がその顔を見せる。
パゾリーニは神を信じていないとしても、絶対的なものを求めている。だからイエスに共感しこのように力の籠った映画を作るのだ
。
これは本当に僕の勝手な感想なのだが、パゾリーニは絶対的なものを求めているが、最後の最後のところで絶対的なものを信じていない。パゾリーニは信じていないものに必死に手を伸ばしている。そう僕は映画が終わったとき感じたのだった。
http://www.ne.jp/asahi/akira/flick/flick/movie/1999/9905.html管理人
『奇跡の丘』は、『マタイによる福音書』を元に〈無神論者〉のパゾリーニが撮ったキリストの生涯です。日本で最初に公開された記念すべき作品でもあります。キリストはカッコ良かったですね。おいしんさんはよくわかんなかったみたいですけど。
BABA
いや、おいしんもああ見えてなかなか鋭いんだよ。「にしてもこの役者さんはこんなテンションの高い役を演じてしまって、通常の生活に戻れたんかなあ?」
と書いてたけど、
この役者さん、撮影が終わった後に「自分はキリストだ!」とか言い出して精神病院に入っちゃったらしい。
管理人
……。それは凄いですね。
ヤマネ
この映画、カソリック教会とかは大嫌いだけど、キリストその人は愛しているパゾリーニの気持ちがよく出てますね。
オガケン
革命家としてのイエスだな。
BABA
説教がほとんどアジテーションだもんね。なんか教会から賞をもらった作品らしいけど、細かい事は抜きにしてそれくらいイエスがカッコ良かったってことかな。中盤のマシンガン・トークとかスゴかった。取りあえず眉毛がつながってるし。
管理人
……。それはどうでもいいでしょう。
オガケン
とにかくザックリ感がスゴイ。細かいところはどうでもいいっていうか。終わり方も全部スゴいし。『デカメロン』とか、パゾリーニ扮するジオットが、「夢の方が素晴らしいのに、なぜ絵を描き続けるのだろうか?」でバスっと終わる。
BABA
ホント。もう話終わってるんやから、とっとと終われや! っちゅう映画が多すぎるからね。
オガケン
アントニオーニの『太陽はひとりぼっち』ってのを見たんだけど、パゾリーニの後に見るとやっぱり終わり方がダラダラしてて参った。
BABA
パゾリーニはとにかくスパッというか、バスッというか、ゴリゴリッとしたところがいい。
http://www.cafeopal.com/reviews/99/dec/reviews991214.html
パゾリーニが何故マタイ伝を基にしたキリストの映画を撮ったのであろうか。
彼が描きたかったのは素朴な民衆を導く者の姿ではないのだろうか。それは田舎に生きる人々の生活習慣に関心を寄せ、またプロレタリアートの解放を訴え、左翼運動を続けていたパゾリーニ自身の反映——。
であれば『奇跡の丘』は、十二使徒や説教を受ける人々は、田舎の人々やプロレタリアートと見なし、その説教を説いているキリストはパゾリーニ自身として捉えられるのであろうか。
この映画のキリストはまるでアジテーションのように教えを民衆に訴えかける。
特に「山上の垂訓」といわれるシーンでの、たたみかけるような説教は他の介入を許さない。カメラが捉えるのはアップで映し出されるキリストの険しい表情のみで、それが幾カットも力強く切り返し挿入される。パゾリーニの内面に秘められた熱き魂の叫びのようでもあり、また彼の生き方の姿勢とも見れる。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~satonaka/kiseki.htm個人的なことになりますが、私がローマの・・・正確にはバチカンのサン・ピエトロ寺院に行ったときに一番驚いたのは、その壮麗さでもなく・・・周囲にお店がいっぱいあったことでした。
ご存知のように、新約聖書にはこんなエピソードが出てきます。
神殿の前で商売をやっていた屋台をキリストが打ち壊し
「ここは聖なる場所だ!金儲けをするところではない!」有名なシーンですよね?
「よりにもよって、カトリックの総本山の寺院の前で商売かよぉ・・・何故にそんなことを許すの?」
私も絶句してしまったわけです。まさかバチカンの人が聖書を読んだことがないはずもないでしょうし・・・
まさに聖書の言葉ですと、「言葉は聞いたが、内容は理解しなかった。」ということなんでしょうか?バチカンも、なんと罪深い・・・
勿論、宗教だって現実と折り合いを付けないといけない。何といだ
2010年7月24日土曜日
42.「幸い、貧しい者」とは・・・イエスの根本的発想(1)
イエスの考えの最も基本であっただろうと思える言葉が、「幸い、貧しい者」ではないでしょうか。非常にシンプルで誰でも分かる言葉ですが、では実際の意味となると、そう簡単には理解出来ない言葉でもあります(一般に逆説的言葉と言われますが、その逆説的という意味がまたなかなか理解しがたい)。この言葉は、マタイとルカにしか書かれていませんが、根底にある考えとしてはマルコにもあります。
ルカ(6章17−26) マタイ(5章1−12) 山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆・・・イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
- 貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである
- 今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる
- 今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる
- 人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
- しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている
- 今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる
- 今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる
- すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである
イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。
- 心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである
- 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる
- 柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ
- 義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる
- 憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける
- 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る
- 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる
- 義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである
(結)わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである
(赤文字:Q資料、青文字:ルカオリジナル、緑文字:マタイオリジナル)
ルカ福音書では、山から下りてきて平地で、多くの弟子達とおびただしい民衆の前で弟子を見上げながら(ルカの編集句と言われる創作部分)、4つの幸いとそれに対極する4つの不幸を列挙しておりますが、Q資料(仮説Q語録−イエスの言葉集)からそのまま採用したと推定されています。Q語録の最も古い段階での言葉とされるものは、「群集を見ると、彼は弟子たちに言った・・・何と幸運な者だ、貧しい者は。彼らには神の王国がある。何と幸運な者だ、飢えている者は。彼らは腹いっぱいに満たされるだろう。何と幸運な者だ、泣いている者は。彼らは笑うだろう」にあるように3つと考えられています。この3つに共通する群集とは、虐げられ飢えている被差別者・貧しい者を指しているのは明らかですが、イエスはこの貧しい者を幸いな者(幸運な者)と弟子達に語っています。一方マタイは、Q資料を採用しながら言葉を巧みに改編し、更に5つの幸いをオリジナルとして付加して意味さえも変更します。ルカと異なり、マタイは山の上で弟子達への教えとして語った様に編集してます(いわゆる山上の垂訓、8福の教え、マタイ教会の教義)。Q資料からの変更点は
(1)貧しい者→心の貧しい人々、(2)飢えている者→義に飢え乾いている人々、(3)泣いている者→悲しむ人々
です。(1)と(2)の改編で、対象が曖昧になりもはや極貧者対象とは言えなくなります。(3)の場合も、泣くほどの悲惨な境遇である者を単に悲しむ者として少し焦点をぼかしてますが、最も問題になるのは(1)でしょう。しかし、教会でのメッセージではマタイの福音書を引用して話をされている場合が非常に多いと思います。
日本語では「心の貧しい」となっていますが、原典の本来の意味は「霊において貧しい」と思われます。新約聖書で多用されている「貧しさ」を表す最も頻度の高いギリシャ語形容詞は「プトーコス」です。他にも貧しさを表すギリシャ語の言葉として「ペネース」があります。「プト−コス」は極貧者、何一つ所持しない乞食同然の人々を意味し、「ペネーテス」は小なりと言えども何かを所持して慎ましく生活している人々(小農や手工業者)を意味しているようです。 マタイもルカも貧しいは同じ「プトーコス」が使われていますので、この場合の貧しいは極端な貧しさを表している事になります。
マタイがオリジナルと思われる「貧しい者」を「心の貧しい人々」とあえて心を付加した場合、構造的欠陥を孕んでいるのではないでしょうか?右の図のように、経済的格差を縮小した形(単なるミニチュア型)にしかなりません。マタイ教会では、極貧者が居なかったと言う理由も要因の一つなのでしょう。ルカ福音書の場合(Q語録をほぼそのまま採用)、対比文章で書かれているので、明確に貧しい意味が分かります。「貧」対「富」、「飢え」対「満腹」、「泣く」対「笑う」・・・「貧しい」はその日の食事さえ事欠く極貧者を指しています。ヘブライ語の「貧しい(アナウィム)」は広い意味に使われる単語らしいのですが、旧約聖書の詩篇で使われているアナウィムは・・・虐げられ、苦しむ、柔和でへりくだる者、弱い立場の本当に何も持たない貧し人々として使われていると考えられていますので(詩篇14章6、22章25、35章10等)、単なる生活が貧しいとか、心に余裕がないとかと言う貧しさだけではなく、何にもない(この世で人間が得られる権力、財力、名声、家や土地、恵まれた健康など全くない)事を意味しているようです。
「プト−コス」の言葉が福音書で頻繁に使われている事は、「イエス時代のローマと属州の税制、小作農の発生」ページにも書きましたが、1世紀当時のパレスチナにおいて、「極端な貧しさ」を背負って生きるプトーコイ(極貧者)が、各地に溢れていたという現実の社会状況を表していると考えられます。福音書の中でイエスと出会った人々は、身体障害者、盲人、足のなえた人(ルカに書かれた大宴会の話では彼らは招かれる対象となった)、長血を患う女、重い皮膚病を患っている人、物乞いのラザロ(ルカのみ、イエスのたとえ話の中に登場)、多数の病人、やもめの息子など多数に上りますが、病気に陥った者も、病人ではない極貧者と同等の存在として語られているように思われます。
「イエス・ルネサンス」の著者のM.J.ボーグ(北米の史的イエス研究者)は、紀元1世紀のパレスティナ社会が「農民社会」、「清浄社会」であったと以下の様に述べています。当時の社会体系には基本的に2つの社会階層・都市エリートと農民があり、この階層間には深い溝と富の不平等がありました。都市エリートは農民への土地の賃貸と課税により自分の富を得ており、自分の手を汚すことなく農民から多大な富を吸い上げ、彼らを搾取する構図です。都市エリートは上部5階級に含まれ、第1・2階層は支配階級で人口の1.2%に過ぎない少数ながら、農業生産の富の1/2を得ていました。第3階層は家臣階級で、兵士、官僚、徴税人等が含まれます。第4・5階層は商人および、祭司階級です。第3・4・5階層集団は人口の8%であり、社会収入の1/6を手にしてました。下部4階級は専業農民、職人、不浄・没落階級(賤業者)、捨て人(法律上の権利を奪われた者たち)で構成され、人口の90%も占めております。つまり1割の少数富裕層が、9割の多数民の収入の2/3(平均で下部階層の18倍、第1階層に限れば下層階層の110倍)を手にする典型的な搾取社会でした。
清浄社会とは、「清浄と不浄」・「清潔と不潔」という相対する構造がある社会を指し、これは個人・行動・場所・物事・時間・社会集団に適用されました。最も清浄とされるものが中心となり、不浄とされる段階を経る毎に、中心から離れて同心円的位置に置かれます。紀元1世紀のユダヤ社会の清浄性の核は、神殿とトーラー解釈の2つでしたので、神殿はイスラエルの中心であると共に清浄の最頂点であり、そこから外部へむけて同心円状に清浄度が減少し、ガリラヤの辺境などでは穢れた「地の民」の住む所と言われました。もうひとつのトーラー解釈では、レビ記の解釈が重要視され、聖性は「清浄」と理解され、あらゆる不浄からの隔離を意味します。この清浄社会で最も重要なのは、人間に対する清浄と不浄の適用方法で、これが義人と罪人の区別に結びつき、清浄な者は義人、不浄な者は罪人とされ、清浄社会において罪は穢れであると考えられました。この清浄体系は農民社会の階層と比例します。支配階層は清浄のエリートであると同時に政治的かつ経済的エリートであり、最下層の民は穢れている・・・社会経済階層がそのまま清浄・穢れと比例する構図で、これは清浄体系が社会階層の上部にいる者の支配者論理の正当化の役目を果たしたとも言えます。
では何故イエスは、「貧しい人々は幸いである」と言ったのでしょうか?普通に考えれば、貧しい事は不幸です。誰も極貧の暮らしを希望する訳がありません。この世の慰めの受けていない極貧者に対して幸せだねと言ったら、侮辱していると激怒されるでしょうし、石をぶつけられても仕方ない事です。では、何故幸いと言ったのでしょう。解釈としておおまかに2種類あります。
1.世俗的な繁栄でなく神にのみ心を置く人は幸いである(マタイを引用する場合が多い)。
2.この言葉は逆説的言葉で、実際世俗社会では幸いではないが、神の国に最も近いと言う意味で幸いである。神にのみ心を置くから幸いと言われても当時のガリラヤ民衆には絶対に受入れられない話であり、また逆説的だと言われても何ともピンと来ません。現実のこの世の結果を伴いませんから、絵に描いた餅・イメージに過ぎません。当時の極貧者にこうした説明が通じるのかどうか・・・まず不可能でしょうし、誰も近寄っても来ないでしょう。言葉の意味を解く鍵は、「どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない(ルカ16章13、類似内容マタイ6章24)」、「イエスは弟子たちを見回して言われた。財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか(マルコ10章23)」等にあると思われます。当時の社会構造は、上記のように富に執着した拝金主義者が富の大部分を所有する経済構造になってました(現代も多少は当てはまるかもしれません)。富に仕える少数の人間が、貧富の差を助長し、罪穢れを勝手に決めていたとも言えますが、上記の言葉からすれば、神の国に最も近い者(つまり神と言う存在があるとするならば、本来平等である人間が貧しい者に落とされているのならば、最も祝福されるべき者は貧しい者である筈です。もしそうでないとするならば、神も仏のあるものかとなります)は、抑圧され搾取された貧者となります。
しかし、この場合でも未だ絵に描いた餅のままです。搾取構造社会の中で、イエスは社会構造の下層民に対して構造の矛盾点を挙げながら、本来人間は平等であるべきで、その実践として「神の国」という理念を説いたと考えます。イエスは現実の世で「神の国」が達成できる事(神の国の到来)を伝え、しかもそれを実現しようと考え、価値観の変革と実践行動を訴えて活動を起こし、実現可能とも考えていた・・・「イエスは言われた。はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる(マルコ9章1)」・・・と私は想像します。少なくともイエスは現実を直視し、それに向かって行動した人であり、単なる概念を述べただけの宗教家だけではなかったと考えます。文章だけではなかなか伝わりにくいと思いますので、極めて簡単な説明図を載せておきます(実際はこれほど簡単には語れないのですが)。
イエスの教え自体、素朴なガリラヤの民衆に語ったものであった筈ですから、難しい神学理論などでは全くなかったでしょう。イエスが神の国の到来を告げる語り(福音)は、洗礼者ヨハネが逮捕された後の事でもあり、ガリラヤでは熱狂的に受入れられます・・・これがガリラヤの春と言われるものです。時期はまさに春、歴史家ヨセフスは、ガリラヤには荒地がなく肥沃な農地が山の山麓まで広がり、イエスが住んだカファルナウムからマグダラに至るゲネラレト平原の美しさを讃え、カファルナウム近くの泉のある地帯を楽園とまで称しています。この美しさと対極するように住んでいた貧しい者、彼等は何を待ち望んでいたのでしょう。
2010年7月23日金曜日
アメリカの新奴隷制度 : web-g.org
図書館で借りてきて読んだ。Ⅰが貸し出し中だったのでいきなりⅡから。
アメリカに比べればまだ日本なんかマシだな、と思ってしまう内容。最悪なアメリカ人の人生をこの本の情報を元に書くとこんな感じ。
- 高校生になって「このまま高卒じゃ単純労働の仕事しか無いじゃん」と大学進学を決意
- だけど親が学資を貯めてるとかありえない(アメリカ人は貯蓄しない)。学資ローン借りるか
- 借りて無事大学進学。だけど大学の授業料が在学中に上げられていく。学資ローンの金利も勝手に上げられていく
- 授業料安い大学に転校するか。でも大学側は転校に必要な資料を提出してくれない(転校されたらお金が入ってこなくなるから)。学資ローンを金利が安いヤツに借り替えようとするが、学資ローンに関しては法律で借り換えができない。そしてなんと、学資ローンは自己破産の適用もされない(借りたら最後、返すまでずっと借金背負わされたまま)
- 大学卒業頃には借金まみれ。借金の多さを理由に就職できず。
- お金が無くなって住む場所もなくなり、ホームレス生活
- ホームレスは法律違反(一部地域)、と言うことで刑務所行き。
- 刑務所も民営化で有料。1日10ドル取られて、生活必需品も有料。それに対して刑務所労働の賃金は超低賃金。払えるわけも無く、ますます借金膨らむ。
- 出所した頃には刑務所時代の借金+学資ローンの借金がますます増えててまたホームレス生活
- 3回刑務所に入ると「スリーストライク法」で自動的に終身刑。一生刑務所の中で低賃金重労働。まさに奴隷人生。
てな感じ。特に問題だと感じたのは
- 社会に疎い学生時代に自己破産の適用外となる学資ローンを組まされること。しかも借り換え不可で金利も勝手に上げられる
- 刑務所の囚人=低賃金で働かせることができる労働者。変な話、企業としては囚人が増えれば増えるほど安い労働力を国内で確保できると言うことで、テロ対策を名目にどんどん法律厳しくして犯罪者増やして刑務所に放り込んでる。
この本を読んで思ったのは、アメリカでは奴隷制度が復活している、ってこと。現在の奴隷とは、借金と言う足輪をとにかく隙あらば嵌めさせて、一旦嵌めさせたらもう一生二度と外れないようにして働かせる。
2010年7月21日水曜日
日本人が知らないニッポン
このコンテンツは、2010年2月に名古屋国際センターで開催された講演内容を編集したものです。
「日本人の知らないニッポン」 オープニングビデオ ”UNION”
THINKER "Union" from manon film worx on Vimeo.
「日本人が知らないニッポン」 −隠されてきた歴史から読み解く世界の成り立ち−
今回のテーマである「日本人が知らないニッポン」では、世界から見た近代・日本の歴史を振り返りながら、現在の世界の流れを読み解いていきます。
前回のイベント「新型インフルエンザ・ワクチンは打ってはいけない」同様、今回もこれまで慣れ親しんできた一般常識からかけ離れた内容や、テレビまたは新聞のニュースでは伝えられていない情報がたくさん含まれています。これまで一度も耳にしたことのない事柄や中にはとても信じられないような情報もあるでしょう。もし、そのような事柄に疑問をもたれたら、これを機会にご自分で一度調べてみるようお薦めいたします。いずれにせよ、このイベントから、世界を見る新しい視点を身につけていただけたら幸いに感じます。
それでは、本編に入っていきます。
2010年2月の時点で、最近日本の ニュースに出てくるものといえば、何でしょうか?
「普天間の米軍基地再編問題」「長引く不景気」「円高」「国家財政赤字」
「地球温暖化対策」また「JAL再建問題」など、問題が山積みです。一方、世界に目を移してみても、よく耳にするのはアフガン・イラクにおける長引く
「対テロ戦争」「イランの核開発疑惑」「温暖化をはじめとする環境問題」
「波乱含みの今後の世界経済動向」など。国内同様、世界にも問題は山積みです!問題の多さと複雑さゆえに、世界中のすべての問題が解決する日が来るのだろうか……と疑問に感じます。
専門家ですら解決できないこれらの問題、ましてや一般市民の私たちにできるわけがない。
到底、無理なことだと、考えることさえあきらめてしまいがちです。
「私たちには、所詮、関係ないと……」でも本当にそうなのでしょうか?
たしかに、世界に起きている問題をひとつひとつ別々に見ていくと難しくみえます。
とても解決できないようにみえます。また、日ごろのテレビのニュース番組を見ても、表面的なことばかりを専門家が難しそうに議論しているだけで、問題の「本当の根源」にふれることはありません。
そこで、今回は、あらゆる世界の問題の「本当の根源」を明らかにするために歴史を探ってみました。すると、大変驚いたことに「過去」「現在」そして「未来」までもが、一本の線で繋がり、とてもシンプルに掴むことができました。
そう、この言葉のとおり、まさに ” 歴史の中に未来の秘密があった ” のです!
歴史をさぐると言っても、学校で習う歴史や一般常識で耳にする歴史は、単なる「ひとつの説」
また「ひとつの見方」に過ぎません。しかし、歴史上の出来事にはいろいろな見方があります。例をあげると、「明治維新」
一般には、幕末の侍が、倒幕側と幕府側の敵味方に分かれて戦い、最終的には手を結び、
近代化した今の日本の礎を作ったという美談。壮大なドラマになっています。しかし、よく調べてみると、維新の背後には大勢の外国人や外国製武器の存在があります。
これら外国の存在なしに維新は起きなかった、といえます。「明治維新」は、日本人だけで成し遂げたことでは、なかったのです!
どうやら、私たちには、自国の偉人を美化したい気持ちのあまり、自分自身のことが冷静に見えてないところが、あるようです。この時代を舞台にしたドラマが流行り、そのストーリーが真実であるとされがちですが、事実を大局的にとらえるには、あまりにも視野が狭いと感じます。
下の世界地図で見るとわかるとおり、現実に日本は世界の中ではこんな小さな国にすぎません。
世界の中ではこんな小さな島国の日本。私たちには、世界から日本を眺めてみる視点が必要です。そこでまず、世界のことをよくつかんで、それから日本を振り返っていくことにします。
世界の仕組みをしっかりと把握するために、何を元に探っていくかというと……
お金です。
お金は世界のすべてに関わっています。前述した「国内の不景気・円高・国家財政赤字・世界の経済不況」これらは、すべてお金の問題です。
また戦争にもお金が深く関係しています。戦争は一見すると、「政治・民族・宗教・国家間の問題」にみえますが、戦争を始めるには、大量の武器と兵隊を用意しなければなりませんから、大量のお金が必要です。
逆にお金がなければ、戦争をしたくても、戦争そのものが起こせません。
また一見無関係の環境問題でさえ、二酸化炭素排出権というお金の取引の問題です。これについては、また後ほど話します。
つまり、世界の問題はすべて、「お金」の問題なんですね。
そこでお金の流れから世界を探ってみます。すると複雑にみえる世界の諸問題の原因が、不思議なくらい簡単に浮かび上がってくるのです。
では、そもそも「お金」とは何でしょう?古くから、人々は生活に必要なモノを手に入れるための 「物々交換」には不便を感じていたようで、世界各地で、「価値を表す」ための様々な素材でできた「貨幣」を考案し、取引の際に用いてきました。
石でできたものから貝殻、金、銀、銅、また木製や陶器製のものまで作られていました。
中には刀の形をした刀銭というものまであったようです。日本の歴史を振り返ってみても、「絹糸」「紙」「お米」「古代中国(明や宋)の銅貨」
「金の小判」や「銀の粒」など様々な素材の貨幣を流通させてきました。そして、時代を経て、国々が貿易により交流が深まると、世界中で通貨システムが統一されていったのです。
現代の世界の国々で共通する通貨システムといえば、「紙幣とコイン」です。
どこの国も高額通貨には、「紙幣」を用い、低額通貨に「コイン」を用いていますが、 主役は何といっても「紙幣」です。そして、この現在につながる紙幣による通貨システムは、中世ヨーロッパに起源をもちます。
紙幣が発明される以前のヨーロッパ諸国では、各国の国王や支配者が金・銀・銅でできた延べ棒やコインを発行し、国民はそれらで商取引をしていました。
中でも価値の高い「 金」は、柔らかいためにすり減ったり、盗まれる危険性があるために人々は丈夫な金庫を持った金庫番(当時の金細工職人や両替商)に自分の「金」を預けました。
そして、「金」を預けた代わりにその証明書として預り証を受け取ります。
そして後に、この「金」の預り証が、紙幣になっていくのです。
人々は、自分の「金」が必要な時に預り証を持って、金庫番の所に引き取りに行っていましたが、やがて、経済が発達してくると、商取引の際にいちいち金庫番のところに行くのが煩わしくなってきます。
そこで、人々は預り証でじかに取引をするようになります。預り証でモノを買ったり、モノを売ったときに預り証を受け取ったり……。
このように元々は、「金」の預り証であった「紙」が通貨としての機能を持ち始めたのです。
街の人々は、預り証で取引をするのが、あまりにも便利なため、ますます多くの預り証が市場に出回ります。こうして、預り証は人々の信用を得て、金庫番のところには、誰も自分の「金」を引き取りに行かなくなります。
その結果、自然と金庫番は、有り余るほどの「金」を手にするようになったのです。
そこで、金庫番は、はたと気づきます。「ちょっと、待てよ。人々が一度に全ての金を引き取りに来ることはない。だから、預り証を勝手に発行してもばれないぞ!」
こうして元々は、「金」を預かる代わりに渡していた預り証。金庫番は、これを「金」を預けていない人にも発行し、利子をつけて貸すようになりました。これが銀行の始まりです。
その後、金庫番は一般市民に貸すより、国王に貸付するほうがはるかに儲かることに気がつきます。戦争のたびに、各国の国王は多額のお金が必要なため、銀行家に借りるようになりました。
戦争は、銀行家にとって一番うまみのあることでした。もし国王が戦争に負けて借金を返せなくても、借金の担保である国王の財産・土地・建物・税金が銀行家のものになるからです。
こうして、戦争のたびに財産を増やし、力をつけた銀行家は、やがて王族と血縁を結び、いつのまにか貴族になっていったのです!
貴族となった銀行家は、さらに大きな権力をもち、手持ちの「金」よりずっと多くの紙幣を発行する権利を国王に認めてもらいます。
つまり、何の価値の裏づけもない紙切れに価値をつけて、人々にどんどん貸し出す権利を手に入れたわけです。
ただの「紙切れ」を貸す代わりに、人々からは家、お店、車、貴金属、宝石、家畜など価値のあるものなら何でも担保に取っていきます。それらは全て銀行家の財産になっていきます。
これが現在でも行われている「紙幣」と「銀行」の仕組みです。
この「お金の仕組み」がわかると、今の「世界の仕組み」と「本当の支配者」が理解できます。
そして、この現実の世界で、「紙切れの貸付、利子と担保の取り上げ」によって、世界中の富を手中に収めている代表的な銀行家が、「ロスチャイルド家」です。
ロスチャイルド家のことを簡単に説明します。
中世ヨーロッパの銀行家の中でも国王より、はるかに大きな権力を手に入れたロスチャイルド一族。初代マイヤー・アムシェルは1764年、ドイツでロスチャイルド商会を創設します。1800年代に入ると5人の息子をヨーロッパ諸国に派遣し、各国で銀行を創設させます。
固い結束で結ばれた5人の兄弟は、ヨーロッパ中を特製の二重底の馬車と高速艇で行き来し、世界一素早い情報のネットワークを確立し、現在の国際銀行の基礎を築き、ヨーロッパの金融を支配します。
中でも注目すべきは、イギリスに渡った三男のネイサン・ロスチャイルド。
彼は、1810年にロンドン証券取引所の支配者となり、「世界一の金融王」として君臨。
ヨーロッパ中の同盟国を相手に貸付をするまでになります。
さらに驚くことに、その5年後の1815年、イギリス連合軍とナポレオン率いるフランス軍との戦いに出資して、当時の財産300万ドルをさらに2500倍の75億ドルに一気に増やします。
戦果の情報をいち早く手に入れたネイサンは、他の投資家を出し抜き、一人勝ちしたのです。これで、ほとんどのイギリスの大金持ちや名家を破産させ、ヨーロッパの金融を独占し、今のロスチャイルド財閥の世界支配の礎を築きました。
わずか100万円持っていただけでも2500倍したら、25億円にもなります。すでに世界一の金融王が、その財産をさらに2500倍に殖やしたのですから……。
今の金額で、想像もつかないくらいですが、いずれにせよ、彼はロスチャイルド財閥の礎を築いただけでなく、今に続く一族の世界支配権を確実なものにしたことは間違いありません。
つまり、世界の未来は、200年前のこのときすでに決まっていたのかもしれません。
有り余る富を手にしたロスチャイルド一族は世界最大の財閥を形成し、自分たちの強力な代理人であるJ・P・モルガンとJ・シフを支援し、アメリカに巨大なモルガン財閥、シフ財閥を形成します。さらに彼らから支援を受けたJ・D・ロックフェラーは石油王、ハリマンは鉄道王となり、それぞれ巨大財閥を形成します。
なかでも注目すべきは、J・D・ロックフェラー。彼は1882年にはアメリカの石油をほぼ独占して、そこを元手にアメリカ最大の財閥を築きあげました。
ここで大事なのは……
ヨーロッパを代表するロスチャイルド財閥とアメリカを代表するロックフェラー財閥。
世界の2大財閥です。彼らについてよく知る専門家・研究家によれば、
「今は、力を増したアメリカのロックフェラーが世界を支配している」
「いや、今でも世界を実質、支配しているのは本家のロスチャイルドだ」
「彼らはいま敵対している」
「いや、本当は上の方で、手を組んで世界を支配している」
など諸説ありますが、いずれにせよ、世界のすべてが、彼ら世界の2大財閥の意向で動いていることは変わりません。さて、話はロスチャイルド家に戻りますが、彼らの持つ権力の中で一番大きな力が「お金を発行する権利」です。
みなさんは、「お金」は国が作っているもので、国の持ち物だと思っているかもしれません。
しかし、実際は、このお金を刷る権利は政府のものでは ありません 。
ロスチャイルド一族のものなのです。先ほどの絵で説明した「中世ヨーロッパのお金の歴史」は作り話ではなく今も続いている現実です。 国には、中央銀行があります。中央銀行は国の通貨を発行し、利子をつけて政府に貸し付けます。
ロスチャイルド一族は、1815年にイングランド銀行を支配下に置き、1913年には、アメリカ連邦準備制度(FRB)、つまりアメリカの中央銀行をその支配下に置いています。
世界の基軸通貨ドルを発行する権利は、ロスチャイルド一族のもの(一部ロックフェラー家・モルガン家が所有)であり、アメリカ政府のものではありません。
これほど大きな力を持つロスチャイルド一族ですから、もちろん日本も大きな影響を受けています。日本の中央銀行である日本銀行は、持ち株の55%は政府が所有することになっていますが、残りの45%の株式の所有者は非公開となっています。うちロスチャイルド家が20%から40%(それ以上という説もある)は所有していると推測されます。
わかりやすく見るとこうなります。
ロスチャイルド一族は、国の中枢である中央銀行を所有し、そこからお金を発行し、政府に貸し付けて支配します。旧約聖書にこのような言葉があります。
−借りるものは貸すものの奴隷となる−
これをよく表しているのが、初代マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの言葉です。
お金を発行する権利を持つ者こそが、実の支配者であり、一国の政府や支配者、政治家でさえもその力の前ではひれ伏すしかないのです。
この写真をみてください。6名の歴代アメリカ大統領です。
彼らは、すべて任期中に暗殺未遂もしくは暗殺されています。そして、もうひとつ共通して言えることは、通貨発行権を取り戻そうとしたことです。たとえば、ケネディ大統領は、1963年6月に通貨発行権を取り戻し、政府発行紙幣を流通させますが、半年後には暗殺され、政府紙幣は即座に回収されました。
それ以降、通貨発行権を取り戻そうとする大統領は出てきていません。
ことの真相はわかりませんが、いずれにせよ通貨発行権は世界の根幹に関わることに間違いなさそうです。さて次に、ロスチャイルド財閥、および、ロックフェラー財閥の巨大さをみていただきます。
ロスチャイルド一族は、世界中の多分野の巨大企業を所有しています。ここにあるものは、その中で代表的な一部です。
専門分野である銀行業、保険業など金融関係はもちろんのこと、資源、エネルギー産業、マスメディア、工業分野、エンターテイメント、食品、薬品産業まで、その分野は生活に関わるほぼ全てといっても過言ではありません。また、戦争に必要とされる「お金・石油・原子力・武器・世論形成に必要なメディア関連企業」なども所有しているということです。中でも「ロッキード・マーチン社」は航空機の会社として有名ですが、軍需産業分野で売上世界一の会社でもあります。
一方、こちらはロックフェラー財閥系列の巨大企業の代表的な一部です。
こちらもあらゆる分野の巨大企業を所有しています。
石油分野はもちろんのこと金融関係でも巨大企業を所有しています。数が少なく見えるかもしれませんが、最近の経営統合で巨大になったメガバンクです。「メリル・リンチ」は現在、ロスチャイルド系の「バンク・オブ・アメリカ」に吸収されています。
ロスチャイルド財閥同様、ロックフェラー財閥も戦争に必要な「お金・石油・武器・世論形成に必要なメディア関連企業」すべてを所有しています。また、ボーイング社も航空機の会社として有名ですが、軍需産業の売上で世界トップ3に入る企業です。
この表は2007年、世界の軍需産業収益ランキングです。
戦争を起こすときに欠かせない軍需産業は、空母やジェット戦闘機、高性能爆弾などの他戦闘に必要なすべてのものを供給しています。
世界のナンバー1,2がロスチャイルド財閥とロックフェラー財閥の企業であることは注目に値します。次に見ていただきたいのは、アメリカの軍需産業の実態です。この動画は、2005年サンダンス映画祭グランプリ受賞作である映画「なぜアメリカは戦争を続けるのか」(原題:WHY WE FIGHT)から抜粋したものです。冒頭で語られる「ロッキード・マーティン、マクダネル・ダグラス、ボーイングの3社」とありますが、マクダネル・ダグラス社は現在ボーイング社に吸収されているので、ロッキードとボーイングの2社のことになります。
この言葉は、初代マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの妻であり、国際銀行でヨーロッパを支配した5人のロスチャイルド兄弟の母であるグートレ・シュナッパーのものです 。
近代に起きた世界中の戦争はすべて、彼女の言葉通り、彼女の息子たちが支配する国際金融権力によって、立案され、計画されました。当事国に必要な「資金と武器」の供給にいたるまで全ての支援を受け、意向を受けた政治家が両国に配されます。戦争は、用意周到に意図的に起こされてきました。
これほどまでに巨大な力を持つロスチャイルド一族は、欧米ばかりでなく日本にも大きな影響を与えてきました。それでは、次に「日本の近代の歴史」を振り返っていきましょう。
明治以降から現在に至る歴史の中で、特に戦争とお金の分野では、いつもロスチャイルド家またロックフェラー家が、深く関わっていました。
彼らはけっして歴史の表舞台に出てくることはありませんが、日本の歴史上の大事件の裏には、いつも彼らの存在があったのです。明治以降の日本の歴史は、ロスチャイルド家およびロックフェラー家、また彼らに仕える国内の政治家によって起こされてきた戦争の歴史であるといっても過言ではありません。
明治維新は、「文明開化」といわれるように今の近代化された日本の出発点です。
人々のファッションが変わり、考え方、 政治、経済、法律、 宗教にいたるまで、すべてが近代化の名のもとがらっと一気に西洋化していきました。
この歴史に残る一大事件を成し遂げたのは、地方の侍でした。
おもに薩摩藩・長州藩・土佐藩など地方の下級武士たちです。中でも代表的な維新の三傑といわれるのが、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(旧名:桂小五郎)ですが、当時、敵対していた両藩を結びつけたのが坂本龍馬であるとされています。
この両者が結び付いた軍事同盟である薩長同盟の結果、倒幕運動が功を為し、明治維新に至ったとされています。今でも語り継がれる坂本龍馬による大手柄です。しかし、実際には……。
その背後にトーマス・グラバーというイギリスの武器商人の存在がありました。
グラバーは、ロスチャイルド家の系列会社であったマセソン商会の社員として中国の上海に派遣され、その後、日本代理人として長崎に赴任し、グラバー商会を設立します。来日当初は、生糸や茶の卸売をしていましたが、幕末の混乱に着目して薩摩・土佐藩士など倒幕派を相手に、武器や弾薬を売り始めます。
当時、幕府に敵対していた長州藩は、長崎のグラバーから武器を買うことを幕府から禁じられていました。そこで、龍馬はグラバーから分けてもらった武器を薩摩藩名義で、長州に流すことで両者を和解させることに成功したのです。
実のところ、これは龍馬を使って薩長を結びつけ、その後、両藩を支援して幕府を転覆させるというグラバーの計画でした。
また、それ以前にも敵対していたとされる薩摩藩の五代友厚や長州藩士の伊藤博文など、両者ともに交流のあったグラバーは、彼らにイギリス留学を斡旋し、当地で交流させます。
つまり、龍馬が両者をつなぐ前に海の向こうではグラバーの仲介で、薩摩と長州はすでに結びついていたのです。
なかでも、グラバーの手引きによりイギリスに密航し留学した長州藩の5人の若者たちは「長州ファイブ」または「マセソンボーイズ」と呼ばれました。というのも、今の価値で10億円とも推測される彼らの留学費用の大部分を負担したのはグラバーの勤めるマセソン商会の社長、ヒュー・マセソンその人だったからです。
さらにヒューマセソンの上には、世界一の金融王ネイサン・ロスチャイルドの息子であるライオネル・ロスチャイルドがいました。
ライオネルやマセソンにかわいがってもらった5人の若者たちは日本に帰り、明治新政府ができた後、日本の最高指導者となります。いわば、ロスチャイルド家当主の子分であった若者たちによって、明治の日本が作られていたわけです。
明治維新をロスチャイルド家の視点からみてみるとこうなります。
初め、日本と貿易を始めたロスチャイルド家の代理人(グラバー)は幕府の体制が古いため、なかなか効率よく取引ができません。
そこで地方の若者(この場合、薩摩藩・長州藩の下級武士)に資金と武器を提供し、クーデターを起こさせます。
自分たちが教育し、支援した若者たちが政府を転覆し国を乗っ取ります。
彼らを通じて日本を支配し、有利な関係を結びます。
明治新政府はこのように創設されました。しかし、所詮イギリスの後押しでできた傀儡政権ですから、その明治新政府に不満を持つ者も多く出てきます。
そこで、内戦が起きます。
戊辰戦争です。
薩摩と長州を中心に作られた明治新政府を相手に、不満を持つ旧幕府軍が戦いました。
多くの悲劇を生んだ明治初期の内戦です。
戊辰戦争は、まず新政府軍 V.S 幕府軍の主導権争いの京都「鳥羽・伏見の戦い」 に始まり、次は「東北戦争」、さらに北上して、旧幕府軍の最後の抵抗となる「箱館戦争」で幕を下ろしました。
当初、京都の戦いでは両軍の兵力は、新政府軍の約5000人に対し、 旧幕府軍が15000人。旧幕府軍側が3倍ほど数で上回っていました。
しかし、朝廷が薩長軍を官軍と認定し、錦の御旗(みはた)の使用許可を与えると形勢が逆転します。この錦の御旗は、下級公家であった岩倉具視が密造したものでしたが、朝廷の許可を得て戦地で掲げると、「天皇には逆らえない」と旧幕府軍の戦意は低下します。慶喜が軍を捨てて京都から江戸に逃走したことも重なり、新政府軍の圧勝に終わります。
これにより、地方の下級武士と下級公家によるクーデターは完遂したのです。
また江戸では、新政府軍の司令官である西郷隆盛と幕府側代表の勝海舟の話し合いにより、幕府側から新政府側に江戸城が明け渡されました。争うことなく、無血開城した江戸城でしたが、その裏には、後の貿易への支障を恐れたイギリス側から、新政府軍に「江戸城は攻撃するな」という指示がありました。
この幕末から明治維新にかけて、日本の背後では、イギリスが薩長倒幕勢力を通じて南方からの日本支配をもくろんでおり、フランスは幕府を通じて日本の支配をもくろんでいたのです。
またさらにその上には、それぞれ英・ロスチャイルド家と仏・ロスチャイルド家の存在がありました。戊辰戦争を振り返って見ると、以上のようになります。
英のロスチャイルド家と仏のロスチャイルド家が二手に別れ、薩長倒幕勢力と江戸幕府の両方を資金と武器で支援します。その後、両者を戦わせて、どちらが勝っても支配権と利益を手に入れます。
さらにこの後、明治政府を作らせた後に今度は、外国と戦わせます。
日露戦争です。
小国の日本が大国ロシアを相手に戦いました。
この戦争は、有色人種が白人相手に勝利した初めての戦争ということもあり、 当時の日本国民はおろか、白人の支配下にあった東南アジアをはじめとする植民地の国々は狂喜乱舞しました。当時の日本は、この戦争の戦費を調達するために、増税に次ぐ増税を国民に 課しました 。
それでも足りず、ひいては国債まで強制的に国民に買わせる始末で、市町村は係員に一戸一戸、訪問させていたほどです。
買わない者は、国家への忠誠心を問われる雰囲気だったそうです。この頃の日本は軍事国家街道をまっしぐらで国家予算のうちの軍事費の占める割合が51%を超え、世界一になっていました。
さらなる戦費の調達に困っていた当時の日本銀行副総裁、高橋是清は日本の国債を外国に買ってもらうために、イギリス・アメリカへと渡ります。
アメリカでは、ロスチャイルド家と血縁関係のある大銀行家ジェイコブ・シフから500万ポンドの国債を買ってもらいました。
国債を買ってもらうということは、後で利子をつけて返す、つまりお金を借りることと同じです。
同様にイギリスではロスチャイルド支配下の銀行団から500万ポンド、後にロスチャイルド本家からもさらなる融資を受けます。
このように戦費を調達した日本は、ロスチャイルド系列の軍需企業から主力戦艦・三笠(英・ヴィッカーズ社製:当時のお金で88万ポンド)などを購入し、ロシアと戦争をします。
日露戦争もロスチャイルド家の視点からみると、イギリスやアメリカのように、まだ支配下にない大国ロシアを、育て上げた日本と戦わせ、封じ込めるための戦争だったのです。
そのために日本に戦費を貸し付け、自分たちの会社の武器を買わせ、ロシアと戦わせ、ロシアを叩いた上で日本からも巨額の利子を取り上げるという構図です。
形として、戦争には勝ったものの戦勝国の利権である賠償金はロシアから一切もらえませんでした。その結果、政府はロスチャイルド家とシフ家に高い利子と元金を払い続ける羽目になりました。おかげで、国家財政は火の車、不満を持った国民が東京で暴動を起こし、戒厳令が敷かれたほどです。
ロシアは戦争に負け、日本は経済的な大打撃を受けるだけに終わり、結局この戦争で勝ったのは、ロスチャイルド家だけだったのです。
当時すでに中国と戦い、戦況も泥沼化していた日本が、さらにアメリカとも戦争を始めます。一度に二つの大国と戦うという無謀極まりない戦争で、大敗します。この戦争については、「侵略戦争」だった、または「自衛のために仕方なく起こした戦争」だった、もしくはその両方の面があるなど、いろいろな見方があります。
いずれにせよ、日本に一番の衝撃を与え、いまだその影響を与え続けている出来事であることは間違いありません。
開戦当時、ロスチャイルド・ロックフェラー・モルガン一族などの一部の国際金融権力者だけで世界の富の80%を所有していたと推測されます。
つまり、彼らはその膨大な富を使い、政治家を操り、武器を売り、世界中のどの国でも戦争をさせることが可能でした。
事実、彼らはヨーロッパにおいては、イギリス・アメリカ連合国の敵国であるドイツのナチス党に裏側で資金を提供し、支援して大きく育て上げ、戦争を起こすことに成功していました。ヒトラーを支援したのは、ロスチャイルド家から意向を受けたアメリカの財閥でした。細かく言えば、ロックフェラー財閥のスタンダードオイル社が石油を提供し、資金を提供していたのはブッシュ元大統領の祖父・プレスコット・ブッシュ氏です。
ヨーロッパで第二次世界大戦を勃発させた後は、アジアにその火種を広める準備が着々と整っていました。
それは、真珠湾攻撃から始まりました。
日本軍が突然の奇襲攻撃でハワイのパールハーバーの米・太平洋艦隊と米軍基地に先制攻撃を仕掛けました。この奇襲攻撃に全米国民が怒ります。「姑息な日本人!やっつけてしまえ!」これを機にアメリカとの全面決戦に突入しました。
しかし、これが本当に日本軍の奇襲だったかというとそうではありません。
当時のアメリカ軍は日本軍の暗号をすべて解読しており、アメリカ側は日本軍の攻撃の予定も熟知していました。しかし、日本との戦争をのぞんでいたため、知らないふりをしたのです。
当時の米大統領ルーズベルトは、不景気だったアメリカをニューディール政策で持ち直すことができず、経済不況を打開するには戦争しかないと考えていました。また、戦争に反対だったアメリカ国民を戦争に駆り立てるためには、日本からの先制攻撃がどうしても必要だったのです。
そのため、彼は、日本軍の奇襲計画を傍受した部下から数々の報告を受けてもすべて無視しました。また、 ソ連のスパイでもあった近衛首相の側近・尾崎 秀実(ほつみ)からの通報で、12月上旬の開戦を知っていたともいわれます。またハワイに太平洋艦隊を集結させておくことに反対したリチャードソン太平洋艦隊司令長官を更迭、後に事情を知らないキンメル提督を任命するなど、先制攻撃を誘い込むような動きを見せています。
「私は宣戦しない。戦争を作るのだ。」は彼の言葉です。また、日本側の真珠湾攻撃の首謀者は山本五十六・連合艦隊司令長官でした。彼こそは、日本の軍人というイメージがありますが、実は大の親米派でした。
過去にハーバード大学に留学し、ほか駐米武官などの滞米経験も豊富であり、当時の日米の国力の差が10倍以上あることなど、誰よりもアメリカの国内事情に精通していた人でした。また軍内で、戦争を可能に見せるため会議に提出するアメリカのデータを過少に書き換えることまでしていたのです。その後、軍上層部全員が反対する中、真珠湾攻撃を立案、決行します。しかも決定打を打たずに退却という不審な行動。その動きは悉くすべてアメリカの利益になるようなものばかりでした。その真意はまったく謎です。
一説には完全なスパイそのものだったとも言われています。彼は戦前当時、近衛首相に、「初めの半年や1年の間は暴れてみせます。しかし、2年3年となれば全く確信は持てません。だから、できれば日米開戦は回避してほしい。」と伝えている反面、自分の指揮で開戦した後は「短期決戦・早期和平」を目指していたようですが、結果として日本は悲惨な結末を迎えます。
「このまま戦争が続けば米軍側にさらに犠牲者が出るから、あれは仕方がなかった。」
また、「姑息な奇襲攻撃で先制を仕掛けた日本には、これぐらいやって当然!」「リメンバー・パールハーバー!」
真珠湾攻撃の復讐をされて当然、という論法で、国際社会では、いまだに正当化されている広島・長崎の原爆投下。
当時の日本はすでに惨敗状態で、とても戦えるような状態にありませんでした。1945年3月に和平協定も申入れましたが、却下されています。
ここで考えてほしいのは、なぜ日本に原爆の投下が必要だったのか?それも2回もです。さらに広島に投下されたものと長崎に投下されたものは異なる2種類の原子爆弾でした。
まず、原子爆弾の開発にはロスチャイルド・ロックフェラー両財閥の大きな力が働いていました。原子爆弾の開発に必要な20兆円にも上るといわれる莫大な資金は両財閥から提供されていました。それはすべて、大戦後に「核の脅威」を用いて世界を支配するために、核がどれほど凄まじい威力をもった兵器かを国際社会に見せつけておく必要があったからです。つまり、広島・長崎は核の威力を世界に知らしめるための人体実験であったといえないでしょうか。
このような世界中を巻き込む悲劇が二度と起きないようにと戦後の1945年、世界平和のために国際連合が創立されました。
国連本部ビルは米・ニューヨークにあります。これは、ロックフェラー財閥が寄贈した土地に建てられました。また主要ポストはロスチャイルド財閥の人脈(血縁者)とロックフェラー財閥関係者で占められました。いまでも国連の主要ポストは両財閥の関係者で占められています。
つまり、振り返ってみると、「第二次大戦の勃発から、原爆の開発と使用、そして、戦後の国連の創設に至るまで」、すべてが両財閥の計画だったのです。
原子爆弾に必要な原料であるウランは、戦前からロスチャイルド家所有のアフリカのウラン鉱山から採掘され始めていました。またH・L・メンケン氏は、その著書『アメリカン・ランゲージ』の中で「国際連合」という名称は、日本による真珠湾攻撃の前からアメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相の間で決定されていた、と述べています。
さて、みなさんは「国際連合」といえば、学校で習ったり、一般常識で知っているとおり、世界平和のための公益法人の組織であると理解されているかと思います。
実際にそのような側面もありますが、現実には、世界約200か国をまとめて支配するために、
一部の財閥が出資してできた私的機関という側面も強いのが現実です。
常任理事国であるアメリカ・ロシア・中国・イギリス・フランスのみが拒否権を持ち、他の国は持ちません。日本は国連にアメリカ(4億9000万ドル・2007年)に次ぐ第二位の財政負担(3億3000万ドル)をしており、この額は残りの常任理事国4カ国の財政負担額の合計と同額です。にもかかわらず、日本には何の決定権も与えられていません。
ここで、誤解してほしくないのは、国連職員の方の多くは、心から平和のために働いている人々であり、事実、国連は数々のすばらしい国際援助活動をしています。
その一方で、国連平和維持軍(PKO)は、時として、カンボジア・ユーゴスラビア・ルワンダなどの紛争当事国へ武器密輸をしていた実態も(ニュースでは報道されない)あるのです。ここでお伝えしたいのは、「表と裏の両面がある」ということなのです。
ここで、国連と核兵器の関係について話しておきます。
大戦後の核の拡散について。世界にどのように核兵器が広まっていったかの経緯です。
表向きには、一部の科学者がアメリカの核独占(一極集中)の危険性に危惧し、良心からソ連に技術を持ち出したとされていますが……、実際には、意図的に行われた行為でした。つまり世界支配と利益のためです。ソ連の核開発には、アメリカのロックフェラー財閥配下にある外交問題評議会(CFR)のメンバーであり、またルーズベルト政権では大統領主席補佐官を務めたハリー・ホプキンスが、意図的にソ連に原爆技術を移転したという、レーシー・ジョーダン少佐のアメリカ議会委員会での宣誓供述があります。
このようにまず初めにアメリカからソ連に核開発の技術が輸出され、次にイギリスとフランスへ、そしてソ連から中国へと5大常任理事国に核が計画的に分配され、世界中の約200の中小国すべてが核を持つ常任理事国の支配下に置かれるという構図です。
その後、核開発技術は中国からインドとパキスタンへ。またアメリカからイスラエルへと輸出されていきました。さらに、水爆までもが、ひととおりこれらの5大国に配備されました。
国連の常任理事国に原爆・水爆がひととおり完備された後、1970年にある条約が締結されます。核拡散防止条約(NPT)です。
この条約は、常任理事国以外の国には核保有を禁止するものです。表向きは、核廃絶を訴える国と平和運動団体によって核廃絶を目的に制定されたことになっていますが、その真意は、この条約を根拠に「国連非加盟国」を「核を持とうとしている国」などとして批判し、場合によっては国際世論を味方につけて、攻撃できるという体制を整えることです。
最近、この条約と国連誘導の国際世論の攻撃の的にされているのが、「アフガニスタン」「イラク」「イラン」です。
これらの国は、「テロの温床」また「テロリストを匿う危険な国」とされたり、「核を持っている疑いがある国」という容疑をかけられ、国際社会から非難されています。
その実態は、これらの国々はいずれも「国連非加盟国」であり、さらにはロスチャイルド財閥の支配する「中央銀行がない国」なのです。
「核武装疑惑・テロリスト国家」=「国連非加盟国」=「中央銀行のない国」=「両財閥の敵」ということなのです。
そして、彼らを一気にまとめて総攻撃するきっかけとなったのが、あの「9.11テロ事件」です。
全世界を震撼させた大規模テロ攻撃です。この事件をきっかけに世界は一変しました。
このあと、世界は「イスラムの過激派テロリスト」におびえ、彼らをつぶすためには、とことん戦わなければならないという幻想にとらわれることになったのです。
まず、9.11テロ事件を振り返ってみます。
この事件は2001年9月11日、アメリカ本土において、オサマ・ビン・ラディン率いるイスラム過激派組織のアルカイダのテロリストが旅客機をハイジャックし、ニューヨークの世界貿易センターに乗客もろとも自爆テロを決行したという事件です。
この他にも……。
アメリカ国防省ビル(ペンタゴン)に一機が激突し、ピッツバーグ郊外に一機が墜落しました。
さらにツインタワーから数百メートル離れた第七ビルは、数時間後に崩壊。以上が9.11テロの概略です。
しかし、この同時多発テロ事件。全てがアルカイダの仕業によるものであるというアメリカの政府発表には、多くの疑惑があります。
まず、はじめに容疑者とされるビン・ラディン氏の一族は、ブッシュ大統領の一族とは、30年来のビジネスパートナーの間柄です。
ビン・ラディン一族とブッシュ家は石油会社を共同経営するなど、とても密接な関係にあります。そもそも氏は、洞窟に潜むテロリストなどではなく、アラブの大富豪の子息です。
ビンラディン一族は、ブッシュ家の仲立ちでアメリカの誇る大手軍需産業・カーライルグループに 巨額の投資をしており、その仲介者がブッシュ家なのです。そして、9.11テロ後のアフガン侵攻・イラク戦争などの「対テロ戦争」で莫大な利益を上げたのは、他ならぬカーライルグループでした。
ツインタワーは、航空機の衝突後、わずか1〜2時間後に完全に崩壊しています。